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暗殺の青  作者: zan
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15・先鋭魔法 後編

 ブルータを安心させたところで、私は周囲を見回す。私は妖精であり、小さい。

 この姿のままで行動することは、無理だ。ブルータが回復するまでは私が主体となって彼女を導くしかない。

 私の中に解析された人物のうち、一人の姿を思い返す。ここでは彼の姿が適任だと思えた。私は自分の姿を、作り変えていく。どことなく垢抜けない、朴訥な一面を残した彼のものへ。

 精霊使いのバロックの姿を、私はとった。彼は身体を鍛えていたわけではないが、この姿なら目立たない。ブルータの身体を運ぶことくらいはできる。と、思った。

 だがなんということか、バロックの身体はひ弱すぎた。ブルータを背負ってしまうと一歩も動けない。魔法使いとはかくも非力なのかと嘆いてしまうが、かつての主人が本の虫であったことを思い返す。いくら精霊使いといっても多少は身体を鍛えるべきだったのだ。もっと彼にはきつく言っておくべきだったが、後の祭り。

 仕方がないので私は別の姿に変わる。ブルータの姿をとった。フェリテでもいいが、翼が目立つのでこちらにした。

 さすがに半魔族のブルータの身体は頑健で、バロックよりもずっと力もある。

 大怪我をしているブルータを背負う、ブルータ。今の私はそういう格好である。閉鎖空間の中を探すと、ブルータのもっていた霧の衣装、それに中級悪魔がもってきたらしいマントもあった。霧の衣装は私が着込む。ブルータの血や汚れはできるだけ拭ってやりたいが、あまり時間もかけていられない。見える範囲でごしごしやって、マントを羽織らせた。

 後は、リンのナイフで閉鎖空間を切り破って脱出するだけだ。

 こんなところに、長居は無用。


 閉鎖空間を出てみると、その場には誰もいなかった。

 ブルータを背負っている私は周囲を見回すものの、悪魔の気配を探知できない。代わりに見つかったのは、ホウのものらしき羽。散らばっている。

 落ちている羽は全部で四枚。強い魔力が感じられるので、すべて回収して持っておくことにした。

 ホウとリンはどこにいったのか。私にはわからない。うまくホウが場所を変えたのか。それとも決着がついたのか。わかるはずもない。考えても仕方がないと思うことにする。

「とりあえず行き先は、広陵都市かな」

 私の記憶では、広陵都市はまだ魔王軍に制圧されてはいない。勇者が合流してから魔王軍は侵略速度を控えめにして守りに重きを置いている。

 ひとまず休む場所が必要だ。ブルータのこの怪我は、自然治癒が可能な範囲内。半魔族の再生力なら指くらいは欠損しても問題ない。ある程度の日数はかかるだろうけれど。

 偽装の魔法で適当に誤魔化して宿を取らないと。今のブルータに野宿は。

 しかし宿を取るにはお金が必要で、そのお金はどこから?

 とにかくこの場から少しでも離れないと。いつ、リンが戻ってくるか知れない。

 私はブルータを背負ったままで走り出す。広陵都市に向けて。


 鬱蒼とした森の中を、私はひたすら走った。ブルータは疲れ果てたように私の背中で眠っている。しばらく目を覚まさないだろう。

 森の中だ。小悪魔のレイティも広陵都市を出てからはこの森を進んでいた。今の私とは、逆方向に。

 それは何のためかといえば、勇者から逃げるためだ。ルイを突破した勇者二人から逃げ出すために。

 そうだ。そういえば、勇者。

 勇者ラインと女勇者クレナ。それに、田園都市のアービィ。彼らはどこで何をしているのだろうか。

 もしも彼らと出会ったしまったのなら、どうなるのだろうか。

 戦闘になるだろうか。それとも、丁寧に事情を説明すれば助けてくれるだろうか。

 会うべきか。会わざるべきか。

 考えるまでもない。会わずにすむなら、そうするべきだろう。騒ぎの種になることは目に見えているし、ブルータは『青の暗殺者』と呼ばれていた。誰がそんなふうに呼び始めたのか知らないけれど、異名がつくくらいには脅威ととられていたわけだ。

