20・求不得苦 後編
魔法使いのルイは、戦うと言っている。中級悪魔のユイと戦うと言っている。
彼女は自分で名乗ったとおり、未だ魔王軍陸軍総司令リン直属の暗殺部隊である。仲間のはずだ。
四天王のガイによって破壊され、人形同然となったはずのルイがまさか、復活しているのだろうか。完全に自分というものを取り戻して、魔王軍と決別するつもりでいるのかもしれない。
あるいはひょっとして、友人となったブルータのために戦おうとしているということ。
しかし再度洗脳されたルイがブルータを騙まし討ちするために芝居を打っているという可能性も否定できない。そうだとしたら、危険だ。ブルータはルイを全面的に信用している。不意打ちをくらって、私たちの旅はここで終わる。
「ちっ、面倒くせえ」
ユイがそんなことを言いながらルイを指差した。そこからたちどころに衝撃波が飛び出し、ルイを吹き飛ばそうとする。なんの魔法かはわからないが、おそらく簡単な下級魔法だろう。
間一髪でルイがそれを回避し、こちらも魔力を溜め始める。大地・土砂系の魔法だと思われるが、何を使うつもりなのかはわからない。
二人の戦いからは手加減、あるいはお芝居といった気配が感じられない。どうやら、本気で殺し合いをしているようである。となれば、ルイはやはり本当にブルータを助けるためにここにやってきてくれたのだろう。
味方が増えたのは嬉しいことだが、ユイに勝つことはできるのだろうか。
《ルメル。彼女が来たのなら、この相手はどうにかなります》
《どうするの》
ブルータは何か考えがあるようだが、私にはわからない。彼女は魔力を溜めながらルイとアイコンタクト。
これを見てか、ユイが素早い動作でルイに攻めかかる。しかし軽く飛びのいたルイはその攻撃をかわす。
「ちっ」
舌打ちをしながら、ユイが左手を振り回す。いつの間にかその手には長剣が握られている。どこから取り出したのかは不明だ。しかしルイは既に彼女の攻撃が届くような範囲にいない。
だがユイは鋭く地面を蹴りつけて、さらに剣を伸ばした。その切っ先がルイを脅かす。
ルイは元々からして魔法使いである。洗脳を受けたとはいえその戦闘技術は近接戦闘に向いているとはいえない、はずだ。私はまずいと感じて、何か手助けしようと考えたが無理だった。ユイの長剣はルイの胸元に吸い込まれていく。
しかし剣はルイに届かない。さすがにルイの防御障壁は並みの堅さではなかったようだ。幻影剣なら貫通していただろうが、ユイが持っているのは実体のある剣である。名の知られた剣のようだが、通用していない。
軽くステップを踏んだルイは、そこからさらに地面を蹴って浮き上がっていた。ふわりと、自分の身長よりも高く飛んだ彼女は大木の枝の上に立つ。勿論彼女自身の身体能力によるものではない。魔力と精霊の力を借りた結果だ。
これに苛立ったのか、ユイが両腕を構えてルイに向ける。強力な魔法を放つつもりなのだろう。飛び出した呪文は『黒矢の呪文』だ。それも、左右の手から同時に二発飛んだ。
「たっ……」
私は何か言おうとして、驚愕のあまりにその続きがいえなかった。同時に二つ以上の魔法を練るなんてことは、四天王のリンだけの専売特許だと思っていたからである。もっとも彼女の場合は三発同時に撃つわけだから、ユイが二つ撃ったくらいは不思議なことではない。それでも。それでも普通は到底無理なことなのだ。まず第一にどうやっているのかわからない。
私だって自分自身の戦闘能力を向上させようとして、なんとかリンの束ね撃ちを真似できないかと考えたことはある。が、どう理屈をひねっても、複数の魔法を同時に練り上げられる結論に至らない。ホウの使っている『先鋭化』のほうがずっと簡単に思えてしまうくらいだった。実際は『束ね撃ち』にしても『先鋭化』にしても常人には到底不可能な技術にちがいないのだが。
いずれにしても、同時に二発撃てるユイは只者ではない。そしてこんな手を残しているとはルイも想像だにしていないはずだった。
上級魔法である『黒矢の呪文』を二発同時に。さしもののルイもこれにはたまらなかった。
「つぅっ!」
障壁魔法が一撃で剥ぎ取られ、もう一撃がルイを直接穿つ。鮮血がその場に弾けとび、彼女は背後に吹き飛んだ。
「ルイ!」
咄嗟に彼女の名を呼んでしまったが、返事はない。
まさか上級魔法を同時に二発撃てるとは思わなかった。いや、『暗黒の魔法』を平気で使っていたことから考えてそのくらいの実力があるとみなすべきだったのかもしれない。
「このくらいは丁度いいハンデかもしれねえな」
余裕を取り戻したのか、ユイがそんなことを言って笑った。私は彼女の態度に、ガイに似たものを感じた。どうやら彼女は私とブルータ、ルイをまとめて倒すつもりでいるらしい。そのくらいは実力に差があると思っているのだろう。
「すぐに、相手は一人になることだしよ」
言いながら両手を軽く振る。空中に赤く傷がつき、魔法の矢弾が飛んできた。『炸裂の呪文』だ。見ている余裕はないが、ユイは両手を振っていたから恐らくルイにも攻撃を仕掛けているのだろう。
