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ユーリィ君の受難  作者: イブスキー
第一章
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第18話

 横になってから同じ夢を見て、同じ場面で目を覚ましている。これで三回目だった。


 宿屋に戻ってきたヴォルフは、誰とも顔を合わせることもなく自室に辿り着く。時間はまだ昼を少し廻ったところ。服は汚れ、体は疲れ果て、そして心が痛む。気持ちを振り立たせて服だけは着替えたが、後は何もする気が起きず、そのままベッドに横になった。


 同じ夢とは、得体の知れない魔物と戦闘をしていることで、同じ場面とは、魔物だったはずの相手がいつの間にか旧友のアルフ・エヴァンスに代わり、その彼がユーリィと抱き合う場面だった。


 夢なのだから前後の繋がりも、話自体の矛盾も致し方がない。問題は目を覚ます場面になると、自分でもどうしようもないほど苦しくなることだ。


(分かってるよな、俺。あの子はそんな気はないんだぞ。俺だってそんな趣味はないだろう?)


 自分に言い聞かせるしかない。だが考えれば考えるほど、認めたくない感情を認めなけらばならない事実に苦悩する。何か他の事を考えて気を紛らわせる以外、手立てはなさそうだ。


 そういえばアルフはいったいどうしたというのだろうか。確かに奴は昔からあんなふうに笑う男だったが、今日はその微笑みの中に冷徹さがあった気がする。


 


 アルフ・エヴァンスは、その昔ハンターの仕事をしていた仲間だった。親友と言うほどではなかったが、随分長い間上手くやっていけた相手だ。そう、あの日までは……。


 あの日、ヴォルフはアルフの恋人を寝取ってしまったのだ。いや、それは真実ではない。たまたま寝た相手がアルフの恋人だっただけだ。だが何を言おうともそれは言い訳にしかならず、アルフとの仲を壊した事には間違いない。


 結局、自分もアルフもあの女にいいように利用されていたのだろう。あの一件後、直ぐにアルフは自分の元を去った。本人は“個人的な事情で”と笑って説明したが、とてもそうは思えなかった。


 奴はいつも笑っている。楽しい時も楽しくない時も。前に一度だけそれについて文句を言ったことがある。すると彼は“醜い本心はなるべく隠したいですから”と言い、小さく笑っただけだった。その寂しげな顔は、ヴォルフが見た最初で最後の、アルフ・エヴァンスの本心だったような気がする。


 そう、ヤツはいつも本心を隠す。言葉使いを崩さないのもその一環だろう。それは彼の過去と何か関係している事なのだろうか? そういえば、彼は一度も家族のことなどを話したことがなかった。


 今回の件は、どうやらユーリィが巻き込まれている事だけは薄々判っている。事は魔物一匹では済まされそうにない予感がした。だが自分はこれからどうしたらいいのかと、ヴォルフは悶々と考え続け、苦悩し続けている。感情と結論が一致しないのだ。



 その時、扉がノックの音が聞こえたような気がした。あまりにも遠慮がちで、あまりにも唐突だったので、ヴォルフはしばしその木肌を見つめ、思考を止める。気のせいだろうか?


 再びノックが繰り返された。今度は確実に聞こえ、たぶんアルフだろうと思いながら、ヴォルフはのっそりとベッドから下りた。


 だが予想に反して、そこに立っていたのはアルフではなくユーリィだった。扉を開けた途端、心臓が飛び出るほど驚く。そんなヴォルフの様子に、ユーリィは機嫌が悪そうな ──彼の場合、普通にしていてもそう見えるのだが── 目つきでヴォルフを見上げ、眉を顰めた。ヴォルフもまた言葉が見つからず、二人はしばらくそのまま見つめ合う。互いに探り合うようなそんな沈黙が流れた。


「……なんの用だ……?」


 やっとの思いでヴォルフは口を開くことができた。

 自分でも嫌になるほど、何の感情の籠もっていない冷たい口調だった。


「別に。帰ってきてるかどうか確かめただけ」

「俺のことなんか、もう関係ないんじゃないのか?」

「……そうだけど」


 ユーリィはそう言いながら俯いた。


 そんな表情を作らせた自分が、ヴォルフは嫌になっていた。何で俺はこんな言い方しかできないんだろう。自分を殴りつけたいほど腹が立つ。以前ならもっと、明るく優しく会話が出来たではないか? アルフとまでは言わないまでも、もう少し大人の対応がなぜ出来ないんだ?


