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暗殺の青  作者: zan
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17・肝脳塗地 前編

 四天王のガイは、少し離れたところにいるらしい。

 彼がこの街中にいたら、と考えると怖い。こんな隠遁の魔法くらい、彼は簡単に見破ってくるだろうから。そうなったら、袋叩きにされるのは目に見えている。折角、ブルータは自分というものを取り戻してここまでやってきたというのに。全てが水泡になる。

 そう考えると、ガイがこの場にいないのは僥倖だろう。

「ロナはいないみたいね」

 私は半分独り言のようにつぶやく。ガイの副官であるロナがもしもここにいたなら、ひょっとすると話がつけられたかもしれない。しかし彼女がどこにいるのかなどという情報は、私たちに入ってきていない。期待をするだけ無駄だろう。

 それに普通ならロナはガイのなだめ役なのだから近くにいて当然と考えられるのだが、ガイは既に暴走している。そうでなければこうも街が荒れるということはなかっただろう。つまり、なだめ役であるロナはいないのだ。この行軍に参加していない、と考えるのが自然だ。

 おそらくロナは手薄になった魔王軍本部の警備を担当させられているのだろう。参謀部のシャンは多分そういうことを考える。当たっていないにしても、そう事実と離れていないはずである。

 さて、これからガイと会うことになる。会ったら、確実に戦闘が始まる。

 ブルータはガイに勝つ算段があるのだろうか。とてもそうは見えない。

 私がしっかりしないと、ブルータはたぶん、簡単に命を落してしまうだろう。なぜなら、ブルータはまだ子供だからだ。

 いくら半魔族であるといっても、心まで丈夫なわけではないのだ。本当に生まれてから母親に守られて暮らしてきた子供。社会に出た経験もないはずだ。

 そんな子供が、今まであれほどの危険なことをやってきている。今こうして生き延びているのが不思議なくらいに。第一、レイティは彼女を使い捨てにするつもりだったろうし。

 これから先も同じように無事でいられるなんてことはありえない。このままでは彼女はいつか必ず死んでしまう。

 だから、私がブルータをしっかり見ていなければ。


 隠遁の魔法を使ったまま、ブルータは広陵都市を離れる。ガイの気配をたどって、移動するのだ。

 四天王のガイは間違いなく強い。

 しかし彼に会わなければ、母親の情報は得られない。となれば、会うしかない。

 それにしても、何故ガイだけこんなに都市から離れた場所にいるのだろうか。そう考えているうちに、陣幕が見えてきた。あの中にガイがいるに違いないのだが、何か強烈なにおいが漂っている。

 なんだかとてもエグい感じのにおいだ。血のにおい。それも、すごく大量の。

 絶対に、一人分だけのものじゃない。何人もの悪魔や人が、そこで殺された。明らかに何十人分、いやもっと。それくらいの血のにおいがしている。

 それに気がついてみれば。

 悔恨、怨嗟。

 そういった負の感情があたりを覆っている。これだけの血が流れるようなことがあったのだから、当然だろう。殺された人や悪魔の恨み、つらみが遺されてそこらを漂い、覆っているのだった。

 何人、何十人、ひょっとすると何百人かもしれない。

 少なくともそのくらいの数が、この付近で犠牲になったのだろう。おそらく戦いによってではなく、ガイによる一方的な虐殺、もしくは享楽の贄となったことが理由で。

 凶悪だ。彼は、まさしく悪魔。上級悪魔。

「ブルータ、ちょっと」

 私は不安になって、スタスタと歩き続けるブルータを呼び止めた。彼女は立ち止まって、肩に乗る私を横目に見る。

「どうかしましたか」

「どうかしましたか、じゃないよ。大丈夫なの、このまま突っ込んでしまって。勝算とか何か用意があるの?」

「手立てはありません。相手の実力もよくわかりませんから」

 確かにそのとおり。四天王のガイが強いということは知っているが、どういう戦い方をしているのかはわからない。レイティの記憶から引き出しても、力任せなパワータイプということくらい。しかもそれはかなり昔の話だ。四天王に数えられてからは、レイティの前で彼が戦いを見せたことはない。

