8・暗中模索 後編
「カイザード将軍に私もお会いしてみたいですね」
ブルータはそう言った。店主がこたえる。
「ついさっきもそのへんを走り回っていたよ。なんだかまた問題が起きたみたいでね、現場主義の人だから自分でなんでもやろうとしちゃうのかな」
「そうですか」
やはり先ほど出会ったあの男が、カイザード将軍であるらしい。
ブルータは完全に日が落ちるまで酒場にいたが、その後は大した情報を得られない。
酒場を後にした俺たちは、夜陰に紛れて城に向かっていた。
城塞都市の王族の住居でもあり、防衛上の拠点でもある。また兵士の詰め所でもある。そうした場所に出向くので、隠遁の魔法を使っておく。
髪を洗うときに捨ててしまった法衣も回収した。使うからだ。
城は広かった。横に長く、縦にはそれほど伸びていない構造だ。
しかしどこから入り込もうにもかなり警戒が厳しい。兵士の数がかなり多かった。
何かを使って、陽動をかける必要がありそうだ。
しばらく考えた後、俺はいい作戦を思いついた。我ながら上出来だ。
回収してきた法衣を使うことにする。俺はブルータに都市の中心部に戻るように命じる。
先程とは違う酒場に入る。
夜の酒場には、酔っ払いのほかにもある種の人間がいる。娼婦たちだ。
俺とブルータはなるべく若いそれを探した。壁際にいて、若い男に秋波を飛ばしている女を一人確保。
ブルータは娼婦に近づいた。かなり若い。髪の色こそ赤だが、問題はなさそうだ。
娼婦は女であるブルータが声をかけてきたことにかなり戸惑っている。ブルータは口がうまいとはいえないので、交渉は難航していた。やむない。俺は『魅惑の呪文』を使うように指示する。
ブルータはそのとおりにした。素早く魔力を集めて、そっと娼婦を指差す。自然な動きだったので、誰にも気取られていないはずだ。
『魅惑の呪文』は対象に作用する魔法だ。術者を魅力的にみせる効果がある。永続的な効果ではないが、ブルータがさりげなく使った今のものでも一晩の営みを終えるくらいまでは持続する。
若い娼婦の態度は、目に見えて変わった。一気に軟化し、ブルータのいうことをうんうんと聞いている。ほどなく交渉は成立し、ブルータと娼婦は連れ立って酒場を出た。
人気のない位置までそのまま歩く。仲のよい姉妹のように歩いていたが、目的はこのまま娼婦と性交渉をすることではない。
俺は短くブルータに指示し、ブルータはその命令を実行する。
しばらく後、『法衣を着た黒髪の女』の死体ができあがった。
城の正面は、当然ながら多数の衛兵がいる。ここを突破するのは苦労しそうだ。
側面には外壁がそびえているが、ここにも衛兵は配置されている。
裏手には衛兵達が出入りするための扉が設置されているが、ここも警戒が厳しい。
俺たちは側面のあたりにいた。早速、行動を開始する。
すでに日は落ちているが、衛兵達のために焚かれている火のおかげでよく見通せる。ブルータは魔力を集めて、『低温の魔法』を打ち込んだ。警備のために歩いていた衛兵が凍りつき、その場に倒れた。
さらに『凍結矢の呪文』を用いて衛兵を何人か殺す。衛兵たちの死体に近づき、剣を奪った。
このまま中に乗り込んだのでは、多数の衛兵を相手にしなければならないだろう。そこで、ここまで運んできた元娼婦の死体、『法衣を着た黒髪の女』の死体に剣を突き刺した。
女の死体をその場に転がし、俺たちはその場を離れる。裏手に回るべきであった。
騒ぎが起きた頃を見計らい、城の中に入る計画だ。
意外にも早く、騒ぎが起こった。
「乗り込んできた奴の死体があがったらしいぞ!」
「おい、片づけだ。応援をよこせってよ」
そんな会話の後、彼らは次々と現場に向けて走っていった。衛兵達の数が減っていく。