慌てたブルータが魔法障壁を張るが、これが一撃しか防ぎ得ないことはわかっている。同じ轍を踏むわけにはいかないので、どうにか回避しなければ。これが完全に私たちを狙った魔法ならば回避も相当難しかっただろうが、どうやら前回と同じような動きしかしてこない。最初の一発は上から、次は左側の地面、次に正面、それから左側だ。
私にわかるくらいなので、ブルータも把握している。必死に動いて、『炸裂の呪文』を回避した。しかしルイの方はこれほどうまくは避けられなかったらしい。何発かまともに食らってしまい、地面に膝をついている有様だった。これはいけない。私はブルータが回避している間に魔力を集めて、そのまま彼女に渡してやった。魔力を受け取ったブルータはボロボロの身体で無理をして、『炸裂の呪文』を放つ。ユイを足止めするためだ。
こうしなければユイが即座に幻影剣の呪文でルイを殺してしまうことが目に見えている。
闇の中に赤く輝く光の矢弾が乱れ飛び、樹木をなぎ倒した。妖精としては悲しむべきところだが、そのようなことを考えている余裕もない。無理を押して戦っているブルータがよろめき、近くに立っていた細い木に手をついた。元々回復しきっていないところに戦闘をして、連続で大きな魔法をたくさん使ってしまったからだ。
しかしながら、ここで休んでいていいわけがない。
「ブルータ、しっかり」
私は声に出して、彼女を励ます。どうにか立ち直ってもらわなければならない。ユイがあれくらいで死ぬとは到底思えなかった。
「わかっています」
顔を上げたブルータが、前方をきつく睨む。予想通りというか、そこへユイが突進をかけてきた。
『炸裂の呪文』を食らいながらも強引にこちらへ突っ込んできたらしい。常軌を逸した行動だ。しかも、彼女の場合はそれで正解なのだろう。今度もやはり、『幻影剣の呪文』をこちらに向けて突きこんできていた。振り下ろす攻撃で失敗したことを反省したのか、今度は槍のように突きこむ姿勢である。
これは、防御できない。回避するしかないが、その時間がない。咄嗟の判断でブルータが背後に飛びのく。ほとんど倒れこむような勢いだ。
直線的に突きこまれてきたユイの幻影剣はわずかにブルータの額をかすめたが、それだけだ。どうにか回避に成功したらしい。
私は『突風の呪文』を放ってユイを押し戻そうとしてみたのだが、これがほとんど通じていない。やはりバランスを崩してもおらず、こちらに突き進んでいるような状況では軽く跳ね除けられてしまうのだろう。むしろ、こんな相手に通用していたのが奇跡かもしれない。
「うらっ!」
幻影剣を避けるために体勢を崩しているブルータに、ユイが蹴りを見舞う。避けられるはずもなく、私たちはあっけなく蹴り上げられて宙を舞った。
その拍子にポケットから落ちてしまう。周囲の木々は魔法で薙ぎ払われて圧し折れ、めいめいに身勝手な方向へ倒れこもうとしていた。しかしそうしたものをなんとも思わないのか、ユイは吹っ飛んだブルータに近づいていく。トドメをさすつもりだろう。
「ま、待って。待って、ユイ」
時間を稼がなければと考えた私は、彼女に話しかけた。必死な声を絞ったはずだが、彼女はちらりとこちらを見ただけで何も言わない。
だめだ。ガイのように自信家で、話したがりの性格ならここで会話ができただろうが、そうではないのだ。目的のために手早い手段をとるということしか、彼女の頭にはないのだろう。
ならば、何かするしかない。今の私にできそうなことは。何かないかと見回した私の目に、ハティとイーファ。
盗賊のハティは昏倒したままで、イーファはそれを回復させようと尽力しているようだ。そのために彼らは全くこちらの状況を見れていない。警戒のけの字もないような有様である。
いただきだ。こういう泥棒のような真似をするのは気が引けるが、なりふり構っていられない。私は素早くイーファのところへ近寄って、彼女を直接吸収にかかった。
驚愕の表情でイーファがこちらを振り返るが、そのときには遅い。魔力として、私の中に取り込む。いくら力をつけて自我をもち、実体をもっているとはいえイーファは精霊である。油断している今ならまるごと私の中に吸収できてしまうはずだった。
だが想定よりも手間がかかる上に、異物感が私を襲った。何か、余計なものを吸い取ってしまったような感覚。精霊じゃない。
確かに、風の精霊であるはずのイーファ。何か、不純な魔力が混在していた。が、気にしている場合でもない。何かおかしいと感じたのは事実だが、十分な魔力を取り込めたことも事実で間違いない。それを有効活用して、ブルータを救わなければ。
ユイはブルータに一撃をあたえようとしている。先ほどの長剣を再び握り締めて、躊躇なく彼女の急所を刺し貫こうと凶器を振り上げている。
ほんの一瞬も猶予はない。私は即座に魔法を打ち込もうとして、その時間がないことを悟った。
しかし私よりも素早く、ユイに飛び掛る者がいた。ルイだ。防御も何もない、ただの体当たりに等しいようなただの突撃だった。それでも、このままブルータが刺し貫かれるのを見てはいられなかったにちがいない。
であるなら、私はそれを補佐しなければ。使うべき魔法は、『魔力拡散の呪文』!
