12・治癒術師 中編
ホウの転移魔法によって、それまでとは違う場所へ俺たちは降り立った。ここはどこだ?
周囲を見回すと、かなり特異な空間だ。魔術で作り出された結界の中だと思われる。空が紫色に見えるし、地面にある土は雪のように白い。
とりあえず地面は、岩場だ。僅かに土色のついた岩がごろごろとしている。俺たちの背後には岩山が広がり、そこに一つあやしげな洞穴が見える。緑は見えない。
どうやらわけのわからない高度な魔術で作り出された得体の知れない空間ではないらしい。こんな結界がはられてはいるが、世界のどこかに確かに存在する場所なのだろう。
しきりに周囲を見回す俺をよそに、ホウが地面を歩き出す。真後ろにある洞穴には向かわないようだ。となると、この洞穴が出口なのか。ブルータもホウの後に続いた。
ごつごつとした岩ばかりの地面に青い染料で魔法陣らしきものがところどころに描かれているが、かすれたり汚れたりはしていない。どうやらここらに張られた結界は、この魔法陣を保護するためのものらしい。その守られた魔法陣がどのような効果をもたらすものであるのか、俺にはわからないが。
ここがフォンハという悪魔の隠れ家なのか。だとしたら、ホウはよくこんな場所にいる悪魔を探し当てたものだ。
周囲を見ていても、紫の空に白い地面という風景で目に痛い。俺が嫌になって、ブルータのポケットで眠ってしまおうかと考える頃、ようやくホウが歩みを止めた。動きが止まったので前方に目をやると。俺の目にも、確かに目的地が見える。
そこは治療施設だった。
少しばかり開けた平地に、人間も悪魔も問わずに怪我人が並べられ、包帯やら薬やら魔法やらで処置がなされている。
いずれもかなりの重傷である。致命傷といえるような傷ばかりだった。男も女も、人間も悪魔も、老いも若いもとくに分別されることなく雑多に寝かせられている有様だ。その数は五十に届くだろう。
寝かせられている怪我人の合間に、小さな浮遊生物が飛んでいる。俺より少し大きいくらいの生物だが、下級悪魔か。
「あれはフォンハが使役しているのだろう」
ホウがそんなことを言った。俺もそうだろうと思う。多分、患者の様子を見守るためのものだ。
見たところ致命的な傷をうけたものばかりであるのに、今にも命が危ないという患者はいない。しっかりと魔法で傷を塞いだ後に薬や包帯で処置されている。
フォンハという悪魔が、凄まじい治療技術をもっていることはそれだけでうかがい知ることができる。
ホウは白い大地の上を黒い翼を引き摺り歩いていく。それに続くブルータ。
怪我人達の間を抜けていくと、岩山に突き当たる。そこにも洞穴があるようだ。
要するに、この外の結界は処置の終わった患者を安置するためのものなのだろう。この先にある洞穴が恐らく、実際に治療を行うための空間。となると、そこにフォンハがいるわけだ。
洞穴まであと二十歩というところで、不意にホウが足を止めた。
「止まれ」
右の翼を上げて、ブルータを制止する。
「何もするなよ。レイティ、君もだ」
俺にまで指示を飛ばして、ゆっくりと翼を下ろした。ブルータは頷いたが、俺はホウが何を言っているのかわからない。
フォンハという悪魔はそれほどまでに面倒くさい人物なのだろうか。たとえば人見知りが非常に激しくてその上に気難しいとか、とんでもない色魔だとか。
だが、そうした予想は外れた。事態はもう少し深刻であるらしい。
俺がそれを知れたのは、洞穴の中から人間が出てきたからだ。ただの人間ではない。一人は見たことのある男だ。忘れもしない。
俺の命を狙って何度も剣を振るってくれた男、土色のマントを羽織った勇者ライン。
その全身から、血と死の気配を濃厚に漂わせる男だ。奴はホウとも、ブルータとも会ったことがあるはず。それにしても相変わらずその目は剣呑で、こちらを見ている。片手は既に、腰の剣にかかっていた。
彼一人だけでも十分に問題であるが、その隣に女がいる。
そいつは!
