20・求不得苦 前編
痛くないわけではないのだが、もだえ苦しんでいる暇なんてない。そんな真似は自殺に等しい。
苦痛をかみ殺しながら、私はその場から飛びのく。ブルータの方に向かってだ。
彼女はまだ刺された傷口を左手で押さえているが、右手では油断なく魔力を溜めている。それを見ていた私は、彼女のポケットに飛びついた。霧の衣装のおかげで、暖かい。ぬくもりに私が包まれると同時に、ブルータは鋭くハティを指差した。
飛び出したのは、『黒色の呪文』だ。
だがハティのほうが素早い。身を伏せて魔法をかわしてしまう。しかも、同時にイーファが立ち直った。彼女がこちらに向けて再び『精霊のうねり』を繰り出そうとしている。
何度もいいように使われて精霊たちもいい迷惑だろう。私はそれを食い止めるために周囲の精霊に干渉してやる。
《私たちに手を出さないで》
妖精の命令だ。多少の魔力は使うが、少し気を入れてやればそれだけで私たちへ精霊のうねりは作り出せなくなる。
《邪魔するな》
イーファは声を出せないらしく、いちいち思念会話で私に文句を言ってくる。だが私もやめるわけにはいかない。今のブルータは精霊のうねりに耐えられないだろうし、先ほどハティに刺されたダメージも大きいはずだ。
元から勝ち目のない戦いなのはわかっていたが、せめてイーファの行動を封じるくらいはしておかないと。私のいる意味がない。
いや、勝ち目がない戦いというその前提は覆されつつある。想定外の存在だったイーファは私が相手をすればいいのだし、ハティにも『灰燼の呪文』を見舞ってダメージを与えることに成功した。代わりにブルータも刺されたが、五分というほどではないにしても絶望的な状況でもない。
必ずしも逃亡するべきではないかもしれない。相手を倒しにかかったほうが、むしろ生存率が高い気がする。
私はそう考えて、逃亡から戦闘に意識を切り替えた。
ブルータも短剣を抜いて、構えを取る。
ハティも同じように構えているが、その肩に再び、イーファが戻っていく。
なんだか、以前にもこれと同じようなことがあった気がしてきた。
そうだ、ブルータと戦ったときだ。小悪魔のレイティがブルータを連れて、精霊使いのバロックを暗殺しに来たときだ。
あのときも私とバロック、そしてレイティとブルータが二対二で戦った。状況が似ている。
敵対していたはずの私とブルータは、今は協力し合っている。そして、私は勇者であるはずの盗賊ハティと敵対している。
奇妙だ。
私の立ち位置が変わっているせいでそう思うのだろうか。以前は人間たちの勇者バロックに味方して、今は盗賊の勇者ハティに敵対して。まるで蝙蝠のようにどっちつかずの態度だと言われても仕方がない。しかし、別に私は人間たちが魔王軍に支配されたとしても、森が無事ならそれで問題ないと考えている。私は妖精であって、人間ではないのだ。
ただ、今はこの半魔族のブルータがあんまりにもかわいそうだから。彼女を救ってあげなければいけないと感じているし、彼女には幸せになる義務がある。四天王のホウにも、そのことについて頼まれている。
ブルータのために、私は力を使う。彼女を裏切って保身をはかることもしない。
ハティは何も言わずに、ただブルータの目を見据えてきている。暗色の衣服をまとった彼の表情は見えにくい。
フードのはずれたブルータは片方折れた角や血の気のない顔をあらわにしている。二人はにらみ合っていて、言葉も何もない。
どうやら盗賊のハティは最後まで口を開かないつもりのようだ。勇者としては珍しいと思うが、盗賊としては当然の選択だろう。相手に余計な情報を一切与えるつもりがない。そして、相手から情報を得るつもりが全くないということだ。
それってつまり、ハティを倒しても情報がまるで得られないということじゃないか。
私はそこに気がついた。盗賊のハティが何をたくらんでいて、どういう意図で自分たちを殺しにきているのか、まるでわからない。かつてのバロックのようにだ。
《裏切り者め》
だがハティとは対照的にイーファがよく話しかけてくる。裏切り者呼ばわりまでされてしまった。先ほど危惧したとおりである。
やはり人間たちからしてみれば、私はかつて勇者である精霊使いバロックに従っていたというのに、いまや青の暗殺者ブルータに従って、勇者である盗賊ハティを害しようとしている裏切り者ということになるのだろうか。
そんなことは別にどうだっていい。
落葉の妖精である私にとって、人間が誰に支配されていようが何の痛痒もないのだ。戦争の悲劇なんてものは昔から今に至るまでありふれているものだし、船の上でガイがやったことだって、人間同士の戦争でだって多く起こってきた惨禍の一つに過ぎない。そんなものには心を奪われないのだ、私は。
《お前はなぜ青の暗殺者を庇うのだ》
イーファがそんな思念を飛ばしてきた。バロックについていた私が、いまや青の暗殺者にくっついて戦おうとしているのが気に入らないのかもしれない。それともそんなことは知らずに、精霊であるイーファといがみあう妖精を正そうというのだろうか。あるいは、単に気に入らないだけか。
