19・是非曲直 前編
ロナによると、そのハティという盗賊はめきめきと実力を上げているという。
最初は民家から小金をくすねる程度のこそ泥だったが、徐々に大胆になっていき、領主の屋敷や城、挙句には魔王軍の支配下にある都市からも盗みを働くようになったとか。民衆からはそれが正義も悪も関係なく盗みの対象にする一匹狼の盗賊、あるいは憎き魔王軍に煮え湯を飲ませる存在に見えているのだろう。
短い期間で急激なパワーアップをしているようにみえるが、以前城塞都市でカイザード将軍が王太子ルークスに語っていた『期待の魔法』というものが作用しているのかもしれない。盗賊のハティは貧しい人々や魔王軍によって住む所を奪われた人々によって英雄視され、期待をかけられて勇者となっている可能性がある。
というより、ロナが警戒しているということは魔王軍もそれを察知しているということであり、またただの人間に魔王軍の支配下にある都市で盗みをするなどということができるわけもないから、ハティが勇者となっているのはほぼ間違いないといえる。
もしそうでないとしても、魔王軍に煮え湯を飲ませていることは確かなので、勇者に匹敵する実力があるということになる。決して侮っていい相手ではない。幸運なのは勇者ライン、女勇者クレナの二人と合流することがなさそうだということくらい。
さすがにラインやクレナのような実力者がごろごろ出てくるはずもないだろうが、今のところハティの力は未知数。しかし、その功績が民衆に広まれば広まるほど彼への期待は増し、期待の魔法によって実力もはねあがっていくことになる。ロナが鉄橋都市への通り道に過ぎないこの欠落都市を下見にきているのはそうした部分も含めて、盗賊のハティを警戒しているからだ。
この不定形の魔物であるロナが勇者となりつつある盗賊のハティに勝てるかどうかはわからない。少なくとも、私にはわからない。ハティが実際にどのような力をつけているかは不明であるし、ロナの実力もフェリテと戦ったときのものが全てではないだろう。あれからロナもあの戦いを振り返って反省し、実力を伸ばしていると考えられる。
あれよりさらに成長していると。フェリテと引き分けに終わったあの戦いから、まださらに延びていると。どういう方向に成長しているのかもわからない。人間型の悪魔なら多少は戦い方が予想できるが、ロナの場合は相手の不意をつくような戦い方を得意としているような感じなのだ。そうでなくともあまりかかわりたくない相手なのに、近寄りたくもなくなってくる。
私はそんな風にロナを恐れてブルータのフードの中で縮こまっていたのだが、それが面白かったのか、フォンハがクツクツと喉の奥で笑いながらロナにこんなことを言うのだ。
「おぬしは大して気にもしてないからそう言えるのじゃろうがな。あいつらに怯えるなといっても無理じゃろ。見てみろ、すっかり怯えておる。あいつらはお前たちの上役であるガイを殺しておるわけだからな」
逆に、私はどうしてフォンハが平気な顔をしていられるのかがわからない。部外者だからといえばそうだろうが、折角治療したブルータがまた大怪我をする可能性があるというのに。いや、大怪我ですめばいいが。
しかし、ロナはそれをどこまで察しているのか、平然としている。本当に気にもかけていないように、私たちを見てもほとんど焦りや怒りを感じさせない。
「そうビクビクするな。別にお前たちを糾弾するつもりもないし、ここでひっ捕らえて処刑するつもりもないんだよ」
軽く肩をすくめて、そんなことまでいうのだ。どこまで信用していいのかわからない。ロナだって悪魔なのだから、表面的な態度をそのまま信じ込むのは危険なのだ。私はそう思っている。
私が悪魔の中で信用しているのは一人と半分。ホウとブルータだけだ。ホウの場合は複雑な皮肉や冗談だったことがあるが、誰かの命にかかわるようなことでだまされたことはない。これまでも、結果的に彼女は私にとって最善の結果となるように動いてくれていた。私はまだ、ホウのことを信じている。
つまり、ロナのことは信用していないのだ。当たり前だ、あのガイの下についていた悪魔なのだ。
《ブルータ、警戒して》
私は思念会話を送った。ブルータはなんだかんだでまだ子供だ。優しげなロナの態度に騙されてしまう可能性がある。
そこでしっかり釘を刺しておく必要があった。
それなのに。
《いいえ、ここは信用してもいいと感じます》
返ってきたのはそういう楽観的な意見だった。やっぱり無条件で信用してしまっている。それほど親しく会話するような間柄じゃなかったとはいえ、知らない間じゃないから信用したくなる気持ちはわかる。けれども、あなたは今四天王の一人である海軍司令のガイを暗殺して、逃げている途中だっていうことを忘れたわけじゃないでしょうに。
私だってそのくらいはわかるつもりなのに、ブルータはわかってくれないのだ。
《フォンハさまが信用なさっています》
確かに、フォンハはロナのことを信用しているようだ。ロナがガイを殺した私たちを捉えようとして、鉄橋都市への逃げ道であるこの場所で待ち伏せをしていたのかもしれない、なんてことは考えもしていない。
