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暗殺の青  作者: zan
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19・是非曲直 後編

 暗色の服をまとったその男は、何も言わずにこちらを見た。見たのだ。

 つまり、こちらの居所は知られてしまっているということになる。盗賊のハティは、気配を消す術にも、そして気配を探る術にも長けているのだと思われた。どう考えたって、この状況から考えて私たちには不利だ。

 ブルータはそもそもボロボロで、治りきっていない怪我をおして戦っている。周囲はおさまりかけているとはいえ、まだまだ嵐は強い。

 この風のおさまりが本当にハティの力によるものかどうかはさておいて、こんなにひどい嵐の中では私はとても人間の気配を探ったりできない。誰がどこにいても、たとえ背後に潜んでいても、わからない可能性のほうが高いのだ。

 こんな状況で盗賊と戦うなんてことは、避けたかった。しかも今のハティは、勇者である。間違いなく期待の魔法をうけている。

《ブルータ、下よ。木の上じゃあいつのほうが慣れてる》

 私は咄嗟にそう考えて、指示を下す。ブルータは私のいうとおりにした。

 素早く木の枝から降りて、地上に降り立つ。どこにいても不利であるには違いないが、地上の方が自分たちのやれることが多い。

《こんなところであんなやつの相手なんてしてられない。逃げるが勝ちよ》

《いいえ》

 即時撤退を訴える私に、ブルータが反論してくる。なぜだろう。

 死にたいのだろうか。冗談ではなくそう思うほど、闇の嵐のなかで盗賊と戦うなどということは、常識で考えられないのだ。

《ここで彼を倒します。勇者の進軍を手助けしてしまう可能性がありますから》

 なるほど。そういう理屈か。

 私は一応納得した。勇者となっているハティを逃がすと、ラインやクレナの進軍に加担してしまう可能性があるということだ。そうなった場合、勇者たちよりも早く魔王軍本部に行きたいと考えているブルータにとっては邪魔なことになる、というのだろう。

 実に、わかる考えだ。だが、納得はしても了解はできない。

《それは無理! 彼我の戦力に差がありすぎるでしょう》

 私は叫ぶように思念会話を送る。

 それが当然のように却下されるまで、一秒もなかった。

《そもそも、この状況下では盗賊から逃げられると思えません。死なないために、相手を倒すしかないと思います》

 さすがに納得せざるを得ない。了解もしなければならない。

 しかし、最後に一縷の望みをかける。平和的解決は不可能かどうか。

《話し合いは?》

《それは、私よりもむしろルメルにお任せします》

《どうして》

《あちらにも、ルメルに似た存在が》

 言われて、私は気配を探ってみる。巧妙に隠されているが、なるほど確かに。気配が感じられた。

 風の精霊が大騒ぎで乱痴気騒ぎ。その騒ぎがわずかに減じられているのは、どうやら私ではない別の妖精が干渉しているかららしい。少なくとも、私よりは力のある妖精が、だ。

《多分、力のある風の精霊か、妖精だわ》

 そうでなければ、この騒ぎをおさえるなどできるはずがない。私でさえもできなかったのである。

 つまり私よりも『風』という属性に近いもの。でなければ私にできないことができるはずがない。

《なら、お任せします。私はどうにか、耐えます》

 ブルータはそれだけ言って、森の中に着地を決めた。すぐさま、そこからも離れる。小さなナイフがそこに降ってきたからだ。

 やはりハティは完全にこちらを殺しにきている。明確な殺意をもって、ここにいるのだ。

 これはいけない。いけない。ブルータが殺される。必死になってハティの攻撃をかわしてはいるが、彼女の身体は傷ついている。フォンハの治療を受けたとはいえ、すぐさま全快するわけではない。

 これ以上彼女の身体を傷つけさせは、しない。私は思念会話でもって、ハティについている精霊に説得を試みた。

《そこにいるのはわかっている。こちらとしては争う気はない。見逃してちょうだい》

 すぐさま返事が返ってきた。絶望的なものだった。

《お前と話をするつもりはない》

 明らかにこちらを見下して、敵対の意志を見せている。だがここで食い下がらないわけにはいかない。私は言葉を絞って、どうにか戦いを回避することを目指す。

《何か勘違いがあるかもしれない。私たちはすでに魔王軍からも足抜けしている。人間たちに危害を加える意図もない》

《そんなことはどうでもいい。お前たちが青の暗殺者であることは確信している。無駄な抵抗をやめれば、それほどの苦痛もなく殺してあげられる》

 だめだ。こちらの素性は知られている。

 しかも、その上で完全なる殺意をこちらに向けているのだった。盗賊のハティは、私たちを殺すつもりでいる。

《本当にこちらは魔王軍とは関係なく動いている。これ以上、人間たちにかかわるつもりもない》

 必死に訴えるが、あちらは冷淡に切り捨ててくる。

《そんなことはどうでもいい》

 そんなこと?