 となれば、すっかり洗脳が解けているということが理解されたとしても、戦場に駆り出されることは間違いない。

 魔王軍は今、防衛にまわっている。しかしついこの間までは各地で侵略のために軍で攻め込んできていたはずだ。その際には、多数の犠牲者が出たに違いない。各都市の兵士もそうだし、一般人だって被害を免れるわけがない。

 そんな魔王軍の一員であるブルータを許して受け入れてくれるかどうかも怪しいものだ。

 やはり、勇者に会うことは避けるべき。半魔族であるということもできるだけ隠しておきたい。

 だったら。人里に向かうことは避けるべきなのかもしれない。

 しかしながら、今のブルータには休む場所が必要だ。お金はないけど。

 悩みながらも私は足を止めない。立ち止まっている場合でないことだけは、確かだからだ。人里を避けるにしても、とにかくあの閉鎖空間があった場所にとどまるのは最悪の選択肢。今わかることは、ホウ以外の魔王軍は全て敵だということだけだ。リンを筆頭に。


 なのに、私たちを何かが待ち受けている。

 走る先に、悪魔の気配がしたのだ。上級悪魔、だろう。

 回避するべきかと思った。しかし逃げられそうにもない、と観念する。

 幸いにしてここは深い森。精霊の活動は盛んだ。

 周囲の精霊たちに問いかけてみれば、実に生き生きとした答え。ここでなら、妖精である私の力は存分に発揮できる。戦闘になってもたやすくやられはしまい、と判断。

 私はそのまま、走り続けた。

 不安だけが心の中に巣食う。言ってみれば、全てが敵だ。自分とブルータ以外の全てが、敵なのだ。

 精霊と、自分の力だけが頼れるもの。不安が強まる。

 私だって自分が弱いと思っているわけではない。バロックから魔法をたくさん教えてもらっているし、悪魔の一部隊くらいなら焼き払ってみせる。それでも、だ。

 不安は、強まる。巣食う。

 そのときになって、私はやっと立ち止まった。待ち伏せている悪魔が誰かわかったからである。

 驚愕のために立ち止まったのだ。思わず、足が止まった。

 心の底から安堵の息を吐く。ああ、よかった。前よりも少しだけ速度を上げて、走り出す。

「フェリテ!」

 森の中に立っていたのは、ホウの腹心であるフェリテだった。前は名前も覚えていないような、ホウの側女だとすら思っていたような悪魔。今はレイティの記憶から、その名前をしっかり覚えている。彼女の重要性を認識したからだ。

 その姿はすぐに見えた。背中に黒い翼を背負った、女の姿。身に着けたマフラーとローブは大仰で、ふと見れば大魔法使いに見えるかもしれない。実際、大魔法使いではあるのだが。

 ロナと戦った後の傷は、もうすっかりふさがっているようだ。

 私の呼び声が届いたのか、彼女は頷いてくれる。

「ようやく私の名前を覚えたか。ホウさまからお前たちを手助けするように言われている。どこを目指しているんだ?」

 名前を覚えたのはレイティの記憶を見たからだけど、とは言わなかった。フェリテのところに到着した私は、今の状況を簡単に説明する。ホウから聞いているだろうけれど、念のためだ。

