25・魔王胎動 中編
警備の悪魔たちはリンが起こした騒ぎに気を取られ、あるいはそちらへ駆け出している。一大事が起きたとでも思っているのだろう。
本来彼らは持ち場を離れるべきではないが、どうせ結界があるのだからとばかり、警備はおざなりである。結果として、騒ぎが起こっているので見に行こうというような者たちを生み出している。
私たちとしてはこの機会を絶好のチャンスととらえたい。なんとしても、このスキにイフィーの魂の在処を見つけ出したいところだ。まずは倉庫を探索するべきだろう。
ブルータと私は倉庫に近づく。入り口付近には警備の悪魔がいるはずだが、なぜかいなかった。
リンの騒ぎに引き寄せられていってしまったのだろうか?
なんにしても今しかないだろう。しかし当然ながらカギはかかっている。カギはどうする。とりえる手段は二つだ。
《魔法で壊しちゃうか、リンかホウになって誰かに開けてもらうか》
《ルメル、まだ偽装するには早いでしょう。手の内は最後の最後まで見せないものです》
ブルータの返答に私は頷く。確かにそうだ。今から早くも私がリンになれるということを見せてしまうのはまずい。逃げる時の切り札にするつもりなのに。
《じゃあ、壊すしかないじゃない》
《カギを盗めばいいのでは?》
《あっ》
私は魔力を溜めようと伸ばしていた手を止めた。そしてそのまま、しばらく動けなかった。
単純な回答だ。非常に簡単な答えだ。そして悪い答えだった。こんなことも思いつかない自分と、『盗む』という行為をブルータから提案させてしまった自分が恥ずかしい。
《ぬ、盗むとか人聞き悪い。ちょっと黙って借りるだけだから》
私はそう言いなおしながら動きを取り戻し、同時に周囲を見回した。この倉庫のカギを持っていそうなのは誰だろうか?
警備をしている悪魔か、四天王の誰か。
いや、ただの錠前ならいいが魔法で施錠されていたらどうしようもない。考えるだけムダではないかとも思える。
《魔法錠ですね》
誰もいないのをいいことに、倉庫のカギを確かめた。ちらりと考えた嫌な予想が当たってしまっていたことになる。
《どういう種類のカギ?》
《特定の人物の魔力を感知できないと、開かないという仕組みです。これならたぶん、開けられます》
ブルータは持っていたナイフを取り出し、カギに押し当てる。それは、リンが持っていて、かつホウが魔力を込めたものだ。それなら確かに、この魔法錠を開くことができるかもしれない。
予想は正しかった。リンの魔力を感知したカギはあっけなく解かれる。倉庫の中を探索することが可能だ。
私たちは少し時間をかけ、できるだけ大きな音をたてないように気を配りながらも倉庫の中を一通り探ることにする。予想以上に時間をつかったものの、成果はあまりなかった。
《食べ物と武器や防具の類ばかりですね》
疲れたブルータが壁に背を預けて座り込んでしまう。確かにこの倉庫の中身の大半は糧秣だった。おそらく、魔王軍本部の兵士たちを食わせていくためのものである。あまりなさそうなことだが、ここに籠城して戦うことになった場合でも一か月以上は持ちこたえられるように考えてあるのだろう。
悪魔たちの糧秣を少しばかり失敬する。特に美味しいわけでもないが、腹が減ってはなんとやら。ブルータと私は空腹を満たした。
《ここにはどうやら、軍のたくわえを保存してあっただけみたいですね。ガイたちの集めた魂は、別の場所に保存されているのでしょう》
《たぶんそうだと思うけど》
私は乾かした果物をかじりながらこたえる。日持ちはしそうだがとても苦かった。
ブルータはといえばおいしくなさそうな腸詰に悪戦苦闘している。なかなか食いちぎれないみたいだけれど、半魔族の顎で噛みきれないなんて、どんな腸詰なんだろうか。いつまでたっても無理なので、とうとうナイフで小さく切ることにしたようだ。しかし、それでも皮が強靭すぎて切れないらしく、ブルータは困り顔のまま腸詰を噛み続けている。
