14・人形哀歌
ラビルは飛び上がった。弧を描いて飛んだ俺の『黒矢の呪文』をかわし、さらに俺に向かってくる。
逃げなければ、と考えた瞬間に俺は強い衝撃を食らって背後に吹き飛ばされた。頭から何かに激突して、強烈な火花が目の前に散る。
どうやら、ラビルに蹴り飛ばされて壁にぶつかったらしい。くそ、あの司祭は俺に気付いていたようだ。泳がされていたらしい。
「姑息な手を使いおって。洗脳されたブルータを一人で送り込んでくるわけがないからな、監視役がいるだろうと思っていたのだ」
倒れた俺に、さらなる魔法を撃ち込もうとするラビル。
俺はすぐさまその場から逃げる。同時にブルータに攻撃するように命じた。
指示に従って、ブルータはラビルの背後から『黒色の呪文』を放つ。油断していたのか、ラビルはそれをまともに受けて吹き飛んだ。飛ばされた先にあるのは、祀られた大きな神像だ。派手に激突して、神像はひび割れる。
しかし、ラビルは倒れない。苦痛に顔を歪ませながらも左手を大きく振りぬいた。その軌跡に沿って空間が青く傷つく。
『炸裂の呪文』に似ているが、違う魔法だ。これは暴風・雷撃系の上級魔法で『積乱の呪文』と呼ばれている。空間についた傷から、光り輝く矢が幾つも飛び出した。
俺は咄嗟にブルータのポケットに飛び込もうとした。ブルータは俺の動きを察したのか、すぐに魔法障壁を練り直して俺を掴む。即座にポケットの中に放り込まれ、直後にラビルの魔法がぶつかった。自分一人の動きだけでは間に合わなかったので、助かる。
しかしラビルの魔法は強力で、ただの一撃で障壁は吹き飛んでしまう。ブルータは障壁なしに『積乱の呪文』の直撃を受けてよろめき、胃液を吐いた。
それでも魔力を集めて、なんとかラビルに対抗する。聖堂の中は俺たちの繰り出す魔法によってみるみる荒れていった。
俺も協力して、ラビルへ魔法を打ち込みまくる。だが、ラビルは倒れなかった。
割と平気らしく、怒りに燃えた形相を崩そうともしていない。もしかすると、最初に戦った砂漠都市のタゼルと同じように、魔法防御が優れているのではないかと思う。となると、物理的な攻撃を仕掛けるしかないのだが。
今ある武器は、ブルータのもっているナイフだけだ。非常に頼りない。となれば、どうすればいいのか。
俺は少し考えて、思いついた。やるしかない。
ブルータは身体能力強化魔法を使いながら、ナイフでラビルに挑んでいる。魔法をぶつけ合うよりも少しだけ戦える。何しろ、ラビルの魔法防御力は非常に高い。効きもしない魔法をぶつけるよりも、直接ナイフでその体を刻んでやるほうが効果的なのだ。
しかし杖を振るって積極的に接近戦もこなすラビルを見ると、どうも専門はむしろそちらであるようにも感じられる。タゼルといい、肉弾戦を得意とする魔法使いが多すぎるように感じられて仕方ない。魔法使いは華奢で、体力が少ないのが定番のはずなのだが。
両手で器用に杖を振り回すラビル。その先端には重い金属の装飾があり、杖というよりもメイスだった。完全に打撃武器だ。普通の人間がこれで頭を叩かれたら、確実に鮮血を吹き上げることになるだろう。ハーフダークであるブルータでも無傷ではない。
一撃を受けた時点で、ルイからもらった偽装の呪文は吹き飛んでいる。今のブルータは側頭部から生えた二つの捻じ曲がった角を隠すこともできないでいる。その角に、もう一撃を受けた。
角がひび割れる。衝撃が頭の中まで伝わったらしく、ブルータは足から崩れ落ちる。
俺に角はないのでわからないが、もしかして奴の角は急所なのか。だとしたらそんな弱点を外部にさらけ出しているのはどうなのかと思うが、そんなことを気にしている場合ではない。
同じことを考えたらしいラビルが、さらに杖での一撃を見舞おうとしていたからだ。もはやその重量からいって杖ではない、完全にメイスだ。
ブルータは後ろに下がろうとするが、間に合わない。打ち据えられた角が砕け、ブルータは倒れた。
洗脳されて人形になっているとはいえ、頭の中が揺さぶられては立っていられない。本当に弱点だったのか。いや、そんなことはどうでもいい。俺は障壁魔法が使えないのだから、やばい。
俺は治癒魔法をブルータにかけながら、命令を下した。咄嗟だった。