しかしこの問いに対する答えは最初から決まっている。
《あまりにブルータがかわいそうだし、彼女は洗脳されていても私に優しくしてくれた。妖精は自分に恩を与えた者には正しく報いる》
《しかしそいつは人間全ての敵。切り刻まれるべき敵である》
《関係ないよ》
確かにイーファの言っていることもわからないわけではない。魔王軍の暗殺部隊として勇者になるべき人物を暗殺してきたブルータは、人間たちにとっては許されざる敵だ。洗脳されていたからといって、そんな理由では罪から逃れられず、誅されるべきだというのが彼らの言い分だ。いくらリンの命令だったからといっても、私が小悪魔のレイティを心中で許していないように、彼らもブルータを許すことができないのだろう。
だがそうしたことも、私には関係のないことである。私の中にだってバロックを殺された悲しみはある。小悪魔のレイティと半魔族のブルータによって、精霊使いのバロックは完全に殺されている。私だって魔王軍本部に連れて行かれてこの有様だ。それでも、今のブルータが望んでやったことではない。だから彼女を恨んではいない。
《私は、ブルータの傍にいたい。自分の意志でね》
はっきりと告げてやる。するとイーファは呆れたような思念を発する。妖精の癖に物分りの悪い奴だ、なんて思っているのかもしれない。
《吹き飛ばされる落ち葉の気持ちは、風にはわからない。消えよ》
とどめとばかりに、そんなことを伝えてくる。わざわざ密談の魔法で伝えてくるからには、よほどの呆れがあったのだろう。
彼女のいうとおり、私は落葉の妖精でイーファは風の精霊。風に吹き飛ばされるのは落ち葉の宿命だ。しかしながら、イーファは落ち葉というものを侮ってはいないだろうか。これは役目を終えた木々の排泄物などでは決してない。森の中で生み出されるこの落葉というものの総量は、風に劣るものではない。いかに風が、嵐が吹き荒れようとも、全ての落葉を森から消し去ることなど不可能なのだ。
私も意地を見せてやる。これでも妖精の一員である。少々力をつけたくらいの精霊一体に遅れをとるようなことはない。
イーファの『精霊のうねり』を押さえつけている中ではあるが、私は木々の精霊から力を借りて反撃に転じる。ここでは地の精霊以外にも助けを求められる精霊が多くいる。樹木の精霊が、その代表格だ。
この嵐によって傷つけられている樹木たちの怒りは、私にとって大きな助けとなる。風に反撃できるならば、と。彼女たちは快く私に魔力を与えてくれる。
魔力とは私にとってつまり、生命力そのものである。これほどの力があれば、二分近くはホウの姿を借りられるだろう。あまり使いたくはないが、ガイの姿をとることもできる。あのときの戦いで、彼の体の解析もできているからだ。
ホウの身体を借りれば、イーファもハティも圧倒できる。彼女の肉体的な能力だけで多分盗賊を追い込むことができるだろう。零度の呪文はなぜか通用しなかったが、原因はおそらくイーファの解除魔法だろう。言ってみればタゼルの魔法防御に似た魔法術式でこちらの魔法を弱めていると考えられる。精霊であるイーファが行っているのなら、魔力を集める手間もなく、強力な防御手段となりうる。実際にそうなのだ。
だが、『灰燼の呪文』は問題なく二人にダメージを与えている。さすがに四天王のホウが編み出した独自魔法。そんじょそこらの解除魔法なぞ受け付けないほど、強烈で不可逆の術式が組み込んであるのだろう。私は単に使い方だけをなぞっているだけだから、詳しくはわからないが。
《ルメル、魔力をください》
けれども、私が一気にたたみかけるためにホウの姿をとろうとしたその瞬間、ブルータから思念が飛んできた。
《何をするつもり? もう一度ホウの身体で灰燼の呪文を撃ち込もうとしていたんだけど》
《それよりも、敵の企みを暴くことの方が重要です》
企み? それはどんなことだろうか。いや、ブルータがわざわざ魔力を要求することだ。それも、私がホウの身体を借りることよりも優先されるような、こと。
それってつまり、罠。
《信じたからね》
私は精霊から預かった魔力をそのままブルータに流し込んだ。彼女はその魔力を集中させると同時に、背後に向かって跳躍。
ハティがそれを追いかけるように飛び掛ってくる。今の行動を、臆して逃げたとふんだのだろうか。だが、違う。事実は違っている。
「あっ」
私は後ろを振り返ってみて、驚いた。ブルータのポケットから見たそれは、確実に存在していた。
それに向かって、ブルータは右腕を振りぬいた。飛び出した魔法は、『幻影剣の呪文』。
敵は回避するために飛び上がる。その存在は、その瞬間に明確に視界へとらえられた。女だ。人間ではない、悪魔の女。
「ユエ」
私は記憶の中からその名を引っ張り出した。
魔王軍本部から陸軍に貸し出された中級悪魔のユエ。彼女にそっくりだ。というか、本人だろう。
レイティの記憶の中でしか見たことがないが、間違いない。彼女はリンの配下であったはずだ。何がどうなっているのか?
