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月光譚

月光譚3 ―白い獅子―

こつこつと踵が廊下を踏み鳴らす音がする。

長靴を交互に動かして、一人の男が廊下を進む。窓か見える風景も、男と同じ速さで移動する。窓枠と光が織り成す陰影が彼の全身を通過する度に、身につけている通常勤務の軍服の表面をそれが撫でゆく。


一つの部屋の前でその男は立ち止まり、こんこんと扉を叩く。中からの返事を待たずに「入るぞ」の言葉と同時に取っ手を握って勝手に扉を開いた。


「ラギィ。」

扉の前で門番よろしく座っているラギィを見るなり男は笑いかけた。

(あ、ルチルだ!)

わふっと口を小さく開けた黒狼。そんな狼の様子は、彼、ルチルには笑って見えたのであろう。

「今日も素敵な笑顔ですね。」

大袈裟にに礼を執った後、ラギィの頭を撫でようと笑顔のルチルが手を伸ばした瞬間―――

「触るな、ルチル。」

この執務室から隣へと続く扉を開けながら、向こうの部屋からアーベルが姿を現す。軍服の前が空いてシャツが見える様子は、いかにも夜勤明けといった風である。

「丸出しですね。」

意味深に微笑みながらルチルは椅子へと進む。

「何が。」

不機嫌全開のアーベルも椅子へと向かった。

ルチルは書類を持ったままの左手で肘掛を握り、左の肘を付いて手の甲で傾げた顔を支える。

「お前の態度だよ、アーベル。」

「人の部屋で、デカイ態度取るな。」

「お前にまで小言は言われたくねぇぜ。」

「白獅子の隊長だろ。らしくしろ。」

「うっせえ。こんな奴とよく一緒に居られるなあ、ラギィ?」

側まで来たラギィの方を向いて話しかけるルチル。緩くうねる髪が肩からラギィの鼻先へと落ちる。それは陽の光を帯びてきらきらと光る。見惚れながらついついラギィは問いかける。

(触ってもいい?)

「駄目だ。」

ラギィはルチルに聞いたのに、返事をしたのはアーベルだ。この黒狼と会話が出来るのはアーベルしかいない所為なのだが。

(えー。別にいいじゃない)

「何だ?よくわかんねえけど、いいじゃねえか。」

(そうだよ、アーベルのを触りたいって言ってないし)

「・・・お前等・・・・・」

「なー、ラギィ。お前も、んなセコイ事言うなよ。」

(アーベル・・・)

一人は満面の笑みで、もう一匹は期待に黒い瞳をきらきらさせてアーベルを見る。

「駄目だ。」

しかし、不機嫌を通り越したアーベルの返事はやはり「否」である。

小さく鼻息を出したラギィは諦めて隣の部屋へ向かうために体の向きを変えた時、ルチルが言った。

「お前、セコイなあ。」

「何とでも言え。」

「我儘言ってるんじゃねえんだろうがよ。」

「確かに大した事ではないがな。」

「なら問題ないじゃねえか。」

「触らせたくない。」

「は?俺にか?」

「お前だ。」

「私で宜しければ、ラギィ嬢いくらでも触れて下さい。」

ラギィに声をかけるルチルは、灰色の目を細めて優雅に笑みを湛える。甘く整った顔立ちは色気が駄々漏れだ。右目の目じりにある泣き黒子と鼻にかかった良く通る声も、色気を倍増させるのに一役も二役も買っている。いかにも「王宮を守る近衛」といいった貴公子然とした男である。・・・一見は。


(いいよ、ルチル。ありがとう)

ぱたぱたと尻尾をふった黒狼は、隣の部屋へと向かう。

「ラギィ。」

(ん?何?)

アーベルが座る長椅子の横で足を止めたラギィ。

「今回だけだぞ。」

(いいの?!)

「やったな!ラギィ!!」

椅子に書類を置いて立ち上がり、両手を広げてラギィを迎え入れようとしたルチルに対してアーベルは。

「お前は触るな。」

「ケチ。」

「ケチで結構。」

(ありがとう!アーベル!!)

