16・精神汚濁 中編
ブルータの集めた魔力を無駄にするわけにもいかない。私は咄嗟の判断で、ブルータの右手を掴みこんだ。
『幻影剣の呪文』を私は使えないが、魔力の流れを矯正することくらいはできる。
分散しかかる魔力を集めて、私は必死に精神を集中した。これでどうにか、少しくらいは元の力に近づけるはず。
「手伝ってくれる、のですか。私よりずっとうまく魔力を集めています」
「いいから、集中して」
話をしている暇もないし、集中が切れてしまう。私は幻影剣の呪文をつくるために集中した。あとのことは、任せる。
散逸する魔力をとどめて、練成。ほどなくして、ブルータの右腕に幻影剣の呪文が出来上がった。これでよし。あとは振りぬくだけだ。
ドラゴンブレスが吹き荒れる戦地に近づき、ついにアービィを射程距離圏内にとらえる。
「そこかっ!」
しかし、敵もただ闇雲に魔道具を振り回しているわけではなかったようだ。
鋭い声と共に、魔道具がこちらに向けられている。そこから噴射される業火。思わず、私は目を悲鳴を上げて固まってしまう。
ドラゴンブレスは、近くで見るとあまりにも巨大だった。有無をも言わせず、恐怖させられてしまう。
しかしブルータは冷静にその場から退避していた。半魔族のブルータは、咄嗟に地面から屋根の上に飛び上がっている。ブーツの先が少し焦げたけれども、それ以外には支障なかった。
私たちを狙っていたドラゴンブレスは、無辜の民を焼き殺しながら、民家を崩壊させていく。
本当に、このアービィという魔法使いは、勇者なのだろうか。何を考えているのか、本当にわからない。
この街にフェリテという上級悪魔がいるのは本当のことだ。何も知らない人間がこれに気づけば、恐ろしいと思うだろう。勇者と呼ばれるほど力のある人間なら、悪魔を排除しようとするかもしれない。
しかし彼女を倒すためにこんな、何十人も人を焼き殺していいなんて、思わない。
アービィは倒さなければいけない、敵だ。私はそう認識する。
「他にも悪魔がいたのか。だが女子供だからって俺は遠慮なんかしないぞ」
彼はそんなことを言うと同時に、こちらに魔道具を向けてくる。ドラゴンブレスが私たちを襲う。さすがにこれをまともに受けては私たちも真っ黒こげになる。一度浴びるだけでも、たぶん一週間以上は身動きすらできなくなるだろう。
ここは、回避するしかないかった。ブルータもそう考えたに違いない。右に向かって跳躍した。飛んできたドラゴンブレスは虚空を焼く。
「ちっ」
舌打ちをしたアービィは、ここにきてようやく動いた。
彼の背後からフェリテが攻撃を仕掛けたからだ。さすがに彼も、二方向へ同時にドラゴンブレスを撃つことはできない。
フェリテの攻撃を防御障壁を防ぎながら、ブルータから見て左側に逃げていく。
ここをとらえるしかない。
ブルータも同じことを考えたに違いない。右腕を突き出して、アービィに向けた。振り回すと下にいる人間たちや、フェリテを切り裂いてしまう危険があったからだろう。
輝く右手から、幻影剣の呪文が飛び出す。
突き放たれた生物を切り裂く魔法が、アービィの体に届かない。射程が足りなかった。
「嘘っ!?」
思わず私は叫んでいた。
このくらい届かなければおかしい。レイティの記憶では、ブルータの幻影剣はもっと伸びていた。これでは、あの時の半分程度しか射程がないことになってしまう。
もしかしなくても、ブルータの魔法の射程までが低下してしまっている。その可能性を私は考えていなかった。
冗談じゃない、こんなんじゃお母さんに会うなんて言っていられない。ここまで技術がなくなっているのでは、まず魔法技術を取り戻すことを考えなければならなくなってしまう。
ブルータも自分で放っておいて、驚いている。
「うっ」
咄嗟に幻影剣を伸ばしたまま、走り出す。射程が足りないなら、発生源を近づけるしかない。
もう少し近づけば、届く。
「うおっ!?」
伸びてくる幻影剣の呪文に、アービィもあせったらしい。必死に後ろに下がって、避けようとする。
同時に魔道具を掲げる。ドラゴンブレスでブルータを焼き払おうとしているのだろう。
しかし、半魔族のブルータの走力がそれを上回った。
ドラゴンブレスが放たれる寸前、ブルータの右手から伸びた幻影の剣がアービィの胸を裂く。鮮血を吐いて、アービィが倒れる。
貫かれながら、アービィは声にならない声を何か叫んだ。高く掲げた手の先には、例の魔道具。死に際に何か魔法を放つつもりなのかもしれない。
「いけない、下がって!」
私の言葉に従って、ブルータはその場から飛び退く。
倒れたアービィの手から、何かが伸びる。何が起きたのだろうか。
魔道具が輝き、光の柱を空に打ち出す。これは、魔力か?
