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暗殺の青  作者: zan
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25・魔王胎動 後編

 そのフーナを運んでいる悪魔たちのうち、一人は知っている顔だった。つい最近、似ている悪魔と戦ったばかりでもある。

《ユエ……さまですね》

 さすがにユエには様付けを少しためらったらしいブルータは、素早く物陰に隠れていた。私もそのポケットに入っている。

 ユエとフーナはすぐに部屋の中に入ってしまった。しばらくすると、フーナを運んできた悪魔たちが出てくる。部屋の中にはユエとフーナだけが残ったかたちだ。何をするつもりなのだろうか。

 すぐにブルータが動いた。中の様子を窺うつもりだろう。

《私が見てみる》

 すぐに私はポケットを飛び出し、ドアの隙間から中の様子を覗いた。こういうのは妖精の得意技だ。こっそり何かをする、ということにかけてはちょっと自信がある。力仕事はダメだけど。

 何を話しているのかを聞き取らなければ。

 割と簡単に、私の耳に声が聞こえてきた。

「あなたのことは、下々の者たちに任せません。丁重に扱うように言われましたので」

「そう、ですか」

 ユエの言葉に、フーナが頷くように答えている。二人の言葉は静かで、とても理性的に見えた。

 少なくとも魔王軍に捕まった人間が見せしめのために処刑されるという雰囲気ではない。そういった陰湿さとはかけ離れている。

「ホウさまの言葉が正しいなら、あなたは人間たちからも見捨てられた憐れむべき存在であり、かつ、半魔族に利用された罪人。魔王軍本部でしかもはや保護され得まい。ゆっくりしていかれるがよい」

「はい」

 フーナは沈み込んでいて、暗かった。あんなことがあったのではそれも無理のないことだが、幸いにしてユエやリンは彼女を殺してしまう気もないようだ。

「ただし、ここも完全に安全であるとはいえません。そのあたりは承知しておいてください、私たちもあなたを最優先にするほどの余裕はありませんので」

「それは、勇者が攻めてくるということですか?」

 慌てたようにフーナが目を見開く。彼女もどうやら勇者という存在については知っているらしい。

「勇者ラインをご存じなのですね。むろん、勇者もそうなのですが、魔界もキナ臭くなっています。魔王軍、というよりもリンさまをあまりよく思っていない方々がいらっしゃいますので」

「悪魔たちは全て魔王軍に参加しているのではなかったのですか」

 ああ、それは私も以前思っていたことだ。しかしレイティの記憶を見た今ではそれが間違いだったと知っている。

 魔界で魔王軍の兵站を支えている悪魔たちもたくさんいて、夜魔たちなどの戦闘に向かない悪魔たちが懸命に食料や武具をつくっているということだった。そこに派閥があるという話は初めて聞くけれども。

「魔界のすべてが魔王軍によって掌握されているわけではありませんから。なかでも特に三貴族という連中が力をつけて、リンさまを排斥しようと蠢動しています」

 そこまでいって、ユエは眉間に手をあて「少し話しすぎましたね」とつぶやく。そのあとは、特にフーナの疑問に答えなかった。


 私は中をのぞくことをやめて、ブルータの胸ポケットに戻る。

《三貴族って、どんな連中なのか知ってる?》

 そう訊ねてみるとブルータはわずかに顔をしかめた。

《私も魔界で生活したことはありませんので、詳しいことは知りませんが》

 前置きして、話してくれる。

《魔界の三貴族はかなり昔から存在して力をつけてきた悪魔たちのことです。人間たちのように、家柄や血筋が重んじられているわけではないので、三貴族といっても三人だけです》

