24・乱臣賊子 前編
彼女は目を閉じて、座り込んでいる。たぶん、彼女はこの豊かな魔力の流れの中で傷をいやしていたのだろう。
私は彼女の肩に乗っかり、その耳を引っ張った。
「ホウ、起きて。ねえ、起きてっ」
叫んでみるも、四天王のホウはびくとも動かない。寝ているのだろうか。いや、あのホウがここまで近寄られて寝ているなんてことないから、たぶん寝たふりしているだけ。
ブルータが近づいてくると、ようやくホウはその眼を開いた。
「やっぱり起きてるんじゃない!」
「起きてるよ。よくここがわかったな」
まるで嫌味じゃないみたいに言って、彼女がするりと穴の中から出てきた。のたのたとした様子もなく、まるで今まで待ち構えていましたというような動き。私が近づくまでは寝ていたに違いないのに、全く普段と変わらないような動作ができるとは、さすがに四天王。
ばさりと彼女は両の翼を広げた。ホウの両肩から伸びる漆黒の翼は、雄大で長大だ。片方だけで、彼女の身長に迫るほどもある。それが両方とも開いたのだから、見事な威容。
フーナは口を開いたまま、言葉を失っている。たぶんホウ本人は、伸びの一つもしたかっただけなんだろうけれど。
「すまなかったな、ブルータ。もっと早くに助けてやれなくて」
翼を戻して、彼女はこちらの言葉も待たずにさっとそんなことを口にした。
謝ることなんてないだろう、と私は思う。ホウはたぶん、ブルータを救い出すのに最大限の努力をしたはずだ。期をうかがって確実に助け出すための計画を練ったに違いないし、リンと正面からぶつかることに何の葛藤もなかったとは思えない。
ただ、それでも助け出すまでの間にブルータが悲惨な目にあっていたことは間違いない。だからホウは謝っている。他の悪魔や勇者なら、助けてやったんだから感謝しろ、なんて言ってても不思議でないところに謝罪。ホウは、明らかにブルータを特別扱いしているようだ。同じようにブルータがかわいそうで、なんとかしようと特別扱いしている私からすればそれはとてもありがたいことだし、非難することでもないのだけれども、どうしてなのかは気になる。これは小悪魔のレイティも気にしていたことだ。
一方で謝られたブルータは狼狽していた。いや、うろたえているというよりもどうしていいのかわからないという感じだ。ホウに会えてうれしい、というだけではないのだろう。突然謝られて困惑し、さらには負い目を感じている部分もあり、精神の均衡が崩れているようにさえ感じる。
前に彼女はひどく心を傷つけられたために魔法がそれまでのように使えなくなるという事態までなっている。フォンハに回復してもらったとはいえ、一度傷ついた心はそう簡単に完全に戻るものでもない。そのあたりは私がみてあげなくてはいけなかった。
「ちょっと、ブルータ」
私はフーナを背負ったままで呆然とする彼女の肩に飛び乗ろうとした。ほとんど身じろぎもしないで、ブルータは動かない。
「大丈夫?」
「いえ、少し。どうしていいのか、わからなくて」
ブルータは困っているようだった。自分の気持ちをどこにおいていいのかわからないらしい。私だってそんなことを言われても困ってしまう。いつもなら少し休んで気持ちを落ち着けようと言い聞かせるのだが、今はホウに振ったほうがいいだろう。私はホウを見やったが、彼女は少し笑っていた。
「ホウ、なんとかしてよ」
「子供のあやし方も知らないとは恐れ入った」
「恐れ入らなくていいから、早く」
「まずその背中の子を下したほうがいいんじゃないか」
それもそうなんだけど、フーナも怪我をしているのだ。そっちをまず治してもらわないと。
「この子も足が悪くて。ホウ、治してあげてよ」
「簡単に言ってくれるな」
四天王のホウはすたすたと歩いてきて、フーナを下すのを手伝ってくれた。そのあと、簡単に彼女の足を診て、小さく息を吐く。
ただの骨折だと思っていたけれど、思っていたよりも悪いのだろうか。
「表面上は治りかかっているが、複雑骨折だな。何かに踏みつぶされるとかしたのか?」