しかしそんな状態になる魔道具なんて聞いたことがない。持ち主が死んだからって、勝手に報復をしようってことなのなら、あんな強烈な魔道具。
勝てっこない。
直線状の光を放つ魔道具を見るが、輝きは強まるばかり。
「魔道具の暴走か」
フェリテがうなるような声を上げた。
魔道具って、暴走するようなものだっけ?
私は何のことかわからなかった。魔道具にはそれほど詳しくないのだ。
「ドラゴンの秘宝らしいあの魔道具は、術者の魔力を吸ってドラゴンブレスに換えていました」
私の疑問を感じ取ったのか、ブルータが解説してくれる。
「それってどういうこと?」
「発動の直前まで吹き込まれた魔力が、魔道具の中で暴れているのではないかと」
暴れる。
それがどうしたというのか。魔道具の中に吹き込まれた魔力なんて、術者が死んでしまえばそれっきりで、霧散してしまうものだ。
暴走なんてことは聴いたことがない。
「来るぞ、ドラゴンブレスが」
かなりあせった様子のフェリテが近寄ってきて、強引にブルータを抱えあげた。突然のことで、私は抗議する暇もない。
「どうしたわけ?」
「説明する必要があるのか」
「何がどうしたって」
「魔道具から特大のブレスが来る。ブルータに向けて」
「ええっ?」
それって、やっぱり報復なわけ?
アービィが持っていたのは、とんでもない魔道具だ。私はブルータに目を向けた。説明を求める。
「魔道具が『アービィ』を吸い上げて、最大のブレスを練り上げてきます。最大のものを、私に向けて放つでしょう」
「なんでそんなことになるわけ」
「それだけの魔道具だったということです。おそらくアービィはまだ生きていて、最大の力を持って私を撃つように、魔道具を使った」
その結果、暴走という現象を引き起こしたと。
遠慮も加減もなくアービィという生命を吸い上げて、ドラゴンブレスへと変えて、ブルータに向けて吐き出すと。
「アービィに止めを刺してしまうほうが早いんじゃ」
「彼が生きていようがいまいが、もはや止められません。ここにとどまって、街ごと燃やし尽くされたいのですか?」
「そんなの、受けられるわけないでしょう! 逃げなきゃ!」
「だからこうして、逃げているだろう」
ヒステリックな私の叫び声を、フェリテが軽くいなしてくれる。
空へ飛び上がっているのは、街への被害を少しでも心配するからだろうか。同時に、逃げ続けている。
街から離れてもまだ飛ぶ。
「魔法障壁の呪文を、全力で展開します。間もなくブレスが来ます」
「当然でしょ! 私も手伝うから、早く!」
のんきに遊んでいる場合ではない。後のことなんか考えず、全力を障壁魔法に使わなければならない。
ただでさえ、ドラゴンブレスはまともに受けられないほどの威力なのに。それを、最大の力で放ってくるというのだから。
空に飛ぶ、風が聞こえる。
風の精霊たちが力を貸してくれる。
しかし急がないと間に合わない。私が精霊たちを吸い上げ、魔力として抽出。それをブルータとフェリテが魔法障壁に練りこむ。
これ以上逃げられないと判断したのか、フェリテの黒い翼が晴れた空に翻った。ここでドラゴンブレスを受け止めるのだろう。
「受け止める必要性がどこにあるっていうの、フェリテ。あなたの魔法でなんとか回避できないわけ?」
「あらぬ方向に吐き出されたドラゴンブレスで街が滅んでいいのならそうする」
なんてこと、勇者であるアービィよりも悪魔であるフェリテのほうがよほど街のことを考えている有様だ。
私たちは彼女に抱えられて、空の上。見下ろす広陵都市は少し遠い。そこから、空へと光の柱が伸びている。あれは確か、アービィの持っていた魔道具から放たれていたものだ。
あれは何だろう? 気がつくとそれは少しずつ小さくなっているようだ。
「来るぞ、展開しろ!」
フェリテが叫ぶ。私の疑問は吹き飛んだ。そんなことを気にしている場合ではなかった。
