10・愚神礼賛 後編
俺に近づいてきたガイは、それまで険しくしていた顔を緩ませた。
「よう、お前もずいぶん出世したもんだな。あの女の顔を拝めるとはな。あんまり拝みたくもなかっただろうが」
にこやかな声である。相手によって態度をコロッと変えられるのはすごいと思う。これで背後にホウが近寄ってきたら狂犬のような顔で威嚇するのだろうから、切り替えの早いというか怖い奴だ。
「まあな。美人って言えば美人だったがな」
俺は適当な感想を口にしておいた。
「へっ、まあ美人といえばな。夜魔たちには負けるだろうがよ。これでやっと俺にもお愉しみの時間がやってくるってもんだ」
自分の望みを聞いてもらえたガイは早速、夜魔たちを相手にした夜の営みに思いを馳せているようだ。部下の慰安もそうだが、自分自身の愉しみという部分がやはり大きいらしい。
俺の下にいるブルータはガイの言葉を黙って聞いている。自分には関係がないと思っているようだ。実際に関係ないのだが。
「ところで、お前ら覚えてるか? 前に頼みたいことがあるって言ったはずだ」
「ああ、そんなこともあったな」
覚えてるか、と言われても俺は忘れていた。
確かに以前、ガイは俺たちに頼みたいことがあると言っていた。その頼みを聞く前にブルータが大怪我をしたために本部に戻ることになって、それからすっかり忘れていた。
「その頼みを、今なら聞いてもらえるだろうと思ってな」
ガイは笑みを強めた。
何かろくでもない頼みであることは間違いなさそうだ。
「なんか、面倒くさそうなことを頼むんじゃないだろうな」
「いやそんなことはないぞ。ちょっと遠いところになるがただの暗殺任務に過ぎない」
「だったらリンに話を通してくれよ。ちょうどそこにいるだろ」
俺は面倒なことになる前に、四天王同士で話をしてくれるように言う。面倒ごとが起きると、間に入っている俺がいろいろな被害を受けることになるからだ。
「おいリン、そのくらいはいいよな」
ガイは少々躊躇ったようだが、結局振り返ってリンを呼んだ。嫌々ながらも声をかけたというのがよくわかる。
声をかけられたリンはホウと何かを話しているところだった。彼女は横目にガイを見て、面白くなさそうに顔をゆがめる。
「図々しい奴だ。人の命令系統に割り込んできていいよなもなにもない」
「相変わらずケチくせえな、そんな無理を頼むつもりはねえ。ただ単に、殺してほしいやつがいるだけだ」
「ケチくさくて悪かったな、色ボケ。殺して欲しい奴がいるなら自分でとりにいけ」
ガイとリンの仲が悪いのは知っていたが、交わされる言葉が実に殺伐としている。なぜそうも喧嘩腰なのか。
言葉悪く突っぱねられたガイは、舌打ちをしながらも引き下がらない。顔をしかめつつ、標的について触れた。
「俺がやったんじゃ意味ねえんだよ。いいか、広陵都市のラビル司祭、それに修道女のソーシャ。この二人を消してもらいたいだけだ」
「うん? ラビル司祭か。ふむ、お前にしてはいいところをついてるな」
標的の詳細を聞いて、リンは少し考え込んだ。
その相手について、俺はさしたる情報をもっていない。ラビル司祭も、修道女のソーシャもまるで聞いたことのない名だった。ガイは彼らに手こずっているのだろうか。だが、ガイ率いる艦隊がいる位置は、広陵都市とはかなり離れているように感じられる。
「確かに、殺しておきたい相手ではあるな。まあいいだろう。そのかわり、王太子ルークスと魔法使いアービィの暗殺任務が先だからな。ルークスは仕方ないにしても、アービィの暗殺に出向いて戻ってきて、それから広陵都市に行かせろ」
「それはいけない、リン」
リンの指示に対して、ホウが横槍を入れた。
「田園都市のアービィだが、暗殺に行かせるのはやめたほうがいい。今、田園都市にはクレナがいる」
「クレナって、お前の足を割ったっていう女勇者か」
これを聞いて、リンは目を閉じて唸った。女勇者のクレナの実力は高い。おそらくだが俺が対峙した勇者ラインと比較しても遜色ないだろう。俺やブルータが彼女と争うことになった場合、今回と同じように散々にやられて命からがら逃げ帰ってくるということになりかねない。というよりも、死ぬ可能性のほうが高かった。前回もホウやフェリテが来てくれなければそれで俺たちは終わっていたのだ。