はじめて見る顔だが、その素性を想像することは恐ろしい。赤紫の髪に、黒いマントを羽織っている。中のローブは紫で、帯は青紫だった。なんとも目に悪い姿だが、それ以上にその身体からあふれる魔力が驚愕に値した。
常識となっていることだが、『魔力』というものは人間や悪魔にとっては疲労を促すものである。だが、この目の前にいる紫色の女はいつでも破壊魔法を撃てるほどの魔力をその身に蓄えながらも平然としている。特に俺たちと戦闘を始めようという気もその顔から読み取れないにもかかわらず、だ。
顔はリンやホウに比べると一段落ちるものになるが、それでも美人だといえる。そこらの酒場で歌えば、どれほど音の外れた歌でもコインが投げ込まれるだろう。以前城塞都市に潜入したときに犠牲にした若い娼婦に、どことなく似ているような気がする。胸は普通だ。ゆったりしたローブに隠れているが、ほどよくなだらかな曲線を形成している。
こうした情報から考えて、この女は勇者だろう。ラインにくっついているところから考えると、二人で行動をしているのかもしれない。
俺はホウを見てみるが、こちらに背を向けているのでどういう顔をしているのかわからなかった。
勇者たちは、洞穴の外で立ち止まる。
ホウとブルータが、彼らと睨みあう。魔王軍の四天王であるホウと、人間どもの希望である最有力の勇者ライン。
一触即発だ。ここで、寝転がっている多数の患者を巻き込む戦闘となってもおかしくない。
「四天王の、ホウ」
口を開いたのは、ラインにくっついている女だった。
「どうしてあんたがこんなところに。ここって、相互不可侵領域ではなかったのかしら」
女は汚いものでも見るような目をホウに向け、それから右手を持ち上げて拳を向けてきた。俺はその手首に何かが巻かれていることに気付く。金属製の輪に見えるが、ただの装飾具ではない。魔力が込められている。というより、先程から感じていたとんでもない量の魔力は、大半がこの金属輪が原因であるとみられた。
「ここで争えば、多数の怪我人を巻き込むことになる。私はそれを望まない」
「でも、これ以上ないチャンスだと思える。あんたをここで殺っちまえば、今ここで巻き込んでしまう以上の人間がコレから先苦しまずにすむかもしれない」
ホウは和平交渉を行おうとしたが、女はそれに応じない。
ちょっとこれはまずい、と俺は思う。ホウがリンにも見劣りしない凶悪な魔力を秘めていることは俺も知っている。だが、勇者ラインに加えてこんな人間とは思えないような規格外の化け物がいる。ブルータでは恐らくとてもかなわないだろうし、いくらホウでも一人でこの二人を相手にできるのだろうか。
当然ながら、相手の女はそうしたパワーバランスを見て、ホウに挑もうとしているに違いなかった。これ以上ないチャンス、というのはそういう意味だろう。
「フォンハの機嫌を損ねることは、君たちにとっても不利益を生むのではないか?」
今にも魔法を撃ちこまれそうであるが、ホウは淡々と応える。
ここに勇者がいる。ということは、悪魔であるフォンハは既に殺されているのではないかと考えられるが、そうではないらしい。となると、勇者たちもフォンハの治療技術を頼ってここにきたということだろうか。
「もういい」
それまで黙っていたラインが片腕を上げた。
「四天王のホウ。決着はいずれつける。ここで争う意味はない」
剣にかけていた手を下ろして、ラインが女を促した。
それを受けて、女は舌打ちを一つ。それからため息をついて、ようやく右手を下ろした。
「全く甘いよね、あんたは」
大股に歩いて、女が先に俺たちの隣をすり抜けて行く。
その一瞬で、俺は思わず飛び上がりかけた。その女の身体からは、ライン以上の血と死が感じられたからである。奴の内包する膨大な魔力の根源を、少しだけ見た気がした。
なんて女。本当に人間なのか、と俺は疑う。
俺が呆然としている間に、ラインも俺たちの隣を抜けて、去っていった。そのラインから感じられるものは濃厚とはいえ血と死の『気配』である。女から感じられるものは、近づくものを無差別に畏怖させる『血』と『死』そのものだった。
