この世界は悪意と善意で廻っていると俺は思っている。
俺は蒸し暑い赤みがかった空の下を歩いていた。
季節は初夏。時期は梅雨。月は六月。時間は六時すぎ。
湿り気をふくんだ空気が肌に触れて少し気持ち悪い気分になる。
「暑い、気晴らしに遊びたい」
俺は遊び相手を見つけるために頭に流れ込んでくる心の声に耳を傾けた。
『あー、あいつさーウザいよな』
『あの、クソ上司が!』
『あの女を殺したい』
様々な『悪意』が俺の中に流れ込んでくる。その中から俺は遊び相手をを見つけた。
『げひゃひゃ!こ、殺してやった。このナイフで、人を沢山殺してやった』
お目当ての犯罪者だ。俺は笑みを浮かべた。
俺は走り出した。地面を思い切り蹴った。そして犯罪者の前に飛び出した。
「ヘイ!クズ野郎、お仕置きの時間だぜ」
俺は男に向かって言った。その瞬間、男はいきなりナイフを抜いた。そして俺に切りかかって来た。
俺はそのナイフを簡単に避ける事ができる。だが、俺は避けない。
俺の脇腹にナイフが傷をつけた。傷はそう深くはなかった。
男は俺の血を見て狂ったように笑っていた。
「憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い!」
俺は呪いの言葉のようにつぶやいた。
「俺を傷つけたこの男が憎い!」
俺が叫んだ瞬間、空気が変わった。肌を切り裂く様なピリピリとした空気に。
俺は黒いボロ布のような衣の『盾』と影が形どっているかの様な明確な形の無い刀の『矛』を、そして力を発動している証である『仮面』を身にまとった。
これは俺の『憎しみ』の力、『憎しみの矛盾』。
この力は自分の中の憎しみを形に変えて武器とするモノ。だからこそ、わざと俺は男に切りかかられたのだ。
この男に対する『憎しみ』を手に入れるために。
「な、な、な、何だ!」
男は驚いた表情をしている。当たり前の事だ、目の前に『人間の姿をした化け物』がいるんだからな。
「これは人間の心の姿。醜い人間の姿だ」
俺は男に向かって言った訳ではない。自分の仮面が、醜い人間の心を表しているモノだと再確認するためにつぶやいたのだ。
俺は無言で実体の無い刀を使い、クズの精神を切り裂いた。
クズの中にある『悪意』を捕食したのだ。
「ごちそうさん」
俺がつぶやいた瞬間、男は倒れた。
◇
俺はクズを警察署の前に縛って置いておいた。
クズは精神を喰われたから記憶が混乱したりするが……かえってラッキーだ俺たち契約者の存在が世間に知らされる事がないからな。
まあ、まず警察に言ったところで信じてもらえないだろうしな。
「あー、だりぃ。家に帰るか」
俺が家に帰ろうとした時。
「待ってください」
と、後ろから声をかけられた。
声の高さからおそらく女の人だろう。
「……何だ?」
俺が後ろを振り向くと同時に、俺の口から低い声が漏れた。
そこには高校生くらいの女がいた。
「……単刀直入に言います。あなたも契約者ですね」
俺は少し驚いた。まさかこんなに近くに他の契約者がいるんだからな。
「だからなんだ?」
それでも俺の口から出たのはこの言葉だけだった。契約者は自分の契約感情と自分の生きる理由にのっとって行動する。だから別に契約者どうしが出会ったところで関わる必要など無いのだ。
「……あなたの契約感情がなになのか気になっただけです。犯罪者を捕まえてる所だけ見ると『正義感』の契約者みたいですが、それなのにあんなに禍々しい力を使っていたから……」
「ああ、そういう事か……俺の契約感情は『悪意』と『憎しみ』だ」
俺は簡単に自分の契約感情を教えた。別に隠す必要なんてないしな。
「憎しみ?あなたはあの男に身近な人間を殺されたのですか?」
女は俺に質問をしてきた。予想通りの質問すぎて笑えてきた。
「別に、クズが目の前にいたからぶっ殺しただけだ」
「それならあなたの契約感情と矛盾しているような気がますが……だたあなたの中の『善意』が動かしてるんですか?」
「善意……善意ねぇ」
俺の口からはまた笑みが漏れる。
「なぜ笑っているんですか?」
「ククク、これが笑わずにしてどうすればいいんだよ。てめぇはバカか!この世界に善意なんてモノはないんだよ!」
「なっ!善意はしっかりと存在します。誰かのために何かをする人は沢山います」
「誰かのために何かをする?だからバカか?それは善意じゃねぇ、『偽善』だ、少しのリスクを払って、リターンを得る行為だよ!この世界に善意なんてモノはないんだよ!」
そして俺はさらに続ける。
「この世界は!悪意と偽善で廻っているんだよ!」
「でも、あなたの行為で救われた人がいるはずです。その人たちはあなたに感謝をしています」
バカかこいつ?話を聞いてたのかよ?
