2・暗殺指令 中編
走り出したブルータを彼らは追いかけてきた。逃げられてしまうかもしれない、と思ったのか。しかしながらその焦りが、地面に撒かれた魔力を見落とすことに繋がったようだ。
先頭を走っていた一人はまるで気付く様子もなく、ブルータの『地臥の魔法』に突っ込む。瞬間、ブルータが地面に撒いた魔力は爆発的に膨れ上がり、彼を直撃した。先程の男に打ち込んだ魔力とは違っている。低音・氷結の魔法ではない。精神・暗黒の魔法だった。確かに対象から温度を奪うことが主軸となっている低温・氷結の呪文では『抹消指令』には向かない。ブルータの選択は正しいといえるだろう。
黒色の魔力はあっけなく、追っ手の一人を包み込んだ。結果、彼は吹き飛んだ。文字通り、勢いよく飛んでいった。そのまま虚空に消えた。
ブルータの魔法は、彼を消した。少なくともこの砂漠都市から消したといえる。
建物よりも、街の外壁よりもはるかに高い位置に飛ばされた彼は、そのまま何の手立てもなくやがて重力に引かれて落下し、地面に激突するだろう。この街の外で、だ。
なるほど効率的な消し方だ。俺は確かに抹消しろ、と言った。しかし死体を骨も残さず消し飛ばす魔法を使えとは言っていない。ブルータは魔力をできるだけ損耗しないやり方を選んだのだろう。
俺がそのようなことを考えている間にも、ブルータは行動を続けていた。魔力を放ち、残った二人をも一挙に片付けたのだ。
吹き飛ばした一人に、残った二人が気を取られている隙を突いたといえる。仲間が突如として地面から吹き上がった魔力に吹き飛ばされ、空の果てに浮いていった。それを心配したのか、あるいはあまりのことにすくんでしまったのか、いずれにせよ彼らは動けない。そうした一瞬を見逃さなかったのか、あるいは最初から狙っていたのか。ブルータは溜めていた魔力を放出した。
残った二人も、吹き飛ぶ。ブルータが放った魔法は、対象を転移させるものだ。彼らは空のかなたに転送され、最初に吹き飛ばされた一人と運命を共にすることとなったのだ。つまり、『地臥の魔法』から発動した黒色の魔力で吹き飛んだ一名の戦士のもとへ、残った二人を送り届けてやった。もちろん、その後は同じ場所へ着地することになるだろう。その衝撃で確実な死を迎えることも間違いない。あっけなかった。確かに、ブルータはこの砂漠都市から追っ手の三人を消し去った。
《抹消指令、完了しました》
幻術などではなく、確かに追っ手が消え去ったことを確認し、ブルータがそう伝えてくる。俺はそれに対して何も答えず、さっさとタゼルがいると思われる場所へ移動するように命令した。それに従って、彼女は歩き出す。
裏通りのぼろ屋、と店主が言っていたとおり。表通りから入ったところに、見るからに汚いあばら家が建っている。外からでも数々の本が外に吹きさらしにされているのが見える。知識人として通っているのならもう少し書物を大切にしてもいいのではないかと俺は思う。俺でさえそう思うのだから、常識的な思考の人間たちなら尚更眉をひそめるのではないだろうか。
ともかく、ここにタゼルがいるらしい。俺はやつの顔など知らないが、とにかく乗り込んでみるとしよう。俺はブルータにあばら家の中に入るように命じた。
ブルータは扉らしきところを叩いた。律儀であるが、暗殺指令を背負っているものの行動ではないだろう。しかし叩いてしまったのだから反応があるかとしばらく待ってみる、が、返答はない。留守だと判断したのか、取っ手らしいところを持って、引き戸らしいそれをブルータが開いた。扉は開いた。まるで長年開いていなかったようにざりざりと埃や扉自身の細かな破片を撒き散らし、軋んでいたが、本格的に壊れる気遣いはなさそうだ。施錠はされていなかったらしい。入り口は開いた。
中には明かりがついている。誰かが座って、本を読んでいるようだ。
扉が開いたことに気づいたのか、その人物は振り返った。髪が白く、長く伸ばされている。俺はそれを見て老人かと思ったのだが、こちらを見た顔は若かった。三十代にもなっていないのではないかと思う。賢者と呼ばれるにしてはあまりにも、若い。男だ。柔らかな印象の、つまり優男だ。
