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暗殺の青  作者: zan
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18・死灰復燃 後編

 広場に着いたところで、私たちは隅のほうに腰掛ける。

 ブルータがナイフを取り出して先ほどの木の実の皮をサクサクと剥いていく。器用なものだと思う。隣に座っているフォンハも同じようにしているが、ブルータよりも上手い。さすがに長年生きているだけのことはある。

 先に剥き終えたフォンハが木の実にかじりつく。みずみずしくて、やわらかいようだ。

「うむ、わるくないな。いける。お前も食っておけ、今のうちに食っておかんとここから先はどうなるかわからんぞ」

 言われて、ブルータも果実に口をつける。

 大怪我もあってか、今の彼女は口数も少ない。かなり緩慢な動作で実を咀嚼し、嚥下する。

「うまいじゃろう、まあわしがすすめたんだから当然じゃがな」

 フォンハは特にブルータの反応など確かめもせず、自分だけさっさと食べ終わるとマントの端で手を拭ってしまう。

 それからやおら立ち上がると、食べ物のにおいに惹かれたのか市場のほうへふらふら歩いていく。その容姿もあって、なんだか迷子の子供のように見える。

「ちょっと、フォンハ! 何をふらふらしてるの」

「いや、あの焼き菓子がうまそうでな。この蜜が食欲をそそって」

「あんた、食べようが食べまいがどうでもいいような身体の癖に」

 私がフォンハに文句を言っている間に、ブルータが果物を食べ終わった。皮を捨ててしまうと、手ぬぐいを取り出して果汁をふきとる。

「ブルータ、どう。平気なの」

 私は彼女の肩に乗ったまま、容態を訊ねる。

 いかに治癒術師のフォンハが治療したとはいえ、こんなに早く感知するはずがない。それはわかっているのだが、訊かずにはおれない。

 ブルータは軽く首を横に振った。平気じゃない、という意思表示だろう。当然のことといえる。

 あれほどの怪我を負ったのだから、本来ならしばらく安静にしていたいところだ。少なくとも今日明日くらいは。それなのに、事情が休むことを許さないので仕方なく移動する。

 どうしてフォンハがここにいるのか、私たちにくっついてきているのかまるでわからないけれども。

「話せる? ねえブルータ」

 お母さんに会おう会おうなんて言って彼女を引っ張ってきた手前、私はブルータと話をしなければならないと感じている。どうあっても四天王のガイに会って母親の情報を得ようと言ったのはブルータ。そのガイから得た情報は、確かに母親を辱めて食らった、ということだけ。

 ガイは前にも確かに母親を殺したってことを言っていたけれども、あれとはまた違う。真正面から戦って、圧倒的な力でブルータの母親を叩きのめして、辱めて、それから、食らってしまった。そういうことをはっきり具体的に言った。多分、これ以上ブルータの母親の行方を捜しても同じことになるだろう。

 もう、お母さんに会うためにがんばろうという言葉でブルータを奮い立たせるのは無理だ。今の彼女は、リンのつくった牢獄にとらわれて苛烈な拷問をうけ、生きていく力を失ったあの時と同じくらいまで消耗している、としても不思議ではない。というより、それが自然に考えられる。消耗していて当然なのだ。

 第一、私だって万全ではない。ガイの身体を魔力に変換してどうにかあの場を抜け出したものの、その魔力をブルータの治療のためにほとんど使い果たしてしまったのだ。フォンハの指示がそのくらい過酷だったということでもあるが、おかげで万全とは言いがたい。かなり疲労している。

 要するに、精神的な意味でも肉体的な意味でも休息が必要なのだ。どう考えても必要だ。

 それなのに逃げなくてはならない。それも大急ぎで。

「ねえ、ブルータ。これからどうするつもり? フォンハは人間側か、魔族側のどちらにしてももっと奥に逃げるべきだって言ってるけど」

「いえ、逃げるなんてしたくありません」

 ようやくブルータはか細い声を出したが、かなり聞き取りづらい。妖精の私じゃなければ多分聞けなかっただろう。

「逃げたくないって言ったって、どうするつもりよ。このままここにいたら人間と魔王軍の戦いに巻き込まれるだけだけど。まさかこの町を守って魔王軍と戦うなんていわないでしょうね」

