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暗殺の青  作者: zan
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22・五里霧中 後編

 勇者ラインは腰に下げていた剣を抜き放って、アドラの一撃を防御する。

 彼の持っている剣ならそのままアドラの身体を叩き切ってしまうことも可能と思われたが、そのようなことにはならなかった。ここからではよく見えないが、アドラも何か小さな武器を持っているのかもしれない。

 ラインは反撃を繰り出し、アドラもそれに応じる。互いの武器がぶつかり合った。

 無論ながらそれでラインの剣が折れるということもなく、アドラの武器が破壊されるということもない。二人の攻撃がぶつかり、相殺されるということがしばらく続く。

 が、数度打ち合っただけで敵の力を見切ったのか、ラインの動きが鋭さを増した。

 アドラはこれを受けきれず、後ろに下がろうとした。が、まさにその瞬間にラインの剣が魔力を放つ。これをアドラはまともにうけた。

「ぐっ!」

 さしものの彼女もたまらず、呻いた。クレナの攻撃をあれほど受けても大した反応をしなかったというのに、勇者ラインの攻撃をうけて呻いている。これはどうしたことだろうか。

「あの剣は」

 と、ブルータが何か呟く。

 ああ、そうだっけ。確か城塞都市に潜入したときにブルータもラインと戦ったのだ。ほんの少しだけ、だけれど。

「何かわかるの」

 私はアドラたちの動きから目をそらさないまま、問いかける。アドラは少しずつ劣勢に追い込まれているが、それでもどうやら短剣らしい武器を放さず、必死に勇者の攻撃をしのいでいる。

「あれは、恐ろしい剣です」

 ブルータが左肩のあたりを押さえて、こたえる。

 小悪魔レイティの記憶では、ブルータはあの剣で切りつけられて重傷を負っていた。それが思い出されたのかもしれない。惨劇としかいいようのない城塞都市での戦いは、四天王のホウやその腹心であるフェリテの助けがなければどうなっていたか。あの都市の戦いのあと私自身も彼女を治療したので、どのくらいひどい傷を負って帰ってきたのかは小悪魔レイティの記憶によるまでもなく、よく知っている。

 勇者ラインは、圧倒的な強さを誇る。その剣の恐ろしさもよくわかる。

「私だけでなく、フェリテさまも」

「ああ、そうね」

 そうだった。彼はフェリテとも戦っているのだ。槍を握ったフェリテと打ち合って、正面から打ち負かしている。そのとき、ただの一撃でフェリテの両腕を切断するということもしていた。

 あの一撃をうければアドラもおそらく生きていられないだろう。

「でも確か、あの剣をあなたは」

 私はふとそれを思い出し、口にしようとした。けれども、それよりも早く勇者ラインの剣がアドラを貫いた。

「ぐっ!」

 バキンと痛烈な金属音を残し、彼女の構えていた短剣が折れる。

 だが、それ以上剣は彼女の身体を害しなかった。貫かなかったのだ。

 半魔族の身体が、勇者ラインの剣を弾く。

「ああ」

 そうだ、ブルータも。あのとき、勇者の剣をブルータもナイフで受けて、折られた。そのまま右手も切られると思われたが、骨を切るまでには至らず、勇者の剣はそこで止まってしまったのである。

 どうしてこういうことがおこるのか、わからない。その後の戦いではフェリテの両腕を切り飛ばしているのだから、元々切れ味が悪かったということにはならない。それに、勇者ラインが手加減をしたという可能性もまずないだろう。

 よろめいたアドラに対し、治療を終えたクレナが指先を向けた。『地脈の呪文』が放たれるが、今までに見たよりもずっと凄まじい。他の誰が放ったそれより、威力があると思われた。下手をすると、四天王のリンが放った『至高の呪文』に匹敵する。

 再びアドラが吹っ飛ぶ。今度はさえぎるような民家が軒並み崩れているため、たたきつけられるようなものがない。彼女はまるで勢いよく虚空に放たれた矢のように飛んでいった。そのまま地面に落ちれば間違いなく五体がばらばらになってしまうだろう。

