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暗殺の青  作者: zan
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11・戦闘奴隷 前編

 ブルータはいつものようにかすれた声で応じた。

「以前に比べて変わったとは思いますが、それだけの理由で貴女を忌避することはしません」

 それを聞いて、ルイは大きな目をうるませる。しばらく彼女はブルータの顔を見つめていた。

 今まで見えていなかったブルータの顔を、確認しているようでもあった。

「ブルータ、やっとあなたの顔を見ることができました」

 ルイはゆっくりとそう言った。若干、嬉しそうにしている。洞穴でルイの旧友を殺したとはいえ、ルイとブルータはかなり親密になっているといえた。その友人の顔を見れて、喜んでいるのだ。

 もっとも、二日後にはその友人と戦ってもらうことになるのだが。

 戦ってもらうだけでは足りない。できれば殺し合いをしてもらいたいと思っている。その上で、ルイには勝ってもらいたい。


 俺の中では、既にブルータは用済みの存在であった。奴はもう、死んでも構わなかった。ルイがいるからである。そのルイによってブルータが殺されても、誰も文句は言えまい。

 リンはブルータにルイを殺すことがないように言い含めていたが、それはリンの都合だけの問題だ。試合の最中に事故が起きれば片方が死ぬことはありうる。

 それを意図的に引き起こそうというわけである。ブルータからルイへ、円滑に乗換えを行うにはそれがよいと判断した。

 ブルータとルイの試合は四天王が見守ることになる。そんな中で下級悪魔の俺が何をできるのか、とも考えられる。だがその心配には及ばない。俺よりも積極的にこうなるように働いてくれる悪魔がいるからだ。

 その存在は、四天王のガイ。彼だ。

 奴はほぼ明らかに、最初からそれを目当てにこの試合を仕組んだ。シャンはそう思っていないようだが、俺にはわかる。ガイは、ブルータを殺すつもりでいる。自分で手にかけるより、友情らしきものを育んだルイの手にかかるさまを見たいと思っているに違いないのだ。

 四天王のガイなら、そのくらいは可能だろう。どういう手段をとるのかはわからないが。

 また、こういう奴のたくらみに気がついているのは俺くらいのはずである。さすがのホウも、ここまでの外道だとは思うまい。また、慈悲の心を知るホウでは、ガイの趣味を理解できないだろう。