たぶん彼女としてはそれで正しい判断なのだろう、と私は思う。フォンハは人間でも悪魔でもお構いなしに治療するくらいの中立主義者だ。どちらも助けるが、どちらの味方でもないというスタンスをとっている。つまり、ブルータが怪我をしたので往診には来るが、ロナに引き渡すということはしない。ロナから私たちを逃がす手助けもしない。ハティという新しい勇者にも特に興味を示さない。
中立主義者としては、とても正しいように見える。
しかしブルータは違う。彼女は完全に特異な立場に追い込まれており、誰の味方でもないフォンハとはまるで違う状況にいるのだ。半魔族、ハーフダークであるブルータは人間からは疎まれ、悪魔からは蔑まれる存在。加えて今まで散々勇者たちを暗殺する命令を受けて暗躍してきているし、実際に殺された勇者もいる。その上一応傘下に入っていた魔王軍ですら裏切り、海軍司令のガイを殺してしまった。
となれば、人間たちも魔王軍も、ブルータの味方にはなってくれない。唯一の味方はホウだけだが、そのホウも現在消息不明。四方八方、上下左右、東西南北、どこを向いても敵しかいない。そういう状態だ。
このような中で、他人をやすやすと信用してはだめ。だめだ。どうしてブルータにはそれがわからないんだろう。私は深く息を吐いてから、両手で顔を覆った。思い切り眉間にしわがでている。
「ただ気になることがあるがね。お前たちがあの四天王を倒したというのがどうも信じがたい。上級魔族のフェリテ、半魔族のブルータ、それにおまけの妖精一匹程度でガイを倒せるはずがない。どうせ、ホウが加わっているのだろう」
ロナは四天王の一人であるホウに敬称をつけなかった。彼女が陸軍司令のリンと戦ったということは既に知られているのだろうか。裏切り者には、敬称をつけないと。いや、ロナは元から敬称なんてどうのこうのと気にするような悪魔じゃなかったか。先ほどもガイを呼び捨てにしていた。
そういえば、ホウとリン。二人はどうなっているのだろうか。そこが非常に気になる。ロナは知っているのだろうか。
「とにかく、お前たちにかかわりあっている暇はないから安心していい」
「そうか、気をつけてな」
フォンハに見送られて、ロナは市場の雑踏の中へ消えていった。そこでようやく、私は緊張を解いた。とても疲れる。
どうやら私たちをガイの仇とばかりに憎しみ、発見しだい即殺害というようなことを考えてはいなかったらしいが、それでも長年補佐をしてきた四天王のガイを殺されたのだから思うところが全くないわけではないだろう。今回はとにかく助かった。
「奴も大変じゃな。おそらく、奴以外に今の海軍を統率できるものはいまい。嫌でも次の海軍司令は奴に決まりじゃ」
「そういえばさっきロナのこと海軍司令って呼んでたけど、別に決定したわけじゃなかったの」
「くくく、いくらわしでもそこまで知らんわい」
「本当にいい加減ね」
私はあきれたが、ブルータは平然としている。会話を聞いていないのか、傷のためにそんなことを気にする余裕がないのか。そんな調子では、ますます魔王軍本部になんていけるはずがない。
かといって、この欠落都市にとどまるわけにはいかない。ロナから聞いたとおり、もうすぐここは彼女たちの軍勢によって蹂躙されることになるからだ。盗賊のハティが反抗してくるかもしれないが、それでたとえハティがロナに勝つようなことなるとしても、二人の戦いに巻き込まれる可能性があるというだけで、この都市に残るという案は没にできる。
フォンハの話では勇者ラインを筆頭にして人間たちが魔王軍を押し返そうと頑張っているらしいが、これまで人間たちは勇者による散発的な戦闘でのわずかな勝利以外は常に負け続けていた。例外といえばカイザード将軍の率いた部隊が電撃戦で何度か陸軍を撃退したくらい、とホウが言っていたのを思い出す。
それほど、負けているのだから死傷者の数は相当数になる。また、戦場からの離脱に失敗して魔王軍に降伏した人間の兵士たちもかなりの数があったが、いずれもが悲惨な末路をたどっている。陸軍に降伏した兵士たちはそのほとんどが処刑されたし、中には公開処刑のような格好で何人もの悪魔にいたぶられて死んだ者もいたらしい。つまり彼らは家族のところに生きて帰ることができなかったということだが、それでも武人として格好のつく死に方をしている分、海軍に降伏した兵士よりはいいと思えてしまう。
四天王のガイが率いる海軍に投降してしまった兵士たちは、例外なく長い苦しみの末に死ぬことになってしまう。肉体的な苦痛ばかりでなく精神的な苦痛もだ。特に女性がいた場合の無残な運命は筆舌に尽くしがたいが、男性であってもそれに比べて多少ましだから救われているなどとは思えない。
こうした情報は特に諜報部だけが知っている情報というわけではない。人間側も既に知っていることだ。魔王軍は、一度占領した都市を勇者によって奪い返されたことがあるのだから。そこに残された夥しい数の遺体を見て、何が起こったのかは十分にわかるはずだった。