 フェリテは説明を聞き終えると腕組みをしてブルータを見やった。マントを着ているが、その下はほとんど全裸だ。

「今の状態で勇者や魔王軍と出会うとかなりつらいだろう。身を隠したほうがいい。一旦は広陵都市に向かってもいいが、長く留まらないほうがいいかもしれない」

「どうして」

「広陵都市は、海軍に攻められるかもしれないからだ」

「ううん?」

 魔王軍の海軍は四天王のガイが率いている。四天王の中でも一番問答が通用しなさそうな、危険な相手だ。彼が来るとなれば、逃げるしかない。

 いやほかの魔王軍であろうとも諜報部以外なら逃げるしかないのだが。そのなかでも最悪の相手といえるだろう。

「別に海に面しているわけではないんだが、ガイが率いる艦隊が近くに停泊している。多分、北上してくるだろうから標的にされる可能性が高い」

「でも、すぐではないのでしょう」

「ああ、だから長く留まらないほうがいいと言っている」

 言いながらフェリテが両手を私に差し出す。何のつもりかと思ったが、ブルータを受け取るということらしい。なるほど。

 私は背負っていたブルータの体をフェリテに受け渡す。ブルータは少しうめいたけれども、起きないでいる。

 フェリテはブルータを抱きかかえる。

 私は元の妖精の姿に戻って、フェリテの肩に乗っかった。

「うん、やっぱりこっちのほうが楽だわ」

 大きく息を吐く。別の姿になっていると、やはり疲れるのだ。フェリテが来てくれたことは、本当にありがたい。何しろ自分で歩かなくてすむから。

「飛ぶ、つかまっていろ」

 久しぶりに他人に運んでもらえるわあ、などと考えていたらそんなことを言われる。非常にいやな予感がしたので、私はフェリテの着ているマフラーを必死に掴んだ。

 直後、彼女は両足を踏み切って飛び上がった。夜空へ、木々の作る茂みを突き破って舞う。

 非常な勢いだった。しがみついていなければ振り飛ばされていたに違いない。ホウといい、諜報部は私を振り落とすことに力を注ぎすぎではないだろうかと考えてしまう。

 飛び上がったフェリテの背中で、黒い翼が開く。同時に魔力が展開、彼女の体は空中に浮揚した。

 空から眺める地上の景色は、真っ黒一色。森の先に、町の明かりがぽつ、ぽつと見えるだけだ。

 ああ、いい感じで町が近づく。

 地形になどかまわないで、空の旅。フェリテのマフラーを掴みながら私はのんきに地上を見る。わずかにしか見えなかった広陵都市の明かりが近づいてくるのを見ながら、空を飛べるのはいいなあと実感していた。

 あっという間だった。実際、ほんの十分程度だったに違いない。ばさばさと跳ね回るフェリテのマフラーとローブにしがみついているだけでよかった。

 広陵都市まで来るや、高度を落とす。人気のない路地の中に、フェリテはそっと降り立った。

 同時に偽装の魔法を展開し、彼女は旅衣装をまとった女剣士の姿に変わる。どこかで見たことがあるような格好だと思ったが、レイティの記憶の中で見たカイナという剣士にそっくりなのだった。両手にブルータを抱えたままだが、そのブルータも偽装されてすっかり何の変哲もない少女の姿。遊びつかれて眠ったような、女の子になっている。

 フェリテはあらかじめ調べてあったような動きで、するすると裏路地を出て宿泊施設に向かっていった。

 さすがに諜報部だけのことはあるなあと私は感心する。

 おっと、そろそろ隠れないと。

 見回してみると、まだ町の中には出歩いている人が多くいた。私はあわててフェリテの服の中にもぐりこんだ。

 三階建ての宿泊施設に入ったフェリテはブルータを入り口付近に並べてある椅子に寝かせる。空を飛んできたせいで冷えたのか、少し震えているように見える。早く寝台の中にいれてあげないと。

 両手を空けて、ベルを鳴らす。二階から主人らしき男が降りてきた。

「二人だ。一週間泊まりたい」

 四十前後と見えるその男に、フェリテは用件を告げる。

 商売人らしくなく口数少ないその男は頷き、淡々と宿の説明を行った。

 食事代込みで一晩銀貨二枚、朝食と昼食は別で一食銅貨三枚。部屋は二階の奥。

 フェリテはそれらを了解して、金貨を二枚支払った。無言で返されたお釣りを受け取って、フェリテはブルータを抱えなおす。

 階段を上る途中で、宿泊客らしい一団とすれちがった。傭兵団かもしれない。全員が鍛えられた体をしており、武器を腰につけていた。

 二階の奥の部屋に入ってみると、寝台は二つ用意されている。そのうちのひとつに、ブルータを寝かせる。偽装を解いて、手足の傷を診てみなければ。包帯は巻いておかないと出血があるだろうし。