人間が悪魔と打ち合って、しかも一対多数で圧倒するともなれば、あれほどの力を手にしていて当然なのかもしれない。それにしても、尋常ではない力だ。あれが勇者。
「なあ、ホウ。ひょっとしてあの女が例の」
他に思いつかなかったので、俺はホウに声をかける。四天王のホウは、振り返って言った。
「察しがいいじゃないか。あれが女勇者の、クレナだ」
俺の予想はまさしく的中したわけである。
「手首に巻いていたものに気付いたか? あれこそが、北の洞穴に棲んでいたドラゴンたちの秘宝だ。あれ一つでいくつもの街を、下手をしたら大陸一つを消し飛ばすくらいの魔力を秘めている」
「それを持ってるって事は、やっぱりあいつが北のドラゴンを滅ぼしたっていう女勇者なのか。だがよう、あれはなんだよ。勇者というより死神だぜ」
正直な感想を俺はもらす。あんなのを俺に暗殺させようとしていたなどと、無茶ぶりという段階ではない。俺とブルータに死ねと言っているに等しかった。
「そうだな、だが北のドラゴンを滅ぼして以降、女勇者の活躍はそれほど聞かないだろう? 諜報部が引っ張りまわして無意味な洞穴に向かわせたり、人間同士の争いに介入させたりしていたからな」
「そいつはご苦労なことだな、ホウ。そのおかげでリンやガイの部隊と接触がなくてすんでたんだろ。しかしよ、勇者ラインと一緒にいたってことはお前が一番危惧してた、最悪の二人がパーティを組むってことが現実になっちまったってことなんじゃないのか?」
「そのとおりだな」
ホウは軽く息を吐いた。
「シャンに相談をしなければなるまい。総力を挙げて戦うか、あくまで回避を目指すか二つに一つだ。いずれは消さねば、魔王軍の目的は達せられないわけだが」
「ああ」
「しかし、今はフォンハに会うことが先になる。行こう」
歩き出すホウ。ブルータもそれに続いて、洞穴に入った。
「ホウ、お前はあれに勝てるのか?」
「実際に戦ったことはある。全力でやれば負けはしないと思っているよ、この間は不意を突かれて足を割られたが」
そういえば、そんなことを言っていたかもしれない。
「しかしよ、二人そろってる今はきついんじゃないのか?」
「こちらも四天王がそろえばまず勝てる。私とリンなら、二人でも戦いになると思う。が、私一人ではわからない。負けるかもしれない」
ホウでも負ける、かもしれないのか。まあ奥の手をどのくらい隠しているのかわからない現状では、そうした曖昧な回答になるのは仕方があるまい。こうしたときリンなら『お前は私が負けるとでも思っているのか』なんていう自信満々の態度を見せてきたろうに。ホウは客観的な視点から見ることをやめようとしない。
ふん、と俺が鼻を鳴らして会話を終わろうとしたときだ。
いつの間にか目の前に何かが立っていた。
「四天王の一角が、随分弱気なことを言っているじゃないか。ホウ、お前の力は以前よりもずっと強くなっているのにあんな小娘一人を恐れるのかい」
洞穴の中はホウが使った『光源の魔法』のおかげで明るい。目の前に立っている何かをよく照らしている。とはいえ、これがこの結界の主であるフォンハに違いないだろうが。
俺にその正体が何であるのか、一目でわかった。死霊だ。
魔力と生前からの強い未練によって動く死体。それが治癒術師フォンハという悪魔の正体らしい。
「ああ、恐れる。勝負は時の運というからな。私とて、死ぬのは怖い」
「クク、それで今日は何の用で来たんだい。今にも死にそうな兵士達をわんさと連れてきたというんでなきゃ、話をきいてやってもいいが」
実にえらそうな態度であるが、フォンハは動く死体だ。その身体は人間のもので、肌の色は既に緑色になりつつあるし、髪もかなり抜け落ちている。見た目が非常に悪かった。確かに女なのだろうが、これではさすがの俺も情欲の対象にできない。そもそも、いくらなんでも年齢が若すぎる。ブルータよりもさらに若いのだ。若いというよりも、幼いという領域である。
「ひょっとして、そっちのお嬢さんの心を戻してやりたいというんじゃないだろうな。精神的なのは専門じゃないぞ」