「ちゃんと礼は貰う。」

ニヤリと笑うアーベルを見たラギィは一瞬背筋が寒くなったが、ルチルの髪に触れる嬉しさがそれを押しやった。

「どうぞ。ラギィ。」

椅子から立ち上がり床で胡坐を組むルチルの耳元へと鼻先を向ける。まずその不思議な色合いを眺めた。

ルチルの髪はいわゆる「銀髪」である。それだけでも珍しい色なのだが、彼のはもっと特徴的なのだ。色のみで言うなら銀色に所々濃い金色が混ざってるのである。それはさながら針水晶(=ルチルクォーツ)の様であった。

ラギィは狼の姿をしていても、元は人間でしかも女性であった。大抵の女性の例に漏れず、やはり綺麗だったり美しかったりする存在に心惹かれる。

故郷では染めてもいない限り、大抵は黒い髪と黒い瞳だ。金髪ならばテレビや雑誌、染めた人や外国人等で見たことはあるが、銀髪となるとラギィの故郷には存在しない。その銀髪が現実に目の前にあり、なおかつ針水晶の如く金色が混じって独特の色合いをしている。肩の少し下までの長さで緩やかに曲線を描き、陽の光を反射してまばゆく光るそれを見て「触りたいと思うな」という方が無理である。

不思議な色をした髪に触ろうとして右前足を浮かせた時、ラギィは「手」で触れないという事実を再確認させられた。しばらく足を浮かせた体勢のままで居たのだが「どうした?」というルチルの声に我に返ると、

(おじゃまします)

と言いながら鼻先で髪に触れた。

アーベルの瞼に半分隠れた紺碧の双眸は一部始終を見ていた。


太陽と月が混ざり合った色と、柔らかい質感の髪にラギィの鼻先を埋めた。

ルチルが黒い頭を撫でようと手を上げた途端に声が飛んでくる。

「駄目だ。」

「頭を撫でるだけだろ。貴族様がケチるなよ。」

「煩い。」

長椅子に座り、両腕を組んだままのアーベルは不機嫌全開である。

「大体お前が何で『白獅子』の隊長なんだ?理解に苦しむ。」

「俺が知るか。ヒラでいいから『山猫』に戻せって事あるごとに移動願い出してんだぜ。」

「背景か。」

「孤児院上がりも努力すれば『出世』できるっつー宣伝に利用してるだけだろ。うぜえわ。」

「ルチルの場合、それだけじゃないだろう。」

舌打ちの音がラギィのすぐ側でした。

ラギィは聞こえているけど聞こえていなフリをして鼻先でルチルの髪に触れていたが、静かにそれから離す。

(ありがとう、ルチル)

灰色の瞳を見つめながらお礼を言うラギィの頭をわしわしと撫で回す。

「可愛いなあ、ラギィは!」

すげーいい子だ、と言いながらルチルは心底嬉しそうに笑った。


----------


アーベルはぽんぽんと自分の腿を叩く。此処に顔を乗せろとの合図だ。

それがさっき言っていた「礼」の事だと理解したラギィは長椅子に上り、アーベルの腿に顎を乗せて寝そべった。

アーベルはゆっくりと黒い毛並みに手を這わせる。頭から背中へと。光を浴びた黒い獣は好きに触らせていた。

黒狼の元の姿を知っているルチルは、面白そうに言った。

「執着しすぎだぜ。」

「別にいいだろ。」

臆面も無く言い切るアーベル。

あの怜悧な男が独占欲丸出しになる存在が出来る事自体が不思議だと、ルチルは思った。


ルチルは「白獅子」の隊長である。自国の場合によっては他国の王族が警備対象となるその立場上、どうしても礼儀作法に完璧を求められるのだ。軍に入隊した時点で徹底的に叩き込まれる訳であるのだが、生まれついてそういった礼儀作法に囲まれしかも叩き込まれる立場と、そういったものから無縁で育った者との差は、如何ともし難い。礼儀作法が常時求められる隊に孤児院出身の平民が入れるというのも珍しいのだが(過去に全く無かった訳ではない)、隊長となれば前例が無い。ルチルが異例中の異例なのだ。