 したがって、ガイの戦法は不明。対策など立てようがないというブルータの言葉は確かに正解だ。

 だが、だからといってノープランで突っ込むのはどうかと思うのだ。

「もう少し計画立てたほうがいいと思う。何もないで突っ込むのってあんまり」

「時間がありません」

「何の時間?」

「フェリテさまを救出するのでしょう?」

 確かに。それは、そうだ。

 私はううん、と唸った。フェリテの救出。それも確かに目的のひとつではある。あるのだが、正直言ってかなり難しいと言わざるを得ない。そもそも、まだ生きているのかと。そこからだ。

 四天王ホウの側近、右腕であるフェリテには私だって恩を感じている。できれば助けたいし、生きていてほしい。けれども、ガイに捕まった段階で絶望的に思えてならないのである。

「私の目的は、フェリテさまの救出です。ガイを倒す、というところが目的ではありません。今のところは」

 ブルータは私にそうささやく。なるほどと思う。ガイを殺すのではなく、彼からフェリテを奪い返すということだけが目的であるのなら、勝算はなくもない。ただ、奪って逃げればいいのだから。

 特にブルータが逃げ足に優れるということはないが、それでもガイを倒すよりはずっと簡単になる。

「フェリテは生きている?」

「おそらく」

「それって、根拠があるの」

「同じように捕らえられたルイが、しばらくの間ですが生きていました。四天王のガイは気に入った獲物をそう簡単に殺さず、なぶって楽しむ性格だと考えられます」

「フェリテもそうされているってこと?」

 そういう考えができないこともない。しかし、その場合フェリテはたいへんな苦痛を味わっていることになる。

「だから時間がない、と言っているのです」

 この問答は私の負けのようだ。ブルータを止める言葉は私には思いつかなかった。ため息をついて、私は頷いた。

「仕方ない、じゃあとにかく行きましょう。でも、危なくなったら自分の身の安全を最優先にしてよ」

「わかっています」

 ブルータは再び歩き出した。血のにおいが漂う中を、一歩一歩、ガイの陣幕に向かっていく。

 すぐに私は後悔することになった。怨嗟、悔恨。そうした思念が色濃くその場に渦巻く。

 それも、とても新鮮なものだ。たったさっき、この一日の間に亡くなったばかりという生命が、その魂魄が、腐肉から湧き出た蝿のようにその場を飛び回っているのだ。

 フォンハのように力強く確立していない、生まれたばかりの非常に弱い死霊が、儚く乱れ飛び、怨念を残して霧散していく。

 それは私の心をひどく苛んだ。なまじ、妖精である私は恨みを強く残した死霊たちの声から目をそらせない。彼らの声は強く、私を蝕んでいく。

 まったく、ガイという悪魔は恐ろしい。部外者である私でさえもこれほど強く、怨念の声を聞いてしまうというのに。その災禍の中心に位置しながらも、平然としているに違いないのだから。

 とはいえ、それを相手にしようとしているブルータもまた、恐ろしいほどの精神力をもっているといえるのかもしれないけれど。

 しかし、冷徹な声は不意打ちのようにその場に響いた。

「よお、来たな。ハーフダーク」

 突然だった。

 ある程度まで近づいて、ここからはさらに慎重に歩まなければと思った途端だ。陣幕の向こうからそんな声。

 ガイの声であることは間違いなかった。

「お前らが来ることはわかってた。仲間思いで優しい優しいお前たちのことだから、絶対にこいつを見捨てられないと思ってたぜえ。へっ、折角こいつを殺さなかったんだ。来てくれなくちゃつまんねえとこだぜ。ほらよう、さっさとこっちにきやがれ。いまさら尻尾巻いて逃げるわけもねえだろ?」

 ガイは、私たちに気付いたのだ。こちらからはガイの気配をつかむどころの騒ぎでなかった。死霊たちの怨念に、心を狂わされないようにするだけで精一杯だったのだ。

 なのに、奴は平然としていたわけである。本当に、とんでもない実力者なのだ。ガイという悪魔は。

「行きます。ルメル、気を引き締めましょう」

「当たり前って言うか、これ以上ないくらい緊張しているんだけど」

 ブルータは粛々と歩みを進めた。血のにおいは一段と濃くなる。赤い色が見えた。陣幕の下から、血が地面に染みているのが見えているのだ。

 フェリテは生きている。そう、ガイは言っていた。だが無事であるとは一言もいっていない。

 それが私は怖かった。

 魔力がその場に渦巻いた。ブルータの両腕に魔力が貯められていく。死霊を精霊代わりに吸い取って魔力に換えているのだ。その方法は、とても有効ではあるが、先ほどの私以上に、ブルータは死霊たちの怨嗟に触れているはずだ。