「だ、か、ら!それが偽善って言ってんだろ!少しのリスクを払って、感謝をされる、この世界から必要とされる!それがこの憎い世界に俺の存在を認めさせるためにできる唯一の事だからな!」
俺はそう言い放った。
俺はこの世界そのものを憎んでいる。だからこの偽善行為はこの世界に俺という存在をしらしめるためにおこなっているんだ。
女はうつむいた。
「それでも……それでも……」
まだ女は何かをつぶやいている。
俺はその言葉を背中で聞きながら去って行った。
それは偶然にもあの時と同じような状況だった。
俺はこの女と会話したせいで思い出してしまったのだ。俺の中に眠る最悪の記憶達を。
◇
俺の妹は天才だった。
頭が良くて、運動が得意。
その上運も良くて、謙虚で大人しく、他人想いで友達が多い。
非の打ち所がない人間だった。それに比べて俺は何もできなかった。全てが中の下。頭も悪いし運動もできない。ついでにいえば顔だって普通以下。
そんな俺はいつも周囲に比べられて生きてきた。
『え!あの子のお兄さんなの』
『マジで?あの天才の』
『こいつも頭いいのか?』
『こいつもスポーツ得意なのか?』
『おい、何だよ……何もできないじゃないか』
『天才の兄は凡人以下かよ』
『まったく使えねぇ無能が』
そんな言葉がいつも俺にはついて回った。期待の眼差し、そしてそれはいつも裏切られる。俺の手によって。
俺はいつでも妹の付属品。家族の欠陥品。
親からはいないような扱いをされる。
友人はみんな妹のほうに着いていく。
その中で俺の中には少しづつ黒い感情が溜まっていった。妬み、恨み、憎しみ、それらの感情は心の中でぐるぐると回る。
その黒い力は日に日に溜まっていった。そして俺の運命を変えたあの日を迎える。
俺はその日も部屋にこもって勉強をしていた。
そしたら親に呼び出されたのだ。
机の上にあったのは俺の模試の結果。いうまでもなく惨敗。
そこで俺は親に怒られた。いや、怒られたという表現は正しくはない。延々と「あんたの妹なら」と言われ続けていた。これなら一喝されたほうがスッキリする。
そして俺は親の一言で耐えれなくなった。
「まったく、あんたなんていなければ良かったのに」
俺の中の黒い感情はこの一言で爆発した。そして俺の意識はブラックアウトした。
俺はその時、老人がいる部屋に行き、二つの黒い感情の契約者になった。この世界に俺の存在を認めさせる事ができるだけの力を手に入れたのだ。
俺は次の日に家を出て行く決心をした。
そして俺は朝早く荷物をまとめて外に出た。
そこには俺よりも先に妹がいた。
「兄さん、もしかして家を出て行くつもり?」
もしかしなくても当たり前だろ。
俺はそう答えた。
「……どうして?」
妹は俺にそう尋ねてきた。お前がそれを言うかよ。
今の俺にはストッパーはなかった、今までの恨みがこもった言葉が俺の口から出てきた。
「お前が天才だから!お前がいるせいで俺はいつまでたっても付属品、欠陥品」
妹のせいではない事は分かっている。こいつが人一倍努力をしている事も一番近くにいた俺だからこそ分かっている。でも……。
「俺だって努力したさ!でも買わんないんだろうが!なのに「もっと努力をしろ」?知るか!どれだけ努力をしたって凡人じゃ!天才には勝てないんだよ!こんな近くにお前がいて俺が嫌わない訳がないだろ!」
さらに俺は続けようとした。
「俺はお前のせいで誰からも必要とされないんだよ!だから……俺は、お前が……!」
憎いんだよ。
俺はこう言おうとした。でもこれだけは言ってはダメだ。俺はこれを言ってしまったら後戻りできなくなる。
俺は兄として、この言葉をいう事だけは絶対にダメだと理解していた。
俺は言葉を切って、歩き出した。
「私には……必要なのに」
妹のつぶやきが聞こえた。だが俺はそれには返事をしずに歩き続けた。
振り向いた時にはもう妹は見えなくなっていた。
◇
俺はあの時と妹が何で俺を必要としているかは今だ分かっていない。
ただ今の俺に分かるのは。
「この世界は悪意と善意で廻っている」
これだけだ。
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