ラビルはとどめの魔法を練っているらしい。攻撃には少し時間がかかりそうだ。ブルータが弱っているので、すぐには攻撃をしてこないと睨んだらしい。そのとおりであるが、治癒魔法があれば話は別である。俺の使えるのはフォンハやホウに比べれば微弱なものだが、ないよりはましだ。
しかし俺の予想よりも早く、ブルータは魔力を集める。
砕けた角を気にせず、先ほどまで震えていたはずの膝を伸ばして足を踏み、地霊から魔力を集めていく。俺の治癒魔法がそれほど効いたとは思えない。
まさか、ブラフか。角を攻撃されて痛いように見せていたのは、弱っているように見せていたのは、すべて演技。
ブルータは俺の疑問に答えずに、命令を遂行した。
左手を構えて、振りぬく。その軌跡を追って、赤い傷を空間に残す。ラビルが驚愕の表情を見せた。当然だ。上級魔法なのだ。
しきりに魔法書を読んで研究し、やっと使えるようになった魔法だ。『炸裂の呪文』。その威力は、今まで使っていた魔法よりも上である。
俺は急いでその場から退避する。聖堂から飛び出し、窓を破って逃げる。なぜなら、ブルータの放った『炸裂の呪文』はラビルを目標としていないからだ。狙いは、聖堂なのだ。建物を破壊して、崩落させることなのだ。
ブルータの作った傷から多数の赤い矢が飛び出し、聖堂の壁を破壊していく。壁はそれだけでひび割れ、柱は折れ、天井を落とす。
俺が外に飛び出すと同時に、ラビルの叫び声が聞こえた。神像が落ちたのかもしれない。次に落ちるのはかけられている大きな十字架か。魔法の用意をしていたラビルは、おそらく耐え切れないだろう。
防御障壁の呪文を使ったとしても、ブルータには魔力拡散の呪文がある。それで、ラビルの障壁を霧散させてしまえば終わりだ。
ハーフダークのブルータはこのくらいではなんともないはずだが、ただの司祭、人間であるラビルはおそらく耐えられないだろう。聖堂はすでに多数のひび割れができ、次々と天井が落ちていく状態だ。このまま放っておいても、壁までも勝手に自重だけで崩れていくだろう。その瓦礫の崩落に巻き込まれる。
あまり時間はかからなかった。俺が飛び出してから数分もかからず、崩落は終わった。
砂埃が周囲に漂っているが、聖堂は瓦礫と化している。原型などどこにもない。俺はブルータに立ち上がるように命じる。
瓦礫の一部が盛り上がって、下からローブを着た女が出てきた。ブルータだ。霧の衣装もそのまま、特に何も変化していない。死なないだろうとは思っていたが、怪我もないとはハーフダークも意外と頑丈だなと俺は思う。
角は折れたままだ。大丈夫なのかと訊いてみるが、痛みはあるが問題ないという返事。
「それで、司祭はどうなった」
「瓦礫の下敷きになったままです」
俺はそれを聞いて、一応は死体を確認しておく必要性を感じる。ルイの作った時間もそろそろ限界だろうから逃げないとまずいのだが、これだけはしておかなければならない。
「そこです」
ブルータが指差したところに、確かにラビルは埋もれていた。驚いたことに、まだ息があるようだ。
しかしその傷ではもう魔法などは使うことができないだろう。俺は、奴に止めを刺すことに決めた。俺の手で、だ。
ブルータに手柄などやらない。俺の手で、殺す。
上級魔法、『黒矢の呪文』を練る。
ラビルはそれを甘んじて受けるつもりはないのか、必死に手を伸ばす。何をしようというのか、魔力を集めている。だがもう、その傷だらけの体では魔力の与える疲労に耐え切れまい。死ぬつもりなのか。
自殺ってやつ。俺にはわからないその行動。
俺はかまわず、魔法を放った。ラビルは息も絶え絶えになりながら必死の形相で指を伸ばした。指先から魔力が飛ぶ。俺に、ではない。ブルータに向かって。
ラビルは『ブルータを救う』と言っていた。死ぬ直前になってまで、それをしようとしたのだろうか。
だがそんな、弱った体で何ができたものか。ハーフダークのブルータを殺すほどの魔法など、練り上げられるはずもない。俺の放った『黒矢の呪文』は、簡単にラビル司祭を砕いた。
頭を打たれて、ラビルは砕けてしまった。生きてはいるまい。
「よし、さっさと逃げるとしよう」
修道女のソーシャはブルータが倒してしまったが、司祭のラビルは俺が殺したことになる。手柄も俺のものだ。
あとは勇者がここに来る前に逃げるだけ。振り返ってみるが、やはりブルータは倒れていない。
ラビルが最後に放った魔法が何だったのかはわからないが、ブルータを殺すだけのものなど、撃てるわけがなかった。その点では安心できるのだ。