「家ごと崩れて下敷きになってたのを助けたんだけど」
「すぐに処置しないとまずいだろうな。こういうのは自然回復しない、わかってると思うが」
わかっている。だから、添え木をしておいたし完全に治癒魔法をかけなかった。へんなふうに治ってしまったら足が曲がってしまうから。
「で、この子は。鉄橋都市で拾ったとかいうんじゃないだろうな」
「えっ。そのとおりだけど」
「勇者たちに攻撃されてて見捨てられなかったか、怪我してたところに通りかかったとか」
「大体そんなところだけど、なんでわかるの」
まるで見てきたようなことを言うホウに、純粋な疑問をぶつける。本当にわからなかったからだ。
「いろいろと言いたいことはあるが、あとにしよう」
さっと翼でフーナの頭を撫でる。それだけで、傷ついていたウェイトレスの顔が穏やかなものに変わる。と、もう片方の翼が動いて彼女の下半身にふわりとかぶさった。
「ぐぎっ!」
途端、フーナが悲鳴に近い何かを喉から発した。若い女の子が出していい声じゃない。
「何したの?」
「骨を接いだ。たいそう痛いだろうが、仕方ない。多少は痛みをおさえたつもりだが、完全には無理だ」
魔法でフーナの骨折を矯正してくれたということらしい。フーナ自身は痛むのかすごい顔をしているが、次第に落ち着いていく。少しずつ治療されているらしい。
自然回復力を増強させるくらいしかない私とは違って、ホウはしっかりとした治癒魔法を使える。フーナの骨折くらいは今日一晩で治ってしまうだろう。
「これでいいだろう。さて」
一通り治療を終えたホウが立ち上がり、ブルータに目をやった。
「お前たち、何か私に用事があってきたんじゃないのか?」
「すっ、すみません。ホウさま、謝らなければいけないことがありました」
少し落ち着いたらしいブルータが、頭を下げる。これをうけたホウが頷く。あわわ、私もブルータと一緒に謝らないと。
「言いにくいんだけど、ホウ。フェリテが」
「知ってる。別にお前たちのせいだとは思ってないから謝る必要なんてない」
知ってたんだ。それはそうか、ガイが死んだことももう知れ渡っていたくらいだし、無理もない。
フェリテはガイと戦って死んでしまったが、ほとんど私が殺したようなものだ。実際、彼女の大半を魔力に変えてしまったのは私。謝る必要がないといわれても、はいそうですかというわけにはいかない。
「でも」
「大体わかっている。もう言うな。で、ブルータ。どうしたんだ。魔王軍から逃げ出すチャンスだったろうに、どうしてこんなところに来た?」
ホウは早くこの話題を終わらせたいようだ。大事な部下が死んだのだから、悲しんでいないわけもないだろうし私たちを責めたい気持ちが全くないわけでもないはずなのに。
申し訳ない気持ちはあるが、さすがにそれ以上は言えなかった。
「わたし、お母さんにどうしても会いたくて」
ブルータは悪いことをしていたのを見つかった子供のように、小さな声でこたえる。しかし、ホウは容赦なくそれに言い返した。
「お前の母親はもう死んだだろう。あきらめて、お前自身の幸せをみつけたほうがいい」
「ちょっと!」
ばっさりと「死んだ」なんて言い捨てたホウを、私は咎める。せっかく生きる気持ちを見つけ出したブルータを、また闇の中に放り込んでどうするというのか。
「可能性が少しでもあるなら、しがみつきたいのです」
焦る私をよそに、ブルータは小さいながらもしっかりとした声で応じる。
死んだはずだと正面から言われても、こうして切り返せるくらいにはなったんだ。私は心底の安堵を覚えて、胸をなでおろす。今のは本当に怖かった。ホウはあのときのブルータの、死にそうな目を見ていないからそういう発言ができるんだ。もうやめてほしい。
「しがみつくか。ひとまず座れ、少し話をしないといけなさそうだ」
私が顔を上げると、いつの間にかそのあたりに野営の準備がすっかり整っていた。ホウがしたのだろうか。火を起こして、休むところを確保して、そこらの草木を刈り取るなんてことを?
