12・治癒術師 後編
俺がちょっと患者たちの様子を見ている間に、フォンハはブルータに何やかやと話しかけていたらしい。
魔王軍の本部に戻ってきてからもそれは続いている。その内容は取るに足りないもので、いちいちここに書き出すのも面倒なくらいだ。やれ最近の人間どもは根性がないだの、ちょっと効果の強い薬を使ったくらいで非人道的だと言われて困るだの、そのくせ治療魔法の腕にかけてはひよっこ揃いで使い物にもならないだの、ようするに愚痴だ。
そんなものは知り合いであるホウとやってもらいたいものなのだが、どういうわけか初対面のブルータにかまってくるのだ。そんなに気に入ったのか、こいつが。
俺としてもブルータの顔立ちがいいのは認める。今の時点では好みの女でないが、将来的に期待できる顔だ。フォンハはそんなブルータに今のうちから早くも唾をつけておこうというのだろうか。動く死体であるフォンハに性欲があるのかどうかはしらないし、そもそも奴も女の体なのだが。
そんなにブルータが気に入ったのか。理解できない。
ブルータのポケットにもぐりこんでも、フォンハの声は聞こえてくる。熱心なことだ。
俺は耐えられないとばかり、ポケットから飛び出した。先を歩いているホウの肩に移動する。
「全くなんだよ、ホウ。これじゃやかましくてしょうがねえ」
困った顔をつくって、文句を言う。フォンハに直接言うのは頼みごとをしている手前問題があるからホウに言うしかない。
「だからブルータだけを連れて行くつもりだったんだ。お前は勝手についてきたんじゃないか」
なるほど仰るとおりである。俺はフォンハがどんな奴なのか知りたかったので、くっついてきただけだ。
とはいえ、文句の一つも出て当然である。安眠妨害もいいところだ。
「でもよ、ブルータを奴が気に入ることは承知だったんだろ、ホウ。こうなるだろうってことくらい、言っておいてくれてもいいじゃないかよ」
「まあ予想はしていたよ。フォンハは若い女が大好きらしいからな。本人がいうところでは、若いほどいいらしい」
「若いほどといっても限度があらあ。俺はもうちょっと経たないと、ブルータになんて欲情できねえよ」
まだ十三歳かそこら。どう無理して見ても十五歳程度だろう。そんな女のどこがいいのか俺には理解できない。乳臭いだけだ。
フォンハ自身もえらく若い、しかも女の肉体をもっているのだが、悪魔の中にも女同士でさかるのが大好きだという変態は結構いる。それほど珍しいことではない。逆に男同士でさかるのが大好きだという変態はあまり見かけない。俺としても男同士で交合というのは吐き気がでるくらい嫌な行為なのでありがたいことであるが。
そんな魔界の恥部はどうでもいい、とりあえず死体女とブルータの絡みがあまり歓迎すべきことではないと思える。第一不潔ではないか。
「おいおい、フォンハは治癒術師だぞ。不潔とは言ってくれる」
「しかしよう、ホウが魔力を送る前には腐りかかってたじゃねえか」
「少し声を控えろ、今機嫌を損ねるとまずい」
ため息を吐いて、ホウがそんなことを言う。確かに今から治療をしてもらおうというのに、相手の悪口を言うのは配慮が足りなかったかもしれない。しかし俺が言ってるのは悪口ではない。ただの事実だし、不潔だと思うのも懸念。要するに心配であるがためだ。
こんなことで機嫌を損ねるような治癒術師など、知れているのではないかと俺は思う。
だが四天王のホウの機嫌を損ねるのは命の危険が迫るので、大人しく黙った。
ブルータはといえば、フォンハの愚痴にも素直な受け答えを続けている。「そうですね」だの、「おっしゃるとおりだと思います」といった当たり障りの無い返答である。人形としては当然であるが、フォンハはその態度を気に入ったらしい。さらに気を良くして、笑みさえ浮かべている。
俺はすっかり、うんざりしてしまった。
そこでやっとホウが足を止める。目的地に着いたのだ。一階の突き当たりの部屋へ、ホウはフォンハを招き入れた。
寝台にフェリテが、床に敷いたシーツにロナが寝かされている。壁際のソファーで横になっているのは、ルイだ。
この三人の治療を、フォンハに依頼する。
フォンハはフェリテとロナを見て面倒そうな顔をしたものの、ルイを見た途端、やる気を見せ始めた。どうやら若い女であれば、人間だろうが悪魔だろうが関係ないらしい。ついでに、彼女は浮気性でもあるらしい。さっきまでブルータに御執心だったというのに、早くもルイに浮気である。
当然、人形であるブルータがやきもちなど焼くはずも無いが。
「ホウ、時間さえかければお前でもこのくらいの治療はできたはずだろう」
一通り全員の具合を確かめてから、フォンハがホウの顔を見上げた。
「その時間が惜しいから、ご足労願ったんだ。君の力を見せてもらいたいな。全快までどのくらいになる?」