 あれだけ戦って、まだ戦い足りないなんて言わないだろう。

 母親の死を思い知らされたことで生きていく力を失くして、死に場所を求めて戦いにいこうなんて思っているんだったら、それこそ力づくでも止めなきゃいけない。私はそのためにここにいるのだから。

「この町には残りません。魔王軍本部に戻らなければなりません」

「はあ?」

 私は思わず、顔をしかめながら大きな声で間抜けな声をあげてしまう。

「その魔王軍本部から逃げ出して、必死の思いで今まで何とか生き延びてきたのに! どうして敵の本拠にわざわざいかないといけないのよ」

「ルメル」

「何?」

「今、本部には勇者たちが攻め入ろうとしているはずです。少なくとも、その準備をしていると思います。時間がありません」

「だから、なんでそんな急いで行くの。待って。ほんの少しまっていれば、勇者たちが魔王軍を倒しちゃうかもしれないじゃない。その後なら、誰にも邪魔されないでしょう。どうして今、たった今、世界で一番危険な場所に行かなきゃいけないの。あなたは魔王軍に背いた存在だってわかっているでしょう」

 人間からも魔族からも嫌われている半魔族だから余計につらい思いをすることになる、とは言えなかったけれど、私はブルータを思いとどまらせようと言葉を投げかけ続けた。

「とにかく! 魔王軍につかまっても、勇者たちに見つかってもろくなことになりそうにない。魔王軍総司令のリンにつかまったとき、どういうことをされたのか忘れたわけじゃないでしょう。それに、四天王のガイが捕虜たちをどう扱っていたかも! 痛いなんてもんじゃないし、死んだほうがましだっていうくらいつらいことになるのは目に見えているでしょう」

「わかっています」

 ブルータは自分の両手を見つめて、それからしぼった声でそんなことを言う。

「それでも、本部へは行く必要があります」

 なんでそうなるのか、私にはわからない。あんな目に遭うかもしれないのに。思い出しただけでも本当に腹が立つというか、気が滅入ってくるような陰惨な拷問をうけていたのだ。何をされていたのかブルータの口からはっきり聞いたわけではないけれど、不幸の度合いとしてはかなりのもののはずだ。

「どうして」

 私は一旦こちらの言い分を引っ込めて、ブルータの意見を聞いてみることにする。

 しかし、それで私は自分の行いが間違いだったと思い知ることになる。聞いてみたことが、じゃない。

 あのとき、閉鎖空間から彼女を連れ出すのに『母親』という言葉を使ったことが、だ。

 彼女は下を向いたままで、呟くように答えたのだ。

「お母さんがいるとしたら、あるいは手がかりが残されているとしたら、あとはそこしかありませんから。魔王軍本部の中枢、最後の謁見の間の奥しか。勇者が攻め入った後では、痕跡が残っていないかもしれません」

「いや、あのね。ブルータ」

 咄嗟に私は何か言おうとしたのだが、言葉がでない。舌が空回った。

 よりにもよって、どこに向かっているの。どこに行こうというの、あなたは。

「ずいぶん大それたことを考えておるな、おぬし」

 戻ってきたフォンハが、蜂蜜のようなもののかかった焼き菓子を食べながらそんなことを言う。どうやら、今の発言自体にはさほど驚いていないらしい。どういう神経をしているのだろうか。

 勇者でもなんでもない、人間からも魔族からも嫌われているブルータが。魔王軍の中枢に入り込んで母親を探す、なんてことは狂気の沙汰だ。私はもう驚きすぎて喉が閉まって言葉がでない有様。