人間たちも、報復の機会をうかがっている。今こそ、その機会と思っても何の不思議もない。
これまで悪魔たちが人間たちにそうしてきたように、人間たちもそうするはずだった。勝利しさえすれば、敗走する悪魔たちを存分に追いかけて突き殺す。投降した悪魔たちを処刑するだろうし、容姿の美しい女の悪魔には乱暴なこともしようとするかもしれない。憎悪も加われば、ガイがしたのとなんら変わらないことをやろうと思う人間がいたとしても何の不思議もないのだ。
ハティがロナに勝ち、魔王軍を敗走させたとしても結局、悲劇は回避されないのだ。人間たちが蹂躙されるか、悪魔たちが手ひどい報復をうけるかの違いでしかない。これは結局、この人間と悪魔の戦争全体にいえることだ。すでにそうしたことが回避できそうにないほど、両者は憎しみあっている。不倶戴天の敵だ。
人間であっても、悪魔であっても戦争に負けた側は悲惨なことになるのが目に見えている。なのに、ブルータは半魔族なのだ。人間でも悪魔でもない。両者から嫌われている存在だ。つまりどちらが勝ってもブルータが安寧を得ることは絶対にない。人間でも悪魔でもあると好意的に解釈をして、両者の仲直りのための橋渡し役として活躍を、などというのは神話の世界の出来事だ。現実にはブルータの正体が露見した時点で陵辱と拷問の果てに殺される未来しかなくなる。
もちろん私はそんな未来なんか望んでいないし、ブルータは大切な友人なのだから力の限りに守っていくつもりもある。しかし、そう簡単に回避できる未来ではなさそうだ。何より本人が死地に行きたがっているのだから。それを許すつもりもないけれど。
「おぬしたち、勝手に死ぬなよ。折角往診にまで来たのにすぐさま死なれたのでは、わしの治癒術師としての沽券にかかわるではないか」
フォンハはそんなことを言いながら鉄橋都市の方向に向かって歩き始めていた。ブルータはそれを追わない。やはり、魔王軍本部にいって母親の痕跡を確かめたいというのは本気なのだろう。私には狂気の沙汰だとしか思えないが、彼女に母親に会うために生きろなんていって発奮させたのは私だし、責任を感じる。何よりブルータを見捨てるなんてことできない。だから説得するしかないのだが。
「ほら、ブルータ。ここは前線だよ。ここにいるとロナたちと勇者ハティの戦いに巻き込まれちゃう。フォンハについていかないと」
「でもお母さんは魔王軍の本部に行かないと」
愚図愚図言って、ブルータは結局動いてくれない。見かねたのか、フォンハまで戻ってきてしまう。
彼女は広場の隅に座り込んでいるブルータに目を合わせて、はっきりと言い放った。
「しょうもないことを気にしておるな、いいか。わしがはっきり教えておいてやろう。お前の母は、上級悪魔のハイテから襲撃を受け、陵辱され、結果としておぬしを身篭った。だがな、身篭ってしまったと気づいたときにはすでに堕胎の危険が大きくなっていたし、その費用もなかったために仕方なくお前を産んだ。お前は決して望まれて母親から産まれたわけではない」
そんなことは今更言われなくてもわかりきっていることだ。ブルータの父親がハイテという名前なのは初めて知ったけれど、それ以外は容易に察せられることばかりで、ブルータも多分いやというほどわかっているはずである。上級悪魔のハイテと盗賊のハティが少し紛らわしいなと感じつつも、私はそれをフォンハがわざわざ口にする理由を察する。
上級悪魔のハイテについて、レイティの記憶の中を探ってみても現在の魔王軍の中にその名はない。その悪魔は、何年も前に仲間の悪魔とともに魔王軍から追放され、間もなく討伐されている。時期についてはレイティの記憶がいい加減なのか不明瞭だが、十年以上前のことなのは確実のようだ。
「お前の母親はお前を身篭ったせいで、ラビル司祭の庇護を受けながら細々と暮らすしかなくなったというわけじゃ。その上、半魔族のにおいを嗅ぎつけたガイの襲撃を受け、快楽の対象にされながら死んでいった。まさしく、お前のせいで母親は死んだようなもの。それでもお前は母親に会いに行きたいのか」
ブルータの目を正面から見て、フォンハは残酷とも思える言葉を吐いた。
要するに、母親に迷惑をかけてばかりだったお前がどういう面を下げて死んだ母親に甘えにいくというのか。と、非難しているわけである。
しかし、それは違うと私は反論したかった。ブルータは子供なんだ。母親がいなければどうにもならないくらいの、子供なんだ。
確かにこの子くらいの年齢で独り立ちしている子もいるだろう。しかしブルータがこれまで歩いてきた道のりは、あまりにもひどすぎる。特別扱いをするには十分だろう。この子は、お母さんに抱いてもらう権利があるはずだ。今までよくやったと頭を撫でてもらう権利があるはずだ。
とはいえ、ブルータの母親はすでに生きていない。権利はあっても行使することは不可能だ。ゆえに、私は黙っていた。何も言うことができない。
それにフォンハがわざとそうした残酷で衝撃的な言葉を選んで話しているのだから、その狙いもわかる。彼女なりにブルータを救おうとしているのだ。




