11・戦闘奴隷 中編
最初の攻撃を短剣での刺突と見抜いていたルイは、事前から溜めていた魔力を身体能力強化に使ったらしい。そのおかげで、ブルータの攻撃をかわすことができている。
しかし、短剣を持っているブルータと違ってルイは丸腰だ。杖さえも持っていない。
その差を埋めるのは、やはり魔法しかない。ルイは既に魔法を使う準備を進めていた。当然、そうはさせまいとブルータも同じことをしている。攻防を続けながら、二人はそれぞれ魔法をその手に練り上げていく。
先に練り上げたのは、ブルータだ。短剣を持たない左手に魔力を溜め、後ろに下がって攻撃をかわしたばかりのルイを指差した。
指先から黒い魔力の波動が飛び出す。『黒色の呪文』だった。かわしようのないタイミングでの発動だ。文句のつけようがない。
これを防ぐため、ルイのほうも魔法を使う。俺は『魔法障壁の呪文』でも使って、ブルータの魔法を防御すると予想していた。
だが、それに反してルイの発動した魔法も『黒色の呪文』であった。
まったく同じ魔法を正面からぶつけあったのだ。お互いの魔法がすり抜けあう。ルイは防御を捨てて、攻撃を選んでいた。
こうくるとはブルータも予想していなかったらしい。魔法を放出した直後のことで、反応できずにまともに攻撃をうけた。ルイのほうも、ブルータの放った魔法をまともにうけている。
「いきなり相打ちか」
俺も予想外の展開だ。もちろん、二人ともこれで気絶してしまうほど脆弱ではないだろうが、戦い方がいかにも泥臭い。
もう少しスマートにいかないものか。
「黙ってみていろ」
頭上で俺が呟いているのが邪魔なのか、ホウはうるさげな視線を向けてくる。頭上にいる俺に視線を向けるのは不可能だが、なぜか見られている気だけはする。鋭い視線が俺に刺さる感覚だけはある。
怖いので、俺は黙ることにした。
お互いに吹き飛んだブルータとルイは、同時に立ち直る。
ある程度の距離が開いた。ここからは、いよいよ魔法合戦だ。魔法使い同士の戦いにありがちな、遠距離からの魔法のぶちかまし合いになるだろう。
ここからは少し派手なことになると考えられた。
まず初手は決まっている。定石だからだ。二人は同時に『魔法障壁の呪文』を展開し、防御を固める。
次に発動する魔法こそが重要。ここからが、駆け引きだ。
お互いに、相手より先に魔法を練り上げて相手にぶち込むことを狙うはずである。しかし、その魔法が『魔法障壁』に阻まれては何の意味もない。練り上げが早いだけの魔法ではだめであるが、威力の高い魔法をやたらに狙ってもまずい。強い魔法はおよそ魔法の練り上げが難しいため、相手の魔法のほうが先に練りあがるかもしれない。
要するに、相手の障壁魔法を突き破れるギリギリの魔法を狙うのだ。これが魔法使い同士の戦闘の定石といえた。
しかし、お互いに『魔法障壁の呪文』を使えるのだ。『魔法障壁の呪文』は、『防御障壁の魔法』よりも魔法を防御することに向いた障壁魔法だ。下級魔法では貫けないことは明白である。
威力だけならルイの『爆炎の呪文』がすさまじいのだが、これは呪文自体が強力すぎて対策がとられているために『魔法障壁の呪文』を突き破ることができない。ルイは別の魔法を使う必要があった。
彼女と戦ったガイはルイの実力をよく知っているだろうが、俺は洞穴で少し彼女の魔法を見ただけだ。どういう魔法を使えるのか、まだいまひとつわかっていない。
この試合には、俺がルイの力を知るという意味もあった。
ブルータとルイが魔力を集め、素早く魔法に練り上げだす。今度はお互いに違う魔法だ。二人の行動に差がでた。
今度は優劣がつきそうである。
ほとんど考えている暇などないはずだ。ここまでの流れを、最初から予想はできない。直感にしたがって、二人は自分の魔法を決めたはずである。
「ルイは、『爆砕の呪文』だな」
リンがそんなことを呟いたのが聞こえた。『爆砕の呪文』は高温・火炎系の上級魔法だ。破壊力では最大級である。この魔法なら間違いなく障壁魔法を突き破る。ブルータは消し炭になるだろう。
消し炭に?