 しかし、フォンハは悠々としている。

「おう、この蜜は樹液を煮詰めて作ったらしいぞ。蜂蜜とは違った味わいじゃな」

「そうですか」

「うむ、うまかったな。おぬしはいらんのか」

「いりません」

「そうか、実はもう二つ買っておいたのじゃが」

 ひょい、と軽い調子でフォンハが焼き菓子を二つ取り出す。どこに隠していたのか私にもわからない。が、焼き立てではあるらしい。いいにおいがする。甘いにおいだ。

 蜂蜜に似ているが違うというその蜜はちょっと舐めてみたい。私は妖精なので別に何か食べる必要などないが、味を楽しむことはできる。

 フォンハは焼き菓子をゆらゆらと揺らしてブルータの前にかざす。

 うん、おいしそうに見えてくる。

 そのにおいにやられたのか、最初はいらないと言っていたブルータもついに折れる。

「おいしそうに見えてきました。よければ、少しいただけますか」

「最初から素直になっていればいいのじゃ」

 フォンハが焼き菓子を手渡す。よかった。私も少しおすそ分けしてもらえそうだ。

 ブルータにおねだりをしてみると、彼女は大して嫌な顔もせず、力のない微笑とともに少しだけ分けてくれた。それでも私の顔くらいの欠片はあるので、十分すぎる量だ。さっそく口に入れてみると、樹液を煮詰めたという蜜は、確かに甘い。しかも、後に引かずにさっぱりとした甘さだ。癖になりそうで困る。

「甘くておいしい」

「そうですね」

 少しずつ焼き菓子を食べていくブルータを見つつ、私はフォンハに思念会話を飛ばしてみる。

『ブルータを止めないわけ、あんた』

『止めてどうなる。というより、止める術を知らん』

 非常に素っ気無い回答がきた。ブルータを心配しているからこそ、こんなところにやってきてくれたはずなのに。

『知らんよ、わしは怪我を治しに来てやっただけじゃ。おんしらが何をしようが、その行動方針にまで口を挟むつもりなんぞない』

『何それ』

 全く役に立たない! と私は憤慨する。どうにもならない。

 しかしこうと決めたら動かない、頑固な部分がブルータにはある。今回も私がどう論を尽くしても魔王軍中枢に行くという考えを変えてくれないだろう。

 正直に言うと愚行なんてもんじゃない。なんというか、自殺しに行くようなものである。わざわざ手間隙かけて殺してもらいにいくのだ。それと全く変わらない。より確実に死ねるからと、飛び降りるためだけに高い山に登るような。暴挙というか蛮行というか。こういう場合どういえばいいのか私にはわからない。

 頭を抱えていると、ふとフォンハが何か言った。どうかしたのかなと、顔を上げてみると彼女がなにやら見つめているのがわかった。ブルータも同じ方向を見ている。

 視線の先を追ってみると、一度だけ直接見たことのある、魔王軍の一人が歩いているのが目に入った。

「げっ」

 その場で飛び上がりかけるが、なんとか押しとどまる。

 市場の端から歩いてきたのは、毛皮のコートを着込んだ藍色の髪の女。ロナだったのだ。

 魔王軍海軍司令ガイの側近、事実上の海軍副司令。ガイが死んだ今、おそらく魔王軍で最も多忙なはずの悪魔だ。それなのに、どうしてこんなところにいるのか。

 どちらにしても、ここで彼女に見つかったらろくなことにならない。急いで隠れないといけないが、『隠遁の魔法』を今から使ってしまったら多分彼女にはすぐにばれてしまうだろう。私は慌てて胸ポケットから外に飛び出て、ブルータのかぶっているフードの中に飛び込む。そして内側からより深くフードをかぶせた。偽装の魔法はかけているが、ロナがそれを見破ったとしてもせめて特徴ある彼女の角だけは見させないように。

 片方だけ折れたブルータの角は、あんまりにも特徴的過ぎる。他の何より、それを見つかっては完全に誤魔化しようがない。もっとも、魔王軍の海軍副司令であるロナが青の暗殺者ブルータの顔を覚えていないとも思えなかったけれど。とにかく、ここだけでも隠しておかないと。

 ブルータも私の意図を察したのか、さっと顔を伏せる。一心に焼き菓子を食べる子供を装った。

 うん、それでいい。あとはどうしてここにいるのかわからないあのロナが通り過ぎてくれるのを待って逃げるだけ。行き先は適当でいい、ブルータを説き伏せる時間が必要だ。頑固な彼女の考えを変えさせるのは無理かもしれないけれど、いくらなんでも今すぐ魔王軍の中枢に乗り込むなんてことは認められない。

