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暗殺の青  作者: zan
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9・怨憎会苦 中編

 俺がルークスに手を伸ばそうとした瞬間、苛烈な声が響いた。

「下郎め、下がりなさい!」

 同時に何かが俺の目の前を横切り、壁に突き刺さった。槍だった。

 兵士の持っていた槍が飛んできたのだ。投げたのは、王妃だ。

「そういやいつの間にか消えてたな」

 俺は壁際に隠れていたらしい王妃に目をやった。峻烈な視線をこちらに向ける王妃は、王などよりよほど強そうだ。その体からは魔力を集めている様子もある。どうやら、魔法使いであるらしい。

「今更この程度の相手、俺が問題にするか」

「母様!」

 俺は王妃を黒矢の呪文で始末しようとしたが、母親の必死な姿に思うところがあったのか、ルークスが飛び上がった。剣を握り振り上げ、俺を叩き斬るつもりらしい。

 面倒くさい、俺は王妃に向けようとしていた指先をルークスに向けてやった。

 魔力で形成された黒い矢が、孤を描いて飛ぶ。ルークスはそれを剣で受けたようだが、そのくらいで上級魔法が止められるわけがない。

 伝統ある剣はあっけなく俺の魔法を受けて砕ける。ルークスはその衝撃に耐え切れず、背後に吹っ飛んでいった。

「ぐはっ!」

 背中から床に叩きつけられ、ルークスが呻く。

「ええい、薄汚い悪魔ども。よくも王族を侮辱してくれる」

 しかし王妃は強気な態度を崩さず、ブルータに杖を向けた。

「下がるがよい」

 杖の先から赤い光が放たれる。『爆炎の呪文』だ。

 一瞬もたたないうちにブルータの足元から爆風が巻き起こり、炎が飛び散った。その衝撃はさすがに凄まじいが、ブルータの障壁魔法を貫くほどではない。『爆炎の呪文』への対策は、障壁魔法構成の段階からとられているのだ。

 燃え上がる炎の熱もさほどではないため、霧の衣装がなくとも問題ない。王妃の魔法による損害は実質無いも同然である。

「どうじゃ、こたえたであろう」

 炎と煙のために俺たちの姿が見えないのか、王妃は勝ち誇った声をあげた。

 ブルータはゆっくりと王妃に向かって歩き、その姿を見せた。勝利を確信していたらしい王妃は、焼け焦げひとつないブルータの姿を見て動揺した。

「な、なんじゃと」

 だが、さすがに王妃はすぐに気を取り直した。再び魔力を集めて、次の魔法を練りだす。

 その間ブルータも呆然としてはいない。王妃の魔法に対抗するため、こちらも魔力を集める。

「おのれ悪魔め、これで砕け散るがよい」

 いち早く、魔法を練り終わった王妃が俺たちの足元を指差した。ブルータは咄嗟に飛び退く。王妃が指差した床から、強烈な炎が燃え上がった。ブルータと王妃を分断するように、横に長い炎の壁ができあがっている。

 高温・火炎系統の中級呪文『炎壁の呪文』だ。さすがに霧の衣装でなければ耐えられない、これは無傷というわけにはいかない。

 だが、この魔法は術者の意図とは無関係にしばらく燃え続ける。王妃を殺しても、すぐに消えるわけではないのだ。

「炎の壁を目くらましにして、遠くから魔法を撃ってくるつもりか?」

 俺はそう考えながら、ルークスの方にも注意を払った。ダメージを受けたとはいえあれでダウンしてしまうほど情けない勇者もあるまい。

 勇者は痛みに呻きながらも立ち上がろうとしていた。折れた剣を捨てて、自分が腰に刺していた剣を握っている。

「やはり、彼女を先に殺すべきです。この場で最優先するべきは任務を完了することなのですから」

 ブルータはナイフを抜きながら俺に提案をしてくる。

 それは無論、俺もわかっていることだ。何はなくとも、ルークスとアービィの始末が俺たちの任務だ。ここまできて俺のお愉しみのために討ちもらしたということになれば、責任は重い。