《そいつらが魔王軍に反抗してるってわけなの》

《確かに些細な反発はあったと聞いていますが、とりたてて問題視するほどのことではなかったと思います。そうであれば四天王が対応しているはずですから》

 特にシャンが、と私は勝手に付け加えた。参謀部であるシャンが三貴族への対応を考えていなかったのだから、たぶん本当に問題ではなかったのだろう。当時は。

 ところが事情が変わった、と考えることはできる。

 一番の要因は、勇者ラインとクレナだろう。二人の実力があまりにも飛びぬけていたため、魔王軍は劣勢になってしまった。せっかく占領したいくつかの都市も奪い返され、あわてて魔王軍本部を守るための結界をつくりだしているようなありさまだ。

 魔王軍は、この魔王軍本部に追い込まれてしまっているのである。勇者が討伐されない限り、攻勢に出るつもりもないようだ。ロナたちの決死の突撃はあったが、ロナ本人によればあれすらも「時間を稼げという命令」だったらしい。本部に十分な軍勢が戻るまで勇者たちを近づけるなということだったのだろう。それも勇者たち自身が進軍を停止して城塞都市に戻ってしまったことで、無為になってしまったようだけれど。

 ともかく、魔王軍は守勢に入っている。勇者との対決に備えてだ。三貴族はそれを知って、反逆の準備をしているのかもしれない。何しろ最有力の勇者との対決が控えているのだから、ほぼ全軍をそちらへ向けるだろう。そうなれば、三貴族にとっては魔王軍自体をほろぼす絶好の機会ということになる。全軍を倒さずとも、リンが死んでしまえばその地位に変わることも可能かもしれない。

 勇者との戦いを終えて疲弊したところを狙うつもりなのか、戦いの真っ最中に突っ込むつもりなのかはわからないが、とにかくろくでもないことを考えているのは間違いなさそうだ。

《つまり、敵ってことね。私たちにとっても、魔王軍にとっても、勇者にとっても》

 第四勢力が出てきたということになるのだろうか。自分たちを勢力に数えていいのかはわからないけれど。

《そうとはいえません。魔王軍にとっては敵であるかもしれませんが、勇者にとっては敵の敵であり、私たちにとっては今のところそれほど深く考えるべきものでもないと思えます》

 いや単純に考えすぎじゃないだろうか。あんまりにも。

《それにまだ明確に敵でないのではないですか》

《まあそれは、そうみたいね》

 さっきのユエの話を聞く限りでは、だけど。

《それと、フーナのことは心配しないでいいということになりました。リンさまのお付きであるユエさまがいらっしゃるのなら、私がいるよりもむしろ安心でしょう》

《ホウがそこまで考えてたかどうかはあやしいけど》

《ホウさまは先を読まれるお方なので、半ば予想していたかと》

 ちょっとそれはいくらなんでもホウのことを信用しすぎじゃないだろうか。確かに魔王軍四天王ともあろう悪魔が半魔族であるブルータをあれだけ気にかけ、四天王の地位すら投げ捨てたのだから全幅の信頼を寄せるのも無理ないが、ホウはそこまで考えているのかというと私はそこまで言えない。強くて賢いけど、結構考えなしなところあるんじゃないだろうか。いつもいつも私をからかって遊んでいたし。無口なようで口が減らないし。

《ユエはここにいるみたいだし、こっちはこっちの目的のために動かない?》

《そうですね》

 三貴族のことは頭の片隅においておけばいいだろう。それより、イフィーの魂を開放することが目的なのだからそれに向けて動かないと。

 私たちは宿舎の探索を開始した。


 しかし当然というべきか、ここにもそれらしい気配などなかった。悪魔たちの気配は濃いのだが、秘密が隠されているというものではない。あったとしてもそれは悪魔たちのへそくりだの食べ残しのお菓子だのといった非常に瑣末な秘密だった。

 結局、ここにきて一番の収穫というのがつまりさきほどのフーナとユエの会話を聞けたことくらいだろうか。私たちはたった数名で何やら働いている厨房をしつこく調査しながら、行き詰まりを感じていた。やはり本部である城を調べるしかない。

