23・五蘊盛苦 前編
勇者たちは鉄橋の方へ歩いていってしまい、こちらに戻ってくる様子はなかった。彼らは落ちた鉄橋を調べるつもりなのか、谷の底へ降りていくらしい。
アドラの身体を調べるのなら今しかない。
《ブルータ》
《わかっています》
私たちは無残に切り裂かれてしまったアドラの死体に近づいていく。アドラはあんなに強かったのに、ただの一撃でやられてしまった。勇者ラインはやはり、恐ろしい存在だ。
その恐ろしい存在がいつここに戻ってくるかわからないので、素早く調べる必要がある。もたもたしていて彼らに見つかり、殺されたというのではあんまりだ。
手早く、懐やポケットの中を調べるも、魔道具らしいものが出てこない。
「持ち物の中にそれらしいものはありません。身体の中でしょうか」
彼女はそんなことを言い出した。身体の中とは。
まさかこんなところでアドラの衣服を剥ぎ取り、腑分けするなんて。目立つことはいうまでもないし、時間がかかりすぎる。
「確証があるの、ブルータ。今ここでアドラを解剖して魔道具を探すなんてこと、できると思う」
「できるかどうかでなく、やるしかありません。それに、彼女の身体からは確かにそれらしい気配がします」
そう言われて、私もそれとなく探ってみる。アドラの身体に、確かにわずかな魔力が感じられた。何かしらの魔道具を体内に埋め込んでいるのだとすれば得心できるものだ。
とはいってもどこを切ればそれが出てくるのか、私にはわからない。そんなに細かい探知は無理だ。
「別に全身を切り刻むわけじゃありません。魔力の元を摘出するだけです」
ブルータは私より詳細な探知が可能なのか、自信ありげにアドラの服を裂いて、その肌を露出させていく。薄着なアドラの服はたちまちはだけて、白い胸元をのぞかせる。ブルータがそこへナイフを押し当てて、柔肌を切り裂く。
あまり血は流れないが、正直いってあまり見よい光景じゃない。私は少しだけ目をそらした。
少し間があってから、ブルータが声を上げる。
「これですね」
私が目を戻すと、確かに魔道具らしいものが見えた。大きな宝石、といった外見だ。くっついていた血肉を払うと、綺麗な玉になる。
これがあれほど巨大な鉄橋を架けることを可能にした魔道具かというと、それほどの力はない。明らかに力不足だった。少し触れてみたが、中に蓄えられた魔力はほどほどだ。正直言ってバロックの持っていたロッドのほうがこれの数倍威力があるといえる。こんなものを体内にいれていても、戦いが有利になるとは思えなかった。
「これ、すごく凡庸な性能だわ。正直言ってこれを守るためにアドラが戦っていたとは思えないんだけど」
「そうですね……。ですが、これに流れ込んでくる力を感じます。この魔道具は何か別のものと、繋がっているのではないでしょうか」
「繋がる?」
「つまり、魔力か何かを作り出す魔道具と、それを放出する魔道具。二つが組み合わさってこそ威力のあるもの、という。そんな気がします」
ああ、なるほど。何か対になる魔道具があって、初めて役に立つということか。ブルータはその片方だけを手に入れたので、大した恩恵を得られないということだろう。
「その通りだと思います」
つまるところ、これ一つだけじゃどうやっても役に立たないというわけで。その対になる魔道具っていうのはどこにあるのか、それも探さないと駄目。なんて面倒な魔道具なんだろう。
「そのようですね、そういうことで間違いないかと」
「えっ、ちょっとまって」
となると、ひとつの疑問が解消されることになる。勇者たちはアドラの身体を調べないで行ってしまったが、それは決して見過ごしたわけではなく、最初からここにある魔道具がそういう性質のものだと知っていたからなのだ。つまりアドラの持っている魔道具より、もう一つの片割れを探し出すことが重要だと踏んで、そっちに二人とも行ってしまった。こう考えるのが非常に自然だ。