「飛んだな」

 ラインがあきれたようにクレナの顔を見る。折角の戦いに水を差されたのが気に入らないのかもしれない。

「あのくらいでくたばるタマじゃなさそうだから、平気でしょ」

 と、女勇者は悪びれる様子もなく笑う。

 彼らはのんきなものだが、アドラは放物線を描いて飛ぶ。地面に激突する寸前、その軌道がようやく変わった。魔力を地面にたたきつけ、強引に浮力を得たものと思われる。そのくらいは彼女ならするだろう。

「で、あいつはどうするわけ。殺すならさっさとしなよ」

 アドラがこちらへ戻ってくるが、その歩みはのろい。徒歩で、走ることすらしないでいる。その間にクレナとラインが何か相談を始めてしまった。

「本人がああいっているのだから、殺すしかないだろう。何か事情がありそうだが、構っている場合ではないからな」

「でもあんたに女が斬れるとは思えないけどね。これまで会った敵の女で、死んだ奴は一人もいない。青の暗殺者もそうだし、四天王のホウもそう」

「それはたまたまだ。戦争に男も女も関係あるか」

 ラインはもっともらしいことを言って、剣を少し下げる。

「本当にそうなの。ねえアドラ、どうせ聞こえているんでしょう。こいつには女を斬れないって思わない? いままで一人だって女を斬ったことなんてないくせに」

 クレナは敵であるアドラに意見を求めだした。何を考えているのやら。

 しかし問われたほうも心得たもので、アドラは歩みを止めて、軽く首を振った。

「勇者の剣は迷いがない。私を殺すつもりなのだろう」

 見事にクレナの意見は否定されてしまう。折角敵がこたえてくれたというのに、反対意見だったわけだ。

 しかしながら、それでクレナはとまらなかった。

「いいえ、こいつは斬れない。あんたは知らないだろうけれど、勇者って称号は簡単につけられたものじゃない。重みがある」

「何を話している」

 勇者ラインは、戸惑っている。味方がぺらぺらと情報をもらしはじめたのだから当然の反応だろう。私だって驚きだ。

 しかし咎められてもクレナは言葉をとめなかった。

「あんたがどうして女を斬れないと私が思っているのか、その根拠を示そうというんじゃないか。それが嫌だというなら走っていって、さっさとあいつを叩き切ればいいじゃない。そうしないってことは、あんたが私のいう通りだってことでしょ。四天王の半分は女だっていのに、これからどうする気でいるんだか後でゆっくり聞きたいものね」

「特に問題ない。敵なら倒すだけだ」

 ラインの主張は、しかしクレナにはハイハイと受け流され、さらなる情報が漏洩される。

「アドラ、どうしてこの子が最有力の勇者と見られているのか、興味があるでしょう。どうしてそこまで人々の期待を集めたのか、知りたいと思うでしょう」

 ああ、それは確かに少し興味がある。しかしなぜクレナはそんなことを話しているのだろうか。

 身の上話なんて、なんの意味もない。その場限りの嘘をついて、同情を引こうというのでなければ、だけれど。

 私と同じように考えたのか、ブルータも特に話を聞こうとしていない。単に、アドラと勇者二人の動きに注意を払っている。

 しかしクレナは勝手に話を始めてしまった。

「こいつは元々、ただの盗掘者。遺跡荒らしで生計をたててたやつよ。そんなんが艦隊を一人で滅ぼすんだから、信じられない」

 つらつらと見てきたように話を始めてしまう女勇者のクレナだが、ラインはアドラを見ているばかりでこの話に関心を寄せない。これでは真実なのか虚言なのかわからないが。

「人間の遺跡ばかりでなく魔族の遺跡にまで立ち入って、墓所を散々に踏み荒らしてきた悪人。勇者さまなんて呼ばれている男の素性なんてこんなものなんだけど、だからこそ。そんな悪人につけられた称号の意味を、あんたは知っているのかしら」

 何やら語りだしたクレナだが、その言葉は意外にも聴く価値のありそうなものだった。。

 確かに、勇者という称号はひどく重いものだ。それがあるかどうかで、人の印象は大きく変わる。これまで、魔王軍が勝手に勇者として認定し、暗殺対象にした人物は何人かあった。だが、『勇者』と人間側から認められていたのはラインとクレナだけだ。