「あなたがタゼル、賢者と呼ばれている人物でしょうか」
ブルータは挨拶も何もなく、確認する。白髪頭の優男は口元に笑いさえ浮かべて、その問いに答えもしない。かわりに俺たちに問いかけてくる。
「お前たち、俺を殺しに来たな」
「あなたがタゼルなら、そのとおりということになります」
「まあそう焦るな。こんな男の命ひとつとるのに、一分一秒も時間が惜しいってことはないだろう。やりあう前に、話でもしてみないか」
笑いを消さない。白髪頭はあばら家の床に散らばる書物を適当に足や手で払いのけ、ブルータが座るだけの空間を作った。促されて、ブルータはそこに座る。罠ではないのかと俺は疑うのだが、ブルータは素直である。
「あなたを殺すように命令を受けています。話をしても、私の一存でその命令を拒否することはできません」
「そうか、お前は確かにタゼルを殺すように命令されたんだな。そしてその命令はお前にとって至上のものなんだな、お前の、他の何よりも」
「そうです」
ブルータは頷いた。シャンによって完全に支配されているブルータにとって、リンから与えられたタゼル抹殺の指令は絶対的なものだ。俺の命令と同じ、逆らうことなど考えることさえできない。
「見たところ、あんたは人間じゃないな。だが、お前さん自身はどうなんだ。俺を殺すことに賛成なのか。それともただ、命令だから殺すのか」
「私は、あなたがどういう人間であるかさえ知りません」
「それじゃ、ただの手ごまだな。あんたに命令したのが誰かは知らないが、お前はそれが命令だからと何にも知らずにただ実行するっていうのか。命令ならなんでも、盲目的にやるっていうのなら、お前自身の意思はどこにあるんだ」
「そのようなものは、必要ありません」
俺は笑いを浮かべた。そのとおりだからだ。タゼルらしいこの白髪頭はブルータ自身の思考から自我を刺激して、この暗殺を思いとどまらせようと考えているようだが、人形であるブルータにとってはそのような問答はまるで無意味である。この会話のすれ違いは、俺からすれば失笑もの。
しかし、いつまでも時間を無駄にしているわけにはいかない。
「これ以上は、無駄かね」
相手も同じことを思ったらしく、嘆息とともにそのような台詞を吐いた。と、同時に飛び上がるようにして立ち上がり、ブルータを強く指差した。会話の最中からすでに魔力を集めていたらしい。相手が行使した魔法は、『地脈の魔法』だ。地霊の魔力をそのまま、純粋な衝撃に変換して対象に叩き込む上級魔法。範囲こそ狭いが、威力は折り紙つきだ。
ブルータは防御障壁の魔法を練り上げてこれを防ごうとしたが、その衝撃を殺しきることができない。障壁を破壊されることはなかったが、ブルータの体は魔法の威力に押されて吹き飛んだ。もちろん、俺ごとだ。下手にブルータが倒れたら、は彼女の体に押しつぶされてしまう。
あばら家の壁に叩きつけられる。壁は薄かったので、突き抜けてしまった。外の地面にブルータの体が叩きつけられた。仰向けに倒れたおかげで、俺は特に被害を受けなかった。同じ目に遭ってはたまらないので、俺はブルータの服から這い出し、戦いに巻き込まれるのを避ける。
闇の中に潜むのは、俺の得意技だ。ブルータの服から出たところはタゼルにもわかるまい。それどころか、俺の存在に奴が気づいているかどうかさえ、微妙なところだ。いくら奴が賢者と呼ばれているとしても、俺は思念会話さえ奴の前ではしていない。
あとは魔法使いどもに任せる。俺は、その隙を突いて背後から奴を仕留めてしまえ。
ブルータは戦闘を継続。立ち上がって魔力を溜めていく。両腕に溜められた魔力が光を放ち、闇の中に彼女の姿を浮かび上がらせた。ローブ一枚の簡素な姿が、暗殺者としての風格を一応は漂わせている。暗色の、装飾のない姿。フードから漏れている黄金色の髪が、わずかに揺れる。青白く両手が発光する。腰を落として、ブルータはタゼルの家を横からなぎ払った。その先から魔力が突き出ている。