殺してどうするんだ。おかしい。ルイも、ブルータを殺すようなことがないように言い含められているはずだ。なのに、これはどうしたわけだ。
どうやら、ガイの企みはもう、始まっているらしい。奴はもう何か仕掛けているのだ。
「ブルータは?」
俺は問いかけてみる。リンはこちらを横目で見て、
「多分、低温・氷結系の中級魔法だ」
具体的に言わないのは、リンが低温・氷結系の魔法をあまり得意としないからだろう。細かいところまではわからないというわけだ。
しかし、どちらにしてもルイを殺すほどの威力はないと思われる。正面からぶつかり合った場合、負けるのはブルータだ。
ルイの魔法の練り上げは早い。対してブルータの動きはやや緩慢に見えた。負傷が治ったとはいえ、病み上がりといえる状態なので、万全ではなかったのかもしれない。練っているのは中級魔法であるにもかかわらず、ルイの上級魔法に負けている。
「ルイの勝ちか?」
魔力を溜めた右手で、ルイがブルータを指差した。『爆砕の呪文』が発動する。
指差されたブルータの周囲から、炎の塊が出でた。ひとつだけでも人間一人を炭化するに十分なほどの高熱であるが、それが五つ。何もない空間から飛び出したそれが、逃げ道をふさぐように全周囲からブルータに突撃した。
魔法を練っている途中のブルータはこれを回避することも防ぐこともかなわないはずである。ブルータの立っていた位置にすさまじい爆発が巻き起こり、火柱が吹き上がった。
死んだか。
さすがにこの魔法を防ぐ時間はなかったはずだ。中級魔法で相殺するというのも難しい。
しかし俺にはいまいち、このくらいでブルータが死ぬとは思えない。奴はなんだかんだといってしぶとい。最後まで抵抗する。勇者に追われた状態でも幻影剣の呪文で逆転を狙ったくらいだ。
ルイの挙動を見てみるが、早くも次の魔法の準備をしている。
その目は、尋常ではない。一つ目になっているから尋常ではないのは当然、という話ではなく。殺気立っているのだ。
純然たる殺意を放って、ブルータに撃ち込む魔法を練っている。試合をしているという感じではない。憎たらしい敵を抹殺しようとしている者の目だ。
どうやら、ガイの仕込みが効いているようだ。
予想でしかないが、おそらくは殺戮衝動を植えつけたのだと考えられた。一時的にだが、相手を殺すまではとまらないように。
俺がルイに変貌に気を取られていると、不意に火柱が消滅した。ブルータを燃やし尽くしたはずの炎が消えていく。
それは何かに吸収されるように、唐突に消えていった。消えた火柱の位置に、ブルータが平然と立っている。右手に魔力を束ねて、振りかぶりながら。
「『水面の魔法』だったようだな」
ホウが小さく解説を入れた。
ブルータの練っていた魔法は、『水面の魔法』だったのだ。相手から放たれた魔法を吸収して、撃ち返す特殊な魔法。つまり『爆砕の呪文』は結果的に、ブルータには通用していない。
それどころか、自分の魔力を上乗せして撃ち返すつもりだ。
ブルータは高温・火炎系の魔法を得意としていないためにルイのものに比べて威力は落ちるだろうが、それでも上級魔法である。
ルイが魔法の練り上げを終えるかどうかという瞬間に、ブルータはルイを指差した。
『爆砕の呪文』が、ルイに炸裂する。五つの炎が虚空から出現し、ルイを打つ。
ルイはあっけなく吹っ飛んだ。魔法障壁を砕くことはできなかったようだが、彼女の体を吹き飛ばすには十分な威力があったのだろう。
おお、と観戦している悪魔たちの歓声が沸いた。やつらは金も賭けているので盛り上がるだろう。
俺はといえば八百長の危険があるからと金を賭けることを拒否された。おかげで気分を多少殺がれている。
吹き飛んだルイに対して、ブルータが追撃の魔法を練りにかかる。おそらく、簡単な下級魔法を繰り出すはずだ。吹き飛んだルイの障壁魔法は、おそらくそれだけで突き破れるところまできている。
しかし、ルイはまだ地面に落ちもしないうちから次の行動に入っていた。空中でくるりと回転し、そのままブルータを指差す。
発動したのは、『魔力拡散の呪文』だ。