裏手の入り口にも、人がいなくなった。恐らくだが、最も警戒していた『法衣を着た黒髪の女』が死んだということで、安堵してしまっているのだろう。
残念ながらそれは偽者であり、本物はここに生きているのだが。
カギもかかっていない出入り口から、俺たちは城内に潜入した。
城内に入ってしばらくは、兵士達のものらしい寝具や武具が目立った。それが終わると質の良い石で作られた壁になり、やがて城らしき装飾が施された大きく長い通路となった。
これでこそ、王族の住まいだろう。
深夜ということもあってか、通路を歩いている者はなかった。衛兵達もかなり少ない。先程の騒ぎで人数をとられているらしい。
カイザード将軍が俺たちのふりまく悪魔のにおいに気付けば問題となるだろうが、昼間のあの鈍感さをみてもそのあたりは悠長にしていて問題ないような気もする。
城の中は問題なく歩き回れる。どうやら外周の警備に人員をさきすぎて、内部の警備までは手が回らないようだ。その外周の警備も俺の計略で見事に破られたわけで、俺は目を細める。簡単なものだ。
「カイザード様」
突然そんな声が聞こえて、俺は飛び上がりかけた。ブルータは素早く壁際に隠れる。
どうやら、通路の先に兵士がいるようだ。カイザード将軍も一緒か。
俺は声の先に意識を向けた。会話を盗み聞きするためだ。
「旅立ちの儀の準備、万端整っております」
兵士はどうやら、カイザード将軍に報告をしているらしい。
「そうか。ご苦労だった。侵入者も死体で見つかったらしいし、今夜はもう心配ないだろう。休んでくれたまえ」
カイザード将軍の声も聞こえた。兵士をねぎらう言葉である。兵士はそれに応じた後、こちらに向かって走ってくる。仕事を終えたので休むのだろう。
声の方向から兵士が走ってくる。ブルータは息をひそめて、やりすごした。隠遁の魔法を見破るほどの力はその兵士になかったらしい。
兵士が行ってしまうと、ブルータはカイザード将軍のいる方向に目を向ける。
カイザードは、その場から動いていなかった。扉の前に立っている。扉の前だ。
恐らく、奴はその扉を守っているのだろう。となれば、よほど大事なモノがその扉の奥にある。
この状況下で守るべきものとは何か?
国宝かとも思ったが、恐らく違うだろう。俺の考えでは、王太子。まず、それだ。
カイザード将軍は城塞都市の中でも最大の戦力のはずである。それが守るようなものともなれば、それに匹敵するほど大事なもの。跡取りであり、勇者ともなる王子ルークスしかない。
この場でカイザード将軍を殺し、王子を殺すのが一番よいと思えた。
俺はブルータにカイザード将軍と戦うように命じようとして、やめる。誰かがやってきたからだ。この夜に。
通路の奥からしずしずと女が歩いてきていた。その姿を認めたカイザードが跪く。どうやら、王族のようだ。
「任務ご苦労です、カイザード将軍」
「はっ」
「ルークスは中に?」
そう訊ねる女は、周囲に衛兵と侍女を一人ずつ連れている。その口調と外見から、王妃であろうと推察された。周囲にいるのはよほど信頼されている兵士と侍女なのだろう。
「母様ですか」
そんな声が、部屋の中から聞こえた。
扉が開く。中から出てきたのは、ブルータと同じくらいの背丈をした女だった。
「おお、ルーク。出てきてはいけません」
王妃がそれを咎めた。
どういうことなんだか、俺にはさっぱりわからない。王太子ルークスは、男のはずだ。王子なのだから。
しかし今部屋の中から出てきたのは明らかに女。背丈も低いし、胸元にもふくらみがあった。どうやら、何か妙なお国の事情があるらしい。
「大丈夫です。母様こそ出歩いては」