 ロナはその美貌で市場を歩く人々の注目を集めながらもこちらに向かってやってくる。広場を通り過ぎるつもりか、それともこの欠落都市の視察か。

 どうか何事もないようにと私が祈っていると、そんなことはお構いなしといわんばかりにフォンハが立ち上がり、ロナに近づいていく。

 何をしているのか、あの治癒術師は。

 愕然とする間もなく、彼女はあろうことか、ロナに声をかけてしまった。

「おぬし、海軍司令のロナじゃな。こんなところで何をしておる」

 なんてことを。そりゃあ自由気ままに中立を気取っている死霊の治癒術師にとっては海軍を束ねるロナなんて恐れるものでもないかもしれない。しかし私たちは違う。

 私は顔をふせた。ブルータの髪に顔を埋めて、震える手を握り締める。

「あなた、治癒術師のフォンハ。こんなところで何を」

「ふ、お得意様の治療に往診をちょっとな。ほれ、あそこでこそこそしておる」

 ああ、なんてことをするのか。それともフォンハはロナなら私たちに危害を加えたりしないという確信があるのか。

 とにかく、もうごまかせない。縮こまっていても無駄だ。私は観念して顔を上げ、ロナの様子を窺ってみた。

「これはこれは、逃げ出したっていってたお人形さん。こんなところにいたとはねえ、ガイを殺したっていうのは本当なのかしら」

 こっちを見ている。なんというか、完全に照準を合わせられていて、逃げられそうになかった。

 やるならもうブルータに無理をさせるとわかっていても戦うしかない。強行突破で逃げる他に策を考えつかなかった。

「そこの妖精、ホウ様が預かってた枯葉妖精かな。別に怯える必要なんてないけれど。こんなところであなたと戦う意味がないからね。私は次の進軍のために下見に来ているだけだから」

 それが本当だとしたら、少しは安心できる。

 が、嘘でないという保証もない。ロナの声はレイティの記憶で聞いたときよりもずっと威厳を増している。落ち着きも加わっているし、海軍司令らしさがにじみ出ている。先ほどもフォンハが海軍司令と呼んでいたし、おそらくガイがいなくなったことで順当にそのまま司令の地位をもらったのだと推測できる。

 ついでにいうなら、私は落葉の妖精であって、枯葉妖精ではない。しかしその訂正のためにロナに話しかけるのも怖いので、そのまま黙っておくことにする。

「本気でこんなところを攻め落とそうとしておるのか?」

 フォンハが横から口を挟む。

 ロナは軽く息を吐いて、首を振った。

「馬鹿ね。ここは鉄橋都市を陥落させるための通り道。地形を見ておくというのと、それと最近このあたりに勇者が出没してるという話もあったから。念のために下見にきただけさ」

「勇者が。こんなところにラインやクレナがおるのか。その割には気配を感じぬな」

 なにやら物騒な会話をしている。勇者といえば、あの恐ろしい二人組みのことだろう。あんなのがこの欠落都市にいるとすると、それはもう危ない。今すぐにもでも逃げ出したほうがいい。

 が、フォンハの言うとおり、彼らが濃厚に漂わせる血と死の気配を感じない。隠しているのかもしれないが、魔王軍の支配下でもないここでそうする意味はあまり感じられなかった。

「ああ、ラインたちではない」

 ロナは軽く手を振って否定した。

 とすれば、ラインやクレナではない別の勇者がまた出現したということになる。

「どちらかといえばこそ泥の類かな。怪盗ハティと名乗って、あちこちで色々とやっている。汚いこともな」

「勇者なのに、汚いことをか?」

「無法者ということだ。人間でも欲深く私服のために弱者に害をなすものがいよう、そうしたものを暗殺することもあるし、生きていけなくなるほどの財産を奪い取っていくこともある。その一方で気に入った女を強引に抱いたり、他人の奴隷を勝手に奪い取っていって運命から救ったつもりでいたりする。そういう手合いだよ」

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