ため息をついて、リンは首を振った。
「なら、傷が治ったらまず広陵都市だな。いずれにしても、ラビル司祭と修道女ソーシャは倒さなければならない相手だった」
「ってことだ」
リンの言葉を聞いて、ガイはニヤリと笑ったまま俺を小突いた。
「広陵都市にいってこい。面白いものが見れるはずだ」
「何かあるのか?」
ガイの言っている事は、多分嘘ではない。本当に何か面白いことが待っているのだろう。ただし、それはガイにとってはという注釈がつくが。
「行ってみてのお楽しみだ。それでもわからなければ帰ってから教えてやるよ」
「なんだそりゃ」
「へへ、先に知ったら面白くねえのさ。そいじゃよろしく頼んだぜ」
四天王のガイは、俺たちが広陵都市に行くことを随分と楽しみにしているようだ。一体何がそこに待っているというのか、俺にはわからない。
「そうかよ」
俺はため息をつくしかなかった。結局俺は、四天王たちに振り回されているだけのような気がしてきたからだ。
最初はシャンにブルータを押し付けられ、リンに暗殺命令を受け、ホウの情報に踊らされ、ガイにはこうして追加の命令をうける。俺ほど四天王たちに関わっている下級悪魔もいないだろう。
のんべんだらりと暮らしていければそれで結構、と思っていただけの俺がどうしてこうなったのか。リンに認められたいとか、ホウも悪くないとか、欲望任せでやってきた報いか。
まあ今さらこの任務から逃げだそうとは言えないし、俺の命なんて吹けば飛ぶほど軽いと自覚してもいる。それでも戦いは過酷になっていくし、死と隣り合わせの状況はきつい。いざというとき、前回のようなことにならないためにも転移の魔法を覚えたほうがいいかもしれない。ブルータを見捨てて勇者から離れて、自分だけ転移で帰ってこれるようにだ。そうしなければ、またラインにつかまって死線をくぐらなければならなくなってしまう。というか、多分今度は見逃してくれないだろう。俺は死ぬことになる。
「ところで、あいつはどうなった?」
ガイが思い出したように俺に訊いてきた。が、あいつといわれてもピンとこない。
「お前に預けただろ、シャンに渡せって言って。その後どうなったんだよ」
「ああ、ルイのことか? 確かに言われたとおりシャンに渡した。その後、『奴』の命令で面倒なことになって」
そこまで答えかけ、俺はルイの調整も終わっているということを思い出した。
シャンはまだ中庭にいる。俺は少し離れた位置に立っていたシャンを呼ぶ。
「シャン! ルイの調整は終わっているのだろう?」
リンのほうに意識を向けていたらしいシャンは、俺の声でこちらを向いた。それから頷き、顎先に指を当てる。
「確かに調整は終わった。会うか? まだどのくらいの調子が出るのかはテストしていないが」
「へえ、やっぱり戦闘奴隷にしちまったか。どうなんだよ、元から転移の呪文が使えるような魔法使いの奴隷ってのは」
ガイもルイの調整に興味をひかれたらしい。もちろん俺も調整の終わったルイを見てみたい気持ちがある。
「魔力の強さではかなりのものだな。使いこなせれば、相応の戦力になるはずだ」
シャンの返答は、俺を満足させるものではなかった。
相応の戦力、ではなく具体的にお願いしたいのだ。ドラゴンに匹敵するとか、勇者の相手を任せても問題ないとか、そういうのでお願いしたい。
「こいつとはどっちが強い?」
ガイはブルータの肩に人差し指を当てた。
ブルータと調整を終えたルイではどちらが強いのか、と訊いている。
「それはわからんな。魔力だけならルイが圧倒しているはずだが、実戦となると」
「なら、戦わせてみればいいだろう。調整はもう終わっているんだろう? 実際にやらせてみりゃあいい」
「無為なことを」
顔をしかめて、シャンはため息を吐いた。
ガイは簡単に言うが、魔法使いであるブルータとルイが戦えば片方か、悪ければ両方が死んでしまうことは目に見えている。そのようなことになれば、魔王軍の損失だ。
ブルータもルイも貴重な戦力であるには違いない。俺との行動で功績をあげているブルータも、戦力に数えて問題なくなっている。もっと強い奴らがリンの部隊にたくさんいるから一人くらい死んでも問題ない、ということで解決はできない。
