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暗殺の青  作者: zan
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18・死灰復燃 前編

 起き上がったブルータは、ガイを睨んでいる。その瞳は、憎しみに燃えていた。

 ああ、これはいけない。私はそう思う。

 なんて目をしているのか、ブルータは。あまりにも、憎悪に燃えすぎる。

「本当ですか、じゃねえよ。目の前で見てたじゃねえか、え? お前の母親が、俺に嬲られてひーひー言ってよ、最後に食われるところまでな! それを今さら忘れたようにしてんじゃねえよ、かわいそうじゃねえのか。お前を守るために必死になって、頑張ってカラダ張って、意地張って俺に抵抗しようとしてたってのにな」

 ガイがヘラヘラと笑って立ち上がる。もうすっかり、全身の傷が治っている。私があれほど攻撃したというのに、もう全快していたのだ。フェリテの身体をあれほど使ったというのに無意味だった。

 私の努力は無駄だったのだ。ガイは無傷で、ブルータを笑って見下ろしている。

 立ち上がったブルータが四天王のガイを睨んでいるが、それがなんになるというのか。

 勝てない。どうあっても、勝てない。ブルータも私も、全身全霊をかけて挑んだはずだ。フェリテだってそうに違いない。けれども、この四天王の一角であるガイ。彼を倒すに至らなかった。

 ブルータが気力で立ち上がって彼を睨みつけても。死霊たちの力を借りて多少傷を癒してみても。それは時間稼ぎにしかならない。そして時間を稼いだところで何か私たちに有利になることがあるかといえば、ないのだ。

「まあせっかく起き上がってきたところで悪いが、お前にもう用はねえ。とっととご退場願おうか。もう何年かすりゃあ、お前だって犯しながら食ってやって問題なかったんだがな。ガキには俺の自慢のものも、戦闘状態になれねえやな。ヒャハハハ」

 魔力を纏わせながら、ガイはブルータに歩み寄っていく。もう一撃殴って、終わらせるつもりなのかもしれない。私がつくっていたホウの肉体を破壊したあの攻撃なら、ひとたまりもないだろう。ブルータの身体なんて、四散してしまう。

 対するブルータはもう立っているだけで手一杯。ふらふらだ。何度も死霊の力を借りて、どうにか立ち上がるということを繰り返しているけれどももう歩くことさえ無理なくらいに疲労している。それでも立ち上がって、許せない敵であるガイを睨みつけているのだ。だが、睨むだけ。それだけだ。魔力も集中できないほど、何も出来ない。

「おいおい、何をそんなに睨んでやがる。生意気な目だぜ」

 ガイはいつまでも剣呑に睨み続けるブルータを睨み返した。それでおとなしくさせようとしたらしいが、ブルータは引かない。睨み合う。

 恐らくもう、それしかできない。彼女にはもうどれほどの体力も残っていないに違いない。だが、睨むことはやめない。その視線を、そらさない。

 私には、わからない。それほどまで、ガイに憎しみをぶつける理由がわからない。どれほど怒っていたとしても、そんなことをしていればガイに嬲り殺されるだけだ。それとも、何か狙いがあるのだろうか。ガイの攻撃を誘っているのだろうか。たとえば、私からガイの注意をそらすためだとか。

 しかしそうではなさそうだ。

 憎いからだ。あくまでも、ブルータは憎悪でもって、ガイを見ている。殺意さえも、もしかしたら含んだ視線で。

「生意気なツラだ」

 睨み合いを続けながら、ガイがブルータに近づいていく。

「その目は、嫌いじゃねえぜ。ずいぶん、生意気な顔をしてるな、お前はよ。俺はよ、そういう奴は嫌いじゃない。そういうつもりだ」

 親しげに、ニヤニヤと彼は笑う。強く笑う。そうしながら、ブルータの着ている霧の衣装を掴んだ。胸倉を、掴みあげる。

 それでもブルータは視線をはずさない。黙ってガイを見上げる。見つめ返す。そうして、彼に殺意を向けているはずだ。

 その殺意を受け止め、かえってガイは愉快そうにしている。

「気の強い女を屈服させるのが俺は大好きなんだ。お前のその目が、苦痛にゆがんで俺に屈する瞬間が、楽しみで。笑えるってもんだ。ヒャハハハ」

 再生した指先で、ガイがブルータの頬をぐいと突いた。ざり、と皮膚が切れる。血が流れ落ちた。

「いつまでその目が続くかな」

 流れた鮮血をとって、舐める。そうしておいて、突然ブルータの体を突き放し、あおむけに倒れこんだ彼女の胸を踏みつける。

 私はそれをただ、見ていることしかできない。四天王のガイが、ブルータを存分になぶっていくさまを、ただ見ているだけ。なんて、役立たずなんだろうか。

 落葉の妖精であるはずの私、ルメルは何もできない。魔力を失って、疲労困憊。ホウの姿に変わることはもうできないし、フェリテの体はもうガイに食い尽くされてしまった。死霊が空を埋め尽くし、大地にはどす黒い血が染み渡るこの場所では、精霊の力を借りることさえできやしない。まったく私は無力なのだった。どうにもできないのだった。