「ちっ」
ルイの接近に気付いたのか、ユイはそちらに目を向けて舌打ちをした。だが、剣を振り下ろす動作は変えない。このくらいは障壁魔法で封じられると考えているのかもしれない。
しかしユイが突進するのにあわせて、私が『魔力拡散の呪文』を撃ちこんだ。ユイの魔力は霧散して、障壁魔法の効果がきれる。
結果、ルイの突進が決まった。ブルータに剣は刺さらない。
「やった!」
私は両手を握り締める。初めてユイのたくらみを潰した気がしたからだ。
それにまだ魔力は残っている。即座に別の魔法を組み立てる余力があった。ここは一気に畳み掛けるべきだろう。イーファと一緒に何か余計なものを取り込んだ違和感はあるが、戦闘を中断するほどのものではないし、そんな暇もない。
『魔力拡散の呪文』はまだ効果を残しているはずだ。するとどうするべきか。途端。
《余剰の魔力があるなら、こちらへ》
ルイ。魔法使いのルイが一つしかない目でこちらを見て、そんな思念を飛ばしてくる。
私がまごついているよりは、指示にしたがったほうがいいのかもしれない。迷っている暇もなくて、咄嗟に私はルイにイーファの残骸を引き渡す。
ほとんどその一瞬後、ユイの動きが止まった。いつのまにか地面がドロのようにぬかるみ、彼女のくるぶしまで絡めとっている。『地捕縛の呪文』だ。勇者たちでさえも足止めした魔法なのである。いかにユイといえども、簡単には解除できない。
「むっ、こいつは」
初めてユイが狼狽した声を出した。さすがにこの魔法を強引に引きちぎるということはできないらしい。さすがにただ絡めとられただけではなく、握っていた剣を振り回してルイを突き刺す。だが胸を刺されながらも彼女はユイを引っつかみ、その場に引き止めようとしていた。
倒れた状態でも魔力を練っていたブルータが『幻影剣の呪文』を用意していたからだろう。
ブルータは上半身を起こし、しゃがんだ状態のまま魔法を放とうとする。
「ちっ、幻影剣か」
苛立ったように呟き、ユイが強引にルイの手を振り払って飛びのく。歩幅にして十歩ほどは飛んだだろうか。これだけ距離をとられては、幻影剣の呪文は届かない。
しかし構わず、ブルータが素早く右腕を振りぬく。
彼女の腕から伸びた幻影の剣は、以前の射程を取り戻している。ブルータの幻影剣は異常に伸び、『地捕縛の呪文』からようやく逃れたユイの身体に鮮血を吐かせた。
「がっ」
肩口から腰のあたりにかけて真っ二つ。血反吐を吐きながら、魔族はその場に倒れこむ。彼女は何か魔法を使おうとしたらしいが、志半ばでそれはかなわない。威力を失った魔力はその場に霧散した。どちらにしても、そんじょそこらの防御魔法では『幻影剣の呪文』を防ぎ得なかっただろうし、この状態から即時に戦闘可能となるような回復魔法も使用できなかっただろう。
こうも上手く攻撃が命中したのは、短剣で心臓を一つ破壊していたおかげだろう。そうでなければこの悪魔は簡単に拘束を引きちぎって逃げ出していたはずだ。
当面の脅威である中級悪魔のユイは、倒れた。血だまりの中に沈んだ彼女は、その自信にふさわしい実力を多分もっていたのだろうが、ルイの助力によってあっけなく死んでしまっている。