「無為じゃない、自分たちの戦力をしっかり把握することは大事じゃないか。それによ、たまには楽しみもなけりゃあな」
「たまには? お前はいつも楽しみしかないではないか」
「いいじゃねえかシャン。賭け事は好きだろ」
「何?」
シャンは怪訝な目をガイに向けた。
「お前は、二人に戦わせて、なおかつそれを賭けのダシにしようっていうのか?」
「そうだ」
あっけなく肯定してしまうガイ。
「面白そうだと思わないのか?」
「それは思う」
と答えたのは、俺だ。確かに、ブルータとルイを競わせるというのは面白そうに感じる。
シャンに与えられた魔力とハーフダークなりの身体能力の高さをもってやってきたブルータ。それと、元々高い魔力をもって戦ってきた人間の魔法使いを調整したルイ。戦わせてはみたい。
もっとも、俺の予想ではルイの勝利だ。ブルータがハーフダークだといっても、ガイに挑むほどの魔力を備え、洞穴の入り口を消し飛ばすほどの破壊力を秘めたルイの前にどれほどのものだというのか。
「そこまでいうなら、どれほどの力をもつに至ったかの試験を兼ねて、競わせてみてもいい。しかし、相手を殺すのは無しだぞ」
仕方がないなという顔をして、シャンが俺とガイを見た。
ガイは我が意を得たりという調子で「そうこなくては」と頷く。
「へえ、面白そうなことをやるんだな」
この会話を聞いていたらしいリンとホウがこちらにやってきた。
「その賭け、私にも噛ませてくれるんだろうな。シャン」
珍しく愉快そうな顔をしたリンは、シャンに詰め寄る。リンがやってきたためか、ガイの顔がやや曇る。仕事以外の話では近寄りたくないと思っているのだろう。
ホウも、この一戦が気になる様子だ。見学していくつもりだろう。
四天王を巻き込み、大事になってきた。そんな中で無様は見せられない。
ルイがブルータを圧倒するところを見られればいいが。最悪でも、負けはしないだろうが。
「なあシャン、早いところルイを連れてきてくれ」
「ここでやるのか? ブルータもまだ傷が癒えていないだろう」
俺が急かすと、シャンは眉間に皺を寄せる。
「だったら、いつごろ準備ができる」
俺と同じように焦れたらしいガイが期日を定めるように言った。
シャンはブルータの左腕に目をやった。勇者ラインの剣によって切断された左腕は、いまだに再生されていない。
「二日後にしよう。日の入りまでに集まってくれ、場所も用意しなければならないだろうし」
「わかった。まあ、先のお楽しみってことだな」
ガイは頷いて、背中を向けた。
「賭けの種銭も用意しとけよ、額が多いほうが盛り上がるだろ」
そんなことを言い残し、彼はこの場から立ち去った。本部にいる悪魔に転送魔法をかけてもらって、前線に戻るとみられる。彼よりよほど現状把握に優れた胸の豊満な女悪魔を伴い、ガイは中庭から出て行った。
俺は昔馴染みの悪魔を見送り、シャンに視線を戻した。
シャンはリン、ホウの二人と何か話をしている。それは、今の賭け事の話ではなさそうだ。
俺にもやっと聞き取れるくらいの小さな声で、ホウが口を開く。
「あの女、身体からの残余魔力をみるに、やはり魔王の声などやっていないな」
「で、何をやっているのかわかったのか」
同じように小さな声でシャンが応じる。
「予想はついているんだろう」
「やはり、魔神か」
「多分な。それをやって、どうしようっていうつもりなのかまではわからないが」
何の話をしているのか、俺にはわからない。
魔神というのが何なのかさえ俺は知らない。魔王とは違う存在であることは、今の会話から推測できる。
「魔神など呼び起こしても破壊しかすることがない。問題はどちらに拳を振り下ろすか、だがな」
「どちらともいえない、しかしまだ確信はもてないぞ。魔王はどうなったのかまだわからないからな」
「そのくらい、お前の魔法で調べられないのか」
「あいつの魔力探知にかからないように調べるのがどんなに面倒か、わかっているくせにそういうことを言う」
四天王の会話が続く。何のことを言っているのか、俺には本当にわからなかった。