不思議に思っている間に、ブルータはすとんと用意された倒木に腰かけてしまった。私だけぼんやりしているわけにもいかないので、彼女の肩に座る。
「私も一応、諜報部なので色々と知ってはいる。そのうえでお前たちのことを改めて聞かなきゃならないし、こちらから言わなきゃならないこともある」
「うん」
私たちはなんだか叱られているような気分になりながら、こちらを見下ろすホウを見る。
「お前たちが気にしている、魔王軍本部の結界から話そうか。あれはシャンが復活させた古代術式の結界だ。あれを壊すには結構な時間と魔力が必要になるから、お前たちだけでは突破できない。全身くまなくこんがり焼かれて炭になりたいというなら別だが」
「そのへんはルイから聞いてるけど、やっぱりホウでも壊せないの?」
「私でも無理だな。力技で壊すなら半年は時間をもらいたい。お前たちは魔道具で壊そうとしていたようだが、それも厳しいだろう。どうしてもというなら女勇者クレナのもっている魔道具を奪ってくるくらいはしないとな」
それはいくらなんでも無理だ。私は思わず首を振った。
結界を壊すにはあのレベルの魔道具がいるということだ。それでなければ無理というのだからつらい。あれはどうもスターロッド、という名前らしいけれど。
「あれは別格だってことね」
「そうだな。ドラゴンたちの秘宝なんだから当然だろう。その様子だと、あれからまた勇者たちと会ったのか」
聞くまでもなく知っているだろうに、ホウはわざわざ私たちに訊いてきた。この質問にはブルータが答える。
「はい。鉄橋都市で勇者ラインと女勇者のクレナに遭遇しています。戦闘になりかけましたが、ロナさまのおかげで離脱できました」
その言葉にホウは頷いた。
「鉄橋都市にか。彼らも結界に気づいて、対抗手段を探していたのだろうな」
「そう思います。それで、私たちはこれを手に入れてきました」
ブルータは背嚢の中から魔道具を取り出す。アドラの身体から摘出した、小さな魔道具だ。すでに血や脂は拭き取っているのできれいな玉の宝石にしか見えない。
ホウはこれを凝視した。たぶん、彼女が驚いたところを私は初めて見た。声も上げないし、口も開けなかったが、驚いてる。少しの間、動かなかったのだから。
四天王が見つめるほどに、この魔道具は珍しいものだったのだろうか。
「そんなに気になるの? 私たちはこのままじゃ役に立ちそうにないって結論付けたんだけど」
「確かにこのままでは役に立たない。お前たちが持っていては持ち腐れだ。鉄橋都市で拾ったんだろう? どこにあったんだ」
「アドラという半魔族の体内にありました」
淡々とブルータが答えた。今度はホウが首を振った。彼女にとっては、嫌な報告だったらしい。アドラを知っていたのだろうか。
「ホウ、もしかしてアドラのこと知ってたの?」
「知ってはいたが、別にそれはどうでもいいんだ。それをお前たちがもっているということが、少し困る」
「じゃあこんなのホウにあげる」
捨ててしまおうかとも思っていたものなので、持っていて問題だといわれるくらいならホウに譲り渡す。私はそう考えた。ブルータも同じ考えなので、受け取ってくださいとばかりにホウへそれを差し出す。
ホウはそれを受け取らなかった。
「それの正体を教えてやるから、それから考えたほうがいい。効果と、それの利用の仕方を」
私たちは、『魔力か何かを作り出す魔道具と、作り出された魔力を受け取って利用可能にする魔道具が存在していて、その二つが組み合わさってこそ威力のあるもの』だと考えていた。この宝石のようなものは、受け取り側の魔道具と推測される。そう思っていたからこそ、役に立たないと断じていた。
ホウの説明はそれとは異なるものなのだろうか。
「それは、傀儡の玉。無意識に介入して生物を操る魔道具だ。あまりいいことには使われない」
「操るって、どういう具合に」
アドラはそんな能力を使っている気配もなかったけれど。そんなことができるのなら、勇者相手にだって使っていたはずだろうし。
