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暗殺の青  作者: zan
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20・求不得苦 中編

 どうにか立ち上がったブルータに、幻影剣の呪文を用意したユイが近づいてくる。

 凶悪な笑み。純然たる殺意しか感じられない、そんな表情で。

「あばよ」

 迷いも逡巡もない。ユイは即座に右腕を振り下ろす。思わず私は目を閉じた。ブルータが切り刻まれる、回避のできそうにないその未来を見たくなくて。

 しかし、衝撃の後に聞こえてきたユイの声は増長しきった勝利のそれではなかった。

「小癪な! クズのくせに」

 思わず目を開けると、まだブルータは必死に耐えている。死んでいない。

 彼女はユイの腕を止めていた。魔法ではなく、振りぬく手を止める。そうした手段でもって、幻影剣の呪文から逃れたのだった。

 元々、この魔法は射程距離が短くて使い物にならないといわれているものだ。そのうえ、振りぬく手の動きに追随して動く幻影の剣をよけることはそれほど難しいことではない。とはいえ、悪魔であるユイの攻撃を避けられるほどブルータは体力を残していなかった。

 避ける事はできない。だが、受けることはできる。

 幻影剣の本体は、触れれば切断されるのでムリだ。だが、それ以外の部分であれば。

 つまり、腕を止めればいい。こうした結論だった。考えてみれば難しい理屈ではない。

 それでもユイの振り下ろす腕を止めに行くのは勇気がいる。相手の間合いに、懐に飛び込むことになるのだから。だがブルータは前に進み出て命を拾ったのだ。

 攻撃を止められたユイは即座に足を振り上げてくる。前蹴り。回避できず、ブルータはそれをくらった。下腹部にユイのつま先がめり込んだ。『炸裂の呪文』の直撃をうけた直後であるから、尋常ではないほどのダメージになったはずだ。

 しかし、ここで腕の力を緩めてしまっては確実に殺されてしまう。

 ユイ。何者なのかわからないが、恐ろしい相手だ。ガイほどではないにしても、戦いたい相手ではない。

 第一、敵がユイだけではない。すぐそばに、ハティとイーファがいるのだ。あの二人にもそう簡単には勝てないというのに。

 それなのに、たぶんあの二人は陽動だった。盗賊のハティと精霊のイーファはユイが背後から強襲するまでブルータの注意をひきつける役目。けれど、どうして人間であるハティが悪魔のユイと行動しているのかはわからない。脅されているのか、それとも報酬か何かで釣られて悪魔側に寝返ったのか。

 いや、そんな考察をしている場合ではない。私はブルータのポケットから身を乗り出し、『突風の呪文』を撃った。衝撃を与えて、対象を吹き飛ばすための魔法。『黒色の魔法』とほぼ同じ効果である。

 両腕を振り下ろした格好のまま前蹴りまでだしたのでユイは体勢を崩している。その無防備な脇腹に魔法が食い込む。わずかなり時間を稼げるはずだった。

 ユイは見事に吹っ飛んだ。これで倒せなければどうなるというくらいのものだが、すぐさま体勢をととのえて両足を踏ん張ってしまう。

「ハエめ」

 毒づくように言い捨て、彼女は左手を振り払った。その先からお返しとばかりに『黒矢の呪文』が飛んでくる。

 なんというか、全くダメージをうけた様子はない。本当に、血の一滴どころかかすり傷のひとつさえもあるように見えない。もしもこれが彼女のやせ我慢でないというのなら、私にはユイを倒すことができないということになる。今考えられるだけの最高の攻撃をかけたのに、無為だったのだから。

 『零度の呪文』をぶつけてみるか。しかし、それがユイに通用するとは思えなかった。せいぜい、数秒程度苦痛に呻かせる程度のものでしかないと思えてならない。

 こんな悪魔の相手は、できそうになかった。私ではどうやっても、ユイの体力を少しも減らせないのだ。傷一つつけられない。素手で大木を殴り倒そうとするような愚行に等しい。ひどく絶望的だった。

