8・暗中模索 中編
振りぬいた右手からは幻影の剣が飛び出している。その場にいた番兵たちは身体を胴体から上下に分割され、声を上げるまもなくその場に崩れ落ちた。
衣服や鎧は傷ついておらず、肉体だけが裂かれている。彼らは物言わぬ躯となり果てた。
ブルータは振りぬいた手を戻し、歩みを進める。倒れた番兵たちの隣を通り過ぎ、彼らの血を踏み、城塞都市の内部へ進んでいく。入り口の奥には扉が見えた。
都市の外壁に穴を開けたような構造の入り口だ。扉は金属製で、破壊されてはいない。
この入り口につめている兵士は、もう残っていないのだろうか。ブルータは扉を押し開いた。
開いたところで気付く。部屋の中には格子戸が降りている。金属製の扉と、格子戸の二重扉になっていたのだ。
「とまれ!」
若い男の声が聞こえる。兵士たちが集まっているのだ。
今の状況は、まずかった。格子戸というよりも、檻だ。扉以外の三方を金属の格子に覆われた、人間一人入るのが精一杯くらいの狭い檻。正面の金属格子だけは格子戸になっているから、おそらく本来はこの位置で番兵たちの質問に答えるなり身分を証明するなりするのだろう。そして番兵が納得すれば正面の格子戸を開けてもらえるというわけだ。
格子戸の奥には番兵たちが見えた。弓をこちらに向ける者もいる。
さすがに警備体制が厳しいというだけのことはある。
番兵が納得すればこの格子戸が開くのだろうが、この場合到底開けてくれそうにない。押し破るしかないが、そう素早くできそうにはなかった。
「あちら側は全滅らしいな、そいつは殺せ!」
番兵の中でも統率役らしい男が、厳しい声をあげた。彼の隣にいた弓を構えた兵士が、ブルータに矢を放つ。
格子戸の内側にいるブルータには回避のしようがない。矢が飛来する。
しかし、矢は防御障壁の呪文によってブルータの身体に突き刺さらない。魔力の障壁に阻まれた矢は跳ね返って床に落ちる。
「魔法使いか、悪魔かもしれん! 応援を呼べ」
「はい」
これを見て、番兵たちはすぐに他の兵士たちを呼びに行く。兵士たちが剣を抜いた。その剣は、刃に魔力が込められたものだ。力あるものが振るえば十分に防御障壁の呪文を貫通し得る。そう簡単には量産できないものなのだが。
ブルータは格子戸を押し破ろうとするが、うまくいかない。このくらいの格子戸は身体強化をするまでもなく破壊できるはずなのにだ。
《何をやってる》
俺があせって思念を飛ばすと、ブルータはこたえた。
《力を吸収する術式が組み込まれた格子のようです。破壊することは難しいと思います》
《魔法で壊せ》
だが、それをするには集めている魔力が足りないようだ。急いで魔力を集めなおすが、そうしている間に格子の間から剣が突きこまれてくる。
防御障壁の呪文に期待を込めるが、やはり突き破られた。ブルータの法衣を裂き、脇腹に刃が食い込む。同時に矢が飛来して、肩に突き立つ。
人間たちの攻撃が俺に当たらないと不安になるが、そこでようやくブルータの魔法が決まった。『黒色の呪文』だ。
ブルータの両腕から噴出した衝撃波が格子戸を吹き飛ばす。剣をもってブルータに迫っていた兵士の一人が格子戸と衝撃波にぶつかり、飛ばされていく。
「くそ!」
仲間をやられて憤慨したらしい兵士が、ブルータに突き刺さっている剣をねじった。さすがに苦悶の表情を浮かべるブルータだが、すぐにその兵士にも指先を向ける。低温の魔法を受けた彼は、氷像と化してその場に倒れる。床に衝突した衝撃で、ひび割れて散った。
《平気か》
《なんとか大丈夫です》
突き刺さった剣を抜きながら、檻を抜ける。鮮血が法衣を塗らしていた。
部屋の中にはまだ二名の兵士が残っている。うち一人は剣を持っていて、一人は弓を構えていた。
《さっさと二人を片付けろ、増援がくるぞ》
《はい》
兵士たちはブルータの力を見て怖気づいたのか、あるいは増援を待っているのか攻撃をしてこない。
「貴様、何者だ!」