『幻影剣の呪文』だ。木製のあばら家は真っ二つに折れた。木々は伐採されて木材となったあとも呼吸を続けている。ゆえに、生きていて、『幻影剣の呪文』で切断される。現に、ほとんど朽ちかけていたこのあばら家でさえも両断されたのだ。横半分に真っ二つになり、基礎から固定されなくなった上半分が砕け落ち、降り注ぐ。もし、タゼルが立ち上がっていたのならこれで奴は絶命したはずだ。降り注ぐ破片を待つまでもなく、今の一撃で腰から真っ二つになったはずだからだ。俺の奇襲など無用になったかもしれない。
しかし残念ながら、すぐにその懸念は消された。原形をとどめなくなったあばら家から強引に、タゼルが起き上がってきたからだ。それも、大した損害などなかったという平然とした顔でだ。家ごと押しつぶしにくるという攻撃を読んでいたのかもしれない。
「大した力だが、それをただ暗殺のためにだけ使うのか?」
タゼルは問いかけてくる。ブルータは答えない。相手の攻撃に備えて、防御魔法を使うために魔力を溜めている。
しかしながら、タゼルは攻撃を仕掛けてこない。十分な量の魔力を溜めていることは明白であるのに、それを放出する様子もなく、ただ歩いてブルータに接近してきている。まさか、接近戦をしようというのか。ブルータは、ハーフダークだ。近接戦闘を専門に学んだ人間で、ようやくまともに相手ができるというほどの圧倒的な身体能力をもっているのだ。
そこに挑むのか? 白髪頭の、この優男がそれほどの技量を持っているというのだろうか。
「答えることができないのなら、それはお前に信念がないということだ」
タゼルが近づいてくる。ブルータは闇の中でそれを迎える。タゼルは何か秘策をもっているらしい、そうでなければこのように無防備に接近してくることはありえない。その秘策というのが何かはわからないが、それを迎えるブルータに、当然ながら恐怖はない。もともとそのようなものを感じるだけのものがない。心など、壊されているのだから。つまり、タゼルのいう信念など存在しようはずもなかった。だが、そんなことは関係がない。
俺が、タゼルを討つのだから。
「信念なき者に、この俺は討てん。この俺には、すべきことがあるのだからな」
「そのようなことには、興味がありません」
ブルータは、武器らしいものを持っていない。様々なことに使える、軍用の小刀は隠し持っているが武器とするには小さい。やはり、奴の武器は魔法なのだ。しかし一方でタゼルもまるで武器らしきものを持っていなかった。まさか、ハーフダークと相対するのに徒手空拳か。
そう思っていると、タゼルは両拳に魔力を集めた。白く光り輝く、強烈に溜められた魔力が奴の拳を覆っている。魔力が、奴の力を増加させるというのだろうか。
「手加減などできない。命乞いをするのなら、今のうちだぞ暗殺者」
「私はただ、命令を遂行するだけです。成功するか、失敗するかは知るところではありません」
降伏勧告をあっさりとはねつけて、ブルータは動かない。タゼルを見ている。
タゼルは、格闘を専門としているようだ。先ほどの『地脈の魔法』は上級魔法であり、人間が習得するには相当な時間を魔法の習熟にあてる必要があると思われるが、そうして培われた魔法技術をおそらく、自らの筋力や敏捷性の強化に用いるのだ。魔法で自分自身を強化して相手を殴りつぶす、そうした戦闘スタイルなのだろう。
だが、ブルータとて格闘技術が不得手とはいえ、ハーフダークとして生まれ持った強靭な肉体がある。成熟しきってはいないが、人間とは比較にならないほど肉体は強い。しかもブルータも自らの身体能力を強化するだけの魔法は心得ているはず、と考えたところですぐに思い出した。最初に会った日に、身体能力を強化する魔法は習得していないとブルータ自身の口から聞いたのだ。しかし、それでも恐らくは単純な接近戦闘となっても、すぐにやられてしまうような無様なことにはならないだろう。
「いくぞ」
タゼルがかかった。瓦礫に覆われた地面を蹴りつけ、闇の中で待ち受けるブルータをひねりつぶそうと迫る。ブルータはその攻撃を後ろに下がって避けたが、タゼルは追撃にかかる。初撃よりも、追撃のほうが速い。その速度差に幻惑されたらしいブルータは追撃の拳を受けた。