 ここは諦めざるを得ないのか。

「仕方ない、殺せ」

 俺は短く命じる。

 だが、その瞬間に何かが飛び込んできた。炎の壁の、向こう側からだ。

 王妃か、と思ったが違う。男だった。

「君が侵入者か」

 短く確認すると、その男は腰から剣を抜き放って横なぎに振りぬく。ブルータは咄嗟に受けようとしたらしいが、傷ついた左手では反応が遅れた。

 俺が何とかできるような暇もなかった。

 敵の一撃は、ブルータの左肩から食い込んで、胴体を大きく切り裂いた。ブルータはそれでも体を引いて、真っ二つにされることを避けていた。しかし、それがどれほどの延命になるだろうか。人間なら即死しているほどの傷だ。

 その傷口から鮮血が噴出すよりも早く、敵は追撃を放つ。

 ブルータの左腕は、完全に切断されている。もう使えない。まずい、これはやばい。

 この突然乱入してきた男が何者なのかわからないが、圧倒的な力だ。カイザードなどよりもよほど危険な相手。

 男の追撃、振り下ろすような剣の一撃。ブルータは無理やりにも右手に握ったナイフでそれを受ける。

 瞬間、ナイフが折れた。敵の剣がブルータの右腕にも食い込む。

 そのまま真っ二つにされるかとも思えたが、そこはさすがにハーフダークであるブルータ。右腕の骨で、相手の剣をしっかりと受けていた。傷は負ったが、右手も殺されるということにはならない。

「ふっ!」

 乱入してきた男は、剣での攻撃が辛くも防がれたことを見るや、足を振り上げてブルータを蹴りつける。

 ブルータはその蹴りを受けると同時に、自分でも蹴られる方向に向かって飛ぶ。相手から離れるためだ。

「ちっ」

 逃がしたことが気にいらないらしく、男は舌打ちをして剣を構えなおした。

 この野郎、何者だ。

 冷静に男を観察してみると、土色のマント、旅衣装に皮のブーツだ。どこにでもいそうな旅人にしか見えない。

 が、その気配は尋常ではない。全身から濃厚な死と血の気配が漂っている。

 ひょっとすると、こいつはもしかして。

 勇者か?

 ルークスのような旅立つ前のひよっこではなく。すでに名を馳せている化け物の。

「ラインさま!」

 俺が勝手に想像して竦んでいるところに、ルークスが叫んだ。

 ライン。その名前は、酒場で聞いた。今まさに最強の勇者さまだということでたたえられている化け物。

「ルークス、助けに来た」

 ラインと呼ばれた男は、剣を支えにして立ち上がろうとしているルークスにそう言ったのだ。

 やはり、こいつが勇者ラインか!