 それなのに、ブルータは傷ついて。ひどく傷ついたままで敵をねめつけている。

 最後まで決して諦めていない瞳。もう一片の魔力もその身に宿せないほど疲労しているだろうに。その足は今にも崩れ落ちて、彼女を放り出そうとしているのに。

 かわいそうなブルータは、母親を残酷な方法で奪われたブルータは、その怒りを晴らす方法も知らないで、わからないで、どうにもできずにただ、憎い敵を睨んで。そして死んでいくのか。私と同じように、何もできずに。

 私は彼女をあの牢獄から連れ出した責任がある。ブルータを曇らせないように、私が頑張らなければいけなかった。

 残念なことに、私はそれを果たせない。もう体が動かないのだ。少し待てば周囲のわずかな精霊が力を貸してくれているから、たぶん回復できる。動くようになるだろう。

 しかしそれじゃ遅い!

 今動かなければ、今この手足が動かなければ、今この体に魔力が満ちなければ、意味がない。ブルータを助けられない。

「おら、どうしたよ。命乞いの一つもしてみせろ。そうしてみせれば俺の気が変わるかも知れねえぜ」

 足でブルータの胸元を圧迫する。踏みつけている。そうしているガイは、愉悦の顔。めきりめきりとブルータのあばらが軋んでいく。すでに折れているところもあるはずだ。先ほども強く殴られている。

 ブルータは血を吐いた。その血が喉をふさいだのか、咳き込みさえする。絶望的な咳音。水音。出血。

 死ぬ。彼女の命が削られている。

 避けようもない死へ向かって、彼女の運命は落っこちていく。それを、止めなければならないのに。

「その目、いつまでも俺を睨むのか? 死ぬぞ、死ぬぞ?」

 容赦なく体重をかけて、ガイがブルータの胸を蹴りつける。踏みつける。その衝撃に血を吐き、咳き込む。

 けれども決して、ブルータはガイを睨むことをやめない。意地になっているのか、もう意識もないのか。憎悪をこめて、彼女はガイを睨む。

 それしかできないはずだ。それだけが、彼女にできる最後の抵抗のはずだ。

 助けがくるなんてこと、ありえない。時間を稼いでも意味がない。だから、だからブルータ、逃げることを考えてもいいのに!

「ほら、ええ?」

 ガイの足が、ブルータの右腕に移動した。彼はそのまま、地面に落ちていた小枝でも踏み折るようにする。

 ばき、と。実にあっけなくブルータの右腕が折れた。

 痛いはずだ。痛い、なんて言葉ですまないほどの激痛が走っているはず。だが、ブルータはわずかに口の中にたまった血を噴出しただけ。それだけで、何もない。同じように、ガイを睨んでいる。その眼光は衰えもしない。死ぬまで、そうしているつもりなのか。

「次は左手、その次は足だ。なあよ、まだ俺を睨んでいるのか。痛い思いをするだけだぞ。俺の心一つで、すぐにも死ねる。あるいは死ねずに苦しむ、わからないのかよ。そうして俺を憎しみの目で見てても何もない。へへ、どうだ。降参しな、降参をよ」

「……ぷ、ふっ」

 小さく息をどうにか吐いて、ブルータが小さく首を振る。

「ならよ、左腕もこのとおりに」

 右腕と同じように、左腕も。ガイは踏み折る。ブルータは小さく呻いただけだった。悲鳴も上げない。

「そして、見せてやる。さっき俺が妖精を打ち負かした技。そいつをちらりとな」

 ガイは右腕を突き出した。その手に魔力を集めると、濃縮させていく。

 さあ、よく見ろといわんばかりの態度だ。俺が強いのをよく見て、そして絶望しろと、こう言っているわけだ。

「俺が得意とする格闘と、魔力の融合だ。お前らがやっているのはただ単に、魔法という画一的な方法での肉体強化にすぎん。だが、俺のこれは違う。魔力を使うだけではない。纏うだけではない。体を包む魔力を常時、高速で回転させる。局地的な大嵐のようにだ。そうしておいて、常に魔力でそれらをより加速させる。強烈な魔力の旋風をまとった拳だ。強い、強い拳だ。魔力の拳ってやつだ。ええ、ただ単純に魔力で強化して殴るだけじゃない。そういう知恵と工夫で、俺はお前らを消し飛ばしたんだよ」

 得意げに解説をしながら、実践している。

 確かにガイの右手に集まった魔力は高速で回転しているようだ。局地的にそこだけ暴風が吹き荒れているように。今ガイの右手に触れればそれだけで全身が引き裂かれるはずである。