実力、人望共に資格は十分である。だが、近衛となると話は別である。王族や貴族達と常時接している状態であるし、警備上で各王族あるいは貴族と折衝もしなければならない。相手が貴族ともなれば、後ろ盾が無い平民出身の隊長など歯牙にもかけない。実際、将軍の代理という肩書きを持ってしてもまともに交渉出来ない場合もあった。そういう場所なのだ。

しかしルチルの場合、ある程度は貴族達も聞く耳を持った。最終的に軍部の意向であるというのは彼等にも重々理解出来たし、何より孤児院出身である白獅子の隊長は特徴的な頭髪をしていた。ルチルの髪は現宰相と同じ色をしたいたのだから。

現宰相たるオフリード公爵家のみに現われるその髪の色は、ルチルの出自を雄弁に物語る。

時間をを遡れば、オフリード家を騒がせた身分違いの恋に行き着く。

しかしルチルはあくまで自分は孤児院出身で、自分の家族は母親だけだと公言している。

平民のルチルにとって、自ら選んだ道とはいえ宮廷勤務は窮屈で仕方が無かった。国境警備の「山猫」で、しかも一番危険な第四山猫の出である彼は、身の丈近くある大剣を得物としている。しかし、宮廷でそれを振り回す訳にも行かず、仕方なく普通の剣を今は扱っている。本来でない武器を持たなければならないというのも、大いに不満であり、それも移動希望の理由の一つである。

だが、現実は「白獅子」に押し留められている。


「今度の会議の資料だ。」

アーベルに資料を渡しながらルチルは言った。

「アイツが帰ってくるな。」

「俺と入れ替えて欲しいぜ。お偉いさんどもも気を利かせろって。」

「お前の場合は、後ろが動いているんだろ?」

「めんどくせぇ。『私には父親はおりません。母も既に亡く天涯孤独です』ってハッキリ本人に言ったんだぜ。」

「愚痴るな。向こうも諦めきれないんだろう。」

「知るか!宰相には跡取りだっているだろ。」

掌に顎を乗せて心底嫌そうな顔をするルチルがいた。

アーベルはそんなルチルを見ながら、宰相の顔を思い浮かべる。親子であるという事は一目見て十分だ。宰相もルチルが彼を父親だと言って首を縦に振れば、すぐにでもオフリード家に迎えるでだろう。だが、ルチル本人はそれを認めていないし、生涯そのつもりも無いであろう事は今までの言動で予測出来る。

ラギィの黒い毛並みを手の甲で撫でつつアーベルは言った。

「三人で飲むか。」

「当然だ。」

「ギーグの予定はお前の所に入ってるのか?」

「俺は知らん。アイツの事だ。こっちに着くのはギリだろう。」


(なんだかんだ言って仲いいんだなー)

陽の光をあびて体がぽかぽかしてきたのと、大きな手が撫でる感触が心地よくて、うつらうつらし出したラギィ。ちらりと見たルチルは光の中で優雅に微笑んでいる。

それはまさしく「白い獅子」だ、とラギィは思った。

色気駄々漏れも自重すればいいのに。とも思った。

そして眠りへと落ちて行った。


----------


ラギィが目覚めた時、夕刻であった。

窓から夕焼けが差し込み、何時の間に移動したのか寝台の上にいた。

アーベルの顔がすぐ横にあり、うっと仰け反りそうになる。

薄く目を開けたアーベルがラギィに言った。

「お前、ルチルの髪にもう触るな。」

(だって珍しい色だもん。今まで見たことないから)

「俺の髪を触れよ。」

(見飽きた)

「・・・・ラギィ・・・・・・」

(嘘、嘘。アーベルの色も綺麗だって)

「取って付けた様に言うな。」

(本当だってば)

ラギィは起こした鼻先をそっとアーベルに近づける。

(月みたいで、とても綺麗だよ)

「口説かれてるみたいだな。」

くく・・・と咽で笑いながら黒い頭から首へとアーベルは手を動かす。

硬質で、でも極上の毛並みを堪能する。


もうじき月が昇り、月光が一人と一匹を静かに包み込む。


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