3・呉越同舟 中編
港都市というところは、人が多い。当たり前だが、物流やら交通の要衝となるわけだから人も増える。
ハーフダークのブルータの足は人間よりも早く、その日の夜には俺とブルータは港都市に到着していた。しかし、すぐにも出発したい俺の気持ちにはこたえてくれず、一番早い船の出港でも明日の朝早くになるらしい。潮風が吹き付ける中、どうして時間をすごしたものかと思案する羽目になった。その周囲を、忙しげに人々が行きかう。魔王軍がそこまで迫っているという話は、すでにこのあたりの人々も聞き及んでいるはずだ。脱出を急いでいるのか、まあ人々はあわただしい。警備隊も、この町の常駐軍も当然忙しくしているだろう。周辺を警戒しているらしく、街中の警備も厳しい。
しかしながら、ブルータの姿はやや色が白いことと角があることをのぞけばほとんど人間と変わらない。フードをかぶってさえいれば、彼らにブルータをハーフダークだと見抜くことなどできはしない。
空には星が出ていた。見事な星空だが、興味がない。俺はブルータのポケットの中でため息をついた。
港は警戒が厳しいらしい。どうやら、魔王軍襲来のごたごたをついて、火事場泥棒が頻発しているようだ。すでに船に乗る手筈は整えてあるので、港周辺でうろうろしていても怪しまれるだけである。警備の人間が武器をもってそこらを徘徊している。ブルータの魔法で暗殺し、海に突き落としてしまうことはできる。が、そこまでしてここに留まる意味がない。
寝る場所を探さなければならない。船の中は、未だに荷の積み込みなどであわただしいのでこっそり中に潜むということも難しい。酒場で過ごすのが無難だろう。ブルータに酒場に行くように命じた。
酒場は、町の端にある。入り口付近、つまり旅人が立ち寄った際に真っ先にここに入ることができる位置だ。そんなことを計算しているのか、してないのか、とにかく酒場はそこにあった。二階建ての酒場、おそらく二階は宿泊施設だろう。ブルータはドアを押し開けて酒場に入った。
「いらっしゃい」
赤い髪の女が、入ってきたブルータに声をかけた。彼女は両手に料理を持っており、それを運んでいるところであるらしかった。若くはないが、声も体も大きい。
「エールを」
俺がウェイトレスに気を取られている間に、ブルータはカウンターに座って注文をしていた。ウェイトレスと同じように大柄な体のヒゲをたくわえたマスターがわずかに頷き、すぐにブルータの前にグラスが置かれた。それを手に取るかどうか、というところでブルータの動きが止まる。何かに気づいたらしい。
しかし、すぐにエールを口に含む。怪しまれない程度に飲み込み、グラスを置いた。
何に気づいたのか、俺は問わない。その気になれば思念会話でいつでもブルータとはコンタクトがとれるが、その必要も感じなかった。治安が悪化しているのだ。魔王軍は、砂漠都市を陥落している。次の標的が物流と交通の要衝であるこの港町であることは誰の目にも明らかであった。
ハーフダークであるブルータでも、半日ほどで砂漠都市からここまでこれたのであるから、その気になれば明日にも魔王軍の攻撃が始まって不思議ではない。酒場が未だ営業中であること自体がおかしいのだ。その割にはやけに賑わっているが、それはおそらく、明日の船で大半の人間が逃げ出すからかもしれない。この町の、最後の宴というやつでだ。
そのあたりを突っつくように、俺はブルータに指示した。
「けっこう、賑わっていますね。もう少し、沈んでいるかと思っていました」
ブルータが、かすれた声でマスターに話しかける。酒場の奥のほうでは、酔いの回った何人かが騒いでいる。どんちゃん騒ぎをやっているようにみえて、そこには故郷を追われるものの悲しみが見え隠れしていた。やはり、最後の宴なのだろう。俺には関係のない話だが。
「そうだな、しかし今日でこの町ともお別れともなりゃあ、騒ぎたくもなるさ。静かに飲みたいってんなら悪かったな。でもよ、あいつらだって悲しんでるのさ。魔王軍に追われて、なんにも抵抗できない自分たちの弱さも含めてさ」
「いえ、大丈夫です」
ブルータの声は、変わらない。フードをとらないままで静かにエールを飲むだけだった。特に何も感じるところはないらしい。ないらしい、というよりないだろう。奴は人形であるし、砂漠都市を滅ぼした一人でもある。タゼルを暗殺し、リンによる制圧の足がかりをつくった、ともいえる。いちいち人間たちに同情していたのではきりがない。
