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ユーリィ君の受難  作者: イブスキー
第一章
24/66

第24話

 ユーリィはただ走り続けた。何も考えずにただひたすらに。あまりの過重に肺は痛み、心臓は悲鳴を上げている。それでも倒れるまで走ってやろう。そうすれば何もかも過去となって、背後の風景とともに消えてしまうに違いない。肩から提げた皮袋が背中を打ち付ける。靴の紐が解け始めている。立ち止まれ立ち止まれと、あらゆる物が文句を言っている。しかしユーリィには、全てが自分を(おとし)めようとしているとしか思えなかった。


 やがて__


 呼吸の限界と、体力の限界に、ユーリィは道の真ん中に倒れ込んだ。人の滅多に通らない地面には、周辺と変わらぬほど草が生えている。道であると確認出来るのは、僅かに見える黒土だけ。頬の横にある白い小さな花が耳朶をくすぐった。


「どうしてみんな、僕を放っておいてくれないんだろう……」


 無関心を装われるだけなら我慢は出来る。けれど勝手な感情を押し付けられる事は耐えられない。それとも人はそうやって生きていくものなのだろうか? 誰かが誰かを御し、誰かが誰かに従わなければ、この世に存在してはいけないのか? 誰にも関わらずに進むことが出来ないのなら、今すぐ道を断ち切っても構わない。所詮、存在すること自体が罪なのだから……。



 ふと何かの影が陽差しを遮った。見ていた蒼い空から視線を離すと、瞳の中に黒髪が映る。驚いて体を起こすと、そこにいたのは例の中年男だった。


「君は自分の置かれている立場を理解していないようだから、教えてやろう」

「何の……事……?」

「君の父上は、君を次期当主にする望みを捨てていないのを知っているか? 今も何処かで君を監視している者がいるはずだ」

「え……?」


 ユーリィは辺りに眼を走らせた。しかし近くを白蝶が飛んでいる以外、見渡す限りの草原にいるのは自分と男だけで二人だけ。獣すら姿がないこの場所に監視の目があるとはとても思えない。すると中年男はニヤリと口元に似合わない笑みを浮かべ、瞬間、持っていた大剣をかざし、ユーリィに目掛けて素早く振り下ろした。


(殺されるのかな)


 ユーリィは陽光に反射した剣先の動きをジッと眺めていた。目を(つむ)って死ぬのだけは止めよう。そう思いながら恐怖も忘れて見つめていると、何故か剣はユーリィの脇を抜け、飛んでいた蝶に直撃した。


 白い鱗粉が舞い、羽根が花弁の如く宙に散る。ただの虫だと思っていたものは、得体の知れない生き物のように、肢体から青い光を放ちながら落ちていった。


 ユーリィは茫然とそれを見下ろした。葉の上に落ちた僅かな痕跡は、数本の足の付いた小さな肉片と、風に飛ばされていった黒い斑点のある羽根だけである。


「これで分かっただろう?」


 男の言葉の意味が判らない。

 ユーリィは蝶の残骸を茫然と眺め、それから静かに剣を降ろす男へと視線を移した。今はまだ殺すつもりが無いらしい。そう判断し、ゆっくりと立ち上がった。


「君は随分と肝が据わってるな?」

「……ビックリしてるよ」


 元来、自分は表情が乏しいことは知っている。驚いたり怒ったりすると更に無表情になり、それが原因で誤解を受けたりするが、今はそれが有り難かった。


「話を続けよう。邪魔な監視はいなくなった」

「あの蝶が……監視?」

「魔導士の仕業だろうな。イワノフの金を出せば、その程度の力がある輩は雇えるだろう?」


 本当なのだろうか? 父がそれほどまでして自分を気にかけているとは、到底思えなかった。


「これからどうするの? 何とか王国なんて嘘なんだろ?」


 その質問に、男は眼を細めてニヤリと笑った。


「バラディス王国の件は本当の話だ」

「回りくどい説明は止めろよ」

「我々は君の父ウラジミール・イワノフ卿に、犯人がウィン侯爵かその配下であると思ってもらいたかっただけだ」

「ウィン侯爵って誰?」

「我々にとって邪魔な存在、とでも言っておこうか」


 三文芝居もいいところだ!

 そんな下らない陰謀の為に、なぜ自分は振り回されなければならないんだろう。殺したいのならさっさと殺して、自分が居なくなってから適当な理由を作ればいいじゃないか。どうせ、いつだって捨てられる命なのだから……。そう思うと、胸の奥がジリジリと痛み出し、ユーリィは思わず声を荒げていた。