 ひどい話もあったものだ。曲がりなりにも勇者と呼ばれた男が、人間たちの安否をどうでもいいこと呼ばわりだとは。まあ確かにどうでもいいことではある。現状、私とブルータに迫っているこの切迫した状況に比べたなら。

 どうも戦うしかないらしい。しかしブルータが戦ったところで負けは見えている。どうにかしなければならない。すると、私が戦うという選択肢が出てくるのだが、この状況では。

 味方の戦力は私と、ブルータ。敵の戦力はハティと、精霊。

 半魔族のブルータと、妖精の私。勇者である盗賊ハティと、風の精霊の騒ぎを鎮めるほど力のある精霊。

 一見すると五分のように思えるが、違う。ブルータは負傷しているし、私の力はそれほど振るうことができない。風の精霊たちが荒れていて、私の頼みはほとんど聞かれそうにないからだ。このような状況では、精霊のうねりは生み出せない。いや、バロックの姿をとればいけるだろうか。

 ブルータが大きくジャンプして、なんとかハティと距離をとる。逃げられないと判断した彼女は、既に盗賊と相対する構えだ。敵もそれを察したのか、無理に追い詰めようとはせずに、距離を開けたまま構えを取る。どうやら彼の武器は短剣らしい。

 周囲はまだ風がうねっている。地の精霊の加護はまだ効いているから、直接私たちにはそれほどの影響がない。

 ブルータは魔力を溜めた右腕を振り払った。攻撃のためではない。防御障壁の呪文だ。ハティの持っている短剣から、直接攻撃を警戒したのだろう。

 しかしハティはその暗色の姿をゆらめかせ、一気にこちらに飛び掛ってきた。服の間に、わずかな輝きが見える。あれが彼を補佐する精霊だろう。

 でも、誰? 少なくとも私の知っている個体ではない。

 だが、間違いなく精霊だ。妖精ではなく、力を得た精霊。こうした力のある個体については自分で名前をつけて名乗ったりして、それが知られている場合も多い。少なくとも精霊使いのバロックはそう語っていたし、私も実例を幾つか知っている。だが、その実例のどれにもあてはまらない。

《風の精霊のようです》

《わかってる。ブルータ、交渉は決裂。やっぱりダメだった》

 私は状況を伝える。ブルータはわずかに頷いてから、地の精霊を吸い上げていく。再び魔力を溜める彼女に対して、ハティは容赦なく短剣を突きこんでくる。心臓を狙った一撃だった。

 しかし、そこはさすがに回避。濡れた霧の衣装を着込みながらも、ブルータは機敏に動いてハティの短剣をかわした。

 直後。強烈な暴風が私たちを襲った。風の精霊が何かしたのだ。あまりの風に、ブルータがよろめく。するとそこに、ハティの追撃。これは、まずい。今度は私がブルータをサポートしなければならない。

 私はすぐさま右手を伸ばし、魔法を放った。いきなり、零度の呪文。手加減なんてあるはずもない。一撃でリンの配下を氷漬けにしてしまった上級魔法だ。いかに盗賊のハティが勇者であるとしても、簡単にはねのけられるようなものではない。が、私の放った魔法はあっけなく霧散した。

「えっ」

 私の驚きに答えを返すものはなかった。なんで、どうして。

 魔法だ。すでに、効力を発揮しているものだ。それをどうして盗賊のハティが解除できてしまうのか。そんな馬鹿なことがあってたまるものでは、ない。

 ブルータの身体に短剣がめり込む。刺された。

 彼女の身体がびくりと震える。私がいたのに、なんてこと。もう手段なんて選んでいられない。

 私は即座に、ホウの姿を借りた。ブルータの胸ポケットから飛び出して、すぐさま長大な両の翼をなぎ払ってやる。ハティも、精霊も、まとめて吹き飛ばす。

「イーファ!」

 そこで初めて、ハティが口を開いた。自分も吹っ飛んでいるのに、精霊を気遣っているのだ。どうやらこの風の精霊はイーファという名があるらしい。

 ハティもイーファも、諸共消え去ってしまえばいい。私は略奪するように魔力を集めながら、眼前に魔法を練りこむ。赤黒い魔力が収束して、解放のときを待つ。

 盗賊たちはどうにか踏ん張ってその場に留まったようであるが、もう遅い。追撃に見舞うこの魔法を避けられるものか。

《!》

 イーファが驚いたような気配をみせた。当然だろう。この『灰燼の呪文』は四天王のホウが作り上げた独自魔法なのだ。私では『先鋭化』できないが、それでも十分な破壊力を秘めている。ブルータは身をもってそのことを知っている。

