第2話
BLを目的としていませんが、BLが苦手な方は自己責任でご閲覧下さい。
ヴォルフ・グラハンスは幼い頃から戦術を叩き込まれていた。家は貴族とだったはいえ、貧乏を絵に描いたような状態で、明日の食べ物にも困るような状況だったが、堅物の父は何故か戦いにこだわりを持っていた。どうやら武勲を立てることがグラハンス家の使命だと固く信じていたようだが、平和な国では無駄な信念だ。だが幼いヴォルフにはそんな事情も分かる筈もなく、ただ父の厳しい訓練を受け続けていた。
そんなヴォルフもやがて、全てのことが理解出来るようになる。そうなると父の厳しさが馬鹿馬鹿しく感じるようになり、何度も家出を繰り返していた。しかし母を早くに亡くし、父を見捨てて行くわけにもいかず、結局は家に舞い戻る。若い頃のヴォルフはそんな生活を送っていた。
たぶん父は寂しかったのだと思う。今この歳になるとそれが理解出来るのだが、血気盛んな頃は父が狂ったとしか思えなかった。というのは、ある日父は一人の娘を連れてきて結婚すると宣言したのだ。まだ年端もいかない娘と、中年をとうに過ぎた父の恋。十八歳のヴォルフが二つも下の少女を“母”と呼べるはずもなく、二人を罵り、軽蔑し、そして家を飛び出した。
それ以来、家には帰ってはいない。風の噂によると妹が出来たらしい。二十も離れた妹は、今は七歳になっているはずだ。一度会いたいと思うが、どういう顔で家に帰ったらいいのか。もしかしたらこのまま一生、彼らに会うことはないかもしれない。
その日暮らしはそれほど悪くはない。両親から譲り受けた“顔”が世渡りを成功させている。女には困ったこともなく、時には食い逃げのようなことすらあった。父が信じた“誠実と清潔”などゴミのように捨てることが、あの頃のヴォルフの生きる糧だった。
だが二十代も後半に入ったある日、ふと今までのことを振り返った。すると結局は全てを受け入れなければ自分はどこにも行けないのだと、ヴォルフは突然に悟ることが出来た。父も義母も、そして自分も許そうではないか。寛容はこの世の全ての真理なんだ。そう思った日以来、心穏やかな日々が続いている。きっともう、恨みに心を燃やす事はないだろう。
しかし悟りを開いたところでその日暮らしには代わりはない。ギルドに行き、適当な仕事を見つけ、小遣いを稼ぐ。蓄えるつもりもないし、落ち着くつもりも今のところは全くない。いつか心を捕らえて放さない誰かと出会えたら、きっと小さな幸福を手にすることが出来るのだろうが、そんな相手が果たして現れるのだろうか。
その日も小さな村の依頼で出かけていた。森の奥で時々現れる魔物を倒すことが依頼内容だった。あまり割の良い仕事ではないが、選り好みが出来ないほど金が底をついていた。
依頼によると魔物が出るのは必ず雨の日だという。道行く者を襲い、血肉を吸う。生きて帰った者がいないのでどんな相手かは分からなかったが、手強い可能性もある。
小雨の中、ヴォルフは死体があったという場所までやって来た。森は白い霧が立ち込めている。昨日までの晴天がうって変わって、肌寒さすら感じる気温だ。
しばらく森の奥を窺っていたが、背後に人の気配を感じた。顔を動かさずそっと様子を探る。一応『蒼の凶槍』などと二つ名が付くほどに、自分の腕には自信はあるし経験も豊富だが、注意するに越したことはないだろう。ヴォルフは右手に軽く力を込め、槍を握り直した。
足音からするとどうやらまだ子供のようだ。警戒した様子もない足取りからするともしかしたらこちらに気付いていないのかもしれない。まさか自分を襲うつもりなのかと思いながら、ヴォルフは背後で立ち止まった相手の方にゆっくり振り向いた。
立っていたのは……少年だった。年の頃は十二、三歳と言ったところか。雨に濡れた金髪が白い頬に張り付いている。印象的なのはその青い瞳で、何故か哀しみが浮かんでいるように見える。たぶん一度見たらしばらく忘れられないだろう眼だ。まだ幼さが抜けきれないその顔は、一瞬少女かと思うほど儚げに見えた。そう、彼が口を開く瞬間までは。
「魔物だよ、君」
ヴォルフがそう言うと、少年は答えに窮したようで、ヴォルフとその背後を交互に眺める。
「ま・も・の」
「大丈夫、発音は正しいから。訛りもないから、安心して良いよ」
驚くほど好戦的。ヴォルフは鼻白みながら“そうか”と苦笑混じりに呟いた。先ほど十二、三歳と思ったが、声変わりとしたそのトーンから十五前後と頭の中で修正する。童顔に騙されたがかなり血気盛んな相手らしい。
それにしても彼は、何故こんな森の中を一人で歩いているのだろうか。民族衣装風の上着とラフなズボンというスタイルは、とても旅をしている者とは思えない。ヴォルフはそのわけを訊いてみたかったが、たぶん素直に答えてくれる相手ではないだろう。とりあえず何を言うべきか少し言葉を選んでいると、逆に少年の方から尋ねてきた。
「で?」
「つまりこの先は危険だと言うこと。君は行かない方がいいな」
「危険かどうかは僕が判断することであって、貴方には関係ないと思うけど」
全く面白い子供だ。見た目と中身がこれほど違うとは。黙っていれば人形のような可愛い顔も、口から吐き出す毒で全てを台無しにしている。本人はその事に気付いているのだろうか? その上、彼の態度は若い頃の自分を彷彿させ、ヴォルフは少年に興味を抱かずにはいられなかった。
「じゃあ、そう言うことで」
少年は、笑いもせず歩き出す。
「おい、待て」
そう引き留めたが少年は振り向くことはなかった。
ヴォルフはその後ろ姿を見送り、どうしようかと悩む。このまま見捨てるわけにもいかないだろう。彼がどれほどの戦闘能力があるかは分からないが、自分より強いとは到底思えない。
それに、もう少しだけ彼を知りたいと思った。
作画:チルデ様