ブルータも散々、強敵に対して使用してきた魔法である。集めている魔力をすべて霧散させてしまう無慈悲な魔法、ルイはブルータの『次の一手』を封じて、仕切り直しを図っているのだ。
ところがその魔法が『魔力拡散の呪文』であると認識できた瞬間に、ブルータは地面を蹴った。飛び跳ねて、ルイに急接近だ。
俺は考えが追いつかない。こいつらは直感で戦っているのではないかと思える。
あれこれと戦略を考える時間がなかった。これにはこれが有効だから、とのんきに考えている間にこいつらは二手三手を打ってしまう。
さすがに人形同士の戦い、といえるかもしれない。深く考えずに次々と手を打ってしまうわけだ。
握りなおした短剣で、ブルータはルイに襲い掛かる。『魔力拡散の呪文』を受けたところで、魔力以外には影響がない。そこで、直接攻撃に切り替えたのだろう。
ルイは着地した直後にもう、ブルータの短剣を避けねばならなかった。これはさすがに厳しいものであったらしく、ルイの法衣が切り裂かれる。赤い飛沫が散った。
だがその程度でルイは戦意喪失しない。魔力を集めつつ、ブルータの短剣をしのぐ。まだ、身体能力強化の魔法は解けてはいなかった。
純粋な魔法使いであるルイとしては、先ほどのような魔法の撃ち合いに持っていきたいはずである。だが、ブルータは自分がハーフダークであるという部分を生かすためにそれをしたくない。このような追いかけっこ染みた戦闘になるのは自明だった。
とはいえ、ルイのような純然たる魔法使いが単独で戦闘となれば、おおよそこのような事態になる。敵から距離をとりながら戦うしかないのだ。
問題は、相手を引き剥がす手段をいくつもっているかということだ。そして、距離を離したときに決定力となる魔法を的確に撃ち込めるかどうかだ。
「お、珍しい魔法がでるようだな」
リンがまたそんなことを言う。解説役か。
しかし、その解説は確かでもあった。ルイが練っている魔法は、俺の知っている魔法の中でも使い手の少ないものだ。幻影剣の呪文、黒翼の呪文にもならぶ。というよりも、難度の高い魔法であるゆえにわざわざ使おうとする悪魔がいないというか。
転移の魔法や偽装の魔法を使えるルイならこのくらいは余裕なのだろうが、俺はこの魔法をリン以外が使っているところを初めて見るかもしれない。
『霹靂の呪文』だ。
複数の対象を指定可能な落雷・暴風系統の魔法である。指定されたものは、魔力で導かれた雷の直撃を受けることになる。当然ながら、個人の障壁魔法で防げるような衝撃ではない。いかに悪魔といえども、普通なら即死だ。
本当に、ルイはブルータを殺すつもりでいる。間違いない。
ブルータも恐らく、それには気づいているはずだ。気づいているはずだが、実力的にはルイのほうが上回る。そのはずだ。
したがって、ブルータは殺されることになる。
ルイはブルータの振るう短剣をかわしながら、着実に『霹靂の呪文』を練り上げていく。練りあがった後、ブルータを指差せばその瞬間、勝負は決まる。
それを許すつもりはないだろう。ブルータのほうも、魔力を集めている。『魔力拡散の呪文』をルイに打ち込めればまだ勝負は続くが、そうはならない。『魔力拡散の呪文』を受けているブルータは、その魔法の影響によって魔力を集めるのが遅れた。
必死に短剣を振るってルイの練り上げを妨害しつつ、自分も大急ぎで魔力を練っているがかなり遅れている。下級呪文でさえも、ルイの『霹靂の呪文』の発動前には練りあがらないだろう。
「決まったな、俺の勝ちだ」
ガイが笑ってそう言ったのが聞こえる。
この勝負がルイの勝利に終わった場合、ガイは大もうけだ。銀貨十五枚が二倍になって戻ってくる上、ホウを一晩自由にできる。一晩自由にできるとはいいながら、なんやかやと言い訳をつけて不具にしてしまうくらいのことはやるだろう。むしろ、それが前提の賭けであったはずだ。
そのたくらみを、わからないホウではないはずだ。
だからといって俺がどう思うとかいうわけではない。四天王のホウがどうなろうが、知ったことではなかった。