いや、それでもおかしい点は残る。二人とも行ってしまうなんてことはしないで、アドラの持っているものをまず確保しておくべきなのだ。やっぱり勇者たちは単にアドラが持っているとは思わなくて調べなかっただけなのか。
と、そこまで考えて私は不意に思い当たった。それも、嫌な方向の思い当たりだ。
「ここを離れた方がいいかもしれませんね」
「あ、やっぱりそう思う?」
ブルータも同じように感じたらしく、離脱を進言してくる。
私の想像より勇者たちが頭の切れる人物であり、というかそれしか考えられないが、『私たちをおびき出すために、あえてアドラの身体を調べずに行ってしまった』という、とても嫌な可能性に思い当たったのだ。これが当たっている予感がすごくある。
私たちはなんだかんだで結構、騒いでいたのだし。アドラと勇者の激しい戦闘があったので、気取られないだろうという判断から普通に声にだして話をしたりしていたし、身の危険もあったのであちこち移動したりもした。
これらによって勇者たちが私たちの存在に気づいていたとしたら、だ。私たちの想像通りである可能性が高まる。
「どうする?」
私はあえて問いかける。どうすればいいのかまるでわからなかったからだ。離脱したいのはやまやまだが、それが可能かどうかあやしかった。
「正直言えば、策も何も考えず直ちに全力で逃げ出したいのですが。無理のようです」
「あれ」
首を振るブルータ。私は彼女の背後に何かがやってくるのを見て、目を見開く。
それは、見知った顔。勇者ではないが、なるべく会いたくない顔だった。
「ああ、ロナさま」
と、ブルータがその名を呼んだ。
魔王軍海軍を率いる女。ガイの副官だった、ロナ。悠々としていた。
「どうして、このようなところに」
振り返ってそういいながら、ブルータの顔には諦念が浮かぶ。そうだ、すぐそこに勇者たち二人。目の前にロナ。逃げ場なんてない。
これで目の前にいるのがロナでなく、リンだったら完全に終わっていたところだ。ロナはまだわずか、こちらの境遇に理解があるようなので、すぐさま攻撃されるということはないだろうが。来てくれてよかったなんてことはいえない。
ただ不思議なのは、ロナともあろうお方が護衛の一人もつけずに単独行動をしている点だ。もしかして、まだあちこちを下見しているのだろうか?
「どうしたもこうしたもないんだけど。あんたたち、まだこんなところをウロウロしてたのかい。ここらに勇者たちがいるってことを知っててそんなことしてるのなら、あきれてものもいえないね」
笑って、ロナはこたえる。知っているというか、逃げずに残ったというか。
「そんなことはどうでもいいんだけどさ。さっさと行きなさいよ、邪魔だから」
「邪魔って」
「海軍の全軍が、勇者とぶつかり合おうっていうのに巻き込まれたいの」
「いいえ!」
あわててブルータが首を振る。まさか、ロナは全軍を率いてきたのか。
それは確かに、欠落都市で会ったときに鉄橋都市まで進軍するとは言っていたけど、勇者がいるのにお構いなしにきたとは。
「でもロナさま、あの二人と戦うなんてことは……」
あまりにも無謀じゃないか、とブルータは言いかけた。私は彼女の表情から、言いたいことがなんとなくわかる。
いくらロナでも勇者たちにはおそらく勝てない。そんなことは、誰が考えるまでもなく明らかだった。
冷静に考えたとしても、結果は同じだ。確かこのロナの力は、フェリテとほとんど同じくらいだったはず。実際に戦って相打ちになったのだから、間違いないだろう。かなりの使い手だといえるし、そんじょそこらの勇者なら多分一人で片付けられる。
だが、相手は最有力の勇者であるライン。それに規格外の魔力を誇る女勇者クレナ。彼らは単独で魔王軍海軍の艦隊を壊滅させ、洞穴のドラゴンたちを殲滅する。それが二人いる。
となるとロナには魔王軍海軍の半数と、ドラゴンの群れを足した以上の力が求められる。いくらなんでも無茶苦茶だ。
