9・怨憎会苦 前編
旅立ちの儀というものがどれほど大切なものなのかは、先程の衛兵とカイザード将軍の会話を聞いて想像がつく。
そいつをぶち壊しにしてやろうというのだ。城塞都市の威信は地の底まで落ちるだろう。ぜひ、そうしてやりたい。そのためにはカイザード将軍が邪魔である。
カイザード将軍に正面から挑んでも負ける気遣いはない、とブルータは言っていた。しかし、周囲に衛兵達がウロウロしている状況では負けないまでも取り逃がす可能性は高い。
今この場で奴に挑んで、万が一将軍も王子も取り逃がすようなことになれば、折角死体を用意してまで解いた警戒態勢を元に戻してしまいかねない。
ならば、明日の朝まで待つのがいい。
「ではどこかに潜むとしよう」
俺は考えをまとめると、ブルータに指示を出した。それを聞き入れた奴は、すぐに行動を開始する。
使用人たちの私室を探し当て、そこに入り込む。
部屋の中は狭いが、整理はされていた。おかげで目的のものが見つけやすい。大量に見つかったそれを、一着だけいただく。
侍女たちの制服だった。夜陰に紛れて、ブルータは霧の衣装を脱いでそれに袖を通す。紺色のシャツとスカートの上から、白いエプロンを合わせる。が、着替え終わってみるとサイズが合わなかった。やや大きなものを奪ってしまったようだ。やり直し。
服に着られているようなブルータは、今度は制服をいちいち身体に当ててサイズの確認を行う。しかしブルータの背丈は小さく、合いそうなものはなかなか見つからない。
ようやく見つけ出したそれを奪って、再び夜陰に紛れた。もう一度服を脱いで着替える。
今度はどうやら服に着られているような有様にはならなかった。とりあえずこれでよい。胸元のあたりにある、本来ならふくらみをおさめるべき領域が空洞となっているのが見受けられるくらいは大した問題ではないだろう。それよりも、ヘッドドレスである程度隠れているとはいえ、ブルータの角のほうが問題だ。やはり隠遁の魔法は欠かせそうにない。
霧の衣装は背嚢に仕舞いこみ、すっかりブルータは侍女の姿になった。これなら隠れているところを発見されてもすぐには大騒ぎにならない。
そのまま、使用人たちの私室で仕事をしているふりをしながら朝まで過ごした。隠遁の魔法の効果が切れないようにかけなおすこと数回に及ぶ。
太陽が地平線から顔を出し、世界が色を帯びてきた。
着替えた状態でカイザード将軍の警備する王太子の部屋の前に戻ってみるが、彼は相変わらずそこで立っていた。任務に忠実で、結構なことだ。こっちにとっては鬱陶しいだけだが。
「王子の旅立ちの時期が正確に民衆に知らされていないということは」
俺は奴の顔を遠目に見ながら考えている。
「王子ルークスさまの旅立ちを民衆に見送らせるとか、そういうことはなさそうだな。ってことは早朝に王族やら貴族やらだけで集まってこっそり行うのかもしれないな」
「その可能性はあります」
小声でぶつぶつ言いながら考えていると、ブルータが相槌をいれてきた。
「そうだとしたらあまり時間はないな。うまいこと、旅立ちの儀を血の惨劇に変える方法はないか」
カイザード将軍が邪魔なので朝まで待ってみたものの、警備の人間が交代していない。やはり彼はこのまま旅立ちの儀の警備まで担当しているのかもしれない。そうだとすると面倒だ。
「彼を排除するだけなら、『地臥の魔法』に『転送の魔法』を入れておくことで対処可能だと思います」
「仮にも城塞都市の防衛を一手に担う将軍がそんな単純な罠にひっかかるか?」
俺はブルータの提案をあしらう。
そうしている間に、誰かがやってきた。侍女だ。隠遁の魔法があるとはいえ、朝になっている。
ブルータは素早く飛び上がった。無駄に高い天井付近に潜む。窓枠に足をかけて、なんとか隠れた。この位置でもカイザード将軍の姿は見える。
やってきた侍女は俺たちに気付くことなくカイザード将軍へと接近していく。どうやら、部屋の中に入る王子を起こしにきたらしい。着替えの時間というわけか。
となると、やはり早朝に行われるのだろう。まだ一般的な朝食の時間にはかなり早い。やっと夜明け、というくらいの時刻なのだ。