「寝てるところを邪魔したみたいだね。もう来ないから」

「ちょ、ちょっと待て」


 立ち去ろうとするユーリィの腕を思わず掴んでしまった。自分でもどうしてそんなことをしたか分からない。嫌悪感を露わにしたユーリィの表情を見て、ヴォルフは叱られた犬の如く、慌てて手を引っ込める。


「あっと、悪い……」

「何?」

「アルフはどうした?」

「知らない。言っておくけど、アイツの言う事なんて信じるなよ。アイツは僕が嫌がるのを愉しんでるだけなんだから」

「……そうか」


 彼の言葉を信じたかった。けれど彼の首には、隠しきれない証拠が残っている。その赤い痣を見ただけで、胸の奥に痛みを感じた。それは激痛などではなく、毒を含ませた細い針に刺されたような痛み。胸の奥深くを傷付けられ、瞬間、呼吸すら止まりそうなほどの苦しさ。それなのに何故、そこから目を離すことが出来ないのだろうか。


 ヴォルフの視線に気付き、ユーリィは急に顔を赤くさせ、首に手を当てた。


「だ、だから、これは違うんだってば。こ、これはアイツが強引に……」

「ああ、そうか」

「……信じてないだろ?」

「信じるよ」


 即答が信憑性を薄くさせたようだ。少年は疑り深そうに目を細め、下から睨み上げる。


「……まあ、いいさ。それよりアルフって何者?」

「さあな、俺は知らない」

「友達なのに?」

「友達だから全てを知っているとは限らないさ」


 ヴォルフの言葉にユーリィの顔が曇った。


 彼とアルフの間に何があるんだろうか。尋ねてみたい事は沢山あるのに、何故か言葉が出てこない。きっと胸の内にある感情がそれを阻んでいるのだろうとヴォルフは思った。


 正直、もう沢山だとは思っている。ユーリィもアルフも全て忘れ、早く街に帰りたい。そうすれば悪夢のような状態から抜け出せるに違いない。


「本当に友達だったのか?」

「そのハズだ」

「さあどうだか。僕にはアイツがあんたの事を恨んでいるとしか思えない」

「もしそうだったとしても、俺には関係ないね」


 ヴォルフがそう答えた途端、ユーリィの眼が冷たく光り、口元には冷笑が浮かぶ。と同時に秘める哀しみが滲み出て、何故かヴォルフの胸を締め付けた。


(その表情が俺を狂わせるのだ。これは同情なのか? それとも……)


 ヴォルフは息を大きく吐き出すと、両肩をすくめ、冷静な素振りでユーリィを見つめ直した。


「今回の件をアルフに尋ねてみるよ」

「素直に話すとは思えないけどね」


 吐き捨てるようにそう言うと、ユーリィは自室に戻っていった。


 出口のない暗闇からまだ抜け出せそうもないらしい。出口はいったい何処にあるのだろうか。ヴォルフはそう思いながら少年の後ろ姿を見送った。


 


 アルフは以前と変わりなく、冷静で柔和な表情を浮かべて立っていた。ヴォルフの顔を見た彼は、躊躇いもなく部屋の中に招き入れる。彼が椅子に腰掛けると、マントが椅子の裾に絡み付いた。服装は昔より派手だったが、態度は一緒にいた頃と全く同じである。アルフは薄茶の髪を掻き上げながら、ヴォルフを見返した。


「それにしても、こんな偶然があるんなんて驚きですね、ヴォルフ・グラハンス?」


 アルフは時々、自分の名前をフルネームで呼ぶ。昔その理由を尋ねたら“何となく”とだけ返ってきた。


「全くだ。お前とはもう二度と会わないと思ったからな」

「運命でしょうか?」


 そう言いながら、アルフはクスクスと笑った。


「お前が勝手に消えたんじゃないか、アルフ」

「一人旅がしたくなったんです。時々ありますよね、そういうことが?」

「あの件の事なら、今でも悪かったと……」

「済んだことです。それに悪い女に騙されずに私も助かったのですから、恨んでませんよ」


 だがその一瞬、アルフの空色の瞳がキラリと光る。ヴォルフは思わず唇を噛んで、次の言葉を探そうとした。


 

 アルフが何故あんな女に引っかかったのか、未だにヴォルフには分からない。常に冷静で自分を見失うこともなく、頭もいいアルフがそう簡単に誰かに(だま)されるなんて、およそ信じられなかった。それとも彼は(だま)された振りをしていたのか?