「くだらない! 本当に! お前もアルフも全員だ!」


 すると、男は口の端をゆがめてニヤリと笑った。


「君が一番くだらない人間だと、ある方が言ってたよ」


 その瞬間、ユーリィは全て理解した。

 ユーリィはこの芝居の真の首謀者が誰であるか、そしてその人物が何を望んでいるのか、半身だけの兄弟、死にかけた亡霊の顔を思い出し、溜息を吐きながら呟いた。


「ああそうか……。あの人が陰にいるんだ。つまりあんたは僕を殺しに来たわけだ」

「痛めつけてから殺せとのご要望だよ」

「ふぅん。で、アルフはあの人の事を知っているの? それとも奴も騙されている口か?」

「エヴァンスか。一昨日、君の部屋にヤツが現れただろう? ヤツはちょっとした麻痺薬を君の体に仕込んだんだが、気付かなかったか?」

「麻痺薬……?」


 アルフが自分に噛みついた理由は、それだったのか。もしかしたら昨日、突然体が動かなくなったのもそのせいだったのかもしれない。そう悟ったユーリィは、思わず首筋に手を当てていた。


「ヤツも可哀想な男だな」


 如何にも小馬鹿にしたようなそんな口調と、顔に浮かんだ軽蔑の色は、何故かユーリィを不愉快にさせる。それは多分、生まれた時からずっと、周りの人間が自分に向ける表情と同じだったからかもしれない。アルフを正当化するつもりなどさらさら無いはずなのに……。


「アルフが可哀想って、どういうことだよ?! アイツは降りたんじゃないのか?」

「人間には他人に知られたくない(しがらみ)というものがある」

「どういう意味だよ?!」

「奴はこのゲームから降りられない。それに計画の変更を言い出したのは奴の方さ。ヴォルフ・グラハンスを犯人役にしようとね。グラハンスを怒らせ、君を襲わせるそうだ」


 何故アルフがヴォルフを(あお)るような事ばかりしていたのかが、ユーリィはやっと理解できた。彼がしていたのは冗談でも嫌がらせでもなく、計算の元に行っていたことだったのだ。


「だからアルフはあんなことを……」

「まあ、こちらとしても金が手に入って君が死ぬなら、その後の事は何とでもするつもりだったが……。少しばかり事情が変わってね、直接手を下すことにしたよ。君が死ねば、あの方の母君が金を出してくれるそうだ」


 なるほど、継母まで荷担しているのか。

 ユーリィは肩をすくめながら、その事実を軽く受け取った。


「でも、もうすぐヴォルフが来るぜ?」

「だからどうした? 奴だって内心は君が死ぬことを望んでいるんじゃないのか?」

「どういう意味だ?」

「たぶん、グラハンスはイワノフには恨みを持っている」


 男は一度そこで言葉を切ると、ユーリィの顔を舐めるように眺めてこう続けた。


「それに痴情のもつれもあるんだろう? なんなら、男と色情に狂って殺されたという噂でも流して差し上げようか? そうなれば、あのお二人もさぞやご満足だろう」


 いかにも卑下した声色だ。ユーリィは唇を噛むと急いで立ち上がり、男に詰め寄った。


「ふざけんな! それより、そんなに僕に死んで欲しいなら今すぐ死んでやるよ。ただしあんたも道連れだぜ」

「出来るものならやってみたまえ」


 男は大剣を構え直すと、死者を眺めるような視線でユーリィを見返した。ユーリィはその冷たい瞳から目を離さずに、ゆっくりとポケットの中に手を入れる。そう、何もかも終わりにしてしまおう。


 次の瞬間、男の剣がユーリィを狙って振り下ろされる。踵で地を蹴って退くと、男は笑みを浮かべつつ、更に次の攻撃を仕掛けてくる。刹那、ユーリィは素早くポケットから何かを出して下に転がせば、男はそれを目で追い、ギョッとなって動きを止めた。


「まさか?!」

「あの時使ったのに、僕を調べなかったのは失敗だったね。二つ持ってないと思った?」

「そんなものを使ったら、貴様も……」

「どうせ死ぬなら木っ端微塵を選ぶよ」


 草の上に落ちた小さな黒い玉。それは爆弾としては有名な水晶で、主な用途は鉱石の掘り出しに使われる。強力な火の魔法が込められていて、値段もかなりのものだ。

 男は慌ててそれを掴もうと屈んでいた。だがそれより先に、ユーリィは男の足元に落ちているそれを爪先で軽く蹴飛ばしていた。


 コロコロと草の上を転がっていく黒い玉は、男の股間を抜けて、一直線に後方へと転がり続けた。男は無様なほどの慌てぶりで地を這うようにそれを追ったが、大きな図体が邪魔をして掴めぬままもんどり打つ。


「もうお終いだよ」


 ユーリィはゆっくりと瞳を宙に向けた。こんな場所で死ぬとは思わなかったが、これも運命だと諦めよう。いずれは死ぬつもりでいたのだし、こういう派手な死に方もいいじゃないか。


「クソーー!!!」


 悲鳴のような男の叫び声が轟く。

 それを聞きながら、ユーリィはポケットに残る起爆玉を指先で押しつぶした。

 同時に、瞼の端に鋭い閃光が映り、ユーリィは息を止めてその瞬間を待った。死を予感し肢体を硬直させ、思わず目を閉じる。


 だが衝撃は思わぬ形でやって来た。


 いきなり誰かの腕で包まれるような感覚があった。柔らかな服の感触が頬に当たり、回された手が背中に当たる。まさか例の中年が抱き付いてきたのかと驚いたその時、耳をつんざく爆発音と衝撃を感じた。ユーリィは唇を噛みしめ、思わず誰だか知らない人間の胸に頬を埋める。覚悟はしていたけれど、恐いことには代わりはない。