どう考えても相手にならない。格が違いすぎる。
要するに彼女が挑むというのは無駄死にする以外の何でもない。自殺に等しかった。
「命令なので仕方がない」
魔王軍海軍を束ねるロナは、一言で自分の死をばっさりと切って捨てた。
「時間を稼げというお達しだからね。私だって死にたくはないが、部下の手前戦わないわけにはいかないだろう」
彼女はそんなふうにこたえながら片手を服の中に入れ、何かゴソゴソとまさぐって取り出す。奇妙な形をした魔道具だった。よく磨かれた骨のような塊で、わずかに輝きを放っているようだが。一体何をするつもりなのか。
それに見とれている間に、周囲に魔物の気配が増えている。
魔王軍の海軍、その本体だ。何百、何千という悪魔がこの鉄橋都市の周辺に集まりつつある。ロナに率いられてやってきたに違いなかった。今までそんな気配はほぼなかったので、転送魔法でやってきたのだろう。
鉄橋都市は、転送魔法で移動するための要件を満たさないはずだ。ロナが何か強引に魔力を植えつけて、移動先に指定してしまったのかもしれない。また無茶苦茶な。
勇者たちがこれに気づかないはずはないから、もう本当にすぐ、戦闘が始まるのだろう。逃げるなら今しかない。
けれども、どうして。
どうして今、こんなにここに魔王軍が集まってきているのだろうか。
そうだ、何より人間たちが全く警戒していないのがおかしい。おかしくはないだろうか?
たった一日前まで、この鉄橋都市は普通に営まれていたというのに。そこに住んでいる人間たちだって全く戦争とは無縁なように、平時の生活を送っていたはずだ。
ロナたちが転送魔法でやってきたことは想定外にしても、全く油断しきっているとしかいいようがない。
となると、やはりあの私たちが停泊した小さな町、欠落都市。あれを防波堤としてみていたということなのだろうか。あそこが落ちない限り、自分たちもまた安全であると考えていたのかもしれない。それを見越したロナは、一挙に欠落都市を踏み潰し、ここまでやってきたということか。
他にもいくつか理由は考えられるが、とにかく鉄橋都市は油断しきっていて、何の対策もとられていなかった。
ここで魔王軍と勇者の戦いが始まってしまえば、住人たちは終わる。ほぼ全員、死ぬか、それよりもひどいことになるだろう。
別にそれは私たちに関係のある話ではないが、妙ではある。
勇者もアドラとの戦いの際、特段人間たちに配慮した様子もなかった。現住建築物を容赦なく破壊し、人間たちのことなどおかまいなしといったところだ。魔王軍だってそうだろうから、鉄橋の向こう側はともかく、こちら側の住人たちの運命は完全に決まってしまったといえる。
自分が守るべき人間たちに大して容赦のない勇者たちの態度は気になるが、その理由も今の私たちにはわからない。推察のしようもない。やや突飛な推理ならでるが、何の意味もない。
たとえば、住民全員が「人間」じゃないとか……。
「ロナさま、ここへは勇者たちの足止めに」
ブルータが魔道具を弄んでいるロナを見上げるが、彼女は生返事をするばかり。
「うん」
ロナも自分の力はわかっているので、「倒してやる」なんてことは言わない。「足止め」という言葉に同意しているようにみえる。そのくらいしかできないと考えているのだろう。いや足止めにもなるかどうか怪しい。
私たちはたったいまアドラの身体から取り出した魔道具を手にしたまま、彼女から目を離せないでいる。
「ロナさま」
彼女の周囲には次々とやってきた悪魔たちが従っていく。それは至極平然と行われ、人間たちの町であった鉄橋都市が魔王軍の色に染まる。壊れた民家から顔を出した鉄橋都市の住人がこれを目撃しているようだが、悲鳴の一つもあがらない。彼らは彼らで忙しいか、反応する余裕もないのだろう。
ただ、魔王軍は粛々とロナの周囲に集まり、その威容を見せつけていた。
「もしもお前たちがリンに会うことがあったら、『さようなら』と私が言っていたと伝えてくれ」
