15・先鋭魔法 前編
追体験したその悪魔の記憶は、それで終わっていた。
私は目を開いた。森の中だ。まさしく、そこは悪魔の記憶の中で最後に居た場所。彼の記憶から現在の自分の意識へ、直接繋がっているような錯覚に陥る。しかし彼が死んだのは近くても恐らく数日前だろう。
私、妖精のルメルは、長かった小悪魔レイティの記憶の追体験を終えたわけだ。だいぶ長い記憶だったが、ホウに玉石を額に押し当てられてから数時間ほどだろうか。
周囲は暗かった。すっかり日は落ちて、夜になっている。
少しはなれたところに、四天王のホウが立っている。他人の記憶を見たせいで、頭痛がする。
それを無理にこらえながら、私は浮き上がってホウの肩に乗った。
「で、この小悪魔のレイティが死んだあとはどうなったわけよ」
とりあえずそう訊ねる。
水域都市への帰還途中でリンがやってきて、レイティを殺した。ということは、その場にいたブルータはリンによって捕らえられた可能性が高い。勇者の足止めを申し出たルイがどうなったのかも気にかかる。
私の質問をうけたホウは、少し考えてからこたえた。
「ブルータはリンによって捕縛された。現在のところ、幽閉されていると言っていい」
予想通りの回答である。
「ルイはどうなったの」
「勇者と戦った後は、その行方が知れないと報告された。魔王軍では死んだものとして扱っている」
「本当に?」
「私は生きていると思っているが、未だに発見できていない」
ホウのことだから本当はルイの居場所をつかんでいるような気がする。しかし、勇者のことはもっと気になる。私は質問を変えた。
「勇者たちはどうなってるの」
「本部に攻めてきてはいないが、各地で占領された都市を奪回している。水域都市はまだだがな」
今のところ本拠に直接攻めてきていないだけで、油断はできないというところだろう。
つまり、まだまだ勇者と魔王軍の戦いは決着していないということだ。それなのに、ブルータを再度洗脳して使おうということにはなっていない。少しでも戦力が欲しいときに、バロックを倒した青の暗殺者を使わない、というのはおかしな話だ。
本人への褒賞こそないが、魔王軍でもブルータは希少な戦力に数えられているはずである。となると、何かそこに理由が存在しているわけだ。ブルータを戦力に使えない理由が。
その理由というのが何か私にはわからないが、その問題が解決されてしまえばブルータは洗脳されてしまうに違いない。一度解除されているだけに、次はかなり念入りにやられてしまい、もう二度と元に戻れないだろう。
そこまで考えてみると、出発前にホウが「時間が無い」と言っていたことに思い当たった。
「ホウ、私に何をさせたいの」
とりあえず思考を中断して、私は夜空を見上げる。
ホウは身動きしないで、ただこう言ってのけた。
「ブルータを、救ってもらいたい」
「ねえ、それっておかしいでしょう。私は妖精だけど、ホウは悪魔じゃない。それも上級悪魔。さらにいえば四天王の一人で、私より強い。あなた自身が動けばブルータを助けられるでしょう」
「私が動けば助けられるかもしれない。しかし、助けられない可能性も高いんだ」
「どうして」
ホウは逃げている、と私は思った。彼女ほどの実力なら何もかも吹き飛ばして、ブルータを抱きかかえて人間も悪魔も関係ないような土地を見つけて、暮らしていけるはずだ。それをしないということは、結局彼女を救うということよりも自分の名誉や地位を優先しているということに他ならない。
ただの半魔族を一人救うためだけに地位や名誉を捨て去るというのができるほうが明らかにおかしいのだが、私はホウをにらみつけた。感情的には許せなかったからだ。私をブルータ救出のために追い込むくらいなら、自分でやれるだけやらないのがおかしいと感じたからだ。
「お前にやってほしいことだけを言おう。ブルータはこの近辺で幽閉されている。リンが作った閉鎖空間の中で、つらい思いをしているはずだ。それを救出して、魔王軍の目の届かないところに逃げてもらいたい」
「閉鎖空間ね」
私はううん、と唸った。ブルータは魔法で作り出された閉鎖空間に幽閉されているらしい。どこにあるのかさえわかれば私でもその空間を覗くことくらいは可能だ。
しかし、その中にいる彼女を連れ出すのは難しいと考えられる。リンは破壊魔法専門とはいえ、破格の実力を秘める四天王の筆頭だ。そんな実力者が作った閉鎖空間を壊すのは無理だと思う。
「逃げ出したあと、誰にも知られずにどこかで暮らせるのならそのまま戦わずに暮らしていくがいい」
ブルータを助け出したあとは、そのまま軍に見つからずにいろってことらしい。私としてもそのほうがいいと思う。
私が主人と認めたはずの精霊使いバロック。彼を殺したのはブルータだが、同情するべき部分がありすぎるし、あまりにも彼女は可哀相だ。私がついて、せめて人並みの幸せをと思う。
「当然ね。この戦争にあの子はもとから関係ないのよ。子供じゃない。お母さんが欲しいっていうくらいの子供を戦わせるなんてこと、ホウは考えちゃいないでしょう」