人間社会の制圧は、魔王が言い出したことではないのか。魔神というのは何なのか。
悩んでいるうちに、俺が盗み聞きしていることにリンが気付いた。
「おっと、この話は後にしよう。どうせ二日後にはまた集まるんだろう」
唐突に話を打ち切り、リンは話題を戻した。
「お前たちも賭けにのるのか。つまらん、純粋に腕を競わせるってならわかるが、どうしてお前らはすぐにそういう風にしたがるんだ」
シャンは賭けが嫌いらしく、ガイやリンの態度に苛立っているようだ。
ホウがそこに割り込み、シャンをなだめる。
「落ち着け、シャン。ルイの力に興味があるのはみんな同じだ。ガイも四天王だ、ただ賭け事の対象にして遊んでいるだけではない」
「そうだといいがな」
「その試合は私にも見せてくれるんだろう? どうせなら見学自由にして大勢巻き込んでみてはどうだ」
「ちょっとそれはまずいな。四天王が寄り集まってそんな会合をやっていると知れたら流石にあの女も機嫌を損ねるだろう」
シャンは大きくため息を吐いた。それから俺たちを見て、手のひらを見せた。ここにいろ、ということらしい。
「まあとにかく、ルイを連れてくるから少し待っていろ。そのあとで負傷の手当てもしてやるから」
シャンが引っ込んでしまうと、中庭に残っているのは俺とブルータ以外はリンとホウ、それにフェリテの三人となる。
ホウとの会話も一段落したらしいリンに、ブルータが近づいた。急にブルータが歩き出したので俺は慌てた。不安定な頭の上から避難し、いつものポケットの中に入り込んでおく。
ブルータは頭を下げ、リンに話しかける。
「リンさま、もうお聞きとは思いますが城塞都市のルークスの暗殺に失敗いたしました」
ホウから報告がいっているのは知っていたが、自分で報告しろと前に言われたことを覚えていたのだろう。
「ああ、わかっている」
怠惰そうに目を閉じ、リンは頷く。
「さっき言ったとおり、負傷が治った後は広陵都市に向かえ。その前にルイと技を競ってもらうことになると思うが」
「わかりました」
「ルイと戦うことになるが、殺すなよ。しかも、手を抜くな」
リンは無茶なことを言った。どういう命令だ、と俺は言い返しかける。相手を殺さずに、しかも全力で戦うという命令は極めて難しい。負けろと言っているのか、勝てと言っているのか、どっちつかずだ。
だが、ブルータは頷いて応じた。
「ルイを殺すことは、できません。しかし、負けるつもりもありません。私はできるだけの力で、勝ちにまいります」
「それでいい。私も見に来るからな」
「光栄です」
表情を変えることなく、ブルータは淡々とそう言った。本当に光栄と思っているのかどうか、非常に怪しい。
俺の予想では、ブルータは負けるだろう。今のうちに、大口を叩いておくがいい。すぐに後悔することになるだろうから。
今まさに、リンに対して「がんばります」といった調子の言葉を放っているブルータが、ぶざまに地をなめるさまを想像して楽しむ。そうして時間を潰していると、シャンが戻ってきた。ルイを連れている。
「待たせたな、これで調整は終わっている。一応、奴の言葉にもそむいてはいない」
法衣を着たルイは、シャンの後ろに立っている。
その両目に巻かれていた包帯は、とられていた。どうやら治療したらしいな、と俺は思った。やっと美人らしい顔が見えるのかと目をこらし、軽く驚く。
人間なら当然、二つあるべきはずの目が、一つになっていたからだ。顔面の中央に、大きな眼球が一つだけ。
ギョロリと大きなその瞳が、俺を見た。
美人だと期待していた俺の気持ちは裏切られたわけである。
「なんだ、単眼にしたのか」
部下の悪魔にも一つ目の者がいるので見慣れているリンは、大した反応を見せない。そもそもルイのことをあまりみていないということもある。
逆に俺はルイの姿を前から見ていたし、人間の女ということで期待もしていた。ゆえに、驚く。
「なるほどこれなら人間社会に馴染めない」
ホウは淡々とした調子でそんな感想をもらした。
「気持ち悪いですか?」
ルイが口を開いたかと思えば、そんなことを言い出した。俺に言っているのかと思ったが、違うようだ。
彼女はブルータに訊いているらしい。