「無意識に介入するって言っただろう。つまり、操られている本人もその事実に気づかない。自覚がないまま、思うとおりに操れる。やろうと思うならこの場で服を脱げとか、指を切り落とせとか、そういう命令でも自覚がないままやってしまう。大体の場合、操られていることに気づかないからうっかりやってしまったということで処理される」
「うっかり服を全部脱いでしまいました、なんてことあるわけないでしょ?」
「なんならやってみせようか」
「それは、やめて」
私は真剣な表情でホウの提案を断った。さっきはあるわけないと疑ったが、ホウがこの場でまじめにいうのだから信じざるを得ない。
ううん、それが本当だとしたらアドラは誰かを操っていたってことになる。なんのために、誰を、どのように。
「これ、誰を操っていたかとかわかるの? 私たちでも使える?」
訊ねてみると、ひどく気軽にホウはこたえてくれた。
「おおよそはな。誰を、なんて小さな単位じゃない。これ一つで鉄橋都市の半分は対象に入る。やりたい放題できるだろうな、体内に埋め込む気持ちもわからないではない。これを使ってしまったら、もうこれなしの生活は無理だ」
「そんなに?」
鉄橋都市の半分。というと、橋のこちら側すべてが対象だったと考えてもいいわけだ。体の中に入れていたということは、誰にもとられたくなかったということだから、アドラが最大限この魔道具を有効活用していた可能性は高い。
いや、それよりも。鉄橋都市に入っていた私やブルータも操られていたということにはならないだろうか。そのあたりの命令が今も有効でないという保証もない。恐怖を覚えた私は、なんとなくブルータの胸ポケットに入り込んだ。霧の衣装のおかげで温かい。
「お前たちにも使えないことはないが、あくまでも魔道具だからな。常時防護障壁をまとっているような連中には効果がない。私や、勇者たちにはおそらく何の効力も発揮しないだろう」
「そう」
私は心底安堵して、大きく息を吐いた。その様子がおかしかったのか、ホウが薄く笑っている。
「使っていたのが半魔族のアドラだというなら、おおよそ何に使っていたのかはわかる。情報を集めて保身を図っていたんだろう」
ああ、そうか。アドラは自分の正体が露見するのを恐れていたんだ。それで、魔道具を使ってみんなに少しでも怪しい情報があれば自分のところに持ってくるように指示していたに違いない。直接アドラに話をしなくても、『あの酒場で噂話がしたくなる』くらいの命令なら無意識に違和感なく入り込めるだろうし、フーナに対して『噂話を聞いて、アドラに話す』ということを命令しておけば、何の無理もなくすべての情報を集めることができる。
「それで、勇者たちはそんな命令を下されている鉄橋都市の住民を最初から排除するつもりで、戦った。そう考えるとお前たちの見てきたことは無理なく理解できるんじゃないか?」
そうかもしれない。が、私たちはまだ勇者たちが非道な振る舞いをしたことを話していない。ホウはどうして知っているのだろうか。
「ホウ。やっぱり鉄橋都市でのことは知っているんじゃない。どこから見てたの」
「直接見ていたわけじゃない。私は一応情報に重きをおいているからな。観て聴いてきて、話をしてくれるのがいる」
フェリテだけがホウの部下というわけではなかった。ということらしい。
四天王だものね。イーファみたいな力をつけた精霊か、私みたいな妖精が彼女の目となり耳となっている可能性もある。それで各地の情報を事細かに知っているのだろう。私はそうしたことを想像すると、何か胸の中に嫌な気分がわいてくるのを感じる。
ホウが私以外の妖精や精霊と仲良くしているのは、なんだかよろしくない気になるのだ。彼女は私を保護して、特別扱いしていたのに。どうして今更ほかの妖精なんか。
「ルメル」
ふと、頬を撫でられた。見上げてみるとブルータが私を困ったような目で見て、手のひらを向けている。
「何か今の話で、嫌なところがありましたか?」
「べっ、別にないわ」
あわてて手を振り、否定する。話題を変えたかったので、私はとっさに彼女の体を気遣った。
「話し込んじゃってるけど、ブルータも診てもらったほうがいいんじゃないの。ほら、前に盗賊に刺されたりしてたじゃない」
「ああ、私のことは大丈夫です。まだ少し痛みますが、もう治りかかっています」