私も少しもらって噛んでみるが、本当に硬い。中の肉はそうでもないが、皮がまるで靴底みたいな硬さだ。噛みしめながら行儀悪く両手で引っ張ってもなお切れない。これを平然と食べている悪魔たちがいるというのか。恐ろしい話である。なるべくなら戦いたくはないと思う。
一息ついて周囲を見てみると、倉庫内の管理状態はかなり悪い。あちこちにホコリが積もっているし、掃除した形跡もない。
時々在庫の数を見るのは当然のことだと思うが、そうしたこともされていないようだ。もしかするとあの腸詰はあまり状態がよくなかったのかもしれない。
そう考えた私は、他のところから腸詰を抜き取ってみたが、やはり靴底だった。保存状態が悪いのか、最初からこういう腸詰なのかはさっぱりわからない。
これ以上探してみても、武具と食料以上のものはなさそうだ。やわらかい腸詰も。あと、苦くない果物も。
それに、貴重品というに値するようなものが見当たらない。
《人間たちのお金も、魔界の通貨も見当たりません。魔法のかかった武器もです。ここには兵士たちが使う以上のものは置かれていないのではないでしょうか》
ようやく腸詰を片付け、探索を終えたブルータが思念を飛ばしてきた。だいたい私の意見と同じだった。
《これ以上探してもムダみたいね、出ましょう》
そうこたえた途端。金属のきしむ音がする。
誰かが倉庫の扉を開けたのだ。私たちは息をのみ、大慌てで気配を殺した。隠遁の魔法をかけ直す余裕もない。
「リンさまにも参ったもんだな」
堂々と入ってきたのは、陸軍所属の悪魔らしい。それも、単独ではなさそうだった。
二人いるようだ。片方は大柄で粗野そうな悪魔で、もう片方は撫肩の女悪魔。女の方はなんというか、ほとんど着ている意味がないような大胆な衣装を着ている。乳房や恥部がほとんど露出しかかっていた。
彼らは慣れた様子で倉庫の中を歩いて、食料の一部をつかみ出した。男はそのまま口に入れて咀嚼する。が、やはり噛みきれなかったようで吐き出している。
「これはひどいな。こんなものを俺たちに食わせるつもりだったのかよ」
彼はため息を吐いた。それを見て女悪魔が笑う。
「馬鹿だな、そのままで食えるわけがないじゃないか。それは湯で戻してから食うんだよ。でなきゃ不味いし、噛みきれないだろ」
「おう、そうなのか」
「持っていくならそっちのにしな。シャクシャクいけるからさ。で、向こう側に酒があったと思ったけど」
女悪魔は倉庫内部の配置に詳しいらしい。やわらかい食べ物を取り出して男に与えつつ、自分は酒を探し当てて味見までしてしまっていた。
幸いにして私たちがいるようなところへは来ないらしい。というより、ホコリだらけのこの場所は長いこと誰もが立ち入っていないように思える。つまみ食いにやってくるような輩も、ここまでは来ていないのだろう。
「生き返る、五臓六腑にしみるっ」
消毒用の酒を飲み、女悪魔はとても楽しそうだ。男の方もご相伴にあずかって、しばらく二人はそこで騒ぐ。先ほどの腸詰もちゃんと湯で戻して酒の肴にしてしまい、だいぶ食べてしまった。
かなり数が減ってしまったと思う。もはやつまみ食いという感じじゃない。これでリンにばれないと思っているのだろうか。倉庫がこんなに汚れているわけだから、数の管理もしていないわけで、実際ばれていないのだろうけれど。
「おう、これだな。まあ糧秣の管理を任されたからにはこのくらいの役得がねえとな。もっと酒をくれよ」
クッチャクッチャと腸詰を噛みながら、彼らは馬鹿笑いすらしている。私たちとしては助かるが、もう少し真面目に仕事をしようという気にはならないのだろうか。
結局彼らは騒ぐだけ騒いだのち、物品数の確認などもしないまま帰ってしまった。私たちはその間ずっと息を殺していたわけだが、それだけですっかり疲れた。実に無意味な疲労だった。