 しかしながらこの宿舎内ではほぼ休まる暇がなかった。どこにいっても悪魔がいるのだから、警戒を全く解けない。隠遁の魔法が切れたら、たちまち捕縛されてしまうに違いなかった。レイティの記憶では自分たちよりも実力のある悪魔はごまんといるという話だったのだから、そうなると考えていいだろう。

《ブルータ、あなたの力は他の悪魔たちと比べてどのくらいだと思ってる?》

 とはいえ私の判断はレイティのそれとは違っている。いくらなんでも、ブルータより実力のある悪魔がこの宿舎内にごろごろいるようには見えなかった。せいぜいユエくらいだろう。他は不意を突けばたぶん倒せるだろうと思えた。それで私はブルータにも話をしてみる。

 この問いかけに、ブルータは少し考えるそぶりを見せた。が、すぐに結論は出たらしい。

《一概には言えませんが、一般的な魔王軍の兵卒よりは力があると思っています》

 寝込みを襲ったらそれだけで勝ちというような夜魔や、膂力だけなら他の追随を許さない巨躯の悪魔がいるのだから、確かに実力の優劣を一概には言えない。それでも、兵卒くらいなら倒せるだろうという見解か。低く見すぎじゃないだろうか? それに直感的にわかりづらい。私は質問を言い換えた。

《うーん、じゃああの厨房にいる悪魔を中の中だとしたら、どのくらい?》

 といって指さした先には、黒髪の女悪魔が料理を作っている姿が見える。大きな鍋でスープを作っているようだが、細長い穴あきの木べらで中の材料をしっかりと混ぜ込んでいる。力のいる作業なので、人間の女が同じことをやるとかなり疲れるだろう。それを苦も無く黙々とこなしているのはさすがに悪魔というところだが、見るからに平均的な魔界の女だ。別に鍛えていないし、戦うつもりもない。

 まあ四天王は文句なしに上の上だとして、彼女のが中の中ならという話で考えてもらえば。

《ハクが中の中ですか》

 あの悪魔はどうやらハクという名前があるらしい。

《あ、知り合い? ちょっと説明してほしいかも》

《ハクはリンさまの直属部隊ではありませんが、戦場で非常に苛烈な檄を飛ばす部隊長として恐れられていました。主に味方からですが》

 私は息をのみかけて、それをどうにか押しとどめる。なんでそんな鬼部隊長が厨房で鍋をかき混ぜてるわけ! 人材の無駄遣いじゃない、と私は他人事ながら憤りかけた。

《占領していた都市が奪回されたので本部に戻ったのはいいが、率いる部隊がないということなのでは。それに、彼女の調理は評判がよかったので》

《それでもそんな優秀な部隊長を遊ばせておくとかありえないでしょう》

 思わず、ハクという黒髪の悪魔をまじまじと見る。彼女は何も知らずに黙々とスープを作っている。エプロンらしい前掛けこそしているものの、その下は戦闘用らしい動きやすさを重視した衣装を着ていた。そう言われてみれば鬼部隊長に見えないこともない。リンやホウには及ばないかもしれないけれど、十分に魅力的な美人なのに。ヒトはわからないというが、悪魔もかなりわからない。