問い返されて、うむうと唸る。確か、ホウは二日もかかると言っていたはずだ。
「フェリテと、そっちの一つ目嬢ちゃんは六時間というところか。そっちの不定形は丸一日くらいかかるな」
ロナだけ時間がかかるようだが、あれほどの戦闘をした結果なので、仕方がないかもしれない。あるいは、種族的な理由で回復力に劣るのかもしれない。
「処置にはどれくらいかかる」
「それはすぐにも終わるんだがな。わし一人にやらせるつもりか?」
面倒くさそうな顔で、フォンハが言う。しかしこう来ることはわかっていたのか、ホウは部屋の隅に控えていた女悪魔を呼びつけた。確かリンの部下になった中級悪魔。ユエだ。
「君、こっちの治癒術師さまを手伝ってあげてくれないか」
「仰せのままに」
ユエは頷き、フォンハの治療を手伝う。
その様子をぼんやりしながら眺めようとしていたら、ホウに摘み上げられて部屋から放逐されてしまった。
「女の肌をタダ見しようなんて、ちょっといやらしいと思わないか」
そんな言葉と共に、乱暴に放り出されてしまった。俺の身体は廊下の冷たい床に捨てられて、べちりと音を立てる。
くそ、フォンハの愚痴を聞かされたぶんくらいは役得に預かれると思っていたのだが。しかし俺は即座に飛び上がって、扉にぴたりと身体をつける。中の会話を少しでも聞き取るためである。
なんだかみみっちいことをしている気分になるが、まあたまにはこういうのも悪くない。ブルータはともかく、怪我人の三人は結構いい女である。中の様子は見えなくとも音だけで楽しめる。
「ところでホウよ。あの小さい獣の男」
中の音を聞きだした途端、フォンハのそんな声。いきなり話題が俺のことか。
どうせつまらない、最低だの外道だのといういつもと変わらない俺への評価が噂されるだけであろう。そんな風に考えた。
しかしフォンハの言葉は俺の背筋を冷やすものだった。
「死相が出ておる。あやつは、近くに死ぬじゃろうな」
「ほう、それはなんだ。わかるのか?」
「治癒術師として多くの死を見てきたせいかな。わかるようになってきた。やはり死というものは、あらわれるもんじゃの」
俺が?
あわてて、両手で顔をぺたぺたとさわってみる。しかし特に変わったところはないように思えるが。
ひどいことを言ってくれるものだ。死相が出てるから、俺が遠くない未来に死ぬってか。とんでもない話だぞ。そんな顔くらいで近くに死ぬなんてことを確定されてたまるもんか。
第一、まだリンの褥にもぐりこんでもいないし。ホウの肌も顔と首以外ほとんど見ていない。ロナの胸元も見飽きていない。なんで俺が死ななきゃいかんのだ。
今すぐ死ぬと言われたわけではないが、遣り残したことが俺の頭の中に次々と浮かんだ。大半が女関係、というより性欲方面であるのが実に俺らしい。もちろん好ましい傾向だ。悪魔はこれでなくてはいかん、と清清しささえ感じるではないか。
「そいつはどのくらい当たるんだ」
俺がもうすぐ死ぬかもしれないというのに、部屋の中にいるホウは意外と冷静に受け流している。まさか、大した問題ではないなどと考えてはいまいな。冷静に考えてみるとその可能性が高かったが、割と親しく話す間柄だというのにひどいのではないか。
「今のところ、わしがこうして口に出した相手は一ヶ月以内に死んでおる。全てな」
フォンハもあっさりしたものである。俺の死など取るに足りない出来事のように流してしまった。
しかし悪い冗談でないとしたら、俺の余命も一ヶ月ということになるのだろうか。まさか。知らず知らずのうちに俺の全身の毛が逆立って、膨らんだ。怖いからだ。
誰だって、死ぬのは怖い。しかも俺の場合、勇者を暗殺するなんて危険極まりない仕事をさせられている。いつ死んだっておかしくないわけだ。
「それは大した治癒術師さまだな。私にもその死相が?」
ホウも心配になったのか、そんなことを聞いている。
「いや、ホウには出ておらん。とはいえ、死相がないから死なないということもなかろうて。気をつけることじゃな」
「そうしよう。というより、あまり気持ちのいい話題ではないな」
「心配せずとも、この部屋にいるあんた以外の悪魔には皆死相が出ているよ」
「何?」
そこまで聞いて、一気に信憑性がなくなってきたと俺は感じた。
だが、ホウは逆に信じる気持ちを強くしたようだ。少なからず動揺した気配がある。
「お前もか」
「わしは除外。自分の顔が直接拝めるような目玉があれば別じゃろうが」
「鏡ではだめなのか」
「虚像ではだめらしいからの」
ふむ、とホウは頷いたらしい。それからしばらく無音だったが、再びホウが口を開く。
「要するに、ロナもフェリテもユエも、外にいるレイティも一ヶ月以内に死んでしまうと?」
ホウは部屋にいる自分とフォンハ以外の悪魔の名を挙げた。半魔族であるブルータ、人間であるルイは除いてあるようだ。
