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暗殺の青  作者: zan
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15・先鋭魔法 中編

 先鋭魔法、それをホウが使っているらしい。私はそれが何なのか知っている。

 話してくれたことがある。魔法を使うときに一工夫することで、より少ない魔力でより大きな力を得ることができるって。それが魔法の『先鋭化』という技術だ。

 剣を研ぐように。鏃に毒を塗るように。

 その魔法のムラをほんの少し矯正してあげるだけで、効果が目に見えて変わってくる。そうした技術だ。ホウは、それをすることができる。

 魔力の使用量を減らして、威力を高めてくれる『先鋭化』という技術。しかし、そのための一工夫が誰にでもできるものではない。リンの『束ね撃ち』とは別方向の、繊細な魔力操作が必要なのだ。これができるのは、ホウだけ。

 今のところ魔王軍で『先鋭化』ができるのはホウ一人だけなのだった。

 ということで、『先鋭化』をかけた『灰燼の呪文』。これがホウの放てる最大威力の魔法。これでリンの魔法障壁を突き破れなければもうホウには打つ手がない。

 繊細な魔力操作が必要、とはいえ。今の一瞬の攻防でもホウは先鋭魔法を使っている。普通よりもよほど集中して魔力を練らなければならないはずなのにだ。

 そうしたところから考えても、やはり四天王は私なんかとは桁違い。この戦いに加われるなんて思わないほうがいい。


 リンは上空から、地面に立つホウを余裕の表情で見下ろしている。

「お前が見せてくれたのなら、こちらも見せなくてはならないな」

 腕を広げて、両腕と眼前に魔力を集中させていく。一時に、三つもの魔法を同時に練り上げているのだ。それも、その魔法は驚くべきものだ。精神・暗黒系統の中級魔法。

 『幻影剣の呪文』だ!