「そう願ってはいるが、ブルータが戦いたいといえば別だな。そのときは望むようにさせてやってくれ。子供といえるかもしれないが、自分のやりたいことがわからない年頃でもあるまい」
「そんなことにはならないと思うけど」
「餞別だ」
ホウは翼の中から短剣を取り出した。その短剣は、ついさっきも見た覚えがあるのだけれど。
手渡されて、両手でつかんでみる。間違いない。これは、小悪魔のレイティに止めを刺した短剣だ。これってリンの持ち物じゃなかったんだろうか。
「リンが使っていたものだ。ちょいと魔力を吹き込んでおいたからそれで閉鎖空間は壊せるはずだがな」
「だが。だがってどういうことよ。何か不都合があるの?」
不安になる逆接。
小さな体しかないこの私には不釣合いに大きい短剣を抱える私は、真横にあるホウの瞳を見た。
「そろそろ時間切れだ。私が直接ブルータを助けられない理由のひとつがやってきた」
そう言いながら、ホウは自分の頬を翼の先で傷つける。傷口から血がにじみ、雫になっていく。
「何してるの、ホウ」
「お前の種は対象の体の一部を取り込むことで偽装が可能となると聞いている。私の血をとっていくがいい。何かの役には立つだろう」
うっ。
私はその言葉に少しひるんだ。ブルータと戦ったときにバロックに化けていたのも実際、その能力である。
血や髪を体に取り込むことで、相手の身体情報を解析することができる。これは私たち妖精がもっている特性だ。さらに、解析が完了している相手にはいつでも化けることができる。偽装の呪文を使うよりも精巧に、魔力を使わないのでばれにくく、相手に成りすますことが可能となるのだ。
とはいえ、この特性は秘密のはずである。たいていの人間や魔族は、『妖精族が偽装の呪文を得意としている』程度にしか思っていない。ホウがなぜこれを知っているのかは不明だ。
しかしばれているなら仕方がない。私は手を伸ばして雫になっているホウの血を採って、それを舐めた。鉄の味だ。
無事に解析は終わる。これで、この体はいつでもホウに偽装することができる。
今のところ解析が終わっているのはホウ、ブルータ、バロック、フェリテ、それと気に食わないがレイティ。役に立ちそうな面子はこのくらいである。
ホウが言うところの、『理由のひとつ』が何であるのかはまだわからないが、ろくなものでないのは間違いない。
「少し探せば、閉鎖空間は見つかるはずだ。頼んだ。生きていたらまた会いにいく」
それで用事は終わった、とばかりにホウは私を振り落とした。
あわてて空中に浮くが、そのときにはホウは翼を広げて飛び上がっている。どこに行くつもりなのかとそれを目で追った瞬間、私は目を見開いてしまう。
やってきたからだ。確かに、ホウがブルータを助けられない理由が。
同じ四天王の、リン。
何がどうなって、こうなったのか。私にはさっぱりわからない。
転移魔法を使って、たぶん私たちと同じところに降り立ったリンは、地上を進むことを避けたのか空を飛んでまっすぐここへ向かってきている。『飛翔の呪文』で簡単に浮き上がって空を舞うリンは、確かにすさまじい魔力を持っていると感じられる。
ホウは彼女を迎え撃つように、空へ舞い上がっていった。
二人は同じ魔王軍に仕えている四天王で、味方同士のはずだ。ましてや、いつ勇者が本部に攻めてくるかもわからないような状況で、どうして二人そろって本部を留守にできるのか。
そんな疑問が私の頭の中を渦巻いた。
リンとホウは、空の上で対峙する。妖精である私の目には夜空の下で睨み合う彼女たちの姿が見えるが、普通ならたぶん見えないだろう。その二人の間にある空気は、決してゆるやかなものではない。これ以上ないくらいの緊張感。
一触即発の、危険な状況だった。
口火を切ったのはホウだ。
「勇者たちの襲撃に備えて、私とお前のどちらかは本部に残っているように指示されたはずだが。どうしてここに来たんだ」
とぼけたことを言っている。明らかな挑発だった。
リンはそれに対して両目を細めて、腕組みをしてからこたえる。
「魔王軍を裏切ったハーフダークを幽閉している場所に、妖精が近づいているということだった。それも、一応の警備につけていた連中が声も出さずに気絶させられるというような有様。私自身が出張ってくるのも無理のないことだろう。それで、お前がここにいる理由を説明してもらえるか」
「私が外にいるということは、諜報活動をしているということだ」
「こんな魔王軍の勢力下で何を諜報するという」
リンは明らかに怒っていた。今にもホウに飛び掛ろうとしているに違いなかった。だがホウはそれを受け流している。
二人の状況を見ている場合ではない。ホウが時間を稼いでいる間に、ブルータを確保するべきだ。頭ではそうわかっていたが、正直なところ私は動けなかった。私を二十人集めてきたところでとてもかなわないような、圧倒的な実力の二人が睨み合っているのだ。今にも戦闘をはじめようとしているのだ。