 一切の痛みも苦しみも感じなかった。耳元で“大丈夫です”という声が反響した爆音に混じって聞こえる。辺りには飛ばされたらしい土砂が落ちてくる鈍い衝撃が、爪先を通して感じられた。


 それなのに爆風すら感じなかったことが不思議で、ユーリィはゆっくりと目を開けてその人物の顔を見上げた。


 知らない人物だった。歳は三十過ぎぐらいだろうか、穏やかな顔立ちの男で、頭から被ったフードからは、グレーの髪の毛が覗いて見える。


 落ちてくる土や岩は、周辺の草を容赦なく埋め続けているし、土混じりの白煙は空を消そうと試みている。そんな中で、なぜ自分が生きているのか、なぜこの男が自分を庇っているのかが判らない。


「大丈夫ですか、ユーリィ様?」


 ゆっくりとユーリィの体を離したその男は、穏やかな声でそう言った。これが話に聞く“救世主”という野郎だろうか。その薄笑いに誰かを思い出し、多少反感を持たなくもないが……。


「誰?」

「使い魔を殺された者でございます」


 男は身を落として慇懃なる挨拶をした。その態度があまりに馬鹿丁寧で、ユーリィは一瞬、言葉に詰まる。


「もし出来ることなら、今後は結界をゆっくりと張れるほどの有余をお願い致します」

「なるほど結界ね。余計なことを……」

「それが私の役目ですから」

「親父に頼まれたのか?」

「お父上は皆が思う以上に鋭い方ですし、貴方が思う以上に貴方を愛していらっしゃいます」


 ユーリィはつまらない冗談を言われた気がして“ふん”と鼻で笑った。

 ローブを着た男はニッコリと微笑むと、背後を窺うように首を回す。彼のすぐ後ろには巨大な穴が開いて、そこに例の中年男の姿はなかったが、もし残っていても体の全てが揃ってはいないだろう。


「今回の件はこれで終わりにさせましょう」

「で、あんたは誰?」


 男は“ロジュと申します”と言いながら再び頭を下げる。すると被っていたフードの奥にあるグレーの髪と尖った耳が見え、ユーリィは目を見開いてそれをジッと見つめた。


「エルフ……?」

「先代よりイワノフに使えている者です。貴方様がご当主になられた際にはよろしくお願い致します。ユーリィ様」

「そんなことはないよ」

「そうでしょうか?」


 エルフは真っ直ぐにユーリィを見据えた。冗談ではないというような眼差しに反論する言葉が見つからない。けれど、今はとりあえず無視しよう。そんな事を議論しても意味のない事だから。


「……悪いけど、これ以上付け回すのは止めて欲しいんだよね」

「そのようなことはしておりません。使い魔をおそばに置いているだけでございます」

「同じ事だよ。で、今回の件は親父にはどう報告するつもり?」

「お父上ウラジミール・イワノフ様は全てをご存じですよ。万が一パラディスの件でユーリィ様に何かがあった場合、その責任はご家族の誰かだと思っておいでですし、現にご本人にもそう仰いました」

「そう言ったの? あの男が?」


 いつも継母や兄の顔色をうかがっているような父が、直接そんなことを言うなどおよそ信じられない。これは何かの冗談なのだろうか? そうだとしたら、いっそここ数日起きたこと全てが冗談であって欲しい。


「先月バラディスのご親族より、内戦における資金援助のご要請が内々にございました。そこで貴方のご家族は、貴方の身代金をそのまま援助金にするという約束で、貴方の死をご請求されました。バラディス方は、犯人を彼らの意に背く者になるように、話をでっち上げたかったようですね」

「家族なんて言い方は止めろ。誰だか分かってるんだ、兄さんの“陰謀ごっこ”だってね」


 ユーリィが詰め寄ると、ロジュは困ったように顔を背ける。それが答えだというような様子だった。

 

 と、遠くよりユーリィを呼ぶ声が聞こえ、二人は振り返った。丘陵を駆け下りてくるのは、他ならぬヴォルフ・グラハンスその人。なんてタイミングの悪い男だと、ユーリィは心で溜息を吐いた。


「もうこの件に関しては何か起こることはありませんので、ご安心下さい。もし真実を知りたいのでしたら、全てはエヴァンス殿がご存じでしょう。私の口からはこれ以上申し上げられません」


 近付いてくるヴォルフを眺めながら、ロジュが呟く。その言葉に、ユーリィは顔を上げて相手を睨み付けた。


「アルフが素直に答えてくれるとは思えないね」

「彼も苦しい立場にいるのです」

「苦しい立場って……」

「では、失礼致します」


 恭しく頭を下げたロジュはユーリィに背を向けて数歩歩く。するとその姿は辺りに漂う白煙に溶け始めた。

 幻のごとく消えていくエルフの陰影を見つめながら、ユーリィは背後から聞こえるヴォルフの足音に、何故か安堵感を覚えていた。


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