 扱いの難しい魔法なのに、リンはたやすく三つ同時に練り上げてしまった。

 練りあがるかどうかといううちに、リンはホウに向かって落っこちるよりも早く飛んできた。集中した魔力は全て右手に集められている。

 私は、その姿を持って尚、四天王のリンが典雅に舞うように見えた。魔性の美というものを、彼女はもっている。見とれた。純然たる、殺しの舞に。

 ホウは動かない。動かなければ、斬られる。幻影剣は防御することのできない魔法なのだ。避けなければ、死ぬ。

 ましてやリンは三つも同時に練り上げたのだ。

 対策。何らかの対策がなければ、切り刻まれてしまう。いくらホウが上級魔族であるといっても、どんな魔法障壁も突き破る三本の刃で切り分けられたらたまらない。

 生きるもの全てを両断する幻影の刃が、まるで巨大なカギ爪のようにリンの腕から伸びてホウに襲い掛かった。

 あわや、その黒い翼が切り刻まれるというところでその姿が消える。

 その場に抜け落ちた羽が一枚、ゆらめく。

 どこに消えたのか、と考える暇もない。目標を見失ったリンがその場に踏みとどまりかけるが、強い衝撃を受ける。こらえきれずにその体が吹き飛ぶ。真下にだ。

 一瞬でリンの攻撃を回避したホウは、リンの真上から打ち下ろすような攻撃をしたに違いなかった。

 攻撃されたリンもそのまま地面にたたきつけられるようなことはなく、空中で体制を整えて反撃を行った。ホウへ指先を向ける。

 その先から飛び出したものは、『至高の呪文』だ。

 レイティの記憶にあるものと一致している。強烈な白い光がホウに飛ぶ。空気さえも溶かすような、すさまじい威力を持っている。その破壊力の根源は、『振動』だ。

 触れるものすべてを振動させ、塵のように細かな粒子に変えてしまう魔法。

 ホウはそれを魔法障壁で受けるが、障壁もろとも吹き飛ぶ。と見えて、飛んだ先から姿が消える。

 突然姿がかき消えてしまうホウのこれは、『転移の魔法』を先鋭化しているらしい。確実にすばやく移動し、攻撃を回避しながら敵の虚を突く技術だといえる。

 しかしそれでも、リンは対応してしまう。どうやったのかわからないが、ホウの転移先を読んでいるような動き。

 虚空から武器を掴み出し、叩きつけるような動作。狙いたがわず、出現したホウに激突する。

 ホウもそれをただ食らったりはしない。出現したときには既にそうなることを予想していたような姿勢でいる。リンが振り下ろした鉄槌を足で受けた。ありえない動作だ。

 一体いつ、予想を立てて行動し、魔力を練り、魔法を発動し、作戦を練っているのか。あまりにも早すぎる。

 これが四天王。魔王軍四天王の実力なのだろうか。

 そうしている間に、私に何かが届いた。思念会話。

『今のうちに、行け』

 間違いなくホウからの思念。ああ、どこにこんな会話をしている余裕があるというのだろうか。

 リンは間違いなく、強い。ホウもそれに追随できるだけの力がある。けれども、勝てるとは限らない。死ぬかもしれない。

 私はブルータを救いたいと、強く思っている。が、ホウだって見捨ててはいけない。

 しかし、ホウだ。私が知る中で、最も強い悪魔。彼女のほかに、誰を頼るというのか。

 目の前で上に下に、右に左にと飛び回る二人を見ながら思う。今しかないのではないかと。

 ブルータを救うなら、今しかない。確かに、行くべきだ。

 幸いにも私の姿は小さい。気づかれていないことを祈りながら、ここを離れる。


 閉鎖空間がある場所は、すぐにわかった。ホウたちに吸収されるのに忙しい精霊たちに、訊くまでもない。

 レイティが殺された場所から大人の足で数歩分。注意して探してみれば、確かにそのあたりの空間にゆがみがある。

 ホウが少しずつ戦いながら場所を離してくれている。今ならリンに気づかれるということもないはずだ。気づいたところで、ホウの相手に手一杯でこちらに気を回す余裕などありそうにないが。

 閉鎖空間に入るため、ホウから預かったリンのナイフを振る。

 私が魔力をこめるまでもなく、リンの魔力を感知した閉鎖空間は主を招き入れるためにその入り口を開いた。

 ほんの少しだけ傷ついたように開いた赤い空間に、私は躍りこむ。ブルータは生きているはずなので、内部が攻撃的な空間にはなっているようなことはないはずだ。


 意外にも、内部は薄暗い。牢獄のようなつくりだ。

 そもそも『閉鎖空間の魔法』が上級魔法であることは言うまでもないが、その原理は強引なものである。目に見えない空間を作って、その中に術者の都合のよい『部屋』を作り出す。簡単に言うならそういうことだ。

 しかしこの世界の広さが有限である以上、『部屋』の広さの分だけ、元からそこにある空間は軋んだり、ゆがんだりすることになる。私はそのゆがみを見つけたわけであるが、リンの魔力によって作られた部屋はなかなか広い。ゆがみの小ささに反してかなりの広さだ。このあたりはさすがに破壊魔法専門とはいえリンの実力を認めざるを得ない部分である。

 閉鎖空間の中に落ちた私は、とりあえず周囲が壁によって仕切られていることを確認する。

 まさしく牢獄。リンも変に凝った空間を作るようなことはしなかったらしい。魔王城本部にもあった、牢獄とそっくりに作られた空間だ。とはいえ、鉄柵のようなものは見当たらない。この部屋自体が牢獄で、閉鎖空間と元の空間を出入りできるのは基本的にはリンだけなのだから、当然であるともいえる。