恐ろしくて身動きもできない。この時点ですでに見上げるばかりで首が痛んでいたが、視線をそらせなかった。
「『魔王の声』を、あのままにしておくわけにはいかない」
「そのことについては、お前と考えの一致を見ていた。だが、あのハーフダークにお前は肩入れしすぎる」
「そこを譲れというのなら、私はお前を消す」
ついに言ってしまった。それって、宣戦布告じゃないの。
私は唾を飲み込んだ。手に持ったリンのナイフが重く感じられる。絶対に、まずい。
さっきまで追体験していた子悪魔レイティの記憶から、リンの戦力分析を引っ張り出す。確か、あの男が知る限り、リンの最大の武器は破壊魔法だ。それも、リンが独自で作り出したという最大破壊力の魔法に『至高の呪文』なんて名前をつけているのだとか。
対するホウの武器は身軽さと魔法。空中戦においてはリンをも上回るという評判で、魔法は『至高の呪文』ほどの威力ではないものの、そのぶん必要な魔力の量が少なくて扱いやすい『灰燼の呪文』を作り出して得意魔法としている。
これだけの情報を見ると、ホウが有利なように見える。二人は空中で向かい合っているからだ。
しかしリンには奥の手がある。『束ね撃ち』という技術がそれだ。
普通、魔法は一度にひとつしか練ることができない。それが常識だ。だがリンは、三つ同時に練ることに成功したらしいのだ。その内容は、たとえば『至高の呪文』と『黒色の呪文』と『爆炎の呪文』を同時に放つ、ということではない。そこまではさすがに複雑すぎて無理がある。
『束ね撃ち』は、『同じ種類の魔法』を三つ同時に放つのだ。それでもリン以外にはまったく使うことのできない技術。私は百年修行を積んでもそんな発想に至りそうにないし、理屈を教えられたところでできそうにない。三つ同時に放つというとただ威力が三倍になるだけのように見えるが、実際には魔力の相乗効果で五倍近い威力になるらしい。
らしいというのはリン自身がそれを使うほどの戦いをするところを目撃したものが少ないために推測になるしかないからである。
要するに、リンが使う最大の攻撃は、『至高の呪文・束ね撃ち』であるといえる。
レイティが知っている限りの情報では、その攻撃を個人レベルの魔法障壁で防げるとは到底思えないとのことだ。
「ホウ」
私は心配するあまりに、彼女の名前を呼んだ。
自分で何もかもすればいいのにだなんて、とんだ勘違いだ。要するに、ホウは確かに強いが強すぎたのだ。
魔王軍の四天王の一人に数えられ、地位もあるゆえに、監視されているのだ。見つかりやすいのだ。だから、だから自分の代わりに動いてくれる存在を探していたに違いない。
彼女は最善の手をとった。自分の血を流すことも厭わない。戦うことも厭わない。地位も名誉も捨てることを厭わない。
四天王のホウが、なぜそこまでしてブルータ一人を助けたいと思うのかはわからないが、同じように彼女を助けたいと願っている私からすれば。それはとてもありがたいことだ。
そこまで理解してもなお、私は彼女たちから目を離せない。この空気にあてられている。
瞬間、リンとホウの戦闘がついに始まってしまう。
お互いに、突撃をかけた。両の翼を羽ばたかせるホウが空中の機動性ではリンを上回っている。
しかしリンとホウの姿が重なったように見えた一瞬、その場に雷でも落ちたような轟音が大気を震わせた。二人が武器を勝ち合わせた火花か、魔力の残光か、恐ろしいほどの輝きがあちこちに瞬いては消える。そのたびに武器が折れるような音も鳴り響き、耳に突き刺さる。
いかに、レイティの記憶から二人の戦いぶりを知ったとして。
まるきり、二人の戦いは別次元の出来事だった。目で追うこともままならないほど二人の動きはすばやく、魔力を魔法に練ることもとてつもない速度でやってのけている。
こんな二人を相手に戦いに割り込もうなどとは考えられるはずもない。
確かに。この二人が揃えば勇者のパーティとも戦える。間違いない。
そう確信できた。
なのに、今や二人は全力で戦いあっている。ブルータさえ確保できれば私としては魔王軍がどうなろうが別にかまわないという気持ちであるものの、もしもどちらかが死ぬようなことになれば。
それだけで勇者二人に魔王軍が蹂躙されることが決定なのでは、と思ってしまった。
動くことも忘れて二人の戦いを見ていると、一際大きな音が響く。次の一瞬で、ホウの体が目の前の地面に叩きつけられている。
あのホウが倒れるなんて。
しかし、ホウは瞬きをする間もなく起き上がってその場を離れた。そこへ、リンが放ったらしい魔法が落ちていく。ホウの動きが本当にあとほんのわずかでも遅れていたら、魔法の直撃を受けていたはずだ。リンの使った魔法が何なのかは不明だが、その魔法を受けた地面はひどく抉れてしまっている。
「それが話に聞いた先鋭魔法か」
ホウを地面に落としたリンは、空の上からそんな言葉を投げ下ろした。
「そうだ」
地上から空中にいるリンを見上げ、ホウが答える。