 それほどの魔力を彼は纏っていた。纏わせていた。

 私はこれで殴られたのか。いや、あのときは両腕まで魔力に還元していたはずだから、蹴られたのかもしれない。ということは、やろうと思えば足にもこの魔力を付与できるということだ。

「俺は強いぞ。こんな風に」

 虚空に向けて、その拳を振るった。

 ガイは何の気なしに振り回しただけだ。そういう風に見えた。だが、周囲の死霊たちが消し飛ぶ。地に滴っていた鮮血が巻き上げられてすっ飛ぶ。その一撃が、ブルータの着ている霧の衣装まで暴風にはためかせる。

 ブルータに働きかけていた死霊が、すっかり消えうせてしまうほど。

 それほどの一撃だった。こんなものを気負いもなく放ってしまう。つまり、それだけ強いということを。これだけ見せつけている。

 わざわざご丁寧なこと! わかりきっている。ガイが強いってことは、私たちにはもうわかっていることだ。勝てないってことも。

 私たちの運命はここで尽きているんだってことも。勇者たちを殺してきたブルータの罪は、ここで裁かれるってことも。

 青の暗殺者は、潰える。ここで終わりだ。

「まだお前は、絶望しないのか」

 ガイはそんなことを言う。

 ブルータ。

 両腕をへし折られて、あばらを砕かれて、血を流して疲労して。動けもしない。立ち上がることもできない。

 彼女はそれでも諦めずにいるらしい。まだ、まだ。ガイの顔を睨み返している。ねめつけている。殺意とともに。憎悪とともに。

 どれほど実力の差があろうとも、関係ないのだ。おそらく彼女にとってはそうだ。

「お前よ、いい加減でイラついてきたぜ。わかるだろ、お前は俺に勝てないんだよ。命乞いしろって。ああ? こびろよ。泣いて謝れ。どうしたんだ。てめえは下等な、どうしようもねえハーフダークなんだろうが。上級悪魔であるこの俺様にガンつけて、どうなんだよそりゃあ」

 ガイは怒っていた。苛立っている。

 私はとても動けない。何も、指先一つさえ満足に動かないのだ。だから、助けにはいけない。

 ブルータを、助けられない。逃げて、と思念会話をつなぐこともできなかった!

 どうあっても、逃げないと助からないじゃない。助かる公算をすること自体、ここでは無謀なのかもしれないけれど。

 だってブルータは怒っているから。ガイを許せないと思っているから、だから逃げない。

 いや、違う。

 怒っているから逃げないんじゃない。最初から、逃げるつもりなんてなかったんだ。

 彼女の瞳。ブルータの、半魔族のブルータの瞳はもう、あの閉鎖空間の中にいた段階からすでに濁りきっていて戻っていない。彼女の瞳に、光は戻らない。その空は澄まない。

 私が見たときから。初めて会ったときからすでに。

 彼女の魂は闇に囚われているのだ。深い闇の中に囚われて、もう戻らない暗黒となって。

 ガイは再び魔力をその拳に纏わせる。そうして、振りかぶってブルータを見た。

 もう殺して終わりにするらしい。痛めつけても脅しても屈さないブルータに苛立って、遊びを終わりにするのだろう。子供だ。こいつも、悪魔といえども幼稚な考え方しかしていない。

 その子供を、少女のブルータは暗い瞳で睨む。

 ぽつりと、呟くように言う。

「私は、あなたを許しません」

「許さなきゃどうなるってんだよ。ええ、おお?」

 寝転がったままのブルータを再び、引きずりあげようとガイは手を伸ばした。そしてその胸倉をつかみ上げる。


 瞬間。

 ガイの首が落ちた。


「あ、うお?」

 ガイの首が何かうわごとを言う。だが、それっきりだ。

 何が起こったというのか。私にはわからなかった。

 ただ、その場には両手をだらしなく下げて、濁った目でガイの首なし死体を見下ろすブルータがいた。

 鮮血が周囲を汚し、飛び交う死霊たちは狂喜を表現するかのように踊り狂っている。


 魔力の残余がその場に、わずかながら感じられた。

 闇の中に、その魔法は使われたのだろう。おそらくながら、ブルータの血をもって魔力操作で書き込まれた魔法陣。

 ブルータの胸元に込められた地伏の魔法、そしてそこに秘されたのは『幻影剣の呪文』だったに違いない。

 ほんの一瞬。

 ガイの油断。

 敵は罠にかかった。憎むべき悪魔の首は落ちて、助けるべき悪魔はすでに死んでいる。


 母親に会うための手がかりはなかった。

 すでに亡くなった者に会うための手がかりを求めていることがすでにおかしかった。

 しかし、今そこに立ち尽くして死霊の舞を見つめるブルータの濁った瞳を見れば、そのようなことが些事に思えてきてしまう。


 私には、すべきことがあるのだから。

 彼女に人並みの幸せを。

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