衝撃にひるんだブルータに対して、さらなる攻撃を見舞おうとタゼルは踏み込みをかける。しかしブルータも黙ってはいない。防御障壁の魔法をすぐさま練り上げ、タゼルの攻撃を防いだ。防いだと同時に、『低温の魔法』を練り上げ、接近戦にこだわるタゼルを凍りつかせようとする。賢い戦法だといえる。
しかし、タゼルは凍りつかなかった。魔法が効いていない。
まさか、魔力の干渉の一切を断つ『魔力遮断の魔法』でも使っているのか。だが、その場合は『魔力遮断の魔法』の使用者自身も魔法を使うことができなくなるはずだ。しかしながら、事実ブルータの放つ『低温の魔法』は全くといっていいほどタゼルに影響を与えていない。
ということは、タゼルはよほど魔法に関する防御が高いということになる。高度で強力な『魔法障壁の呪文』でも使えるのか、それとも低温に強い精霊と契約でもしているのか。
考えている間に、ブルータは殴られ放題だった。顔を隠していたフードはとうに剥がれ、魔族の象徴たる角を外気にさらしている。俺がそれを視認した次の瞬間、何度目かの打撃を受けて、ブルータは血反吐を吐きながら倒れこんだ。
ハーフダークであるブルータを殴って倒すとは、タゼルは人間と思えない実力であるらしい。なるほど、こりゃ暗殺して来いと言われるはずだ。リンはタゼルの実力の程は知らないと言っていたが、それが本当かどうかは実にあやしい。
膝を震わせながらも、ブルータは立ち上がる。奴は、命令を遂行するだけだ。タゼルを殺すために、立ち上がる。
「おっと」
それを見たタゼルは、素早く下がった。接近戦闘の最中に、どさくさに紛れて幻影剣の呪文を使われることを警戒しているのかもしれない。低温の魔法が効かないほど魔法への対策ができているようだが、幻影剣の呪文ならそのような対策など全て貫き、相手の身体を両断することが出来る。
しかし、距離をとることで幻影剣の呪文から逃れられると思っているのならそれは間違いだ。ブルータの振るう幻影剣の射程は長大である。先程、あばら家を切断したときに使っているが、あれでもまだ、本気ではない。
「おおよそ、魔力の調節の仕方がわかりました」
ブルータはそんな台詞を言い放って、両腕の魔力を魔法へ変換していく。何かのコツをつかんだということだろうか。
しかし、俺が見る限りではその魔法は奴が使えないと言っていた『身体強化の魔法』だ。反射神経を鋭敏にし、全身の筋肉、骨格に強靭な力を与える補助魔法である。
「まさか、俺の魔法を見て覚えたのか?」
「見よう見まねです」
タゼルの驚きに、ブルータは平然と答えた。
「馬鹿な」
俺も同じことを思う。タゼルは口元をゆがめている。
「魔法とは、そのように単純なものではない」
「簡単にこのようなことをしたのでは、ありません」
「戯言を」
自分の術を盗まれたのが癪に障ったのか、タゼルが突進をかけてきた。しかし、ブルータはその彼の突進にも機敏に反応して迎え撃った。強化魔法が効いている。既に、効力を発揮していた。
タゼルの突きを、ブルータは素早く払う。同時に攻撃を仕掛け、敵の顔面をとらえた。強く打たれた敵はひるみ、ぐらりと揺れ動く。さらなる追撃が可能だった。今こそ幻影剣の魔法で一挙に勝負をつけるべきだと思えたが、蓄えていた魔力ではそれをするに足りないらしく、ブルータは『凍結矢の呪文』を放つ。魔力で作られた矢を放ち、攻撃する中級魔法だ。
だが、これも『低温の魔法』と同様にあまり効果を発揮しなかった。
タゼルはつまり、魔法防御力が極めて高い状態にある。そうした魔法を使っているのだ。俺が詳細に観察した限り、やはりおそらくは、『魔法障壁の呪文』を使っている。これはブルータが使用する『防御障壁の呪文』と似通った性質を持つ魔法だ。しかし、『魔法障壁の呪文』は『防御障壁の呪文』よりも魔力を使用した攻撃を防ぐことに向いている。高い魔法防御力はこの魔法によって生み出されているものと考えられる。
しかし、『魔法障壁の呪文』とて無敵ではない。強力な魔法で攻撃をすることで、相手の力量にもよるが、突き破ることが可能だ。『低温の魔法』や『凍結矢の呪文』が防がれたのは、これらの魔法の威力がそれほど高くないせいだと考えられる。
ブルータは、もっと強力な魔法を撃たねばならなかった。そうしなければ、タゼルの魔法障壁を貫くことができない。