 俺は、逃げるべきだと感じた。

 ガイの別働隊を壊滅させるような化け物だ。ブルータがどう逆立ちしたって勝てっこない。

 しかし逃げることもできるかどうか怪しいのではないか。何とかして、その方法を。それを考えている暇があるのかどうかも怪しいが、とにかく何とかして逃げるのだ。

「撤退を進言します」

 左腕を失ったブルータが、吹っ飛んだ先で立ち上がる。折れたナイフを捨てて、魔力を集中しながらだ。

 俺は急いでそちらに向かった。幸い勇者ラインはルークスの様子を見ているようなので、今が好機といえた。俺は大急ぎでブルータの服の中にもぐりこみ、

「撤退しろ!」

 と言った。

「逃がさないぞ、侵入者」

「ぼ、ぼくも手伝う」

 だが、逃げ出そうとする俺たちを追ってくるライン。ルークスも無駄な勇気を発揮して追いかけてくるではないか。

 炎の壁を乗り越えて、王妃もこちらに向かってくる。自分の魔法で焼け焦げながらも迫ってくるのは、母親としての愛がなせる業なのか。

「お待ちなさい、ルークス! その者はわたしがこの手で!」

 鬼気迫る表情の王妃。

 迫ってくる勇者ライン。

 それをフォローするようにやってくるルークス。

 ブルータは切り落とされた左手をかばうような格好になりながら、背後にある扉を蹴り開けて走り出す。とにかく、逃げなければ。

 こういうときに、フェリテは監視しておいてくれない。ああ、そういえば奴は女勇者をひきつけるのに忙しいとか言っていたか。くそ、ならば誰が頼れるというのだ。


 城の通路を走る。死体が散らばる中を抜け、一心不乱に走るブルータ。俺はその服の中に入って、必死に考える。どうにかせねば。

 血に染まった侍女の服を着ているブルータは、目立つ。

「者どもであえーっ、侵入者じゃ! 王を辱めた曲者じゃ!」

 王妃が叫んでいる。じきに兵士たちも集まってくるだろう。

「逃がさないぞ、曲者!」

 背後に魔法の気配。ルークスが何か魔法を放ってきたらしい。

 簡単な高温・火炎系の魔法だ。だが、今の消耗しきったブルータではそれもまともに受けられそうになかった。

「くそ」

 仕方なく俺が障壁魔法を使おうとしたが、その展開よりもルークスの魔法が早い。

「間に合わん、避けろ!」

 ブルータは横に飛んで無理やりにもルークスの魔法を回避する。

 一瞬前までブルータがいた位置に炎の矢が突き刺さり、その場に炎の柱を吹き上がらせた。回避成功だ。しかしそのせいでブルータはよろめき、逃走の速度が落ちる。

「おい、走れ!」

「はい」

 俺が叱咤したにもかかわらず、ブルータはすぐに走り出せない。血を流しすぎているのか。

「そこまでだ!」

 もたもたしているブルータに、ついにラインが追いついてきた。剣を抜いて、迫ってくる。

 まずい、逃げられそうにもない。

 戦うしかないのか? だが艦隊を全滅させるような化け物相手に勝てるのか。

 考えている余裕もなかった。

 振り下ろされる剣。ブルータは背中から剣を抜き放って応じた。金属が激しくかち合い、体勢を崩していたブルータがさらに押し飛ばされる。

 ブルータの抜いた剣は、どうやらカイザード将軍が持っていたもののようだ。魔力が込められていたので、死体から拝借したのだろう。

 ラインは素早く左手をブルータに向ける。その指先から飛び出す魔法は、『地脈の魔法』のようだ。衝撃。俺たちは強風に吹き飛ばされる落ち葉のように地面から浮き上がり、すさまじい勢いで押し飛ばされる。

「えうっ!」

 肺を圧迫されたらしいブルータが、わけのわからないうめき声を上げた。次の瞬間、壁にたたきつけられて後頭部と背中をしたたかに打つ。

 俺の体に何か液体がかかる。それは、ブルータの傷口から噴出した鮮血だ。ラインに斬りつけられたせいで、ブルータの着ていた侍女の服はすでに千切れかけていた。胸のふくらみがあれば、まろびでていただろう。ブルータにはその心配はなかったが。

「ごふっ、はあ」

 咳き込みをなんとか押さえつけながら、ブルータは強引に足を踏ん張って床に立つ。

 頭や顔からも出血が見られる。額を切ったらしい。顔の上半分は赤く染まっていた。

 勇者ラインの使った『地脈の魔法』は、かつて砂漠都市でタゼルから受けたそれよりもはるかに強いものだった。さすがに、最強と目されるだけのことはあるというものだ。

 どう考えても、俺たちなんかが立ち向かって勝てる相手ではない。出会って逃げ延びられれば上出来だ。

「おお、そやつが賊ぞ。仕留めい!」

 王妃が高い声で強く命じた。あちこちから見張りに立っていた兵士たちが集まってきているようだ。こいつら自体は雑魚だが、数が集まると厄介だ。それに、こいつらに足止めされている間にラインが迫ってくる。

「畜生、なんだってんだ。厄日だ」

 愚痴をこぼすしかない。

 ブルータは荒い息をついていて、集まってくる兵士たちを見据えている。当然、こちらへ走ってきているラインもだ。

 ルークスもその背後にいる。それに少し遅れて王妃もだ。なかなか活動的で、結構な王族だ!