「あんたも明日の船で、行くのかい」
「そのつもりです」
細々とグラスの中のエールを減らし、やがて空にする。このくらいではハーフダークは酔わない。
「二階は空いていますか?」
「今夜は一杯だな。向かいの宿は、ああ、そっちは昨日のうちに発っちまったか」
マスターは部屋が埋まっていることをブルータに告げた。しかし、もはや他に宿泊施設のないこの町に、ブルータを放り出すことも気が引けているのだろう。なにやら悩んでいる。
「いいえ、大丈夫です。少し、当てを探してきます」
とりあえず、俺はブルータを酒場から出させた。ウェイトレスとすれちがい、ドアをくぐる。
いざともなれば、空き家の中に潜んで一夜を過ごすこともできる。野宿に比べればましだ。雨やら風やらをしのげる場所を欲しいと思うだけである。
しかし、外に出てみればすでに、夜の眷属が活動を開始しているようだった。魔族がいるわけではない。盗賊だ。火事場泥棒たちが活動を開始し、それを防ごうとする警備隊とのいたちごっこが始まっている。ブルータは幻視・幻惑の魔法を使えるのであるが、砂漠都市での追いかけっこのことを考えると隠密活動はさほど得意でないらしい。
今出ていくのは得策ではないと考えられる。とはいえ、どこに行くべきなのか。向かいの宿屋は、すでに退去しているらしい。空き家であるなら、使わせてもらっても問題ないだろう。誰もいなければだが。
幻視の魔法を使う。ブルータが習得している魔法の中では比較的簡単なもので、隠遁の呪文、と呼ばれている魔法だ。自分自身の姿を、闇に潜ませる魔法だ。姿を消す魔法、ではない。知覚しづらくはなるが、相手の視覚を完全に欺くほどではない。が、そこらの雑魚には有効である。
その魔法の有効性を一応信じることにして、ブルータは俺の命令に従って宿屋にのそのそと入っていった。正面口の鍵は閉まっていたが、窓から入り込むことが可能だ。幼いブルータの体躯が役に立った。
宿屋の中はかなり片付いていた。星明り程度でも、ブルータの目には見えているはずだ。ハーフダークの視力ならば、見える。もちろん俺にも見えている。
「人の気配は、ありません」
小声でブルータがささやく。確かに、荒らされた気配はなかった。人が入り込んだとは思えない。宿の主人たちが急いで出て行った気配はあるものの、その後に誰かが入ってきた様子はないのだ。少し安心できる。
自分たち以外には誰もいない、そのはずだ。ブルータは悠々と寝室を探し当て、残されていた寝台に腰掛ける。マントを背嚢から引っ張り出して、体にかけた。休む準備をすすめている。俺はブルータのポケットから出て、寝台の端に腰掛ける。座って眠るならそのままポケットの中でごろごろして眠りにつけばいいのだが、横になるなら出ていたほうがいい。ブルータの寝相はいいが、万一つぶされてはかなわないからだ。
さて寝るか、と思ったその瞬間になってだ。
俺は先ほどの認識が誤っていたことを知った。何かが動いたからだ。
「人間じゃないな」
何か光っていた。それがランプではないことくらいはわかる。しかし、何だ? こんなところに蠢くような存在があったか。
死霊か、精霊か。こちらに害をなそうとしている存在か。俺にはまだ判断がつかない。
視界の端にわずかに光が動き、そして逃げた。寝室の外の廊下に、逃げていった。それだけのことで、これを追跡していいのかどうかもわからない。寝た子を起こすだけの可能性もあったからだ。あるいは、同業。同じ魔族なのかもしれない。フェリテやホウの配下が、港都市の偵察にきているだけかもしれない。
気にせず、寝るか。しかしそれはちょっと難しい。敵である可能性もあるから。寝首をかいてくださいと、言っているようなものだ。
となると、どうするか。当然ながら、怪しい光の正体を探るしかない。
ブルータに光を追うように命じた。マントを脱いで、すぐに奴は部屋から出る。死霊なら、ブルータの魔法でなぎ払うことが可能のはずだ。恐れる必要などなかった。
「そこですね」
俺がブルータに追いつくよりも早く、あっけなく奴は光を見つけた。それに驚くよりも、光の正体に驚かねばならなかった、俺は。ブルータの指差す先に、それは確かにいた。
俺たちの様子をうかがっていた光は、その正体は、俺と同じくらいの大きさの、ヒトガタの女だったからだ。少なくとも、気の迷いやら勘違いではなかったわけだが、ここまではっきりと女の姿をとっているところをみると、死霊でもなさそうだ。ならば、精霊か?