 他の暗殺対象、精霊使いのバロックや砂漠都市のタゼルとラインは何が違うのだろうか。

 ラインが勇者である理由とはなんなのか。期待の魔法だけで説明がつかいことが多いが、クレナはその疑問にこたえてくれるのだろうか。

「みんなはただ、魔物たちを倒すために戦っている。それぞれ目的はあるでしょうけど、ただ危険を冒して戦っているだけにすぎないでしょ。でも私たちは違う、戦うためにすでに犠牲を払っている。それと、今後も犠牲を払わなきゃいけない。こういうことが、あなたに理解できるのかな」

「犠牲?」

 アドラが動きを止めた。彼女は足を止めて、クレナに目を向ける。どうやら彼女にとってもクレナの話は興味深いものであるらしい。

「そうね、例えば命。私たちはたとえ魔王を倒したとしても、そのあと数年しか生きていられないということがわかっている。そのくらいの代償を既に払っている」

「そんなことを話して何になる」

「まあまあ、知っておいて損はないじゃない。私たちだってこういうことを知っておいてもらいたいんだし。だってせっかく犠牲を払ったのに誰にもそれを言わないでかっこよく死んでいくなんて、何にもならない。愚民たちにはもっと私たちに感謝して欲しいってこと」

「知ったことじゃないんだけど。勝手に言いふらせばいい」

 そっけなくアドラは突き放したが、その言葉を待っていたとばかりにクレナが口元を吊り上げる。

「誰も信じないから言ってる。私たちだって正直なところ信じたくはないけど、信じなきゃいけないから。私たちは、約束されてる。死の運命と、苦難、苦痛、恥辱、没落、そういう暗いものを」

「ではなんのためにあなたたちは戦っているというのか」

 少し簡単な治癒魔法を使いながら、アドラはクレナに質問する。確かにそのあたりは気になるが、彼女はそうしながらも勇者から目線を切らない。全く油断はしていなかった。

 だからこそ、勇者ラインも攻め込まなかった。その場で剣を構えたままだ。

 状況を見ながら、クレナは薄く笑って質問に答える。

「正直なところ、それは難しい質問だけど。はっきり言うと何のためになんて、ない。だって、何にも残らないからね。もしもこの約束された運命が真に私たちの身にふりかかるのなら、魔王と戦って勝ったとしても、それで築ける地位も名誉も全て裏切りによって崩される。私たちは守ったはずの人間から迫害され、恥辱をうけ、数年のうちに没するなんて、そういう運命を誰が受け入れられるというのかしら」

 芝居がかった調子で、クレナは肩をすくめてみせた。

 なんというか、そんな運命を彼女はどこで見たのだろうか。未来を予見する魔法でもあったのか。いや、フォンハの死相のような、何かそういう特別な。

 と、そこまで考えて私は思い出した。そうだ、そういう人物が確かにいた。広陵都市の、ラビル司祭だ。

 勇者ラインはあのとき、「司祭に予言されたのでここで待っていた」と、確かそう言ったのだ。彼がどういう具合でそのような予言が可能だったのかはもはや知りうる術がないが、人間たちにそういう技術があるとすれば、クレナの言っていることもまるっきりの嘘だと断言することはできない。

「勇者っていうのも大変なもの、勝手に期待をかけられて、ちょっと近くを通りすがるだけでもう自分たちを守ってくれるものと頼られる。身勝手にね。それでも、私たちは逃げ出せないし、引き返せない。戦うしかない」

 笑ったまま、クレナはそう言葉を続ける。

 なるほどそういう勇者の苦労は確かにあるだろう、と私は思ったが、まだ彼女はアドラの質問に答えていない。

「で、勇者はそうまでして何のために魔王軍を滅ぼそうというの」

 そのためか、アドラが同じ質問を繰り返す。これに、クレナは簡潔な答えを返した。

「殺すために」

「何?」

 初めてアドラの瞳が揺らぐ。彼女にとっては、理解できない答えだったのかもしれない。

 即座に、勇者ラインが地を蹴って飛びかかった。全く申し分のない攻撃だ。アドラもこれに気づいて応じたが、一瞬の隙を突かれたというのは変わらない。二人の間にはかなりの距離があったが、たちまちその間合いは詰められ、ラインの剣がアドラをとらえる。