《現状では四天王が二人も本部にいるので、必要もないということではないでしょうか》

《そんなはずないでしょ》

 優秀なまとめ役というのはどれだけいても余るなんてことはない。特にこんな大きな軍の中では。

 ハクを遊ばせておいても魔王軍にいいことなんて何一つも。

 そう考えたとき、目を離していた厨房から雷撃のような鋭い声が轟いた。

「まだメシの時間じゃないだろ! だらけてるクソに食わせるようなもんがあると思ってるのか!」

 同時に何か金属で何かを打ちすえる音が聞こえる。これがまた強烈で、手加減のての字もないような一撃が見舞われたことは疑いの余地がなかった。

「そこに隠れてる奴! お前らも遊んでるヒマがあったら魔法の一つも勉強しろ!」

 続いて発せられたそれは幸いにも私たちに向けた言葉ではなかったが、鬼部隊長のハクがその美しい顔を怒りに歪めて怒鳴り散らしているのだ。

 厨房でつまみ食いを目論んでいた下級悪魔たちは、たちまち逃げ去ってしまったのである。ドタバタとホコリをまき散らしながら走り去り、再び厨房に静寂が戻った。

《やっぱり、あれね》

 私は少しだけ焦った気持ちをどうにか落ち着けながら、自分の意見をかえた。

《彼女じゃないと、ここはダメみたいね。鬼部隊長が厨房に配置されてるのは妥当だわ》

《私もそう思いました》

 心なしかブルータも身を縮こまらせている。もしも食料が尽きても、ここから頂戴するのはやめておいたほうがよさそうだ。

《中の中っていうのは過小評価だったかもね。でもまあ、彼女と戦ったとしたらどうなの、勝てそう?》

《正面から1対1で戦ったのなら、おそらく勝てます》

 兵卒には勝てるというような評価なのに、鬼の部隊長にも勝てると。ブルータの力はどの程度なのか、やっぱりわかりづらいと思う。

 色々な要因があったとはいえ、四天王のガイに勝っているのだから上の中、くらいは言ってくれてもよさそうなものなのに。ブルータの性格では自分を評価したり、宣言したりするってことは苦手だろうから仕方ないのかもしれないけれど。

《まあ、ここにいたらハクに見つかるかもしれないから出ましょう。城に入らないとダメそうね》

《はい》

 時間をかけて、結局何も得ないまま。私たちは宿舎から出る。


 宿舎から出た私たちは物陰に腰を下ろして、念入りに隠遁の魔法をかけ直した。誰にも見つかってはいけない。

 いつ勇者がやってきてここが戦場になるかわからない状況なので、捜索は急ぎたい。が、そのためにことを仕損じては意味がない。一度少し休んだほうがいいだろう。

《ルメル》

 私は呼びかけられて、頷いた。

《そうね、そろそろ休憩しなきゃ。私が見張りをするから、このまま……》

《いえ、そうではなくて。何か、感じませんか》

 ブルータは人差し指で地面を指さしている。遠くて見えにくいが、そのあたりに何かあるのだろうか?

《金貨でも落ちてるの?》

 私には何も感じられなかったでそう答えたのだが、彼女はそんな軽口に何も言わなかった。真剣な顔をしたままだ。

 宿舎の外壁まわりの、裏手。無造作に木箱が積まれた物置じみた一角に私たちは座っている。ブルータが指さしたのは、魔王軍本部の中庭に近いところ。レイティの記憶では、ブルータが幻影剣の呪文で大木を切ったあたりだろうか。

 明かりもないのでそんな遠いところは見えない。

《うーん……ちょっと見てくる》

 ポケットから出ようとしたが、あわてたブルータに押しとどめられた。

《ルメルは目立ちます》

 そういう言い方はないんじゃない? 諜報とか窃盗とかは妖精の十八番なのに。

 私はそう言いかけて、周囲がすっかり暗くなっていることに気づいた。同時に、私の身体が魔力で光っていることにも。そういえば、この光のせいでブルータにも見つかってしまったのだっけ。あの鳥かご、息苦しいけどやっぱり捨てるべきじゃなかったのかも。

《これでいいでしょ》

 私は身体から漏れる魔力をおさえて、光を消した。そのままでブルータの指さしたところへ行ってみる。怠惰な悪魔たちは中庭で訓練している様子もない。誰もまさかこんなところにいないだろう。

《このあたり?》

 特に何も感じないから、目視で確認するしかない。が、ブルータが気に掛けるほどの何かがあるとも思えない。少なくとも金貨より重大なものは。

 半ば何もない、ということを確かめるために見ていたのだ。ところが、私にも確かに見えた。

《あれ、これって》

 そこにあってはいけないものが、あったのだ。

 転送用の魔法陣。そのかけらだ。

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