先ほど兵士たちに指示を出していた統率役らしい剣を持った兵士が、そんな声を上げる。しかし、声を出すなと命じられているブルータはその質問に答えない。黙って自分の血に染まった剣を彼に向ける。
「ちいっ」
狭い部屋の中で、統率役の兵士が切り込んでくる。負傷しているブルータを切り伏せようということらしい。だが、脇腹に剣を刺されたとはいえブルータはハーフダークだ。普通の人間の剣を、防御できないはずがなかった。
その兵士はあっけなく首を刎ね飛ばされる。ブルータは剣を引き戻すついでに、弓を持った兵士に武器を投げつけた。剣は弓の兵士の肩に突き立ち、彼を無力化する。
全滅させる必要はなかった。生き残りがいたほうが、『法衣を着た黒髪の魔法使い』という印象を警備の兵士たちに与えられてよい。俺はそう考えて、弓の兵士を殺さないように指示する。ブルータはそれを了解し、脇腹をかばいながらも次の扉を押し開いた。
扉を開いた先には、都市が広がっていた。住居や店が見える。兵士たちの増援はまだやってきていないようだ。ブルータはもう一度隠遁の魔法をかけなおし、物陰に隠れながらその場を離れる。
城塞都市の中は、かなり栄えていた。外壁が魔王軍や野党などの外敵の侵入を阻んでいるという安心感からか、住民らは楽しそうに日々を暮らしている。魔王軍の侵略は順調に進んでいるというのに、それほど悲観的な感じはない。
街の井戸でブルータは髪を洗い流し、元のブロンドの髪に戻っている。同時に法衣も捨て、霧の衣装に着替えていた。
門を突破する際に受けた傷は軽いものではないが、ハーフダークのブルータなら明日には問題ないほど自然治癒しているはずである。ひとまず今日は、宿を探したかった。
だが、街の宿泊施設には泊まれないだろう。今、外からやってきたものに対してはかなり警戒をするはずだ。普通にこの都市に入ってきた旅人ならば番兵たちに正式な手続きを経て入ったものであることを証明するものがもらえるはずだ。宿泊施設を利用しようというのなら、それの提示を求められる。
事実、門を抜ける際にそれらしい書類を見た。しかも、通し番号が振られているというおまけつきだ。偽造もできそうにない。
野宿しかないが、街の中で夜に家にも戻らず道端で寝ているような輩を、兵士どもが放っておくはずがない。
「酒場にでも行ってみるか」
ひとまず、変装は解いたのである。情報を集めるのもいい。俺はブルータに酒場に向かうように指示した。
しばらく歩いた末、都市の中でもおそらくかなり広い通りにでた。そこを歩いていくと、かなり大きな交差点がある。大通りと大通りの交差点で、近辺には店も多かった。酒場も発見する。日が暮れたらまた来ることにしよう。
歩いている間、そこらじゅうに兵士の姿を見ることができた。門番らと同じ装備で、城塞都市の正規兵であることは間違いない。
その兵士が、武器屋の店先に二人並んでいた。どうやら雑談にふけっているらしい。俺はブルータに、その会話を盗み聞くように命じる。ブルータは武器屋に客のふりをして近づく。
武器屋はそれなりの店構え。個人商店らしく、扱っている刀剣は古いものが多い。古いということが粗悪であるということにはならないのだが、この店にはあまりいいものはなさそうだ。兵士が持っていたような、魔力の込められた武器は売られていない。
隠遁の魔法の効果が続いているせいもあってか、見慣れないはずのローブの女を兵士たちは気にも留めない。そのまま雑談にふけっている。ブルータは店先の品を手に取り、品定めしているふりを装った。
「なあ、聞いたかよ。南門の連中が全滅したらしいぜ」
兵士たちの会話は、やはり先ほどの事件のことになっていた。ずいぶん話が伝わるのが早いと思ったが、七人もの人間が殺される大事件なのだから当たり前であった。
「それじゃ、誰かが都市の中に入ったのか? 何のためにそんなこと」
「わかるかよそんなこと。しかしそんな恐ろしいやつがいるんだな。俺らもまずいんじゃねえか」