 ばきりと何か折れるような音が響いて、アドラの身体が真っ二つになった。

「あっ」

 彼女は一瞬、二つに分かれた自分の身体を見下ろす。それから血を吐き、動きを止めた。

 勇者ラインの剣が、アドラを倒したのだ。魔法の防御に関しては理解不能なレベルに達していたアドラも、勇者の剣術の前には屈したということらしい。

 これで魔道具の手がかりは失われてしまった。

「なんてこと、あんなにあっけなくアドラが倒されるなんて」

 別に味方というわけでもなかったが、私はショックをうけている。彼女はかなりの強さを見せていたし、勇者に手傷くらいは追わせるものと考えていたのだが。クレナの傷もいまやほぼ全快している有様で、苦戦ともいえないだろう。

「口の上手いやつだ」

 と、剣をぬぐいながらラインが呟く。クレナはこれに応じて、

「まるきりの作り話でもないでしょう。期待の魔法のせいで私たちに残された時間は少ない。身勝手に期待を寄せて、勝手に落胆して離れていく奴らのお守りなんかうんざりだって、そう言いたい気持ちもないことは、ないんじゃない?」

 などとこたえる。

 期待の魔法のせいで。確かにクレナはそう言ったのだ。私もこの期待の魔法というものについては深く知らない。レイティの記憶の中で盗み聞いたこと以上のことはわからないのだ。

 けれども今のクレナの言い方では、利益ばかりを生むものではないらしい。かけられた者の寿命を削るような効果まであるのだろうか。

「どっちにしたって、私たちがやることは変わらない。ただ、魔王軍を殺すだけ。目的を果たすだけ。そうでしょう」

「おっしゃるとおりだな。いくら気に入らない連中がいるといっても、無辜の民が犠牲になっていることには違いない。さっさとこのつまらない争いを終わらせる」

 彼らはアドラの死を確かめた後、すぐさま鉄橋の方へ歩いていってしまった。半魔族のアドラは持ち物をあさられるようなこともなく、死体を放置されたままだ。

 鉄橋は既に落ちている。彼ら自身の魔法で破壊されたはずだが、それ以上何をするのかといえば、こたえは一つしかない。魔道具の捜索だろう。

「勇者たちは鉄橋のあたりを探すようですね」

 ブルータが冷徹な声でちいさくささやいた。勇者たちの事情などが垣間見えて、同じ半魔族であるアドラがあっけなく殺されたというのに、そういうところを全て無視して、本来の目的を思い出させる声だった。

 確かに、ブルータにとってはそのあたりも重要でないのかもしれない。母親に会うことだけが目的なのだ。そのために結界を突破するため、魔道具を手に入れる必要がある。

「アドラが身に着けているか、彼女の身体の一部が魔道具であるという可能性を考えれば、彼女の死体を調べないという選択肢はありません」

「ああ、うん。そうね」

 なるほど、おっしゃるとおり。そうか、アドラは魔道具を持ち出されることを極端に恐れていたが、この鉄橋都市自体はどうでもよさそうだった。さらにいえば鉄橋を破壊されてもあまり動じていなかった。

 となると、アドラは私たちよりはるか以前にこの鉄橋都市にやってきて、かの魔道具を手に入れていたと考えるのが自然だろう。であるなら、ブルータのいうように彼女が持っている可能性が高い。もっとも、なぜこの都市からさっさと逃げ出さなかったのかはわからないが。

「今のうちに、アドラの身体を調べましょう」

「危険だわ」

 私は出て行きたそうなブルータをとめる。

 今は勇者が二人でパーティを組んでいる状態だ。これは、魔王軍が必死になって回避しようとしていた事態なのである。とても危険なのだ。間違いなく、ブルータが一人でなんとかできるものではない。

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