「げ、幻影剣の呪文を使います」

 息も絶え絶えといった調子で、ブルータがそんなことを言う。

「この状況からか?」

「兵士たちが盾になり、私が何をしているのか勇者には見えないと考えます」

「よしやれ」

 思念会話に使う魔力も惜しいのか、ぼそぼそと話すブルータに俺はすぐさま許可を出す。

 今の俺には手がない、ブルータの作戦に賭けるしかなかった。

 兵士たちは槍をもって、俺たちの周囲に集まってくる。

「貴様、もう逃げられんぞ!」

 三人の兵士が、ブルータの前に立ちふさがった。俺たちからもラインの姿は見えなくなる。ここしかない。

「いけ!」

 右手を振りかぶって、ブルータは渾身の魔力を込めて横なぎに振るった。


 射程の延びた幻影の刃が、囲んでいた兵士の首を落とす。

 だが、ラインはどうなった。

 殺せたのか? それともはずしたか?

「おいっ」

 力を使い果たしたらしいブルータの体が、崩れ落ちていく。

 まずい、もしもラインを討ち損ねていたら俺たちは確実に死ぬ。

 首を切断されて崩れ落ちていく兵士たちと合わせるように、ブルータの体も倒れていく。

「冗談じゃない、踏みとどまれ」

 俺の願いが通じたか、ブルータは膝を立てる。完全に倒れこむことは避けた。

 足元に広がる血だまりに、兵士たちの血が混じっていく。

 ラインはどうなった。俺は前を見据える。

「だめでした」

 言わなくていい、わかっている。

 なんてことだ。勇者ラインは生きている。それも無傷だ。

 咄嗟に屈んだのか、飛び上がったのか。運がよかったのか、見切ったのか。

 いずれにしても結果として、勇者ラインは生きていた。

 だが、奴はこちらを見てはいない。背後にいるルークスと王妃を見ている。

 ルークスは背丈がやや低かったこともあり、顔面の半分を切り裂かれていた。血を流している。

 だが、即死ではない。ラインは彼女を助けるためにそちらにいきたいのだろう。

「おのれ、賊め! 我が、我が至宝のルークを!」

 王妃は錯乱している。どうやら王妃までは届かなかったらしい。ルークスを抱いて涙交じりの絶叫だ。

「撤退しましょう」

 当然だ。ラインはこちらを追うよりも、ルークスを助けたいはずだ。

 この場は撤退するべきだ。生きてさえいれば、ルークスを暗殺する機会はまた巡ってくる。だが、死ねば終わりだ。

 命と引き換えにしてでもルークスを殺すべきなのかもしれないが、それは嫌だ。俺が嫌だ。

「ルークスのことは、アービィを暗殺した後にでも考えればいいことです」

 ブルータの言葉に俺は頷く。

「そうしろ、すぐにも逃げるべきだ」

 気力を振り絞って、ブルータはその場を逃げ出す。左腕を断たれ、軽くはない傷を抱えたままで逃げる。

 勇者ラインは追ってきたりはしなかった。やはり、ルークスを助けることを優先したらしい。

「賊を逃がすでない! 王と王子の仇をとるのじゃ!」

 鬱陶しいことに、王妃はそんな叫びを交えている。傷の痛みをだましだまし歩くのが精一杯のブルータには厳しい。俺が対処したところで、だらだらと歩いていては勇者に追いつかれる。

「急げ」

「はい」

 急かしてみるが、ブルータの歩みはのろい。ほとんど変わらなかった。

 俺は、逃げ道をじりじりと絶たれているような気がする。まずい、やばすぎる。

 よし。

 ブルータを見捨てよう。

 俺の中で、ごく自然にそのことが決まった。何より今、目立つのはブルータだ。血に染まった侍女の服を着て左手を切り落とされた、角の生えた女だ。それに引き換え俺の姿は小さいし、物陰に隠れるのも容易だ。飛んで逃げることだってできる。

 できるだけブルータに敵をひきつけさせておいて、自分だけ逃げる。これしかない。

 何しろブルータを見捨てても、そのうちルイが俺の手駒になるはずなのだ。アービィとルークスのことはルイを手に入れてからでも遅くない。

 この状況でなら、誰も見ていない。ブルータのことは戦死したと言って疑われないはずだ。実際にそうであるし。

「なんとか逃げ延びろよ」

 俺はブルータから離れるタイミングを探って、周囲を見やった。兵士たちが集まる気配が濃厚になってきた。

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