だがそれも違っているようだ。ここには風も吹かない、地面は遠い、樹木もない、火の気配もない。精霊が好みそうなところではない。
「お前は、何だ?」
俺は相手の正体をはかりかねて、ついに直接相手に問うた。深緑の衣服に身を包み、背中に透明な翅を背負ったその女は、魔族ともいえない気配。精霊ではないとなると、何だ?
「しょうがないな、見つかっちゃったからには名乗らないとね」
ころころとした、鈴を転がすような声。美声だった。小さな女は、あっけなく自らの素性を話した。
「私は落葉の妖精ルメル。船に乗らなきゃいけないんだけどさ、明日の朝まで休むところがなくてね」
「妖精、お前は妖精なのか」
俺は思わず、問い返した。それほどに妖精という存在は希少、稀有だった。精霊使いという存在以上にだ。俺はまったく、なんてものに出会っちまったんだ。
「そうだよ、珍しいのはわかるけど捕まえようとしないでよ」
「得体の知れないものに手を出すほどじゃないぜ」
俺は腕組みをしてため息をついた。そのとおり、妖精は精霊に近しい存在だということしかわかっていない。何しろ、こいつに挑んで俺が勝ったとしてもだ、その場で霧散してしまって死体も残らないような種族だ。俺が妖精に出会ったという証拠がまったく残らない。戦ってもまるでいいことがない。身の危険が及ばない限りはだ。
とりあえず俺は、ブルータに思念会話を飛ばした。この妖精、ルメルの相手を任せるためだ。おそらくだが俺が直接話をしても、あまりいい結果にはならないだろう。
「ルメル、というのですね。私はブルータ、わけあって船に乗り、行かねばならないところがあるのですが、明日の朝までここで待たねばなりません。あなたと同じです」
ブルータはルメルへ少しくだけた口調で話しかけた。これに応じて、妖精も素直に返答をしてくる。
「ああ、そうなんだ。でも、あんたは人間じゃないね」
さすがに妖精、ルメルはすぐさまブルータの正体を見極めたらしい。もっとも、俺と行動をしているというだけで人間でないということはわかるはずだが。
「そのようなことは、今、問題ではありません。今のところ私とあなたの目的が同じ、というだけで十分ではないでしょうか」
「確かにね」
ルメルが頷いた。
「それで、どこまでいくつもり?」
「丘陵都市です」
「目的は?」
目的地を聞いた瞬間、ルメルの目が細くなった。質問に答えなければ許さない、という顔だ。目的は当然ながらそこに住む精霊使いのバロックを暗殺することなのだが、そのようなことは言えない。
「ある人物を、訪ねることです」
「何のために」
ルメルの質問はしつこかった。丘陵都市に、この妖精が懇意にしている人物でもいるのかもしれない。もしや、それは精霊使いのバロックかもしれない。となると、こいつは邪魔になる。俺はすぐさま、思念会話で適当な虚言をブルータに送った。
ブルータは俺の言ったとおりの嘘を言い放つ。
「助言をいただくためです。私のような半魔族を受け入れてくれる安住の地を、私は探しているのです」
「へえ、それ本当?」
妖精はそんなことを言ったが、まだ疑っているのはわかっている。
「野暮なことはお互いききっこなしにしませんか、妖精さん。あなたも旅の目的を私たちに話してはくれそうにないでしょう」
「ん、そうね」
ルメルは人差し指をこめかみに当てて、目を閉じたまま頷いた。まだ言いたいことはあるもの、そう言われてはさらなる質問を重ねることはできまい。そもそも、妖精はそうやすやすとは他種族との接触をしないという。そういう妖精が、こうして堂々と俺たちと会話をしているだけでも、様々な事情があることが汲める。
「船に乗るまでは、いえ。船が目的地に着くまではお互いに協力しませんか」