 勝算はある。つまり、俺はガイのやることを見ているだけだ。

 それだけでおそらくは十分すぎる。ルイがブルータを殺すところを、たぶん見ることができるはずだ。


「何を考えている、さっきからニヤニヤと」

 声と同時に、指で叩かれた。

 思考の海に埋まっている間に、ルイは離れていて。代わりにリンが近づいていたようだ。

「べ、別に何も。それよりリン、あいつが言っていた褒章ってのはなんなんだ?」

 『魔王の声』は俺やフェリテ、ロナにも何か褒章があると言っていた。今度はいい加減な口約束で終わりはしないだろう。形あるものをもらえるはずだった。

「それを渡そうと思ったが、別に今すぐはいらないだろう? ルイとの試合が終わったら渡してやる、多分役に立つものだ」

「なんだそりゃ、魔道具か何かか」

 俺は少々の落胆を禁じえない。夜魔が欲しかったからである。

「お前の考えてることは大体わかるがな」

 リンは本当に俺の思考を見通しているのか、やや呆れ気味の表情をつくっている。

「ああいうのは、ガイだから許されることだ。お前もまあよくやっているとは思っているが、あんなわがままを通せるほどではないだろう」

「しかし夜魔たちだって、魔界でごろごろしてるだけじゃ役に立てなくて寂しいとか思ってるんじゃないのか? こういう機会に是非お役に立ってもらいたいもんだが」

「魔界に残ってる連中だって惰眠をむさぼってるわけではない。全軍が食えているのは彼らのおかげでもあるということを忘れるなよ」

 さすがにリンは伊達に陸軍司令をやってはいなかった。俺の屁理屈は簡単に論破される。

「それにしたってよ」

「諦めが悪いな。まあとにかく二日後に渡してやる。それまで、魔法書を読むなり休養するなり好きにしておけ」

 三つの目で俺を睨むように見たあと、リンは俺から離れる。

 その後ホウと幾つか言葉を交わして、転移の魔法で前線に戻っていった。

「残念だったな、お前の功績じゃ夜伽役なんてもらえないってよ」

 今の会話が面白かったのか、シャンが笑っている。失礼な男だ。

「望むのは悪くないだろ、そのうちでかい勲功があったときにもらえるかもしれない」

「ほんとに諦め悪い奴だな」

 シャンはそんなことを言い、俺をブルータのポケットからつまみだした。引っ張り上げられて、首が絞まる。

「うげ、おい。やめろ」

「こんなちっこいのに性欲だけは十人前ときたからな。お前も一回、改造をうけてみたらいいんじゃないのか」

 そんなことはお断りである。

「嫌に決まってるだろ」

「まあ、そうだろうな。この二人だって嫌に決まっていた」

「それがどうした」

「別に」

 シャンは俺を放り出す。あわてて俺はブルータの服にしがみつき、地面に落ちることは避ける。

 乱暴な扱いにシャンを睨むが、奴は俺のことなどまるで無視してブルータとルイを見ていた。

「さて俺はこれから、ブルータを治療しなけりゃならないのか。休む暇もないときたな」

 嘆くように言うシャンに、ホウが近づいた。

「フェリテを使ってやってくれ。あいつも負傷しているが、休養がてらにな」

「そうさせてもらう。とにかく俺の部屋に行こう、こんなところでいつまでも立ち話はしていられない」

 シャンのその提案で、場所をうつしての治療が始まることとなった。


 それから二日は、至極平和に過ぎた。

 俺と妖精のルメルといがみ合ったり、ブルータとルイが人形同士の連帯感をみせたりといった幾つかの出来事はあるが、その他に問題はなかった。リンやガイが勇者に接触したということもなく、試合の日を迎えたのだ。

 シャンは夕方から始めると言っていたが、昼過ぎにはガイが本部に戻ってきていた。ロナも連れている。

 この二日でブルータの傷は完治し、フェリテも調子を取り戻して仕事に戻っていた。

 ガイの奴はえらく元気に見える。夜魔に相手をしてもらって、機嫌がいいのだろう。逆に、ロナは疲れ気味に見える。

 それを心配したブルータがロナに声をかけるが、

「船のあちこちからあがる嬌声に睡眠不足になった」

 という返答であった。

 ガイの船にいるくせに何を今さらとも思うが、それだけ夜魔という種族が夜の交渉に優れているということかもしれない。俺も早くお相手願いたい。

「よし、全員集まったな」

 シャンは中庭に集まったメンツを見てそう言った。

 そこには四天王が勢ぞろいしていた。リン、シャン、ガイ、ホウは当然として、ロナ、フェリテ、ユエもいた。

 リンの仕事の補佐のため本部から派遣されたはずのユエまでここにいるというのはまずい気がするが、それは俺が言うべきことではないので黙っていることにする。本音ではギャラリーが多いほうが面白いと思ったからであるが。

 この騒ぎを聞いたのか、魔王軍本部にいた一部の悪魔たちがこの試合を見ようと集まってきてもいる。その数は十数名ほどだ。

 ギャラリーが増えてしまったため、シャンは場所をうつす。中庭ではなく、魔王軍本部の門外。城門の前に集まった。

 ここなら、かなり開けている。数百人が集合しても問題ないくらいの広さなのだ。端にいればブルータやルイの魔法で巻き添えをくらうこともないだろう。もっとも、四天王たちが巻き添えなどくらうはずも無いが。

「それじゃ始めるとするか。ルイの実力はこれで多分はっきりするだろう、相手をするブルータは何人か勇者を始末した本人だからな」

 シャンは早々にブルータとルイを並ばせようとしたが、ガイはそれを止めた。

「ちょいと待てよ、急ぎすぎだ」

「何かあるのか」

「賭けをやるって言っただろ、胴元がいないんじゃはじまらねえだろうが」

 ガイは結局ここまで見物にやってきた十数名の悪魔たちを顎で指した。

「俺に胴元をやれというのか?」

「嫌かよ? けどよ、俺がやっちゃああの三つ目といらんことになるかもしれねえだろ」

「自分で言うか」

 シャンはあきれ気味だった。奴は賭け事を嫌っているから、こんなことを頼まれるとは思っていなかったに違いない。

 しかし、ガイのいうことは理にかなっていた。賭けをやるということは前から言っていたし、やらなければリンが不満をもらすだろう。かといってガイに任せれば余計な諍いが発生する可能性が高かった。