俺はさっさとブルータのポケットに飛び込み、南に逃げるように指示した。ブルータは珍しく頷いて応じ、駆け出した。
広陵都市の南部は、街道が続いていない。深い森林地帯となり、人間が通るには困難なものとなっている。もちろん悪魔である俺たちには問題ないのだが。
この森林を強引に抜けてしまうと、砂漠都市の周辺都市となっている水域都市が見えてくる。この水域都市はすでにリンの部下によって魔王軍の支配域となっている。要するに、ここにたどり着けば誰かしらに転送魔法で送ってもらえるというわけだ。
しかしこの森林がでかい。かなりの大きさだ。ちんたら歩いていると、一週間は出られそうにない。俺たちでさえそうなのだから、人間なんぞが迷い込んでしまっては生きてでられるかどうかも怪しい。
森林に入ってから、しばらく歩いた。
追っ手がいないことを確認する。勇者たちからはどうやら、逃げられたようだ。ルイはかなりの時間を稼いでくれたらしい。
となれば、ルイもたぶん無事でいるはずだ。遠慮なくブルータを殺すことができる。
森林に入って二日が過ぎた。かなり急がせたのであと一日も行けば、おそらく水域都市に出るはずだ。
初日は勇者から逃げるために深夜にも関わらずひたすら急いだが、勇者が追ってきていないと判断してからは夜は休ませていた。そのほうが効率がいいからである。この日も、ブルータは火を焚いていた。そこらの動物を殺して、肉を焼いている。
保存食は一週間分くらい持ち歩いているのだが、俺はその味が嫌いなので、できるだけ新鮮な食料を摂るように指示している。
それからしばらくすると、ブルータは休みますと言った。俺はそれを承諾する。
火を焚いたまま、ブルータは荷物からマントを取り出してかぶる。そうして横になってしまった。
俺はブルータのポケットから出た。霧の衣装の効果がなくなったので少し寒くなるが、仕方がない。できるだけ火の近くにいくことで暖をとる。
そのまま少しの間待っていると、ブルータは寝息をたてはじめた。眠りにおちたようだ。
そこで俺は魔力をためる。覚えてから大活躍を続けている上級魔法『黒矢の呪文』を練る。
寝首をかく、というのはこういうことをいうのだろうな。俺はそんなことを考えながらブルータの顔を見た。角は片方折れているが、まあまあ愛らしい寝顔といえる。惜しいもんだ、あと五年。いやせめて三年も後なら俺の欲情を存分にぶつけてやれたのに。
本当に惜しいなと思いながら、俺は魔法を練り上げた指先をブルータに向けようとした。
その手は、振り下ろせなかった。ブルータが俺を掴みあげたからだ。
起きていたらしい。
そして、この俺に逆らうつもりであるらしい。
さらに、その手にこめられた力は強い。俺をどうやら、殺すつもりのようだ。
俺は驚きに支配された。それ以上に、体が悲鳴を上げている。
ブルータは俺を掴んだ右手を強く締め上げている。俺をこのまま、握りつぶすつもりなのだ。間違いない。
人形であるはずのブルータが、絶対に俺に逆らえないはずのブルータが、俺を殺そうとしている。
俺は体に力をこめてその手を振り払おうとしたが、掴まれたときの姿勢が悪すぎた。全く振りほどけない。激痛が体中を走る。両腕が体に食い込み、絞られた内臓が口から飛び出しそうになる。
骨がきしむ。力をこめるための呼吸さえ、ままならない。息が詰まる。
思考ができなくなる。苦しみが俺の思考を奪っていく。
離せ。痛い、離せ。
何故こいつは俺に逆らえるのか。そんなことを考える暇もなかった。必死に力をこめて、ブルータの手を開こうとする。しかし開かぬ。
みしりと音を立てて、俺の肋骨が折れた。口の中に血があふれる、それを吐き出す暇もなく、ますます呼吸が困難になる。
痛みに叫び声をあげるようなこともできない。ただ思考が麻痺していく。
何もわからないまま俺は死ぬのか。飼い犬に手を噛まれて。飼い犬に。
殺すはずだったブルータに、逆に殺されては世話ない。
ブルータの顔に目をやると。そこに人形はいなかった。
憎悪にその目を燃やした、魔法使いがいたのだ。濁った目をした少女人形はどこかに消え去って、怒りに燃える女がいた。確かにブルータのはずだが、中身は別物だ。
折れた角も、幼さの抜けない顔をそのままのはずなのに、人形らしさは消えていた。
こいつ、洗脳が解けている!