 さてこの中にブルータがいるはずだが、生き物の気配は多い。三つほど。

 一つはブルータの気配であるに違いないが、後二つ。考えてみるに、リンがつけた監視役だろう。

 監視役、とはいったものの。ぞっとした。

 本当にただ監視しているだけなんてことはあるわけがない。

 薄暗い牢獄のようなその空間には、耳と鼻から何かを伝えてくるものがある。

 鉄のにおい、というより確実に血のにおい。唾液の乾いたようなにおい。

 うめくような、またはすすり泣くような声、押し殺したひどく小さなもの。それと何か低い、小声で談笑するようなもの。

 怖くなる。ホウは言っていた。ブルータが辛い思いをしているはずだから、助けてくれと。

 私は声のする方向に目をやった。見える。この薄暗い中でも、妖精の私にはそれが見えた。確かにブルータはそこにいた。

 彼女は拘束されている。片方折れた角もそのままで誰にも治療してもらえず、体中擦り傷だらけで、血の乾いたあとがある。ひどい目に遭っている、ということはすぐに知れた。

 傍に二人の悪魔がいる。二人とも中級魔族だろう。ホウが森の中で倒した連中よりもよほど屈強そうで、何が楽しいのかブルータの頬を舌で舐めている。もう一人は刃物を握って、何かをしていた。それが拷問であることを理解した私は、それだけで自制が効かなくなった。

 閉鎖空間の中は精霊がいない。このため、彼らから魔力を集めることができない。

 私が得意としている攻撃のひとつである『精霊のうねり』も生み出せないが、魔力はここにある。

 深く考えるまでもなく、自分の姿をホウに偽装して、彼らに撤退するように命令するということが可能だった。だが、そんなことをしてなんになる。ブルータがたった今までここで何をされていたのか考えれば、それはあまりにも甘い。そんなことをしても誰も救われない。

 私はホウの羽根をつまみ出した。先ほど一枚だけ抜け落ちたものだ。四天王の一角である彼女の体の一部。それだけで、私が使う魔法のためには十分なほどの魔力を抜き出すことができる。

 つまり私は怒った。

 目の前の景色に赤みがかかり、握り締めた拳が震えるほどに、私は怒った。

 衝動のまま、私はホウの羽根から魔力を抜き出して魔法を練り上げる。壁を蹴りつけてナイフを持った魔族に飛び掛る。

 中級魔族は何も気づかない。私よりもブルータに夢中だ。

 あまり切れなさそうな血塗れの刃物を持っていた彼は、私の『零度の呪文』でたやすく氷漬けになった。

「なっ」

 ブルータの体に舌を這わせていた男が、そこでやっと私の存在を感知したらしい。だがもう遅い。彼には『低温の魔法』を叩き込む。下級魔法だが、ここでは障壁魔法も使えないので十分な効果があった。

 とはいえさすがに中級悪魔というべきか、一撃で死なない。体の半分が凍結しながら、まだ生きている。

 そこで私はリンのナイフを投げつけて、彼の咽喉を切り裂いてやった。リンの持ち物でホウの魔力をこめられたそのナイフは確かな威力を発揮して、その悪魔の命を芯から殺す。再生などできないだろう。

 その体が崩れ落ちるのを見届けず、私はすぐにブルータを見た。鉄の鎖で拘束されているが、確かに生きている。

 しかし。私は言葉を失った。

 彼女の髪は血や何かの液体に汚れ、その顔は何かに耐えるように伏せられている。雪のような白い肌には血の乾いたものがへばりつき、以前の彼女の姿は見る影もない。

 その細い指先も痛ましいものとなっているかと目をやれば、ない。両手、両足の指が切断されている。

 ブルータの足元に散らばり転がっている肉片は、彼女自身のものらしい。その肉片と指らしきものの残骸は、多い。おそらくだが、指を落としては再生を待ち、また落とすということを繰り返したのだろう。

 足の指のない状態で拘束して無理やりに立たせるというだけで、どれほどの苦痛になるか。

 どうしてこんなことをするのか。なぜ彼女がこのような責め苦を受けなければならないのか。

 私にはわからない。今までの主人は皆、私を丁重に扱ってくれたからだ。バロックもそうだし、ホウもそうだ。その前にいた主人だって、大体は私を大切にしてくれたのである。

 それに引き換え、ブルータはどうだ。半魔族として生まれてから、人にはさげすまれ悪魔には忌避され、挙句には勇者たちの暗殺に加担させられて、今や魔法を取り上げられて地獄のような責め苦を受けている!