 彼らの恨みが、ブルータの心を蝕んでいる。ここは精霊の力がほとんど及んでいない。あまりにも死霊の怨嗟が強すぎて、とても精霊が活動できる状態ではなくなっている。魔力を貯めるなら、死霊を吸うしかなかった。

 それしか方法がないというのはわかるけれども、普段にも増してブルータの疲労は蓄積されるだろう。本当に、ガイを倒すつもりなのだろうか。

 陣幕が近づいてくる。

 ブルータは、ブーツからナイフを抜いて陣幕を切り裂いた。ぶちりと千切れた陣幕はその場に落ちて、向こう側の景色を私たちに見せた。

 見たくない光景が広がっていた。

 赤一色。そして非常識なほどの、悪臭。赤い大地の中に盛り上がった、どろどろの赤黒い土のような何か。それが蠢いて、うめき声のような何かをあげている。

 まさしくここが地獄。そういわれてもなんの抵抗もなく信じられる。私は今までこんな光景を、これほど吐き気をもよおさせる光景を、見たことがなかった。

 しかしこんなところで青ざめている場合ではない。

 赤い土の中に下半身をめり込ませたような格好になっているが、その場には確かにガイがいた。たくましい上半身をさらして、下劣な笑みを浮かべた四天王のガイが。

「けへっ、ようやくお目見えかよ。お前らが助けたがってるフェリテはこんなざまだぜ。こんなになっても死なずに、隙あらば俺の首を掻っ切ろうと狙ってやがる。健気なもんじゃねえか。くくくっ」

 ガイは、血みどろだった。腰から下は特にひどく、汚泥のようなものも見える。べとべとの血にまみれて、何がなんだかわからない。

 彼の足元には赤黒い泥が堆積していて、それが動いているように見える。

 私の目には泥のようにしか見えない。衝撃だった。その泥のようにしか見えない、地面にへばりついたもの。

 その泥こそが、フェリテだったからだ。

「フェ、リテ」

 叫びだしそうになって、私はすんでのところでこらえた。

 ひどすぎる。フェリテの体は、削られていた。全身の皮膚を、翼を、四肢を、あらゆる部分を削られている。性的なものも含まれる苛烈な拷問を受けたに違いなかった。

 普通なら、生きていられない。これほどの出血と身体の欠損があっては、上級悪魔といえども死に至る。そのはずだ。

 しかし、フェリテはまだ動いていた。

 目を凝らせば、ずるずると動くだけの赤黒い泥のような中に、眼球が見える。顔があるのだ。汚れ果てているが髪も、その顔も再生されつつある。

 そのフェリテの表情は、憤怒だった。ガイを目線だけで射抜いて殺しそうなほど、強気の眼差しで見据える。そうしている。たとえ手足が失われていようとも、まだまだ気力では負けていないとばかりに。

 苦痛を感じていないわけがない。その痛みだけでも、普通の人間なら死に至るほどの苦しみがあるはずだ。

 だが四天王のホウの側近であるフェリテは、そのくらいでは死なない。誇りにかけても死んではならないと思っているのか。

 どう考えたって、彼女を支えているのは、彼女を生かしているのは気力だ。気力だけで、生にしがみついているのだ。

「フェリテさま」

 さすがのブルータも、この惨状に息をのんだ。冷静でいられるはずもない。私だってそうなのだ。

 これでは、たとえこの場でガイを打ち倒したとしても、フェリテを救えない。彼女は、助からない。どう考えても無理だ。

 だというのに、ブルータは魔力を集中させながらこう言ってのける。

「今、お助けいたします」

 無理に決まっている。ブルータもそう思っているはずだ。

 しかし、私はブルータの言葉にのっかって言い放った。

「そうよフェリテ。助けに来たから、もう安心ってわけよ」

 言葉だけだ。そんなことは無理だと思っている。それでも、私はこう言わなければならなかった。

 フェリテに死んでほしくないからだ。どうせ助からない、と口に出して認めることが怖い。確かに私たちはここに、フェリテを助けるために来たのである。

「へっ、よく言うぜ。こんな状態で救出したところでよ、どうやったって助かるわけねえだろ。頑張ったって、夜が明けるまでには事切れてるはずだぜ。悪あがきもたいがいにしろよ」