 その作業をフェリテとともにする。私はそういう作業にかけては自信がある。が、フェリテも結構すばやい。

 処置が終わると、二人で息を吐いた。

「ねえ、フェリテ」

 私はホウの腹心である彼女に、声をかける。

「私たちが落ち着くまでずっと、一緒にいてくれるわけじゃないんでしょう。もう、行ってしまう?」

 それに気になることがある。

 治癒術師フォンハの言っていた、死相のことだ。フェリテは、死を予言されているのである。

 あのときから一ヶ月以内に、苦痛を味わって死ぬという予言を。もしも、私たちと一緒にいるがためにそうなるのであれば。

 あまりにも申し訳がない。

「この子の傷が治るまでは、一緒にいるように言われている。そのとおりにするさ。しかし、魔王軍のほうも人手が足りていない。それ以上は期待しないでくれるとありがたい」

 淡々とフェリテは応じた。

 フォンハが彼女に死相を見てから、何日経過したのだろうか。私は必死に計算をした。

 ブルータがホウの部屋を出て、ルイと模擬戦を行ったのは何日前だったか。そうだ、確か。指折り数えてみて、結論する。もう、十五日経っている。

 あと十五日の間に、フェリテは死ぬらしい。そんなことは、だめだと私は思う。

 彼女はホウの腹心で、ずっと忠誠を尽くしてくれた上級魔族。本当にブルータを気遣ってくれる数少ない一人。なんとかして、その予言は回避しなければ。

 その方法は思いつかないけれど。そもそも、どうやって死ぬのかわからない。

 しかし気をつけておかなければ。私にできるだけのことはしておかないと。


 長くは留まれない。

 その言葉を忘れたわけではなかったが、しばらくはブルータの回復をただ待った。

 三日ほどだ。ほんの。

 その間にフェリテに旅に必要そうなものを買い込んできてもらった。リンのナイフがあるので武器はこれでいいにしても、何もなしはまずい。

 霧の衣装だけしか服がないのも問題なので、マントからブーツから、新調した。

 三日目の朝には、ブルータの指の再生は終わりかかっていた。明日には出発できるだろう。よしよしといったところだ。

「すみません、私のために」

 ブルータはそんなことをしきりに言っていた。しかしフェリテは首を振ってその礼を受け取らない。彼女の言い分としては、自分をここに派遣したのはホウなので、礼は全てホウに言ってくれということらしい。例えそうだとしても、実際に動いてくれている人にお礼を言うのは普通のことだと思うのだが。

「いいじゃないブルータ、礼はいらないって言っているんだし」

 私はとりあえず、そこに割って入った。押し問答が続きそうだったからである。

「そうですが」

「お金までだしてもらってなんだけど。ホウに会ったときにしっかりお礼いっとけばいいんじゃない」

 さりげなくお金は返せないからねとアピールしておいて、私は寝台に腰掛けるブルータに向き直った。ブルータはようやく戻ってきた指の感覚を確かめるように両手を開いたり閉じたりしている。

「ねえ、それでこれからどうする? ホウは誰にも見つからないでゆっくり暮らせって言っていたけど」

「それも一つの選択肢だと思うけど、私は、お母さんに会いたい」

 あっ。

 私はぎくっとした。しまった、と思ったからだ。そうだった。絶望の淵にいたブルータに生きる希望を見出させるためにそう言ったのだった。

 なんにも当てはなかったが、とりあえず母親に会いたいという願望だけは生きていると信じて、「お母さんに会おう」みたいなことを言ってしまったのだった。となれば、母親を探す旅に出なければならないのは必然だった。

「うん。そうだろうと思うけど、今は時期が悪すぎるよ。魔王軍と人間の戦争が落ち着くまで、どこかで隠れていないとまずいってばさ」

 正論を言ってみる。これでブルータが止まるとは思えなかったが。

「いえ、逆に今しかないです。勇者が動いている今。私、四天王のガイに接近しようと」

「それって本気?」

「本気も、本気です」

 私はあわてて振り返り、フェリテの顔を見た。どうにかしてブルータを止めないと。説得に力を貸してくれと無言で頼んでみる。

 しかし、フェリテは首を振った。

「怪我が治った先は、お前たちが好きにしたらいい。私はそこから先のことは、頼まれていない。ホウさまからもも無駄な介入をするなと指示されている」

 一縷の望みは絶たれた。こうなったら、明日の朝までになんとしてもブルータを説得しなくては。

 私が決心を固めた、そのときだった。

 広陵都市の中央にある、大鐘が鳴ったのだ。

 警鐘だった。

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