そもそも、俺にとってもルイが勝ったほうが都合がよい。ブルータはもう不要だったのだ。これで、安心してルイに乗り換えることができるというものである。
終わりだ。
「どうかな」
冷静な声が、俺の下から聞こえる。ホウだ。
ホウはまだ、ブルータにも勝ちの目があると思っているようだ。そりゃあ、ガイと一晩過ごさねばならないとなれば諦めたくない気持ちはわかる。しかし、現実は無情なものだろう。
彼女らを見つめてみても、もう勝負は決している。ブルータが必死に短剣を振っても、空振りするばかり。
そうするうちに、ルイが魔法を練り上げてしまって。指を差す。
そこまでは確かに、俺の思い描いていたとおりになった。
しかしその先が、違っていた。『霹靂の呪文』が、発動しなかったのである。
「おいおい」
ガイが呻いた。
魔法をとめられた張本人であるルイも、驚きに目を見開いていた。指先だ。ブルータは、左の手のひらをルイの突き出した指先に当てていた。それだけで、上級呪文である『霹靂の呪文』を封じてしまったのである。
水面の魔法を発動するような余裕は、なかったはずだ。なのに、どうして。
疑問が解決せず、呻いているとホウが口を開いた。
「ずるいとは言うまいな」
その一言に、目を凝らす。ブルータの手のひらに、何かが刻まれているのが目に付いた。何かの文様だ。
文様というよりも、呪文。それで俺は、思い出した。あれは。
あれは、地臥の魔法だ。タゼルを殺した、魔法の自動発動呪文。あのときは地面に魔力を伏せておいたが、今回ブルータは自分の体に直接埋め込んでいたらしい。左の手のひらに埋めこまれて、今発動したその魔法の名は『水面の魔法』である。
極悪な威力をもつ『霹靂の呪文』を、存分に吸収した。あとはそれを、撃ち返すだけだ。
「ああ、やべえ!」
ガイがあせったような声をあげた。あれほどの威力の魔力を撃ち込まれれば、さすがにルイも負けが決定する。死ぬだろう。
二人の間に光が爆ぜ、ルイは倒れた。
ブルータは『霹靂の呪文』をそのまま撃ちこみはしなかったようだ。おそらくリンに殺すなと厳命されたからだろう。ルイを気絶させるだけの衝撃を撃ち、それで終わりとなったのだ。
「ふむ、ブルータの勝ちのようだな」
シャンが倒れたルイを見てそう言った。賭けは、ブルータの勝利で終わったようだ。
リンは大もうけをしたことになる。
逆に、ガイは悲惨なことになった。ロナをホウに渡す約束をしてしまっているのである。
「約束は守ってくれるのかな」
ホウがそんなことを言い、笑ってガイを見る。
ガイは黙っていた。ロナを渡せば海軍司令の仕事が満足にこなせないのは目に見えているからである。
「さすがに賭けで負けたとなれば、お前も素直にならざるを得ないか」
「ちっ、運のいいやつだ」
悔しそうな声を、ガイがもらす。仕事の都合上ロナは渡せないだろうが、奴のプライドは素直に引き渡せと言っているはずだ。あれで賭けにはうるさいやつなのである。
賭けに負けたものを、踏み倒すことは少なかった。
「安心しろ、ガイ。所有権は私のものになるが、もっていってしまっては仕事に差し障るということくらいはわかる。お前に預けておくよ」
「なに?」
ホウは妙なことを言い出した。話がわからないガイは眉間にしわを寄せる。
「ロナをもらった。確かに。だが、それではお前の仕事が進まないので、諜報部から海軍に『貸し出す』ということだ」
「ぐっ」
その説明で理解したガイは、屈辱だと受け取ったのか歯噛みをした。
これはさすがに、悔しかろうと俺でも思う。いや人の心配をしている場合ではなかった。俺も予想がはずれているのだ。
ルイが負けるとは、思っていなかった。俺は平然としているシャンに食って掛かった。
「おいシャン! 前にルイを調整したらブルータの三倍も魔力をつけるとか言ってなかったか!」
俺はその言葉を覚えていた。覚えていたからこそ、ルイに乗り換えるつもりでいたのだ。
しかしシャンは俺の言葉をいなし、賭けの胴元としての仕事をするために、ギャラリーとなっていた悪魔たちのところへ歩いていった。
あとで絶対、追及してやる。