悪魔としては似つかわしくない、そんな伝言を残したかと思うとロナは魔道具を地面にたたきつけて壊してしまった。
一体何が、今どうなって、今何がおころうとしているのか。
私はそれを把握できないでいる。とにかく逃げなくてはならない。しかし周囲は魔王軍に取り囲まれており、騒ぎに気付いた勇者たちは間もなくここに戻ってくる。
逃げなくては。
そうだ逃げなくては! こんなことに付き合っていたら、命がいくつあっても足りない。
ロナの身体がぶるりと震えて、下半身が一挙に溶け落ちた。彼女はもう言葉を発さず、濁った瞳は何も映さないで、ずるずると不定形の塊と成り果てていく。
「よし、皆のもの突撃だ!」
そう叫んだのはフェリテと同じ種族の悪魔。人間型の身体に、背中から翼が生えている。彼は長剣の柄を引き伸ばしたような槍を掲げて、指示を飛ばした。
勇者たちのいるところが、どうやらすでにわかっているらしい。
魔王軍は「おおーっ!」と気合を入れてこたえる。それだけで地面が揺らぐように響いた。これで人間たちは完全に気圧され、家の中に閉じこもってしまう。家を壊されてしまった人は、それでも残った外壁の影に隠れてなんとかやりすごそうとしていた。
ああ、もしかしたら勇者たちはこういう事態を見越して、それで鉄橋を破壊したのかもしれない。橋の向こう側への進軍を少しでも遅らせるために。
「ロナさま……」
「お前たちは邪魔だ。早く行け」
フェリテと同族の男が私たちにそう促してきた。しかし、ブルータはロナが気になるのか足がとまっている。
溶けて不定形になったロナは、毒々しい色に変わりながらずるずると移動しているところだった。私たちには全く興味を失っているらしい。
「ロナさまはもう、知性を捨てられた。対話はあきらめるがいい。ここにいるとお前たちも戦闘に巻き込まれるが、それを望むのか?」
「えっ」
じゃあ、さっきロナが地面に叩きつけて壊してしまった魔道具。あれがもしかしてフォンハのいっていた「魔道心」。
確か、ロナは元々、シャンの実験失敗でできた邪悪な粘体生物だって言っていた。敵味方も区別もつかない彼女の心を落ち着かせている魔道具が、「魔道心」だって。
それをを壊してしまったということは、もう知性を捨てた。自我を捨てて、元の邪悪な生物に戻ったということだ。
「今は勇者の魔力をとりこもうとしているが、それが終われば我々とて彼女のエサだ。そうなりたいなら止めはしないが」
それだけいうと、彼は翼を広げて自分も勇者のところへ突撃していく。
ここにいてももう魔道具は手に入りそうにない。片割れだけでも手に入ったことを幸運に思うべきだろう、撤退するしかない。
ブルータもそういう結論に達したのか、くるりときびすを返した。すぐに逃げなければ危険だ。遠くから剣戟の音が聞こえ、次いで魔法による爆発音が届く。
もう、勇者と魔王軍の戦闘が始まってしまった。
私としてはいろいろなことが一度におこりすぎて、うまく整理しきれていないが。ここが危険だということは間違いない。行こう。
「待って……」
走り出そうとした矢先、小さな声が聞こえる。ブルータは振り返った。たぶん、人間の声で、聞き覚えのある声だったからだ。
か細い声の主は、既に倒れていた。アドラと勇者が戦ったときに破壊されてしまった民家の、瓦礫につぶされている。
細かい砂埃に覆われて見づらいが、重傷を負った女の子が必死に声を絞って助けを求めていた。あれは、確か酒場で働いていたウェイトレスだ。
「蜂蜜酒をすすめてきた子ね」
おすすめの蜂蜜酒は特に言うほどおいしいわけではなかったが、かわいい子だった。一生懸命やってるということがわかる。
「そうですね、連れて行きましょう」
ブルータが壊れた民家に向かう。ウェイトレスの女の子は下半身が瓦礫に埋もれてしまっている状態だ。助けて何になるのかはわからないが、見捨てることも躊躇われるということだろう。