 一体どうしてこんなことになってしまったのか。ブルータが何をしたと。

 罪なき者に与えられる罰としては重過ぎる。

 私はなんとかブルータの拘束を解こうとするが、鎖は予想外に頑丈だ。リンが作った閉鎖空間だが、鎖も彼女が作ったものに違いないのだ。えらく頑丈で、私の力では切れそうにない。

 そこで思い立って、リンのナイフを使ってみる。主の魔力を感知したのか、鎖はあっけなく切断された。

 鎖は落ちて、残骸が散らばる。ブルータはその場に崩れ落ちた。上半身を起こす気力もないのだろう。

 しかし、こんなところにいつまでもいるわけにはいかない。私はブルータの顔を上げさせて、それを見た。

 その顔。

 ブルータの瞳は、濁りきっていた。もう、誰にも救えないかもしれないと思った。こんな。

 気力を失いきって、希望を失くして、生への執着のかけらも残っていないような瞳だ。

 それでも私はあきらめられない。とにかく、彼女を揺さぶった。

「ブルータ、助けに来たよ! 起きて!」

 しばらくそうやって声をかけ、肩を揺さぶる。そこでだ。ようやく彼女の目が私を見た。私を見たのだ。絶望に染まった目で。

「ル、メ」

 私の名前を思い出して、呼ぼうとしたらしいその口から何かの液体がこぼれおちた。赤黒いそれは彼女の肌をべっとりと汚したが、気にしている場合ではない。

「助けに来たのよ、ブルータ。ホウに言われて。こんなところ出ましょう、あなたには療養する時間が必要だわ」

 精一杯優しく告げた。時間がないからあせる。

 しかしながらブルータは動かない。涙も枯れ果てたのか、濁った瞳はどす黒いクマをつくっているだけで、涙の流れた跡を残していなかった。

「こ」

「こ?」

 小さいながら、ブルータが何か言った。私は何とか聞き取ろうと耳を寄せてみる。

「殺して、ください」

 予感は当たっていたわけだ。私はここまで彼女を追い詰めた全てに大して怒りをつのらせるが、この場では無意味だ。

 生きる力を圧し折られている。抵抗する力など、まったく残っていないのだ。

「私を殺してください」

 繰り返すブルータは、おそらく本心からそんなことを言っている。

「でも私はあなたを助けに来たのだけれど」

「私を助けても、何も。誰も歓迎しないですし、人間たちが希望としている勇者を殺した凶悪な半魔族です。そして、養ってくれていた悪魔たちも裏切った半端者の」

 ブルータはどうやら、洗脳されていた間のことを覚えているらしい。ここでされたことと、自身がしてきたことを思って自責の念にかられた。というよりも、そうなるように仕向けられた。

 恐らくリン、というか魔王軍は徹底的にブルータを弱らせることで再度の洗脳をしやすくしようと考えていたのだろう。そうは問屋がおろすものか。

 生きていく気力を失ったブルータ。かわいそうに、どれほどの苦痛を与えられたのかわからない。

 けれども、それでも、たった一つ彼女が口にしたわがままを私は覚えている。

「ブルータ、お母さんに会いに行くのよ」

 母親のことを口にした途端、ブルータの目がはっきりと私をとらえた。

「お、母さん、に」

「そう。あなたのお母さんに、会うの。その可能性はある。ねえ、あなたを殺すことはできるけれど、お母さんに会いたいでしょう?」

 彼女の目を見たままそう告げると、しっかりと頷きが返ってきた。

 もちろん私はブルータの母親のことなんか知らない。たぶん死んだんだろうということくらいしか情報がない。だから卑怯だと誰かに言われてもまるで反論はできないのだが、仕方がない。ほかに、ブルータの目に光を戻す言葉を私は考えつかない。

「会いたいです。私は、お母さんに」

 ブルータが手を伸ばしてきた。小さな私はその伸ばされた、指のない手を抱くようにしてとる。

「私についてきて。大丈夫だから」

 大丈夫なはずがない。怪我人を連れて閉鎖空間から脱出し、まずは彼女の傷を癒さないとどうしようもない。

 困難はたくさんあって、失敗は許されないけれど。それでも、ブルータ。

 あなたは私が必ず助けてみせるから。

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