光の柱が消失すると同時に、強烈な熱が吹き込んできた。
本気のドラゴンブレス。
ブレスというよりも、熱と光の塊。衝撃波。
圧倒的速度。
輝き、風圧、熱。
これは、危険すぎる。直撃したら、骨の燃えカスも残らないような、本気の災厄だ。
それに対抗するために、間違いなく私たちが本気で全力を絞った『魔法障壁の呪文』が展開。広陵都市から吹き込んでくる災厄とぶつかりあった。
「うっ!」
衝撃が激しい。空中に浮いていた私たちは、飛んできた災厄の勢いに押された。それでも、損害は最低限に抑える。
最低限の損害って、それはもう。フェリテの翼が引きちぎられてその場に何十本も羽が飛んでいった。直接魔法を展開しているフェリテやブルータの指が裂けて鮮血が飛ぶ。私の体まで赤く染まるくらいに。
強烈な熱で、その飛んだ血が蒸発する。付着した血が乾く。
「うぐっ」
私たちを抱えながら吹き飛ばされないように魔力で浮き、同時に魔法障壁を展開し続けるフェリテの負担は大きい。さすがの彼女も歯を食いしばって呻いている。
ブルータも両腕を伸ばして必死に魔力を注いでいる。前に比べれば技量は下がっているが、それでも彼女なりに全力である。
私の周辺から、すでに精霊はいなくなっている。凶悪なドラゴンブレスが、風の精霊を全てなぎ払ってしまった。
懐にしまっていたホウの羽十本を全て魔力に転換してフェリテとブルータに分け、魔法障壁の練り上げを手伝う。それが私のできることの全て。あとは、霧の衣装と魔法障壁に全てをゆだねるしかない。
しゃべっている暇なんかなかった。
今にも、熱で体が溶け落ちそうな。
今にも、衝撃で四肢が砕け散りそうな。
とんでもない攻撃だ。しかし、これを防ぎきればアービィは死んでいる。私たちの勝ちなんだ。
私たちは、光と熱と衝撃に耐え続ける。フェリテの翼から、次々と羽が抜けていった。端のほうはもう、ほとんど原型がない。翼の大きさが半分くらいになっている。
障壁を支える指は出血と火傷でわけのわからない状態になっている。肉が殺げて、焼け落ちている。正面から見れば、骨が見えるかもしれない。
もう限界じゃないか、と何度も思った。
これで本当に。
私たちは砕け散ってしまうのではないかと。
そう思ったときにやっと、衝撃が去った。
おお、やったんだ。
光も、熱も、消えていく。炎は完全に散って消え、その場につめたい風が吹いた。
フェリテは荒い息を吐いていた。その翼は半分以上がちぎれて消えて、手は厚みが半分になったような有様。
ブルータも両手が真っ赤だ。右手の小指はほとんど削られて消えかかっている。
「おお……終わったな。さすがにだめかと思ったぞ」
深い息を、フェリテが吐き出した。時間にしてみればほんの数分間の戦いだったのに、間違いなく疲労しきっていた。
ふらふらになりながらも、それでも広陵都市に向かって飛んでいくのはさすがといえる。この場で降りて休んだって、誰も責めはしないのに。
「フェリテさま、ありがとうございます」
ブルータは小さな声でお礼を言う。ブルータもかなり消耗しているが、燃やされながら戦った挙句にこのドラゴンブレスを受けきったフェリテほどではないだろう。
「このくらいは、当然だ。ホウさまからお前を守るように言われているから」
これだけ私たちにしてくれているというのに、その理由は本当にホウへの忠義なの。私はフェリテという悪魔に対して、感謝とともにあきれる。
ホウは確かにすごい実力の優しい悪魔だけれど、そこまで尽くしたいと思えるフェリテも相当にすごい。
ふらふらと飛ぶフェリテに抱かれて、私は息を吐くのも彼女に失礼な気がして仕方ない。
これは、すごいことだ。あれだけのブレスを耐え切ったのは。
そして、結果的には広陵都市を救ったのだ。勇者アービィを倒して。