四天王のシャンが施したはずの洗脳が、解けている!
それを理解したとき、ブルータの指がますます俺の体に食い込むような気がした。絶望的な力で、俺を絞り殺そうとしている。
恐らく。こいつの洗脳をといたのは、ラビルだ。あの司祭が最後に放った魔法が、恐らく解呪魔法だったに違いない。
あの男が『救う』と言っていたが、それは殺すことだと思っていた。違ったのだ。
あいつは真に、ブルータを解放することを望んでいた。ひょっとすると殺すつもりでいたのが、そのための魔法が使えなくなったので急遽最後に切り替えた可能性もあるが、そんなことはどうでもよかった。俺の体はきしんでいっているのだ。
力が抜ける。が、そこで俺は歯を食いしばって耐えた。そして叫んだ。肺に残っていたわずかな空気をすべて使って、叫んだ。
「止めろ!」
ようやく、そこでブルータが止まった。
俺は解放されて、地面に落ちた。魔力を使って浮くような暇はなかった。
危なかった、と俺は思う。大急ぎで治癒魔法を自分に使いながら、げほげほと咳き込んだ。
奴が止まったのは、俺が魅惑の装飾具の魔力を使って『命令』をしたからだ。すべての魔力を使った装飾具はもう役に立つまい。だが、命には変えられなかった。くそ、なんでこんなことに。
ブルータを見ると、呆然として膝をついていた。命令が効いて、止まっているらしい。それがどのくらい有効なのかはわからない。すぐに殺さなくては。
奴の洗脳が解けたとなれば、危険だ。
シャンはこういうときの対応を何も教えてくれなかった。
殺すほかない。最初からそのつもりだったのだが。俺は折れた骨の治療を後回しにして、もう一度『黒矢の呪文』を練り上げる。
奴が止まっているうちに、殺してしまえばいい。
よし。俺は魔法を練って、指を振り上げて。
そして何かに貫かれた。
げふっ、と自分の喉が勝手に血の混じった息を吐く。
見下ろすと喉から胸にかけて、金属の刃が生えていた。背後から刺されたのだということはすぐにわかった。
だが、誰がこんなことをしたのか。
振り返ろうとして、膝が折れた。立っていられなかったのだ。しかし、そのまま倒れることは許されず、俺は掴みあげられた。それだけで俺に刺さった刃はさらに体の奥へ食い込んでいく。
これは、死んだな。もう回復魔法を使うような力は残っていない。残っていたとしても、この重症から回復するような魔法は俺には使えない。
誰がきたのか。勇者か。
俺はそう予想していた。勇者に殺されるのか、俺は。
「お前は約束を破った」
しかしそんな声が聞こえてきた。この声は、勇者ではない。女の声だ。
何度も聞いたことのある声である。
俺を刺して、殺すこの声。まさかだ。
「言ったはずだ」
俺をつまみあげた、その女は。忙しいはずの四天王の一人。
陸軍総司令、リン。
奴の目は殺気に包まれている。これまでも奴から散々に脅されたことはあった。だが、今のリンは違う。
微塵の躊躇いもない。俺を、殺すつもりだ。
リン。
「覚えていないのなら、もう一度いってやる」
一切の言い訳を許さない声。
「お前の独断でブルータを殺すようなことがあれば」
たぶん俺が最後に聞く声。
「一切の魔法でも二度と復活できないように、お前の魂を根源から」
俺が憧れ、一度でもお相手願いたいと思っていた相手の声を聞いて。
「消すぞ、と」
俺の感覚は足元から消えていった。
凍るような、砕けていくような。何か大きな力に地の底に引きずりこまれるような。そして二度と戻ってこられないと確信できるほどの底へ。
小悪魔のレイティとしての全ては引き込まれる。
最後のそのときに俺はブルータを視界の端にとらえた。そして思ったのだ。
結局このハーフダークのブルータは、最初から最後までこの俺の名前を一度たりとも呼ぶことはなかった、と。
それを最後に俺の思考は消……