 飛んできた『黒矢の呪文』を、ブルータは間一髪でかわした。弧を描いて飛んできたそれは、ブルータの足元に突き刺さり、派手に土砂を巻き上げる。

「ブルータ!」

 そのまま背後に倒れ掛かるブルータに、私は強く呼びかける。ここで倒れたら負けてしまうことは間違いなかった。

 私の声が聞こえたのか、彼女はどうにかその場で足を踏ん張り体勢を立て直す。

「しつこいな。あたしの前に立って、そんだけ抵抗を続けられるのは面倒だ。それも、ハーフダークが」

 ユイが侮蔑の目で私たちを見、すぐさま次の攻撃を繰り出してくる。今度は左手に幻影剣の呪文を纏い、こちらに飛び掛ってくるではないか。こちらも『幻影剣の呪文』で対抗したいのだが、今から練り上げていては刃が出現する前に真っ二つにされてしまう。避けるしかない。

「やっ!」

 私はもう一度『突風の呪文』を撃った。

 これはあっけなく回避される。だが回避した先に向けて、ブルータが『黒色の魔法』を撃っている。これは命中した。

 衝撃でユイは呻き、突進を止める。幻影剣はすぐに消え去ってしまった。

「小賢しいな。そんなに苦しんで死にたいならそうしてやる!」

 彼女はいらだたしげに叫ぶ。無論、今の魔法を食らったことなんてほとんど大したダメージになっていない。

 するりと両手を伸ばすと、魔力を集中し始める。何か強力な魔法を練り上げようとしているらしい。

 『魔力拡散の呪文』を打ち込むチャンスだが、そうしたところで死を数秒ほど先延ばしにするだけなのは明白だった。こちらには彼女を倒す手段がない。

 ならば、やはりあの呪文に頼るしかなかった。

《ブルータ、今のうちに幻影剣の呪文をぶちこみましょう。それしかない》

 私はユイに効力のありそうな呪文を使うように、ブルータに進言した。どんな魔法障壁も魔法解除も関係なく、一撃で全てを切断する『幻影剣の呪文』ならユイを倒しうる。これは間違いなかった。

《いえ、今それを使ってもほぼ確実に回避されます。もっと確実に倒せるところで撃たなくては》

《今以上に決まりそうな状況なんてあるの?》

 私は叫んだ。今撃たないで、どうするというのか。確かにユイの目はこちらを油断なく見ている。

 だが、魔法を練り上げている間などというのは古来から知られた魔法使いの決定的なスキなのである。これ以上の条件はないはずだった。

《ユイはこちらを侮っています。必ず好機はやってくるはずです。ここは防御を練ります》

 そう言われては仕方がない。私は攻撃を諦めて、防御のための策をとる。

 ちらりとブルータの顔をみる。先ほどハティに刺された傷はそれほど出血していないが、痛みはあるはずだ。半魔族だから大丈夫だといえばそうなのだが、そうだとしたら、ハティはほぼ意味のない攻撃をしてきたことになる。急所を突くことくらい、盗賊で短剣使いとなれば当然の技術になる。それをしなかったということはどういうことなのか。

 毒の刃だったのではないか、と私には思えてならない。

《その心配は今のところなさそうです。それよりも、敵の魔法ですが》

《……『暗黒の魔法』みたいね》

 ほぼ全ての防御障壁を無視して対象を直撃する性質を備えた、上級魔法だ。これではいくら強力な障壁魔法を使っても、無駄である。恐らく一撃でブルータの上半身が砕け散ってしまうだろう。

 回避するしかない。あるいは、放射される前にユイを倒すしか。

《どう考えても、避けられる道理がないんだけど。ブルータ、やっぱり幻影剣を》

《手遅れです。無理を通すしかないでしょう》

 ブルータは使う魔法を変更、身体能力の強化に充てた。これで脚力を強化してかわすつもりなのだろうか。だが、暗黒の魔法は『直撃の呪文』とも呼ばれるほどに強力だ。避けられるとも思えないのである。