 すぐさま、私は魔力を解放する。収束していた赤黒い光は魔法となって、一直線にハティに向かう。当然ながら、命中した。かわせるはずがない。

 振動と衝撃がハティとイーファを襲う。二人は悲鳴どころか呻き声一つあげないまま、全身を痙攣させている。それには構わず、私はブルータの容態を見るために振り返った。

 彼女は刺されているが、半魔族の頑丈な身体はそのくらいでは命にかかわることはないはずだ。

 私がそう信じたとおり、ブルータはその場に立っている。傷口は押さえているが、そのくらいはすぐに治癒する。既に、魔力を溜めている。

《どいてください》

 彼女がそう言うので、私は即座に横に飛びのいた。ホウの身体は瞬間、消え去っている。いつまでも彼女の身体を借りていたら、私自身の存在も危うくなってしまうからだ。

 その場から黒い翼が消えうせると、ブルータが右手を突き出す。『低温の魔法』が飛び出し、ハティとイーファから強烈に熱を奪った。はずだった。

 しかし、彼らはその場で氷像に成り果てたりはしなかったのである。イーファが前に出てハティをかばっている。

 灰燼の呪文を食らったのに。どうやらよほどハティのことを気に入っているらしい。身を呈して彼のことを守るなんて。全力で障壁魔法を展開するイーファの献身で、ハティは氷漬けにならずにすんでいる。

 直後に、盗賊は背後に逃げ出す。イーファを見捨てたのか、いや違う。

 闇の中に姿を隠して、不意打ちを仕掛けるつもりだ。半魔族のブルータや妖精の私にもこの夜の帳と森の闇は有効である。

 それを察して、ブルータがさっと右手を上げた。『光源の魔法』を使ったのだ。

 周囲は途端、明るく照らし出される。しかしながらすでにハティの姿は見えない。イーファだけだ。

 随分主人に尽くす精霊もあったものだ。これではまるで、バロックみたい。

 しかしバロックは精霊使いの素養があり、自分でも相当な修練を積んでいた。ハティはただの盗賊であって、期待の魔法こそうけているものの、精霊使いの素養などはないだろう。

 ハティとイーファの馴れ初めは気になるが、そんなことを考えている余裕はない。ハティに味方をして、こちらに敵意を向けてくるのなら敵意でこたえるだけだ。

 隠れた盗賊はどこにいるのか、もうわからない。なら、イーファに止めを刺しておくことが必要になる。

 私はすぐさま魔力を集めて、『魔力拡散の呪文』を練り上げる。誰の姿も借りていないから、このくらいのことに時間はほとんどかからない。

 しかしイーファはすぐさまその場から飛び出す。思わず、私は手を止めた。風の精霊イーファは小さく、魔力拡散の呪文が必ず命中するとはいえない。

 かと思えば、唐突に強風が私に向かってきた。これは、以前私が使った『精霊のうねり』だ。

 凄まじい風と圧力で敵を攻撃しながら、同時に魔力を奪い取るというものである。しかし、妖精である私に向かってこんなことを。

「賢しい!」

 私は暴風に目を細めて両腕を固めつつも、少しみっともなくも舌打ちをする。それから素早く両手と羽を開いて強引に風を押し返した。

 私の生命力そのものである『魔力』を大量に掠め取られることは避けたかったからだ。気合で周囲の精霊たちを黙らせ、略奪し、うねりを消す。私だってこんな状況でなければそのくらいのことはできるのだ。

 『精霊のうねり』を押し返されたイーファは吹き飛び、地面に転がった。

 このまま彼女を放置していいはずがない。始末する必要がある。止めを刺すには、『魔力拡散の呪文』を食らわせるのが一番有効だ。かつてこの魔法を食らった私は丸一日全く動けなかった。そのくらい、精霊や妖精にとってはきつい魔法なのだ。

 しかし、今回の場合もう一つ方法がある。力を得たといえ、イーファが精霊であることは間違いない。そこで、魔力のための贄としてそのまま吸収してしまう手もあるのだ。というより、それが手っ取り早い。問題はイーファほどの力を得たものは、やすやすと吸収されずにかなりの抵抗をしてくることが予想されるということだ。

《ルメル、腐敗の呪文をつかってもいいですか》

 ブルータがそんなことを訊いてきた。

 ダメに決まっている。こんな精霊にとっては居心地のいい空間を丸ごと破壊してしまうなんてことは、絶対にダメである。

 普通ならそうなのだが、今の状況ではそう簡単に切り捨てられない。イーファとハティを説得して戦いを回避することは無理だろうし、イーファはかなりの力を得た精霊だ。さらに盗賊のハティはこうした森林では隠れるところが多く、力を発揮する。このような場所を丸ごと汚泥の海に変えてしまう『腐敗の呪文』は、決まれば一気に状況を好転させるだろう。地の精霊から魔力を集めることはできなくなるが、およそ問題ない。イーファを吸収してしまえば、それだけでハティを倒すぶんくらいの魔力は補充できる。

 しかし、それでもダメだ。私は、落葉の妖精である。これほどの森林を腐らせてしまうのは、とても許せる行いではない。

《ダメだって》

 こたえた瞬間、何かが私の背後に出現する。咄嗟に振り返ろうとして、肩に何かが刺さった。

 いつの間にか背後から私に接近していたハティが、短剣を繰り出してきたのだ。左肩を強く突かれて、痛みが走る。

「うっ」

 妖精である私の身体から血がでるようなことはない。が、確かにその刃は私を傷つけた。

 イーファの加護がかかっているのだろう。妖精である私を物理攻撃で傷つけるなんて、普通は難しい。

「ルメル!」

 ブルータが心配そうな顔を見せる。

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