妖精の気配を遮断してくれているこの檻が、少しは役に立っていたのならいいのだけれど。
《あんな調子じゃ、私たちが食べた果物や腸詰のこともわからなさそうね。もう少し食べてもいいんじゃない?》
私は静かに深く息を吐いているブルータに話しかけたが、彼女は首を振る。
《わからないとかじゃなくて、食べたくないです》
《ああ、腸詰ならお湯で戻せばいいって言ってたじゃない。やってみたら美味しいかもしれないけど》
《いらないです。ルメル、蜂蜜漬けでも食べますか?》
ブルータが背嚢からビンを取り出す。私はそれに飛びついた。
《食べる!》
そうだ。私はこれがずっと気になっていたのである。
ブルータがルイにあげていた蜂蜜漬け! もう甘い匂いがしてる、気がする。小悪魔のレイティは苦手だったようだが、甘いものが好きで果物が好きな私にとってはもう、すごいごちそうなのだ。美味しいものに美味しいものを足したらすごくおいしいにきまっていた。
《では、どうぞ》
少し戸惑ったような顔をしたものの、ブルータがビンを開けて中身を私に差し出す。小さなフォークで突き刺されたそれは、以前ルイとレイティが食べたものとは違っているように見える。しかし蜂蜜に漬かっていたのには違いないので、私は躊躇なくかじりついた。
もちろん甘い。蜜の甘さが私を痺れさせる。さらに、たっぷりしみ込んだ蜂蜜に負けじと、果物の酸味と香りが強烈にはじけていく。おいしいっ。
《甘くておいしい!》
たぶん元々はすごく酸っぱい果物なのだろう。それが蜂蜜に漬かったおかげでとても食べやすくなっている。甘酸っぱくて、後を引くおいしさ。
もっと欲しくなるが、私が食べ終わるとブルータはすぐにビンの蓋を閉めてしまった。蜂蜜は固まりやすいので仕方がないが、そんなにすぐにひっこめてしまうなんて。それに、ブルータ自身はそれを口にしていない。
《食べないの?》
《私、これが好きすぎて食べだすと止まらないので》
ほんの少しだけ困ったような顔をして、ブルータは背嚢にビンをしまい込んだ。やっぱりつくっているだけあって、好きな食べ物ではあるようだ。私だったら気にしないで食べるのだが、ブルータとしては食べ過ぎるのはよくないと自制しているらしい。
《それに、お母さんに会えたら一緒に食べると決めていますから》
こう言われると私には何も言えない。
美味しいものを食べて高揚した気分に水を差されたように思えるが、文句を言えるはずもなかった。私は檻を抜けて、ブルータの胸ポケットに飛び込んだ。思い切り大きなため息を吐く。
《折角ホウさまにいただいたのに》
《大丈夫よ、ちゃんと力を抑えていくから。それにいざとなったらレイティの姿を借りれば大丈夫でしょ》
正直に言うとあの檻は息苦しい。そろそろ限界だった。こちらが抑えているのに妖精の気配を感じ取れそうなほど強い悪魔なんて、どうせ魔王軍本部にもリンとホウくらいしかいない。リンは怒って暴れているようだし、特に問題ないはずだった。
とにかく話題を変えよう。
《にしても、あんなふうにしょっちゅうつまみ食いに来ているんじゃ、こんなところに貴重品を置いておけるはずもなかったわけね》
《要するに、多少盗られても問題ないようなものが雑多に仕舞われていたわけですね》
目の前にある問題を見つめ直してみる。ブルータはもう一度キョロキョロと倉庫の中を見回したが、何か発見できるわけでもない。
《ブルータは何か貴重品をしまってそうなところ知らないの?》
《残念ながらそうしたものは私には関係のないところだったので。ホウさまならご存知かもしれませんが》
《ああ、それよ》
考えてみれば別れる前に訊いておくべきだった。四天王のホウは報酬として『禁断書庫』の解放までされていたのだから、魔王軍本部のどこに何があるのかなんてことは、知り尽くしていることだろう。
《密談の魔法で訊けないかしら》