 地を蹴って、飛ぶ。どうやら相当に急いでいるらしい。確かにユイの魔法が完成するまで時間はない。私は突風の呪文を虚空に放ち、反動を利用してブルータを加速させる。そうしてたどりついた先というのが、ハティとイーファのいるところだった。

 彼らは安心してことの成り行きを見ていたのか、逃げるのが遅れている。ブルータは、彼らをとらえる。なるほど、ちょうどいい盾だ。

《貴様!》

 主人を人質にされて、イーファが怒鳴る。しかしもう遅い。ハティは油断していた。ブルータは完全に彼を背後からおさえて、咽喉元に短剣をつきつけている。

 しかしハティも盗賊である。するりとブルータの腕を抜けようとする。

 ブルータ、なんで殺さなかったのか。と、思った瞬間にハティがびくりと震える。がっしりと捕らえたブルータの腕が彼の首根っこを押さえたのだ。半魔族の腕力でつかまえられては、器用さにすぐれる盗賊もさすがに逃げられない。

《咽喉を刺しちゃえばいいのに》

《殺すのはナシです。これで『暗黒の魔法』を防ぐつもりですから》

 盾にするつもりか。死体になってしまうとただの障壁物になってしまい、『直撃の呪文』をうけられなくなる。だから、ハティを殺さない。もがいているだけで、ハティはまだ生きている。

 イーファがハティを救出しようと余計なことをしているので、私は面倒なことをしたら彼を殺すと脅迫しておいた。それで彼女はしばらく大人しくなる。

 しかし、こうした事態にもユイは余裕を崩していない。むしろ、笑っている。

「なるほど、勇者を盾にしたか。しかし甘いな、あたしの魔法はそんな皮の盾で防げねえからな」

 ニヤリと笑い、そのままブルータを指差した。

 『暗黒の魔法』がその指先から飛び出す。一直線にブルータをとらえる魂食らいの矢弾がこちらに向かってくる! 絶対に防ぐことのできない魔法だ。かわすしかないが、このハティの盾は持ちこたえてくれるのだろうか。というよりも、有効なのだろうか。

 息を飲む私だったが、ブルータはハティを抱えたまま一歩下がった。恐怖のためかと思ったが、そうではなかったようだ。彼女は、作っていた魔法陣を踏んだのだ。

《それって、『地臥の魔法』?!》

 その魔法はおよそ、敵に踏ませて発動させるのが主な使い道である。それを自分で踏んでしまうというのは、ただのミスなのか。

《『転送の魔法』を仕込みました》

《ええっ?》

 思念会話にそんな間抜けな思いが漏れてしまう。直後、私たちはユイの真後ろに転移していた。

 即席の転移魔法陣。『地臥の魔法』と『転送の魔法』を、自分にかけるというまさかの。これってもしかして、『転移の魔法』を擬似的に使っているということになるのでは。しかしその疑問にブルータはこたえず、短剣をユイの背中に突き刺している。

「ぐっ!」

 ユイは呻いた。胴体のほぼ真ん中を突き刺し、心臓を破壊したはず。

 しかし中級悪魔であるユイはこのくらいでは死なない。ふらりとよろめきはしたからそれなりに痛かったのだろうが、素早く振り返ると暴力的な拳を振り回してくる。立ち直りも早い。

 ブルータはユイの攻撃に対して素早く飛びのく。ハティをおさえている余裕はなかったから、彼を解放してから。

 結果として、ユイの攻撃はハティをとらえた。見事なパンチが盗賊の頬を打ち、彼は吹っ飛んで地面に転がる。普通の人間が同じ攻撃を受けていたら、頭部がまるで野菜のように砕けて消えていただろう。