「ちげえよ、一緒にすんな」
ユエは否定の言葉を吐きながら着地を決める。そうして、ハティと二人で私たちを挟み撃ちにする格好だ。
ハティは勇者だ。ユエは中級悪魔だ。なのに、二人は争うどころか完全に協力体制になっている。私はどうすることもできない。
まず頭の中は何故、と誰、で埋め尽くされる。そして警鐘が鳴る。意味不明で、ありえないことなのだが、私たちは悪魔と勇者の両方から挟み撃ちにされているのだ。
「あたしの名前はユイだ。あえていうなら、ユエはあたしの姉。もう一回言うけど、一緒にすんな。あたしはあたしだ」
ユエではない、という。あらためてユイと名乗ったその中級悪魔は、すでに魔力を集めて両手に何か魔法を練り上げている。
「って言ったって、お前らもすぐに消えていなくなるけどな」
と、そんなことを言いながら右腕を思い切り横なぎに振りぬいた。その軌跡が空中に赤く傷をつける。これは、『炸裂の呪文』だ。攻撃呪文。
ブルータは即座に魔法障壁の呪文を練るが、ユイのつくった傷から放たれる多数の矢がこちらに容赦なく降り注いでくる。それがぶつかるや、たちどころに障壁魔法は突き破られた。
衝撃に、彼女の身体が浮き上がる。直後、全ての魔法矢がブルータに吸い寄せられるように飛んできた。まるで一つぶつかったら、それを目印にして標的を調整したように。追尾性能でもあるみたいに。私が知る限り、炸裂の呪文にそれほどの性能は備わっていない。一定の範囲に無差別に魔法矢を降り注ぐだけの魔法のはずなのだ。
にもかかわらず、いまやユイの放った魔法矢の全てがブルータの身体を激しく打ちつけ、彼女を弾き飛ばしている。おそらくユイは『炸裂の呪文』に対して独自に術式を織り込んだのだろう。
私は声も出せずに、ポケットにしがみつく。ブルータの身体はそれこそ落葉のように吹き飛ばされていく。このままでは地面に叩きつけられてしまうが、そのようなことよりもイーファやハティの動きに注意が要る。だが、そんなことを考えろとは言えない。
ユイを今の、幻影剣の呪文で仕留められなかったのは失敗だ。背後に誰かが潜んでいることに気付いて、それをまず倒そうとしたブルータの判断は間違いであったとはいえない。どう考えても、そうするべきだった。だが、ユイがそれをかわしたことがおかしい。
今までに、彼女の幻影剣をかわしたのは一人だけなのだ。勇者ラインだけ。
中級悪魔にすぎないユイが、ラインに匹敵するほどの力をもっている。そう考えなければならないのかもしれない。
「随分頑丈だな、ハーフダークの癖に」
ブルータが地面に落ちると、そのさまを見たユイはそんな言葉を吐いた。
ハティやイーファは今の私たちに攻撃を仕掛けてこないようだ。ユイの機嫌を損ねると思っているのだろうか。しかしいずれにしてもこれで二対三という具合になっている。ユイは中級悪魔だが、半魔族のブルータよりはおそらく優れた身体能力をもっているだろう。
「こいつでぶった切ってやる。そうすりゃ立ち上がれねえだろ。おっと、そこのコソ泥と隙間風は動くなよ。お前らに任せたのは失敗だったんだ。あたしがやってることを黙ってみてな、そうでなきゃお前たちから消してやる」
コソ泥、隙間風。そんな風に言われたのは恐らくハティとイーファだろうか。あの二人だって勇者と見られるくらいの実力者であるはずなのに。
いや、それよりも。ユイとハティの間に何があったのだろうか。どういう経緯でこの二人は協力をしていたのだろうか。すごく気になる。気になるが、推察なんてしている場合ではない。今の言葉で本当にハティとイーファが動かないのであれば眼前に迫っているユイの相手に集中すればいいのだが、そうであるという保障なんてどこにもないのである。むしろ、全てユイの演技である可能性も否定できない。
と、ユイに目を戻してみるとその右腕には見慣れた魔力の輝き。まるで剣のように伸びたその魔法力は、つい先ほども見たあの魔法だ。
《ブルータ、あれって》
なんとか立ち上がろうともがいているブルータに思念会話を飛ばす。彼女はダメージを受けながらも状況をしっかりと把握しているらしく、すぐに私の言葉にこたえてきた。
《幻影剣の呪文ですね》
さすがにあれを首や胸元に受けてしまったら、まずい。あの四天王のガイでさえ首を切断されたら生きていられないのである。ましてや半魔族のブルータなどが、耐えられるわけもない。
炸裂の呪文を受けてしまった今、ブルータにユイの振るう幻影剣を避けろというのは酷だ。やはり、私がなんとかするしかないだろう。しかし、どうやってなんとかするのだろうか。どうしたらいいのか、さっぱり思いつかない。