 苛立ってはいるだろうが、こうした場合四天王の誰かが取り仕切らざるを得ないはずだ。この場で胴元になれるのは、シャンかホウだけだ。

「さっさとすませて仕事に戻りたいと思っているというのに、なぜ話を面倒にする。おい、ホウ」

 シャンはホウに声をかけて、賭けの取り仕切りをするように頼んでいる。しかし、ホウは自分に人望がないことを理由にして逃げた。

 ホウは慈悲の心を知る優しい一面があるが、それゆえに多くの悪魔からは疎まれている。

 こうなることは、ガイも予想済み。どうあっても結局、シャンがやらざるを得ないのだ。となれば、彼は神経質なところがあるので準備を始めてしまう。手帳を取り出し、誰がいくら賭けたか、細かに書き付けなければ気がすまないのだ。

 そのあたり、記憶だけで適当に胴元をやってしまうガイとは違う。

 シャンがそうした作業に追われている間に、ガイはブルータとルイに近づいて、声をかけていた。

 俺はといえば、ブルータのポケットではなくホウの頭に乗っかっていた。ここが一番、面倒がないのである。フェリテは何か言いたそうにしているが無視だ。

「ガイ、お前も賭けるのか」

 シャンに言われて、ガイが振り返る。

「おうとも。俺はこっちの新しい奴隷に賭ける。がんばってくれるようにエールを送ってたところさ」

 へへ、と口元を吊り上げて笑い、ガイがシャンの隣に戻る。奴は魔界の銀貨をつかみだして、シャンに渡した。俺が見ただけでも十五枚以上はあった。結構な額だ。

「じゃあ、私はその反対に賭ける。シャン、しっかり頼む」

 その様子を見ていたリンが、金貨をつまみだしてシャンに渡した。金貨は無造作につまみだされているが、三枚は確実に支払われている。金貨は銀貨の十倍の価値とされているので、ガイの賭けた額の二倍もあることになる。

「で、倍率はどうなってんだよシャン」

 俺は興味なさそうにしているホウの頭の上から、シャンに声をかける。

 ガイとリン以外の悪魔たちはまだ賭けに参加していない。予想が当たったときに支払われる額が決定しないからだろう。それと、彼らにはルイの実力が推し量れないからだ。

 だが、ガイとリンが賭けたことでそれは変わりつつある。ブルータとルイのことはわからなくとも、ガイとリンのことはわかるのだ。ガイを信じるか、リンを信じるかという部分で賭けることができる。

 あとは、払い戻される金の額の問題だ。

「なら、予想が当たったら倍返しでいいだろう」

「それじゃ胴元が儲からないぜ」

「このくらいかまわんよ。丸儲けになる可能性もあることだしな」

 ふたりとも、倍率は二倍で決定したらしい。シャンは元から金に執着することのない性格なので、こうなることも半ば予想済みだ。

 本部にいた悪魔たちも、自分たちの判断で金を賭け始めた。ブルータとルイの見た目で選んでいる者もいるようだが、大半はガイとリンを天秤にかけてどちらに賭けるか決めている。結果、半々程度で賭ける悪魔は割れた。シャンはどちらが勝っても大損をせずにすみそうだ。

「ホウ、お前は?」

「賭けには興味ない。予想はたてているが」

 賭けに走る悪魔たちを冷淡な目で見ていたホウは、結局最後まで金を賭けることはなかった。

「予想があるのなら教えてほしいもんだ。後からしたり顔で予想が当たったとか言われないために」

 冷めた顔をしているのが気に障ったのか、ガイがホウに絡み始めた。俺が頭の上にいるのだからやめておいてほしいと思うが、無駄だろう。

「お前と反対を予想している」

「そうかよ、だったら賭ければいいだろ」

「興味がない」

「予想に自信がないからだろ?」

 ガイは執拗にホウに迫った。迫った、というよりは因縁をつけているというのが正解だ。

 困ったことにこの男、どうやら本気でホウのことを嫌っているらしい。リンと仲が悪いという話だったはずだが、リンはむしろ喧嘩仲間でホウのほうには憎悪を抱いているようにさえ見える。いつからこうなったのか。