「まずいだろうなあ。俺んとこはこないだガキができたばっかでよ。死にたくねえよ」
兵士は顔をしかめている。もう一人の兵士も苦い顔をしていた。
「俺だって死にたくねえ。カイザードさまならなんとかできるかもしれねえけどよ、俺なんかじゃとても勝てない相手なんだろうな」
「どんなやつだってんだ? 教えてくれ。会わないように祈るから」
「黒髪の、法衣を着た魔法使いだって話だ。十四、五くらいの女の子だってことだが多分悪魔なんだろうな」
「そりゃおそろしいや。気をつける、というか見たら逃げたい」
隣にその本人がいるとも知らずにのんきなものである。俺はブルータのポケットの中でニヤニヤ笑っていた。
しかし俺たちの任務は王子。王太子ルークスの暗殺だ。入り込んで、番兵たちの注意をそらして喜んでいる場合ではない。なんとかして、王族の居城に入り込まなければならない。
そのためにも情報が必要だ。昼の間は暇そうにしている兵士たちの会話を盗み聞くほうが効率的かもしれない。
ブルータと手分けして、情報を探すべきだと思える。俺の姿は小さいし、そうたやすく発見はされないだろう。
だが、面倒だ。労働は面倒だ。俺はブルータに全部丸投げすることにした。夜まで俺は、ポケットの中で寝る。霧の衣装のおかげで寝心地もよくなっているのだ。
「わかりました、情報を集めます」
ブルータは俺の命令に頷く。あとは、任せた。俺は眠る。
俺が起きたときには、事態は大きく進展していた。いい方向にとも、悪い方向にとも言いかねる。
ブルータの目の前に、剣士がいたからだ。
「怪我はないか」
詰襟の制服を着込んだその剣士は、ブルータを気遣っている。どういう事件があって、こういう事態になったのか俺はついていけない。
「大丈夫です。私はなんともありません」
かすれた声でブルータは応じている。
思念会話で聞いたところでは、ブルータから財布を奪って逃げようとしていた輩がいたらしい。勿論、ブルータはすぐに彼を捕捉して足をひっかけた。盗賊はその場に倒れたが、そこに居合わせたこの剣士が彼を拘束してくれたのだということだ。
要するに、この剣士は兵士か何かであるということになる。
「いや、怪我をしているのだろう。刺されたのか?」
剣士はめざとく、ブルータの脇腹にある刺し傷に気がついたようだ。服で隠れているはずなのだが、無意識に傷をかばっているのがわかったのかもしれない。
「この怪我は、今の件とは無関係です。私は平気です」
「そうか」
剣士は、すぐに去っていった。凄みのある顔だった。
怪我に気付いたところといい、実力者であることは間違いないようだ。
「おそらく」
剣士が去ってしまってから、ブルータはいった。
「彼が、カイザード将軍でしょう。城塞都市の中でもっとも実力のある人物だと思われます。悪魔のにおいに気付かれなかったのは幸運です」
「そう思うのか」
「そう思います。そして、間違いないと私は思います」
ふむ、と俺は唸った。ブルータはカイザード将軍の容貌を知らないはずだし、まだ城塞都市に入ってからわずかもたたない。それでもブルータを信用するのであれば、確かに悪魔のにおいに気付かれなかったのは幸運だ。
「それで、勝てそうなのか。奴には」
「状況しだいです」
それはそうだが。
「殺せそうか」
「正面からの戦いであるなら、一対一である限り勝てると思います」
それなら何の問題もない。俺はうむ、と頷いて空を見上げた。日は落ちかけている。まもなく薄暗くなるだろう。酒場に行ってもいい頃合だった。
ブルータに酒場に戻るように言い、そこにたどり着くまでの間に手に入れた情報を伝えるように指示した。
「間もなく、王太子ルークスは魔族を討伐するための旅にでるそうです」
「唐突だな。魔族の討伐など軍にやらせておけばいいのに。王太子を単独で突っ込ませるなど人間の所業とは思えんが」
手に入れてきた情報の中でももっとも重要そうなものだったが、俺には信じがたかった。