 女の名前は確かマリーと言った。彼女は令嬢に見える美しい容姿をしていたが、裏では男を取っ替え引っ替えしているという噂は常に付きまとっていた。彼女もハンターの端くれで、時々仕事をともにしたこともあったが、まさかアルフと婚約していたとは思いもよらない事実だ。


 あの酒場での夜、マリーは自分からヴォルフを誘ったのだ。酔いも手伝ってヴォルフは直ぐに彼女を部屋に連れ込んだ。朝になり、アルフが自分の部屋を訪れた時、マリーは悪びれもせずベッドの中で笑っていた。あの時、アルフは何を思っていたのだろうか?



「それに、もう想い人が出来たから平気です」


 ヴォルフが言葉を選んでいると、アルフはさも嬉しそうに笑った。からかうようなそんな表情に、ヴォルフは沸々と怒りにも似た感情が浮かぶのを抑えきれずにいた。


「ヴォルフ・グラハンス、昔も今も貴方は直ぐ顔に出ますね?」

「何のことだ? 俺は……」

「ユーリィ君が好きなんでしょ?」

「ば、ば、馬鹿なことをっ!」


 いきなり確信を突かれてしまった。ヴォルフは否定するように頭を振ったが、顔に現れた感情は大きくなる一方だ。


「ヴォルフ・グラハンス、素直になった方がいいですね」

「アイツはお前の……」

「まだ何もしてませんよ、まだね」


 表情も変えず、こちらの反応を愉しんでいるようなアルフの態度に、ヴォルフは言葉を失ってしまう。アルフという男は、こんなヤツだったろうか。


「残念ながら、彼は簡単には墜ちません」

「アイツは男だぞ。お前だってそんな趣味はなかっただろ?」


 アルフがニッコリと微笑む。彼の笑みはきっと、本心を覆い隠すベールだ。そう思ったヴォルフは視線を落とした。


 とにかく話題を変えてみよう。アルフを訪ねた本来の理由を告げるべきだ。胸の奥底はまだ苛ついたままだが、平静さを装おう。それが大人として男としての答えになるはずだ。


「それより今回の件は、どういうことだ?」

「詳しくは教えられませんが、ユーリィ君はきっとまた狙われます」

「アイツが?」

「どうします? 私一人では彼は護れませんよ?」

「どうするって……」


 するとアルフは椅子から立ち上がり、ヴォルフのそばまで近付いてきた。頭一つ低い相手は思わせぶりな表情で彼を見上げる。怪訝な表情を作りヴォルフが見下ろすと、やがてアルフが口を開いた。


「彼を私のモノにしてもいいんですね?」

「アルフ、何を……」

「貴方は戦意がないようですから安心していますが、邪魔ですから消えて下さい。マリーの所にでもね」


 爽やかに微笑んだアルフを見て、ヴォルフは唇を噛んだ。


「好きな相手すら護れない臆病者なんですね、貴方は」


 アルフはクスッと鼻で笑った瞬間、ヴォルフの中の何かがプツンと切れてしまった。昨日からずっと悩み続けた事が驚くほど簡単に消し飛んでいく。


「いいだろう、護ってやるよ」

「やはり彼が好きなんですね?」

「ああ、そうだよ!」


 そう叫んだ途端、消えかけた理性が蘇り、自分の言葉に茫然となった。


(何を言ってるんだ、俺?!)


 開き直り、ヤケクソ、売り言葉に買い言葉。どれが正しいかなんてどうでもいい。要するに言ってしまったのだ。あれだけ認めるのを抵抗していたのに、アルフの一言で全てがご破算。もしかしたら取り返しのつかないセリフを吐いたかもしれないと、ヴォルフは赤くなり青くなり、そんな彼をアルフはさも可笑しそうに笑って眺めていた。



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