近くにホウがいることには間違いないので、どうにか連絡を取ろうとしてみる。が、通じない。闇雲に思念を飛ばしても、通じるはずもないのだ。
《仕方ありません。少しずつ探していきましょう》
そうするしかないようだ。私たちは倉庫から出ることにした。
外の様子をうかがいながら、警備が手薄になったところで飛び出す。誰にも気づかれなかったようだ。
空は既に暗い。今のうちに宿舎に向かう。
倉庫の近くに建っている宿舎は、ブルータも利用していた建物だ。彼女に与えられた寝台もあり、荷物を置くところも用意されていた。今でもそれが残されているのかはわからないけれど。
正直言って宿舎はかなり広い。魔王軍の兵士たちすべてがここで寝泊まりしているわけではないが、重要な立場にある者はここで宿泊できるようになっているのだ。
当然ながら食事を作る厨房もあるし、汗を流す浴場もある。
多数の悪魔たちが出入りするのでこんなところに貴重品を隠すなんてことは普通考えられない。が、見ておく必要はある。ブルータの知らないところに隠し部屋があり、それがそうだったなんてこともありうるからだ。
ここには見張りも特にいなかったので、問題なく中に入り込める。しかしこの後は誰にも見つからないとは限らない。
少し探してみると、衣服がたくさん置いてある部屋が見つかった。ユエが着ていたのと同じ意匠だったので、おそらく魔王軍本部付きの悪魔はみんなこれを着ているのだろう。制服だ。これに着替えたほうがいいかもしれない。
今のブルータのローブは『霧の衣装』の効果がついているが、なにぶんにも目立つ。
《着替えたほうがいいんじゃない?》
《そうします》
扉を閉めて、部屋の中で着替える。サイズが合うのがあるかどうかが心配だった。一番ちいさいものを選んで着こんでいくと、どうにかサマになって見える。胸の辺りは布地が余っているような状態になってしまったけれど。
前に城塞都市へ潜入したとき、侍女服を着たことがあったけれどそのときに似ている。ブルータは幼いので絶望的に胸がない。よって、成人女性を想定して作られている服を着ると必然的にその部分が余ってしまうのだった。
《だ、大丈夫よ。女の価値は胸だけで決まらないから》
私はついつい謎のフォローを入れてしまったが、振り返ったブルータの目線が私の胸にいっていることに気づいた。
妖精の中では私のプロポーションはかなりのものだと自負しているのだが、『妖精にしては』という域を出てはいない。とはいえ、ブルータよりはあるはずだ。思わず私は胸を両手で隠した。
これに対してブルータはといえば
《そういうのは、興味ありません》
しばらく見つめた後、ぷいと目をそらしてそんなことを言う。
興味ないならなんで私のを見たの? なんだか見下されたような気がして、私はブルータを指差して怒った。後から考えたら被害妄想もいいところなのだけれど、このときはそんなことを冷静に考えられなかったのだ。
《私には勝ってるって言いたいの?》
《そうは言ってません》
《言ってた!》
非常にどうでもいいことなのだが、なんだか後に引けなくなってしまった。いや、どうでもよくはない。私のプライドの問題なのだった。これでもバロックには「スタイルがいい」って何度も褒めてもらってたのに!
《ルメルはかわいいし、色っぽい妖精さんですよ》
《そう? やっぱり》
不意に褒められて、私は頬を手でおさえた。自分がにんまりと笑っているのがわかる。
なんで私は怒っていたんだっけ?
《ではいきましょう、今のところ建物の中から強い魔道具の気配はしませんが》
《ちょっとまって、あれって》
部屋から出て、早速探索を始めようとしたブルータだが、私はそれを押しとどめる。見慣れた人影が見えたからだ。
通路の向こうへ数名の悪魔たちが運んでいったのは私たちが少し前に見ていた人物。フーナだった。