ルークスは可憐ささえ残した声で、王妃に応じた。カイザード将軍はその様子をみて、二人を部屋の中に促す。外で話し込ませるわけにもいかないからだろう。
部屋の中には王族二人と侍女だけが入り、外にカイザードと兵士が残る。
俺は意識を集中してみるが、部屋の中の会話までは聞き取れない。どうせくだらない話をしているのだろう。
「今のうちに、まとめて殺すこともできるわけだが」
俺はそう考えた。幻影剣の呪文を使えば、たやすいことだった。しかし、それは後でもできる。俺はもう少し様子を見ることにした。どうやらこの城の中には隠遁の魔法を見破れるような人材はいないらしいし、何も問題ない。
カイザード将軍と兵士は口をきかず、黙って見張りに徹していた。
しばらく後、王妃と侍女が部屋から出てくる。
「いいですね、ルーク。明日の朝、王の間です。寝過ごしてはなりませんよ」
そんなことを言いながらも、王妃の目は赤い。どうやら娘との別れを惜しんで泣いていたようだ。
扉が閉まると、カイザード将軍が頭を下げた。それに応じることもなく、王妃とその取り巻きは歩き去ってしまう。
王妃達が見えなくなると、扉が開いた。ルークスが頭を出す。
「カイザード将軍」
見張りをしているカイザード将軍を呼ぶ。
「何でしょう、殿下」
律儀に答える将軍に、ルークスは悲しげな表情を見せる。
「どうして、ぼくなんだい。ぼくは将軍より明らかに弱い。なのにどうして、ぼくが魔王を退治しなきゃいけない?」
「陛下のご命令です」
「父様が、何を考えているのかわからないよ」
どうやら、王妃の別れを惜しむ言葉を聞いて、決心が鈍ったか何かしたらしい。ルークスは不安を抱えているようだ。
本当にこんなやつが勇者になりうるのか、と俺は思う。わざわざリンが俺に暗殺して来いというくらいだから多少の素質はあり、魔王軍にとって脅威になりうる存在だと思っていた。しかし、こうしてみるとただの女である。脅威とは思えなかった。
「殿下、その件について話を聞いてはいませんか」
「どういう話を?」
「身体能力で圧倒的に魔族を下回る我々が、なぜ彼らに対抗できるのかという話です。『期待の魔法』というものについて」
「いや、それは初耳だけど」
『期待の魔法』というものは、知らない。俺も知らなかった。
ブルータにその存在を知っているか訊いてみるが、知らないという返答。カイザード将軍の話は、聞く価値がありそうだ。
「我々人間の、悪魔への対抗手段は、集団戦法と魔法のみにはありません。『勇者』という存在こそ、対抗手段のうちでも最大のものなのです」
「ああ、それは知っている。現に、勇者ラインが大活躍をしている。ぼくが出向く必要なんてないんじゃないか」
ルークスはそう言いつつ、カイザード将軍を見上げる。許しを請うような声だ。
「彼が強いのは何ゆえですか」
カイザード将軍はルークスの視線に応じない。断固とした態度であった。
「それは、訓練と才能で」
「その二つだけでは不正解です。人間がどれだけ筋肉をつけたところで、悪魔どもに太刀打ちなどできません。しかし彼は、悪魔どもの艦隊を一つ潰している」
「他の理由があると?」
「それが、期待の魔法です」
何か、聞き分けのない子供を納得させるために考えた咄嗟の作り話ではないかと思う。しかし、一応は最後まで聞くことにした。俺もブルータも黙ってカイザード将軍の話を聞いている。
「それは遥か昔に、この大地にかけられた絶対解除不可能の永続魔法です。人間だけがもっている、最強の魔法です」
「最強の魔法?」
「そう、最強です。人間ならば誰でも使える、他者を支援する魔法ですから」
「しかしぼくはそんな魔法を知らない」