しかしどうやらそれで問題ないらしい。フォンハは否定せず、うむと頷いたのである。
「そうじゃな。特に怪我人の二人。相当に悲惨な死に方をするじゃろう」
「そこまでわかるのか」
「運命じゃよ、ホウ。変えようのないくらい強力なもので、誰がどう行動しても同じ結末に帰結するような宿命的な!」
経験則から言っているような態度であったものが、突然演説が入った。やや自分に酔っているような声でフォンハが高らかに言ったのだが、ホウはそれをやんわりと止める。
「運命なんかが人や悪魔の人生をどうこうと好き勝手に塗り替えられると思っているのなら、それは間違いだ」
「だが、死ぬよ」
フォンハは言い切った。
不確定事項ではないらしい。少なくとも彼女の中ではもう、避けようもないものなのだろう。その死相とやらが。
「お前が勝手に他人の未来をのぞきみてそいつを自慢するのは勝手だがな」
「うむ」
「そいつを確定事項にして、したり顔で語るのはやめてもらおう。念のために聞くが、どんな死に様を?」
「ホウよ、わしの予言を回避するために動くつもりか」
「当然だろう。みんな大切な私の部下だ」
部下なのはフェリテだけで他は違うだろう、と思ったがそれを部屋の外から突付くのは無理な話だった。
「そうじゃな、黒翼の女は苦痛に耐えながら死ぬことになるじゃろうな。戦闘では死なず、なんらかの理由で一方的な暴力を振るわれて身体をへし折られてそれでも死なずに苦しみ抜いた末に死ぬという感じじゃ」
「ほお、ではロナは」
「死の瞬間まではわからぬが、自ら望んで狂って死ぬことになるようじゃな」
「それが本当だとしたなら、どうやら二人ともかなりのところで辛い思いをすることになるようだな。ユエについても気になるが、それは後で」
ひとしきり話して、ホウはこちらに向かって歩いてくる。
ああ、勇者が合流していたということをシャンの奴に報告するつもりなのだろう。俺は咄嗟にドアから離れて、窓の外を見ている振りをした。
「どこにいく?」
「ちょっとした報告だよ。すぐに戻る」
そんな声と同時に、扉が開いた。俺はすぐさま目をやって、中の様子を見る。しかし、残念ながらフェリテやロナの肌を見ることはかなわなかった。
小さく舌打ちをして窓の外に目を戻す。
ホウは俺に目を向けることなく、作戦企画室に向かってさっさと歩いていってしまう。それを見送ってから、即座にドアに張り付いた。俺の聴力を駆使しても、このドアは音や声を通しづらい素材なのか、こうしなければ中の音を聞き取れない。
「お前さんは気にならないのか。自分がもうすぐ死ぬとか言われて」
どうやら、フォンハがユエにちょっかいをかけているようだ。ユエは見た目はそこそこの美人ではあるが、若いとはいえない。悪魔であるゆえに見た目は麗しいが実年齢としては結構いっているはずだった。結局、フォンハの好みは見た目の話に限られるのかもしれない。
ただの世間話なのかもしれないが。
自分に死相が出ていると言われたはずのユエは、少し間を置いてからこたえる。
「特に、興味ありませんが」
「どうして。いやな気分になったりしないのかの」
「別に何も。命あるものが死ぬのは自然なことですから」
ユエは達観しきったような声で言い切った。なんという女。
「しかし悪魔とて、一度死んでしまえば完全な形で復活するというのは無理じゃぞ。自分が失われるということが怖くはないのか。ホウはそう言ったが」
「死ぬのが怖くないというのは、不思議なことですか?」
「不思議であろう。死を畏れないのであれば、生きてはいられまい」
「私は死を畏れていないわけではないのですが。病気になれば休みますし、怪我をすれば治療もします。精一杯に、私は生きております」
「ではなおさら、生に執着する理由はあるのではないかの」
「生きていたいし、これからも生きていこうと思っています。しかし、その結果として起こる死を受け入れる準備もできているというだけですが」
フォンハの返答が途絶える。
難解なユエの思想を理解できずに苦しんでいるのか、それとも言い負かされたような気になって二の句が継げないのか。
「あなたこそ、平気なのですか」
俺が勝手な想像をしている間に、ユエがフォンハを気遣うようにささやいた。
「何が、平気だっていうか。わしは治癒術師、心配されるようなことはないぞ」
「いいえ。あなたが多くの人に死相を見てきたということは、それだけ治癒術師であるあなたが救えなかった命があるということ。違うのですか」
「違わんな、あんたの言うとおり」
フォンハはユエの問いに頷いた。多くの死を見てきた治癒術師フォンハは、それだけの命を死なせてしまっているともいえる。
「しかし心配に及ばない。患者が死んだくらいで衝撃を受けていては、治癒術師などやっておれん」
「さようですか。わかりました」