確か、王妃は王子に『王の間に来い』と言っていた。旅立ちの儀もそこで行われるに違いない。
侍女が部屋の中に入っていく。カイザード将軍は再び部屋の前に立った。
中ではあのお嬢さんの着替えが行われていることだろう。興味がないではないが、覗きに行くにはあの男が邪魔である。
「カイザード将軍」
衛兵がやってきた。他の兵士に比べると少し鎧に装飾がある。
「交代です」
「そうか、後は頼む」
やってきた兵士に頷いて、カイザード将軍はついにその場から動いた。
「おお!」
俺は思わず声を出しそうになり、慌てて口をおさえた。カイザード将軍もさすがに徹夜で王子の警備の上、そのまま大事な儀式の警備というわけにはいかなかったのだ。ひょっとすると周囲が止めて、やめさせたのかもしれない。どっちにしても、俺たちにとっては幸運なことだ。
奴さえいないのであれば、何も心配事などない。
しかし、念のためだ。
その場を離れて、どこかに消えていこうとしているカイザード将軍を追うように命じる。ブルータは頷き、天井から奴の動きを見る。
どうやら居住区へ行こうとしているらしい。
この状況なら、奴が消えてもしばらくは捜索がかかるまい。今こそ、好機だ。
角を一つ曲がったところで、ブルータは魔力を集めながら窓枠から足を離した。できるだけ衝撃を膝で吸収しながら床に下りるが、それでもさすがにカイザード将軍はこちらに気付いた。
「なんだ、こんな時間に」
振り返ったカイザード将軍はこちらの服装を見たらしくそんなことを言っていたが、すぐにブルータの角や溜められた魔力に気付いた。
「貴様、城の侍女ではないな」
すぐさま、剣を抜き放った。その刃には相当な量の魔力が込められていることがわかる。恐らく、突き込まれれば簡単にブルータの防御障壁を貫くだろう。
騒ぐ時間を与えるのは得策ではないし、一気に決着をつけるべきであった。
早朝ゆえに人の気配はほとんどない。だが、じきに旅立ちの儀とやらが始まるのだ。急がねば人が増える。
「仕留めろ」
俺は短く命令を下す。
「抹殺任務、了解」
ブルータは了解し、一気に接近をかけた。人を呼ばれるような時間、数秒の間さえカイザード将軍に与えてはならないのだ。
ブルータはハーフダークの身体能力を生かして、突進する。圧倒的な速度だが、さすがにカイザード将軍はそれにも反応を見せる。抜き放った剣をブルータの身体に合わせてきた。
ただの一瞬で、カイザード将軍を殺す。左拳を突進した勢いそのままに突き込む。魔力を帯びた剣ごと叩き潰すつもりだったが、カイザード将軍の技量と剣の切れ味が予想より鋭かった。
拳が斬られた。ブルータの左手が刃に裂かれていく。
カイザード将軍の剣が、肘の辺りまで食い込んだ。ブルータの左腕が鮮血を吐く。渾身の一撃は、防がれた。
しかし、その次の一瞬でカイザード将軍の首は飛んだ。
ブルータは左手が斬られている間に、右手に『幻影剣の呪文』を作り出していたのだ。それによって、カイザード将軍は討ち取られた。
苦しむ暇もなかっただろう。残念ながら、勝負は一瞬だった。
俺は具体的な戦闘方法について指示をだしていないが、ブルータは最初から左手を犠牲にするつもりだったのかもしれない。そうしなければ一瞬で討ち取れない相手だと認識したのだろう。正面から挑んで勝てない相手ではないと言いつつも、やはり実力を認めていたのだ。
ブルータは左手から流れ落ちる鮮血を処理するよりも先に、カイザード将軍の死体を手近な部屋に隠した。俺はそこに幻影を見せる魔法をかけておき、『異常がないように見える』ようにしておいた。しばらくはこの魔法の効果で、カイザード将軍の死は誰にも知られない。
一通りの隠蔽が終わると、次はいよいよ旅立ちの儀をぶち壊しに行くことになる。が、その前に左腕の処置だ。ブルータは背嚢を開けて粘性を保った樹脂を取り出し、傷口に塗りつけて強引にも裂かれた左手をくっつける。その上から清潔な布を巻き、固定させた。しかし巻いた布はすぐさまブルータの血で赤く染まっていく。熱で焼いて止血しようかとも思ったが、あまり時間がないため、樹脂が乾けばある程度止血効果も期待できると考えて布を巻くだけにしておいた。
