第19話
この食堂で食事をするのは、これで三回目だ。大して広くもないここは田舎作りそのもので、何の装飾もなければ、壁には小さな絵すら掛かっていない。出窓に置かれた花瓶の花が、唯一の心遣い。五つあるテーブルには、クロスすらかかっていなかった。
しかし食べ物が美味しければ、本来雰囲気など二の次だ。奥の厨房から流れてくる匂いは確かに美味そうで、それだけでも装飾品の代わりになる。だがユーリィはその美味そうな食事を前にして、全く食欲が湧かなかった。原因は分かっている。目の前に並ぶ顔のせいだった。
今、この宿の宿泊客は三人だけだ。そしてこの食堂にはテーブルが五つある。それなのに、何が目的なのか知らないが、ヴォルフとアルフはユーリィの前に座っている。
知り合いである三人が別々のテーブルに付くのは確かに変な話だ。だが野郎三人が同席して、誰も一言も発しないのはもっと変ではないだろうか? その証拠に、普段はベラベラ喋る例の女主人も、臆した目で料理を持ってきて、あっと言う間に厨房に逃げ帰ってしまった。
「……何で雁首揃えて、前に座ってるんだよ?」
とうとう業を煮やして、ユーリィが文句を言った。
「一緒に食事をした方が楽しいですから」
相変わらずのアルフがにこやかに答える。
「楽しい? この雰囲気が?」
ユーリィは持っていたフォークでヴォルフを指した。指された方は顔を上げることもなく、皿のジャガイモを粉々に砕いている。
「ほら、ヴォルフ・グラハンス、ユーリィ君が楽しくないと言ってますよ? そんな恐い顔していつまでも黙ってないで、何か言ったらどうですか?」
「別に話すことなんて……」
いったいコイツらは何なんだ? 二人を見比べながらユーリィは心底呆れていた。
片方は常に笑顔を崩さず、もう一方は日に日に不機嫌になっていく。胡散臭さを通り越し、いつか本に書いて出版してやろうかと思うほどの変人ぶりだ。それとも彼らが普通で、自分の感性の方が間違っているのだろうか?
「話すことがない相手の前に座って、喰うつもりがない芋を崩すのは止めろ」
「ユーリィ君、言葉遣いがどんどん悪くなっていきますね」
「ついでに説教じみた事も言うな。食事が不味くなる」
本当のところ既に食べる気など完全に失せていた。ユーリィは食べかけの皿にフォークを投げ出して、水のグラスを手に取った。こうなったら早く部屋に帰って、寝てしまおう。もちろん鍵をかけるのは忘れずに。
「そうそう、忘れてましたが、実は言いたいことがあったんです」
「言いたいこと?」
「ええ。先ほど二人で話し合った結果、このまま三人で旅をする事に……」
“ブッ!”
思わず水を吹き出してしまった。
此奴ら絶対におかしい。おかしいどころの騒ぎではない。
「お前ら、いい加減にしろよ。何でお前達の結論に、僕が付き合う必要があるんだよ?!」
「それはですね、我々二人が貴方の取り合いをしてるからです。二人とも君に好意があって……」
“ガシャーン!”
今度はグラスを下に落としてしまった。透明な破片が周囲に散って、水と一緒にランプの光りに煌めく。何事かと奥から女主人が出てきたが、アルフが軽くあしらった。
気が遠くなりかけている。物事に動じるタチではないが、今回はそんなユーリィの許容範囲を超えていた。
「な、な、な、何を言ってるんだ?!」
そう言った声まで上擦っている。
ユーリィはまじまじと二人を見比べた。本当は自分をからかってるのではないか。明日になったら大笑いをするつもりかもしれない。だってアルフの笑顔には冗談だって描いてあるじゃないか。
「あ、今、冗談と思いませんでしたか?」
まるで心を読み取ったかのように、アルフが言う。
「そうなんだろ?」
「別にそう思っていただいてもかまいませんが。でも、何か身に覚えがありませんか?」
「うぅ」
一昨日の事を思い出した。あの感触が蘇るたびに、嫌悪感とほんの少しの気恥ずかしさに体中が固くなる。薬を飲ませただけだと言っていたが、本当は下心があったのだろうか。
アルフの隣に座るブルーグレーの長髪を、ユーリィはちらりと見た。彼がアルフの言葉を否定しないのは確かに変だ。ヴォルフがこうした冗談が好きな人間だとは思えない。それともまさか本当に……。
(一体全体世の中はどうなってるんだ?)
ユーリィは茫然とする頭の中でそんなことを考えていた。すると徐にヴォルフが顔を上げ、真っ直ぐに見つめ返してくる。そのあまりにも真剣な表情に、ユーリィはつい顔を赤らめてしまった。
(何赤くなってるんだ、これじゃ誤解されるだろ)
顔を背け、平常心を取り戻すのに必死になる。その様子をアルフがニヤニヤと笑いながら眺めていた。
居たたまれなくなり、二人を置いて部屋に戻ったユーリィは、真っ先にしなければならない事を開始した。
テーブルを扉の前に置き、更に椅子を積む。意味もなく両手を叩いてから、ユーリィは満足そうにそれを眺めた。防御は完璧。これで今夜の貞操は守られる。まさか夜這いに来るとは思わないが、用心するに越したことはないだろう。
「だいたい、女でもないのに、どうして貞操の危機に直面しなきゃならないんだ」
泣きたくなる状況だ。男二人に言い寄られてるなんて、口が裂けても誰にも言えない。
(何で僕なんだよ?!)
ユーリィは溜息を付くとベッドに潜り込んだ。今日はランプの火は点けておこう。




