第20話
本当はヴォルフ達と一緒に行く気などユーリィには全くなかった。しかし、朝起きてからずっと扉の前にアルフが佇んでいては、逃げることなど出来るはずもない。村から次の街までは森を抜ける街道だけ。来た道を引き返せば彼らと別れることも可能だったろうが、一ヶ月以上も辺鄙な土地を彷徨っていたので、そろそろ人の賑わいが恋しくなっている。
道を歩くだけなら何もされないだろう。よしんば手を握られたとしても、一瞬だけなら堪えられる。仕方がなくユーリィは部屋に作ったバリゲードを撤廃した。
晴れた蒼い空に、取り残された一片の雲。西風に流され、彼方の地平線に向かっている。人影に驚いたのか、雲雀が一羽飛び立ち、ユーリィはその軽やかな囀りを追いかけるように顔を上げた。視界の中に入った陽光に目を細める。昨日の天気が嘘のようだ。
小さな起伏を繰り返している草原は、まるで果てのないほどに緑色の地平線を描いていた。振り返ればさきほど抜けてきた森がある。雲雀のように翔ぶことが出来るのなら、先にある街も見えるだろう。
雨は道の片隅に光る水溜まりに残っていた。避けようと飛び跳ねれば、隣を歩く者がクスリと笑う。
「若いというのはいいですね」
「爺臭い、まだ二十代なんだろ?」
「二十五です」
横を歩いているのはアルフ・エヴァンスで、今日の彼は昨日までの派手な衣装とは打って変わって、アイボリーのピッタリとした縦襟の上着に、黒いズボンという出で立ち。胸元に濃紺のスカーフや、腰に締められた黒いベルトなど小洒落た人間らしいが、マントの趣味はなかったようだ。彼は細い髪を風に流し、ユーリィの無言の問いに“あれは身代わり用の衣装でしたから”と恥ずかしそうに答えた。
その時なにげなくアルフが、リュートのケースを旅行鞄と一緒に反対の手に移し替えた。それを見たユーリィは、そのケースをジッと見つめる。彼の腕前は昨日の演奏を聴いただけで推し量れるし、名を告げただけの曲を弾けた事から、多くの作品も知っているに違いない。つまり彼は吟遊詩人なのだろうか? そういえばハンターのくせに武器らしい物は見当たらない。
ユーリィの視線にアルフは気付いたようだ。答えるように“これは武器です”とにこやかに言った。
「武器?」
「リュートの中に飛び道具が仕込んであるのです」
一瞬“へぇ”と納得しかけたが、アルフの顔を見た途端それが嘘だと分かる。
「お前、やっぱ嘘つき」
「そうだったら面白いかなと思っただけです。これはただのリュートですよ。お金を稼ぐ為の道具です」
「でもハンターなんだろ?」
「本業は吟遊です。ハンターはヴォルフに出会ってから始めましたが、もちろん武器など使えないので、戦いは専らヴォルフの担当。私は酒場などで情報集めをして、二人で結構巧くやってましたよ。楽しい想い出です」
その言葉とは裏腹に、アルフの瞳がつかの間、憎悪に燃えたように見えたのは気のせいだろうか。
「今回の仕事は思いがけない展開になってしまいました」
「まさか僕の事を護ろうとか?」
ユーリィは探るような目でアルフを見ると、彼は複雑な表情を浮かべながらユーリィの視線を受け止めた。
「想像にお任せします。それより貴方も剣舞も素敵でしたよ」
そう言われ、ユーリィは顔を赤らめる。本当はあまり人前で踊りたくない。踊るのは気持ちがいいが、それを見られるとまるで心の中を見透かされるようで少し恥ずかしかった。
「母親のところにいた時、ジプシーのエルフに少しだけ習ったんだ。でも僕は全然才能がない。昨日だって失敗したし。本当は『風の鎌』はもっと沢山出るはずなんだ」
「でもそのおかげでヴォルフが怪我をせずに済んだんでしょ? それともヴォルフが怪我をするのが嫌だった?」
「別に」
ユーリィは慌てて顔を背ける。
「優しい人は好きですよ」
ユーリィはどんな表情をしたらいいか分からず、憮然と唇を噛んだ。その様子にアルフはクスッと笑う。本当に調子が狂う相手だ。本気なのか冗談なのか、それすら分からない。
ふとアルトはユーリィから目を離し、前方を眺めた。その視線を追ってユーリィもそちらを見る。彼らの前に、槍を肩に担いでぶらぶらと歩いているヴォルフの後ろ姿があった。二人のことなど気にしていないといった様子だが、その実、距離がそれ以上開かないのは、本当は独りで行こうとは思っていないのだろう。
「アイツ、最初に会った時と人間が変わってる」
「最初はどんな感じだったんですか、彼は?」
「態度は偉そうだったけど、もう少し軽かったというか、穏やかだったというか……」
「いつから変わったのでしょうね?」
その質問にユーリィはギクリとなった。きっとあの夜の、あの件からに決まっている。自分で罠に堕ちて、勝手に邪な感情を抱いてるに違いない。
「本当にアイツは、僕を……つまり……」
確信的な言葉を口にすることが出来ず、ユーリィは道端の雑草を見つめてしまった。
「そうらしいですよ」
「はぁ……」
ユーリィは肩を落として大きな溜息を一つ吐き出した。横目でアルフをみると、彼はニッコリと甘い笑顔を見せる。この男はヴォルフの気持ちを煽っていることが、相当愉しいらしい。嫌がらせにしても度が過ぎやしないか?
だがそれを差し引いたとしても、ヴォルフの様子は本当に変だと思う。なぜあんなに暗くなっているのか。今日は今朝から一言も喋っていないし、初めて会った時の笑顔もすっかり消えている。
(……また僕は、人を傷付けてるのかな)
他人の勝手な感情に振り回され、本当は怒りたいのに、傷付いていく相手を見ると自己嫌悪を抱かずにいられない。もし自分がこの世に存在していなければ、誰も暗い感情に囚われずに済んだはずなのに。父も母も継母も兄も、そしてヴォルフも……。
「どうかしました?」
アルフの声にハッと我に返る。いつの間にか深い闇に心が被われていたらしい。立ち止まったユーリィを顧みるアルフの空色の瞳は、いつもより真剣な眼差しだった。
「その眼ですね、ヴォルフが恋したのは、きっと」
「そういうことを言うな」
「私も好きですよ」
その瞬間、不意打ちのように腕を掴まれ抱き寄せられた。
「オイ、止めろ」
しっかりと背中にまで腕を回され、胸に感じる人肌に頭の中が蒼白になる。ワンテンポ遅れて暴れだそうとしたユーリィの耳に、アルフがそっと耳打ちをした。
「ヴォルフの本心を確かめたいと思いませんか?」
「冗談は……」
ユーリィの返事を待たず ──待つつもりも無かっただろうが── アルフはいきなり大声を張り上げた。
「ユーリィ君、貴方は本当に可愛いですね!!」
「ふざけたことを言うな!」
「ヴォルフが振り返りました。さあ、思い切りどうぞ」
どうぞと言われても、どうしたらいいというのか。
ユーリィは愕然とアルフの顔を見上げ、それから恐る恐る目の端にヴォルフの姿を映してみたのだった。