どちらにせよ、すぐに治療できるような傷ではない。この場は応急処置だけでよかった。
王の間は、すぐに見つかった。城塞都市の城の、まさに中央だ。警備が重点的に行われているので、間違いない。ここでなければどこだというくらいのものがある。
外壁に接しているので、窓から中を見ることができた。三階の窓になど、誰も注意を払っていなかった。俺は悠々と外に浮いて、中を見ることができた。ブルータは近くの部屋の中に隠れている。
まさしく王の間。窓から見ると左手に玉座、右手に入り口だ。赤い絨毯が敷かれて、中にも衛兵が立っている。位の高い貴族らしき連中も何人か、その場にいる。勇者の旅立ちに立ち会おうというのだろう。
俺の頭の中には、すでに位置関係が綺麗に把握されていた。
ブルータは左手を使えないが、魔法は問題なく使える。幻影剣の呪文も使用可能のはずである。
《そろそろ準備しろ》
俺は窓の外に浮きながら、思念会話でそう命じた。
《大丈夫です》
ブルータは隠れている部屋から、思念会話で応じてくる。
王の間は入り口から玉座まで、ブルータの歩幅で三十歩程度だ。この距離なら、問題なかった。
衛兵たちは入り口付近の警備を固めることに集中しており、王の背後に控える兵士は二人だけだ。そのくらいなら、何も問題はない。
あとは、タイミングを見て指示を出すだけだ。じっくり見物するとしよう。
「それでは、はじめよう」
玉座に座る初老の男が口を開いた。王だ。城塞都市の王。隣には王妃もいる。
旅立ちの儀とやらが、いよいよ始まるらしい。
「王太子ルークス殿下のおなりです」
進行役らしい男がそう言い放ち、同時に王の間の扉が開けられた。外に控えていた、王太子ルークスが中に入ってくる。
王子らしい服装ではなく男物の旅衣装を見につけているが、確かに昨日見たままの顔だ。明らかに女である。どういう理由で王子だとか言っているのか知らないが、ここは一つ俺が女であることを自覚させてやらねばならないだろう。
ルークスは堂々とした振る舞いで進み出て、玉座より数歩手前でかしずいた。片膝をついて、頭を下げている。
王がそれを見て立ち上がり、二歩進む。背後に控えていた衛兵の一人が大事そうに持っていた剣を差し出す。王はそれを受け取り、ルークスを見下ろした。
どうやらここからが本番らしい。
「我ら城塞都市の至宝にして、未来を担う王太子ルークス。この大陸の未来をかけて、そなたに魔王討伐の使命を与える」
右手に握った剣を、横にしてルークスに突き出す。
ルークスはそれを両手で押し戴き、
「謹んでお受けいたします」
とお決まりの台詞を言った。それを見て王は満足し、旅立つ王子に向けて何か言おうとする。
《やれ》
俺はそれに先んじて、命令を下した。
ほぼ同時に、王の間を幻影の剣が駆け抜ける。その場にいた人間の大半が、物言わぬ骸となった。
その瞬間の王の顔といったら、なかった。俺は笑いを浮かべる。王の顔、開いた口がふさがらないというのはまさにこういうことをいうのだろう。異変に気付いたらしいルークスが振り返ったが、目が見開かれる瞬間がはっきり見えた。
その視線の先は、兵士達だ。旅立ちの儀の警備に選抜されるような兵士達が、皆首を落とされているのだ。首が落ち、命を失い、身体も崩れ落ちていく。
その場を鮮血が染める。この場にいた貴族らしき連中も皆首を落とされて、死んでいた。入り口付近にいたのが不幸だ。
近くの部屋から、ブルータが魔法を振るった結果がこれである。射程を異常に伸ばされた『幻影剣の呪文』は、壁を貫通して見事、王の間にいた兵士達の命を断った。
恐らくは外で警備をしていた兵士達も同じ運命だろう。
それを証明するように、王の間の扉が開いた。誰に妨害されるでもなく、この騒ぎを起こした犯人が入ってくる。左手に血染めの布を巻いた侍女の姿だが、頭には角がある。ブルータだ。
「どうしたことだ、これは」