自分の倍は年齢のありそうなブルータを見てお嬢さん呼ばわりしつつ、フォンハは肩をすくめる。
しかし俺たちはそんな用事で来たわけではない。ロナとフェリテの治療を頼むためである。
ホウはそうした事情を説明して、魔王軍の本部に来てくれと交渉を始めた。
「事情はわかったがな、それには対価が要るな。往診というのは存外に疲れるので、な?」
「対価というのは人間たちの通貨でか、それとも悪魔たちの通貨でか。もしくは、いつものアレをか」
「カネなど必要ないぞ。さっきの勇者がたんまりと置いていってくれたのでな。お前からはお前からしか頂戴できないものをもらいたいんじゃが」
フォンハの言葉に、ホウは少しだけ困った顔をした。
諦めたようにその場に膝を折って、小さなフォンハと目の高さをあわせる。フォンハはブルータの胸の辺りまでしか背丈がない。ホウは膝で立って、両の長い翼を軽く持ち上げた。肩をすくめているようにも見える。
「わかった。仕方がないとあきらめよう」
「そうとも、先払いでな」
「ブルータ、少しの間後ろを見ていろ」
そんなことをいう。俺はそれで、これから何が始まるのか察しがついた。
ブルータは素直に後ろを向いたが、俺は逆に身を乗り出して観察する。お子様には見せられない濃厚なシーンの始まりだ。
俺は期待していたのだが、結論から言って、俺の望んだほどのシーンはなかった。ホウはその身に魔力を蓄積させて、フォンハに口移しでそれを与えただけだ。
とはいえその効果は目に見えてわかるものだった。死人であるということが一目でわかる有様だったフォンハの身体が生命力を取り戻し、緑色に変色していた肌も白々としたものに変わっていたからである。
「ふう。さすがに魔王軍四天王の魔力。わしの身体を維持するには最適じゃな」
小奇麗になった身体を見て、フォンハはご満悦らしい。
ホウは立ち上がって、ブルータにこちらを向いてもよいと言った。それから、フォンハに向き直る。
「対価は支払った。仕事を頼みたい」
当然の要求である。俺としてはいまいち欲求不満なので、もうすこし濃い、ねっとりとした絡みを見せてもらいたいと望むのだが。
「まあ少し待て。勇者からも怪我人の治療を頼まれておるのでな。こちらは症状が軽いからすぐに終わるだろうが」
「勇者から?」
ラインとクレナは二人そろって出ていった。他に治療を要するほどの怪我を負った勇者がいるのか。
「ああ、なんでも女の顔に傷を残したくないから、という理由でな。わしのところに持ってきおった。人間たちのカネとはいえ結構な額を渡されたからな、無碍にすることもないと」
顔に傷をうけた女。
俺はそれに心当たりがあった。多分ホウも、ブルータも思い当たったはずだ。
「その女っていうのは、王太子ルークスか?」
「おう、そのとおりじゃな。まあ丁重に扱って罰は当たらないじゃろう。そういうわけで少し待っていてくれるか」
言って、フォンハは奥に引っ込んでしまった。
洞穴の中にいても仕方がないので、俺たちは外でフォンハの用事が終わるのを待つことにする。
紫色の空の下で、フォンハの使役する悪魔たちが患者の周囲を飛び回っている。俺は若い女の患者を探しては胸の大きさと顔を確かめてみる。怪我をしているのは大半が軍属らしく、鍛えた身体をしたものが多かった。しかし女は若くてそこそこに容姿の整ったものが多かった。これは身分の高い者が何かの具合で怪我をして、その傷跡を残したくないということでここに治療を頼んだということだと考えてよいだろう。ルークスと同じ理由だ。
治療のためか衣服は脱がされているか、ゆるめられているので胸の大きさもよくわかるのだ。俺は遠慮なく女たちの胸を見る。
こうした行動は見咎められるかもしれないが、何か言われても『治癒術師の実力を確かめている』という一言で解決できる。さすがに身分が高いだけあって、眼福といえる領域である。そこらにいる悪魔たちがいなければ、お相手を願いたい女も何人かいた。
しかし、全ての患者をチェックする前にフォンハの治療が終わったらしい。
呼ばれてホウのもとに戻ると即座に転移の魔法をかけられて、俺たちは魔王軍本部に移動させられた。