「さあね」

 ホウは済ました顔でガイの言葉を聞き流す。大した度量だ。

 諜報部というのはこれくらいでないとやっていけないのかもしれないが。

「だったら個人的な賭けをしないか。お前が前からいるほうが勝つと予想してるんなら、それが当たったときに俺はお前に財布ごと渡してやってもいい」

「それで?」

「その代わりお前の予想がはずれたら、一晩お付き合いを願うというのはどうだ」

「私がそれほど安いと思ってるのか」

 話にならない、とばかりにホウは目を閉じて息を吐いた。

「逃げるのか、自分で予想しておいて。お前があの人形に肩入れしてるのは知ってるぜ。なのに、いざ戦いとなったら信用しないっていうのか」

「しつこいやつ。ガイ、挑発して私に賭けをうけさせようというのは安易な策だ。それに、お前が財布で私が身体というのは釣り合いがとれていない」

「だったら、お前の身体につりあうものとはなんだ」

「そうだな、ロナをもらおう」

 む、とガイがうなった。さすがの彼も、軽々に副官を賭けることはできない。

 ガイは海軍司令で、名実ともに指揮官であったが、ロナの補佐は必要不可欠だった。彼一人だけの指揮では細かい点に気が回らず、補給もままならない。

 ホウが求めるものを賭けるのは無理だった。

「お前が言っているのは、私にとってはそういうことだ。お前に身体を許すことはしたくない」

「けっ、そこまで嫌うか。いいぜ、ロナを賭ける」

 おいおい!

 俺は咽喉まで出かかったその言葉を飲んだ。ロナを賭けて、負けたら終わりである。ガイは海軍総司令の役目を果たせなくなる。

 この会話が聞こえているはずのシャンは、聞き流している。どうせいつもの喧嘩だと思っているのかもしれない。あるいは聞こえていないのか。

「俺がロナを賭ければお前は身体を賭けるんだな。それで釣り合うだろ、もう決定だからな」

「いいだろう、了解した」

 とんでもないことになった。どうするんだよこの始末は。

 俺が不安にかられている横で、シャンは賭け金の管理を終えていた。ブルータとルイはすでに、離れた位置で立っている。いつでも始められる格好だ。

「面白そうな賭けをしてるな、どう転んでも面白そうだ」

 大変なことになったと思っている俺とは違い、リンは余裕の表情で笑っていた。止める気などないらしい。

「よし、もういいだろう。さっさと始めよう」

 シャンがリン、ガイ、ホウの顔を見回す。

 四天王は小さく頷き合った。シャンがブルータたちのほうへ向き直り、手を挙げる。

「よし、もう始めるぞ。二人ともいいな?」

 ブルータとルイは、頷いて応じる。

 シャンが銅貨を一枚取り出して、放り投げた。それは緩やかな放物線を描いてブルータとルイの間に入り、地面に落ちて澄んだ音を立てる。


 同時に、ブルータがルイへ飛び掛った。

 霧の衣装は着ていない。片方だけ魔道具に頼るのは不公平ということで、着せなかった。今のブルータは、城塞都市を脱出してくるときに来ていた侍女服を着ている。ブルータ自身の血でどす黒く変色した部分が目立つが、破れなどの損傷はフェリテが細々と修復してくれている。

 対するルイは以前洞穴に入る際に用意した法衣を着ている。顔面の中央にある大きな目で飛び掛ってくるブルータを見て、素早く後ろに飛び跳ねた。

 ブルータのナイフが空を切る。

 城塞都市で折れたナイフの代わりの品だ。これには魔力は特に付加されておらず、引き出すこともできない。その代わりに刃は厚く、焼きも丁寧なものとなり、純粋な武器としての攻撃力は上がっている。

 魔法使い同士の戦いであるが、ブルータはいきなり接近戦を挑んでいた。

 そのほうが有利と見たからだろう。純粋な魔力を比べればわからないが、力比べ、身体能力比べであるなら明らかにハーフダークであるブルータに分があるのだ。

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