「陛下、殿下、お下がり下さい!」
突然の事態にうろたえる王を、二人だけ生き残った兵士が守ろうとする。彼らは王の背後に控えていたおかげで助かったのだ。
ブルータの角を見て敵であると確信したのか、兵士達がブルータに挑んできた。手にした槍を繰り出す。
だが、ハーフダークであるブルータを殺すには不足すぎる。俺はその兵士二人と、王を殺すように命じた。
《王子以外の三人を、始末しろ》
ブルータの指が兵士の一人を指差す。指された兵士はたちまち氷像と化して、動きを止めてしまった。指されなかった兵士は犯人に槍を見舞うが、それをわざわざ身体に受けるようなブルータではない。
兵士の槍はあっけなく回避されて、返礼に『黒色の魔法』を打ち込まれる。王を守るべき兵士は吹き飛び、壁に激突して血を吐いた。
「おお、我が兵士が」
動揺している王は、逃げようともしない。ブルータは彼にも指を向けようとするが、その前に邪魔が入った。ルークスが受け取ったばかりの剣に手をかけてブルータを見ているのだ。
状況把握が少し遅かったが、一応はリンにマークされるだけの人材だということかもしれない。
「悪魔め、王をも手にかけるつもりか!」
吼えるルークスだが、女声だ。かわいらしく思えてしまう。そこで俺は、外から王の横顔を指差してやった。
俺の指先から、『黒矢の呪文』が飛び出す。魔法使いでもなんでもない城塞都市の王は、それを回避する術も認識する術ももたなかった。
結果、王の顔面は弾けるようにして吹き飛んだ。頭蓋骨をも粉砕された王は、頭半分を失ってどうと倒れる。
その一部始終を、ルークスは直視した。奴は動かなかった。恐らく動けなくなったのだろう。
「父様!」
王、とは呼ばなかった。呆然としたような声だった。
ルークスは、剣を握ったまま震え始めていた。次に出る言葉は何か、大体想像がつく。俺はそれを予想していた。
「カイザ……」
「カイザード将軍は、すでに殺しました」
ブルータが先回りして、ルークスの逃げ道を塞ぐ。哀れなルークスは、立っていられなくなったようだ。膝を折って、その場に座り込んでしまった。それでも剣を握ったままでいるのはさすがだ。
よくある物語なら、こういう場面ではルークスを思う若き剣士が助けに来る頃合だ。
しかし残念ながらそういった都合のいい展開などない。女であることを国家で隠し、勇者として祭り上げて旅立たせようとしていた悲劇の勇者ルークスはこうして旅立つ前に暗殺者の手にかかるのだ。
ルークスもまだまだ若いし子供だが、ブルータよりは熟している。年齢は十七か、十八くらいだろう。
久々に、俺のお愉しみの時間だ。
ここにいるのはブルータだけで、外にいる兵士たちも全員死亡している。しばらく時間の猶予はあるはずだった。
怯えきったルークスをいただく。俺は黒矢の呪文で破壊されている窓から、悠々と王の間へ入り込んだ。ルークスの前に姿を見せてみるが、今さら何にも驚かないのかさしたる反応がない。見えていないのかもしれないが。
色気のない旅衣装。王太子ルークス。
俺は彼女の額に手を当てて、意識を集中した。俺の姿は、小さい。この姿で人間の女と肉体的に交わることは難しい。そのかわりに俺は女の精神に侵入し、その心を陵辱することを得意にしている。つまり、悪夢だ。強烈な淫夢と催眠で犯すのだ。
俺自身の喜びは精神的な征服感と、そこからのつながりで肉体的な喜びが発生するので問題ない。この行為によって、女のほうが子を宿すことも可能だ。それほど圧倒的な快楽がある。
俺自身は同じ種族の女と肉体的な繋がりをするよりも、こちらのほうがよいとさえ思うくらいだ。
人間どもの高貴なる王族を存分に汚してやるとしよう。
「王太子ルークスは殺すように命令をうけています。万一のことを考え、速やかに殺すべきです」
ブルータが余計なことを言う。
そのとおりであり、反論の余地はない。だが、たまには俺にも愉しみの時間があってもいいはずだ。いや、なくてはならない。俺がどれだけ苦労をしていると思っているのか。
このくらいの役得がなければやっていられないのだ。