しかし、帰り道の途中で私たちに強い衝撃が襲い掛かった。真横からだ。察知することも回避することもできないほどの速度で飛んできたその魔法は、フェリテを直撃した。
突然の衝撃で私たちは吹き飛ばされる。
「うっ!」
さすがのフェリテも飛行不可能となり、それでもなんとかしようと必死に魔力を集めるもかなわず、墜落していく。
彼女に抱かれていたブルータと私も一緒になって墜落してしまう。ブルータは飛翔の呪文を使えないから、私が何とかするしかない。フェリテの焼け焦げたマフラーを掴んでみるが、私の浮力では彼女の体重を支えられるはずもなかった。
「墜落しちゃう! 誰がこんなことを!」
アービィが生きていたってことはないだろうから、他の誰かが私たちを襲ったのだ。
単独でフェリテを浮かせるのはあきらめて、何とか風の精霊と交信を試みる。どうにか着地の衝撃をやわらげてあげないと、自由落下に任せて落っこちては、だいぶつらいはずだ。悪魔なので死にはしないだろう。しかしもうフェリテはふらふらなのだ。
風の精霊たちはドラゴンブレスを防いだフェリテに好意的だったので、割と楽に交渉が終わった。私の魔力と引き換えに、上昇気流が吹き上がる。
おかげでフェリテの墜落速度がゆるまった。だが、フェリテは消耗しすぎていて体勢を整えることもできない。それを察したブルータが傷ついた両手で彼女を抱えて、着地する。
膝と腰で衝撃を吸収し、なんとかその場は収まった。
だが、問題はここからだ。誰が私たちを攻撃したのか。ブルータは周囲を見回す。
私もキョロキョロしてみる。すると、すぐにその原因は見つかった。
遠くに、魔王軍四天王の一人がいる。海軍総司令のガイだ。軍勢を引き連れている。
彼が魔法を撃ったのだ。フェリテを狙撃した。彼もこちらを見ている。笑っている。
「四天王の、ガイ」
私が口にすると、ブルータが頷いた。これはちょっと逃げられそうにない。
多分、ガイもそう思ってこちらに攻撃をしたのだろう。おお、間違いない。
「なんだか知らないけどよ、弱っててチャンスっぽいから攻撃してやった」
彼の性格からして、そんな感じだろう。ガイは笑ったまま、自らの手勢を率いてこちらに向かってくる。
私たちに何をするつもりなのだろうか、なんてことは考えたくもない。彼の性格は、レイティの記憶からもうわかりきっている。捕まったら、ろくでもないことになる。
「彼が近くにいることはわかっていたのに。やはり、さっさと逃げるべきだったか」
息も絶え絶えといった調子のフェリテが、ブルータに支えられて立っている。いまさら逃げてもどうしようもない。すぐに追いつかれるだけだ。
「これはどうしようもありません」
「いや、それでも、私はお前たちを守るようにいわれている」
あきらめたように呟くブルータに、フェリテが目を向ける。
その手に、魔力が溜まった。千切れかけた指の先に、光が宿る。何をするつもりだろうか。
「ちょっとフェリテ。そんな体で何をしようって」
「お前たちを、逃がす」
私の質問に答える彼女の指先に練られていく魔法。それは、ひょっとしなくても。
「『転送の魔法』じゃない。それってあなた自身は逃げられない」
「それは仕方がない。これは、私の使命だから」
私とブルータに、血染めの指が向けられる。魔法は、容赦なく私たちに命中した。
転送魔法で、その場から私たちは違う場所へ送られてしまう。
しかし、その場にはフェリテ一人だけが残る。ガイが、やってきているというのに。
これが、彼女の運命。
死相を見られた、フェリテという悪魔の死に様。
私たちにはどうすることもできない。フェリテほどではないが消耗しているブルータに、どうにかできるはずもない。
その場から脱出できたというのに、喜べない。フェリテ。
そして私たちは広陵都市から別の場所へ移動させられた。