「実戦経験を積ませると同時に世間のことも知ってもらおうという魂胆のようです」
「大事な跡取りを厳しく教育するってわけか。結構なことだが、旅立たれては面倒だな。その前にやらなければならんってことだ。日付はわからないのか」
「間もなくということしかわかりません。明日かもしれません」
それは、面倒だ。ホウがこの情報を伝えてこなかったところを見ると、急に決定されたものかもしれないが。
旅立つ前に、勇者を殺さなければならない。ブルータの怪我が治るのを待つ余裕もないか。
「今日の夜が勝負になりそうだ。寝込みを襲って、ルークスを殺して脱出か」
王族の寝室ともなれば警備もかなり厳しいだろうが、やるしかない。その場所を探る暇はないが。
本来的に暗殺というのは、事前の準備に時間をかけるのが正当だ。それができなければ以前からやっているように、正面から力押しで殺すしかなくなってしまう。だが、今回の場合それをすると、城塞都市の兵士全部丸ごとを相手に戦うことになる。いくらブルータが優秀な魔法使いであって、俺も上級魔法を扱えるといっても、さすがに生き延びられる見込みがかなり薄くなる。
旅立つというのであれば、旅立ちを待つという方法もないわけではない。旅立てば一人になるだろうし、そこを襲えば目的が達せられる。
しかしだ。もうすでに騒ぎを起こしてしまった。何者かが城塞都市に侵入していることは明白だ。それで、何も手にせず都市を出るというのはあまりにも間抜けだし、リンにも報告しづらい。
それにこの城の中で勇者となるべき王太子を暗殺するというのは、人間にとっては屈辱であり打撃なはずである。リンも俺を評価するだろう。やってみる価値はあった。
「酒場に着きました」
考えている間に、到着したらしい。ブルータは酒場へ入る。
広い酒場だ。客は少ないが、数名が見える。すでに酒を飲んでいるようだ。ブルータはカウンター席に座った。
「ほう、こんなときに見慣れない顔だね。旅人さんかい」
「魔王軍のせいで、放浪の旅です」
ブルータは店主の言葉に軽く応じる。そこで店主はブルータが若い女であると知ったようだ。驚いている。
「へえ、こりゃまたずいぶんお若い旅人さんだ。苦労してるだろう。何か食っていくかい」
「はい、いただきます」
ブルータは不自然にならぬように、簡単な食事を注文した。店主は厨房にその注文を伝えて、戻ってきた。
「どこから来たんだい」
会話の続きを仕掛けてくる。どうやら、話をしたいらしい。若い女が好きなだけかもしれないが。
「沿岸都市からです。間一髪でした」
ブルータは答える。沿岸都市がガイによって制圧されたことは人間たちも知っているはずだ。
「それは本当に大変だったろう。遠いところをよくきたね。でも、もう大丈夫さ。この城塞都市はしっかり訓練された屈強な兵士たちがしっかり守ってくれているし、外壁も高くて頑丈だ。安心していくらでも休んでいくといい。魔王軍だって、そのうち勇者さまが撃退してくださるよ」
「勇者さまですか。それは、ルークスさまのことですか?」
「ああ、ルークスさま。王太子さまだって勇者を目指しているんだってね。でも、今期待できるのはあの方だけじゃない。艦隊を一人で倒した英雄さまだっていらっしゃるじゃないか。俺はむしろあの方に任せておいたほうがいいと思うんだがね、ルークスさまは大事な跡取りだしな」
「話には聞いています。その、英雄さまのこと」
店主が言っているのは、ホウも言っていた化け物勇者のことだ。女勇者のほうはクレナという名前らしいが、艦隊を倒したという情報からいくとおそらくガイの別働隊を滅ぼした男勇者のほうだろう。
「ああ、やっぱり聞いてたかい。大いに期待するべきだろうね。確か名前は、ラインとかいったかな」
「勇者、ラインさまですか」
「うん、そうさ。まあ俺らとしてはこの都市を守ってくださっているカイザードさまのほうにまず感謝すべきかもしれないがね」
店主はそういって笑った。