「やるじゃないか、ハーフダーク。あたしに一撃をくわえるなんて」

 賞賛してくるユイだが、声色は怒りに満ちている。悪魔である自分がハーフダークごときに傷つけられた、これは許しがたい、と思っているのだろう。

「だけどそんな賢しい手は二度と食わない」

《ブルータ、まずい》

 私は思わず震えた。ユイが本当に怒ったらしいからだ。手加減も油断もなく、躊躇のない攻撃が来る。

 これはどうしたらいいのか、本当にわからない。精霊のイーファは地面に転がっているハティのところに飛んでいっているから、特に何かされる心配はいらないだろう。しかしユイ一人だけでもう脅威としては十分すぎた。

 私たちにユイを倒せるのか。どうしたらいいのか。

 そう考えて、何かないかと周囲を必死に見回していると、不意に周囲の精霊たちがざわついた。

「誰か来たか……」

 ユイもそれを感じたらしく、顔をしかめる。

 しかしこの場に来そうな者といえば、勇者たちか、ホウくらいしか思いつかない。

 勇者ラインとクレナは魔王軍の本部に向かっているところだろうから、ここに来たとしても不思議ではない。そうなった場合、もはや勝機も命を繋ぐ望みも絶たれることになるけれど。

 一方、長らく行方不明になっているホウも、ブルータの危機を察してここに来てくれる可能性がある。こちらの場合は相当に運があったと考えてよい。ホウならユイくらい片手で、いや片羽でいなせるはずである。

《この感じは、どうやら味方です》

 ブルータは少しだけやわらかい思念を飛ばしてきた。味方!

《もしかしてホウ?》

《いえ、違います》

 嘘。

 私は思わず聞き返そうとした。だって、ホウ以外に今のブルータに味方になってくれそうな存在なんてフォンハしか思いつかない。そのフォンハだって自分のところに引き返したばかりなのだから、ここにくるわけがない。

 答えを思いつけないうちに、『味方』はやってきた。ユイの後ろ側からだ。

 私はそれをみて、たいへん驚いた。異形の姿となった、人間の魔法使い。実際に見てみると、確かにこれは人間たちに受け入れられそうにない。

「ブルータ……やはりあなたでしたか」

 ボロボロの法衣をまとった単眼の女。やってきたのは、魔法使いのルイだった。

 ルイは力の衣装を持っているはずだが、勇者たちとの戦いで失ってしまったのか、今は着ていない。服はあちこち痛んでいるが、肉体的な損傷はそれほどではないようだ。よくも、ラインとクレナの二人を相手にして生き残っていてくれたものだ。

《思念会話で今の状況を簡単に説明しました》

《彼女は味方なの?》

 私はまずそれを確認したかった。ブルータは味方だと断言しているが、ルイは四天王のシャンによって単眼にされ洗脳された魔王軍の一員だ。

 ブルータは彼女と別れてから魔王軍を裏切り、レイティを殺し、リンの閉鎖空間から脱獄し、ガイを殺したのだ。完全に魔王軍にとっては敵である。だからこそ、ユイまでが命を狙ってきているのだろうし。

 ルイがシャンやリンの命令で青の暗殺者を始末しにきているのだとしても、全く不思議ではない。むしろそれが自然だ。

「お前は、確か。ルイ、だっけか?」

 中級悪魔のユイにとっても思いがけない人物の登場だったらしく、やや困惑している様子がみてとれた。

 ユイに対し、ルイは穏やかに挨拶をしている。やはり彼女も敵なのだろうか。

「はい。魔王軍陸軍総司令リン様直属の暗殺部隊の一員、ルイと申します」

「だったら、裏切り者のブルータを始末するのに協力してもらえるのか? 別に手伝いなんていらねえけどな」

「それは無理です。ブルータは私にとって、大切な友達なので」

 やわらかな口調ではあったが、きっぱりと言ってのける。友達だからと言う理由で裏切り者を見逃すというのだ。魔王軍の規律では敵前逃亡に等しい。

「だったら、何をしに来た」

「友達を助けにきました。あなたが何者かは知りませんが、ブルータを殺すつもりであるのなら、戦うしかありません」

 ルイは、やはりそう言い切った。洗脳はどうなったのか、彼女はどうやら自分の意思を取り戻しているらしい。

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