「誰もが、無意識に使える魔法なのです、殿下。誰かに自分の夢を、期待を託すこと。それだけでその誰かを僅かに強化し、支援できる」
「そうなのか? そんな魔法が本当にあったのか」
ルークスは問いかけるが、俺も聞きたい。本当にそんな魔法は存在しているのかと。
「そう、あります。一人一人がかける期待によって強化される効果はわずかでも、それが我が城塞都市の民全てとなれば。殿下をきっと強く支えます。全世界の民ともなれば、魔王を屠るだけの力をきっと殿下に与えます」
「しかし、それならカイザード将軍が旅立ったほうが尚更よかったのでは。将軍なら人望もある」
「私も無論、普段からその魔法を効果を受けています。しかし、私には誇れるほどの血筋はない。殿下にはそれがある。あなたが勇者となり人を救うなら、どれほどの人々があなたを支援するかわからないでしょう。魔王軍の本拠にあなたの刃がせまるとき、その輝きは今の私をきっと超えています」
「ぼくの血筋とこの名が、ぼくの旅立ちの理由なのか」
「殿下には、才能もある。期待の魔法をうけ、魔族と戦ううちにその経験があなたを成長させる。陛下はそのように判断したのだと私は思っています。その決定は決して、間違いではありません」
本当にそんな魔法があったのなら、確かに王太子ルークスを勇者として旅立たせることには大きな意味があると思える。あればの話だが。
「そしてこの世界の危機に、人の期待にこたえることがあなたにはできる。殿下、あなたならできる」
「カイザード将軍」
世界の危機というのは確かだ。魔王軍の力は圧倒的だし、今もリンが都市攻略のために軍を率いているはずだからだ。ルークスは、その危機に対してなんとかしたいと思うだけのものはあるらしい。そしてそれが自分にならできると言われて、逃げ出すほどダメな人物でもなかったようだ。
しっかりと拳を握って、強くカイザード将軍を見つめ返した。
まさしく勇者といえる。意志だけならば、だが。
そして明日いよいよ、旅立ちというわけだ。先程の王妃の言葉から判断すれば、明日の朝にいよいよ旅立ちの儀が王の間とやらで行われるのだろう。
その旅立ちの儀とやらを、地獄絵図に変えてやる。
俺はそう企んだ。今ここでルークスを暗殺するよりも、大切な旅立ちの儀を粉砕してやる方が面白いと感じたからだ。
計画を立ててニヤリと笑う俺だったが、しかしふと気付いた。
期待の魔法というのが本当にあるのだとしたら、勇者と言うものはいくら暗殺しても死滅しないのではないかと思えたのだ。人々から希望の根を絶やさない限り、誰かしらに期待をよせて勇者に仕立て上げてしまうだろう。
今の有力な勇者達をあらかた片付けてしまった場合、次に勇者になるものが誰なのかまるでわからなくなるのではないだろうか。
そんな心配を俺がする必要はないかもしれないが。
俺の心配などよそに、ルークスは納得したらしく部屋に戻った。カイザード将軍は部屋の扉の前に立つ。
「旅立ちの儀をぶち壊しにするにはあいつが邪魔だな」
俺の中で、カイザード将軍の抹殺は決定された。問題はその方法だ。
何しろ奴はこの都市の守りの要だ。いなくなれば、すぐにも捜索が行われるだろう。今殺してしまうのはまずいだろうか。
奴は不眠でこの部屋の守りに立って、そのまま旅立ちの儀の警備も行って、そこからようやく眠るのだと思われた。となればその旅立ちの儀とやらにどれほどの時間がかかるのかわからないが、始まってからすぐに殺すのがいい。それも周辺の兵士ごとだ。
奴が部屋の中に入って警備をしているのなら無理だが、部屋の外や城の外で警備をしているのなら可能だろう。あるいは旅立ちの儀の警備には直接参加しない可能性もある。