 私たちの態度が気に食わないのか、ガイはそんな風にせせら笑った。

 言わせておけばいい。私は態度を変えなかった。

「フォンハならきっと治してくれるはずよ。あんた、ちょっと自分が強いからって調子に乗りすぎじゃないの」

 と、勢いに任せて余計なことを言ってしまう。

 自分でもあれ、と思う。しかし引っ込めるには遅すぎた。

「言ってくれるじゃねえか、たかが妖精の分際で。これでも俺は四天王の一人なんだぜ? お前らごときに意見される筋合いはねえな。とっとと消えうせろや!」

 赤黒い泥の中から、ガイがブルータへと飛び掛ってくる。異常な速度だった。

 素手で、ブルータの頭を掻っ切ろうとするような凄まじい攻撃。

「避けて!」

 私の指示よりも早く、ブルータは左側に飛び込んでその攻撃を回避していた。直後、背後に向けて『黒色の呪文』を放つ。

 しかしガイはあっさりとその魔法を回避してしまう。

 わずかなステップで華麗に回避した挙句、滑るように急接近を仕掛けて、私たちに向けて腕を伸ばしてくる。すばやく、強烈な攻撃。

 ブルータはとっさに『防御障壁の呪文』を使ったが、ガイの一撃でその障壁魔法は粉砕された。

「ええっ?」

 私は魔法も使わない、ただの拳で障壁魔法が打ち壊されたことに驚く。驚くが、次の瞬間には凄まじい衝撃に見舞われ、強制的に意識を戦闘に引き戻される。

「そんなやわらけえ魔法の布一枚きりで、俺の攻撃が防げるとか思っているのか!」

 ガイは連続攻撃を仕掛けてくる。防御障壁の魔法は壊されているので、直接打撃を受けてしまう。

 私は必死になってブルータのローブにしがみつく。それだけでも伝わってくる衝撃が半端ではない。馬車にぶつかられたほうがまだましだと思えるような重い攻撃がひっきりなしにブルータを叩くのだ。いくら半魔族の身体が頑丈だといっても、限度がある。

「だらしねえな、そんなんでよくこいつを助けにきたもんだ、身の程知らずめ」

 のんきに会話をしながら、驚異的な攻撃を降り注がせるガイ。彼の一撃がブルータの胸元を強く打ったとき、あばらの折れる音がはっきりと私の耳にとどいた。

 ブルータは血を吐いて、その場に倒れこむ。まずすぎる。

 こうまで実力に開きがあるなんて。想定はしていたけれど、予想以上にピンチだった。

 私がこの状況を何とかしなくては。でも、どうすれば?

 ブルータのローブから這い出して、周囲を見回す。何も助けになりそうなものはない。相変わらず地獄絵図が広がるだけだ。

 赤い大地、泥のように成り果てたフェリテ、崩れ落ちたブルータ。精霊の力は期待できそうにない、死霊ばかりの空。

「あっけねえな。まあ、こんなもんかもしれねえがな。俺が強すぎるせいでよ」

 ガイはため息をつきながら、もぞもぞと動いているフェリテに近寄っていく。何をするつもりなのかと思ったら、彼は泥のようなフェリテをつかみあげて、その一部を素手で千切ってしまった。

 もはや元はどの部分だったのかもわからない、フェリテの肉。腕かもしれないし、尻かもしれない。血のしたたるそれを、ガイは口へ運んで、頬張った。

 うまそうに食っている。

「俺は、気に入った奴を犯して食う。今までそうやってきたし、それで強くなってきたぜ。お前らも希望があればそうしてやるよ。フェリテは具合もよかったし、こうなっても生きてやがるなんていい根性だ。褒美に最後まで食って、食い殺してやる。おまえは、ハーフダークは特別だ。ホウの奴のお気に入りだって話だからよ。俺の血肉にしてやって、奴の悔しがるさまを眺めてやる」

 誰に説明しているのか、滔々と彼は語った。

 そんなことを勿論私は黙ってみていない。なんとかする。

 なんとかしなければいけない、と感じていた。

 決意する私の背後で、ブルータが起き上がる。血の混じった唾を吐き捨てて、彼女は四天王のガイへ殺気のこもった目線を投げている。

「ブルータ」

「救出作戦は、中止にします。やはり私は、彼を許せません」

 魔力を、再び死霊から吸収する。このときのブルータは、恐ろしく剣呑な表情をしていた。

 おそらく私が見た中でも、最も怖いものだった。

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