「それがよさそうね。こんなところで敵を作りたくないし、あなたも人間達に正体がばれたら困るのでしょう。半魔族、ハーフダークなんて本当に珍しいもの」
ブルータの提案に頷いたルメルが、こちらを見つめる。ブルータの姿を、上から下まで熱心にじろじろと遠慮なく見ているようだった。もちろん、それを気にするようなブルータではない。
「そう決まれば、もう休みましょう。出港は、早かったはずです」
俺の思念会話の内容をそのまま、ルメルに伝えるブルータ。これに妖精も応じたので、その日はそのまま、空き家となった宿屋の寝台で俺たちは休むことが出来た。
翌朝、俺が目覚めたときにはすでにブルータは起きだしていた。それどころか荷物をまとめて、港に向かって歩いているところだ。俺はいつものポケットにおさまっている。ハッとして顔を外に出し、周囲を窺う。潮風が吹いていた。
出港前の準備に忙しそうな港が見える。空は、晴れている。問題なく出港できそうではあるのだが、俺は一体いつのまにポケットにおさまったのだろうか。眠っているときにはブルータから離れていたはずなのだが、どうも記憶が曖昧だ。二度寝しちまって、寝起きのことを忘れたのかもしれない。
が、例の妖精はどこに行ったのか?
「ブルータ、あの枯葉の妖精とかいったアレはどこにいった」
「誰が枯葉の妖精だって? 私は落葉の妖精だって言ったでしょう」
その声は、上の方から聞こえた。
見上げて驚き。ルメルは無造作に、ブルータの肩に座っていたのだ。人前に姿を見せない妖精が何をやっているのか。
「お前、なんだ? そんな目立つところに堂々と姿を見せていいのか」
「普通の人間には見えやしないからいいの。それに、ブルータは隠遁の魔法をかけてるんでしょ」
妖精ってやつはよくわからない。いかに目立ちにくくなっているからといって、あのように堂々と。もう少しコソコソしているものと俺は思っていたが、違っているらしい。まああのルメルというやつが変わり者である可能性も高いのだが。
「それより、さっさと船に乗りましょう。隠遁の術が解けちゃう前にね」
ルメルの言うとおり。早く船に乗らねばならない。
港を見回すと、いくつかの船がある。いずれも、すぐにも出港しようとしている。当然であるが、魔王軍はすぐそこ、砂漠都市まで制圧を完了しているのだ。人間たちにしてみれば、逃げだすことに躊躇していれば死の危険があるのだから、急ぐのは当然だ。中でも、もっとも人間を積んでいそうな大型の帆船に向けて、ブルータはおもむろにジャンプ。ハーフダークの跳躍力を遺憾なく発揮し、甲板に着地した。
目的の船への乗船完了だ。とはいえ、甲板でごろごろしていてはいくら魔法をかけてあるとはいえ気付かれる。船内に逃げ込む必要がある。
「随分派手な乗船ね」
ルメルがぼやいた。あのくらいは隠遁の魔法が誤魔化してくれているはずだ。心配にはあたらない。むしろ、正面から乗船すると船賃がかかるので面倒くさいのだ。
甲板から、客室に向かって船内をまわることにする。そこそこの人数を積んでいるはずだった。客室とはいえ、下等客室は大きな一部屋に何人もまとめて入れられている。ブルータはその下等客室をすぐに見つけ出し、扉を開けた。
中には数十人程度の乗客がいる。何名かはすでに、毛布をかぶって寝ていた。家族らしき集団もいくつかあった。子供をなだめる父親、あるいは赤ん坊を抱いている女もいる。ブルータは乗客のふりをして堂々と隅のほうに歩いた。それから背嚢をあさって毛布をとりだし、身体にかけて腰を落ち着けてしまう。
「特に、問題はなさそうですね」
まあ、確かに問題はない。この船が難破でもしない限りは、一日後には丘陵都市が目の前だ。