7・勇者暗殺 中編
ブルータが足を下ろす。ヴァレフはもう動かなかった。
少し離れたところで倒れているカイナも、身体を寸断されている。ヴァレフとカイナはここに沈んだ。
結局、ルイの旧友らしき二人を殺すしかなかった。ブルータはそのことを何か思ったらしい。ルイにもう一度顔を向けた。
しかしルイの顔を見る間もなく洞穴が闇に落ちる。ヴァレフが死亡したために『光源の魔法』が効力を失ったからだ。
「ブルータ、灯りだ」
俺の指示にしたがって、ブルータが『光源の魔法』を使う。洞穴の中が再び照らし出される。
「ルイ」
ブルータがその名を呼ぶ。
「ここにいます」
近くから声がする。ルイはいつの間にか近くまで歩いてきていた。ヴァレフの死体を見下ろしている。
「彼女達は、あなたのことを知っているようでした。ルイも彼女達のことを知っているのですか」
ブルータは淡々とした声で訊ねた。ルイも同じような調子で知っていますと答えてそこにしゃがみこむ。法衣を着込んだままぐったりしているヴァレフの身体に触れ、何かを確かめているようだ。
やはり抜け殻同然になったとはいえ、本格的に人形にされたわけではない。ルイはブルータよりも感情を残しているように見える。
ブルータは周囲に目を配った。俺も一応、周囲を警戒したがここにいる人間は他に誰もいないようだ。全て、死体になっている。ヴァレフとカイナも同じことを言っていたし、間違いないだろう。
ここにある死体は全部で七つ。そのうち魔法使いの死体は三つだ。俺は彼らの死体をあさるように命じた。もしかすると貴重な魔法道具があるかもしれない。バロックの杖は使いようがなかったが、彼らは精霊使いなどではなく純粋な魔法使いだ。有用な品を持っている可能性は高かった。
死者を冒涜するような行為だといって人間達が忌避しそうな行いではあるが、ブルータには関係のないことである。俺の命令にしたがって、黙々と彼らの荷物を開けて中の物を調べていく。
食糧及び予備の武器、ロープやナイフといった物品が目立った。洞穴の中でこそ必要なものが多い。魔法道具らしきものはあまり荷物の中からは見つからなかった。
一方、人間達の通貨はそれなりに見つかった。金貨で十五枚ほどある。これは今後の資金としてもらっておくことにする。番兵などを買収するのに使えるだろう。
魔法使い達が身に着けていた法衣は、ルイが着込んでいるものとほとんど変わらなかった。多少は魔力を込められて強度を高められていたり止め具がはずれてしまうことを防いでいたりするが、それほど貴重なものではない。ここで持って帰るほどの価値があるとは認められなかった。ヴァレフが着ていた黒いローブについても同じようなものである。
しかし、彼らの荷物の中からはマントが見つかった。恐らく、ヴァレフは普段ローブの上にこれを纏っているものと考えられる。
この新たに見つかったマントからはかなりの魔力を感知できた。霧の衣装ほどではないにしろ、貴重な品のはずだ。効力は定かでないので持って帰ってシャンやリンに調べてもらう必要があるが、収穫はあった。
ヴァレフの持っていた杖も調べてみるが、これも悪くない。魔力が込められたものだ。いざというときの魔力補給にも使える。
洞穴のドラゴンが人間たちによってつくられた根も葉もない噂であると突き止めた。その原因であった盗賊たちを退治した。さらに、勇者というに足る実力を持っていたカイナとヴァレフを殺害した。これら全て、俺の手柄というわけだ。実際に戦っていたのはブルータであるが、奴の手柄ということにはならない。なぜなら、褒章が奴には出なかったからだ。俺としては大安心である。ブルータの手柄というものは、全て俺の手柄に吸収されるのだ。今回の褒章はそれを教えてくれている。
俺の武勲は相当なものになっているはずだ。ブルータはあくまでも、俺に使われている道具という扱いなのだろう。よってそれに褒章など出ないし、武勲も俺のものとなる。
「ルイ、そろそろ戻らねばなりません」
ヴァレフの死体の傍から動こうとしないルイに、ブルータが声をかける。確かにもう、かなりの時間が経っている。死体あさりもそろそろやめにして、戻らなければならない。
「ブルータ、私は彼女たちと共に戦ったことがあります」
ルイが立ち上がりながらそんなことを言う。淡々とした調子は崩していない。怒りに震える声でもなかった。
「カイナはいつも先陣をきって突入していく役目で、ヴァレフが彼女の後について行くことが多かった。私はそれを、一番後ろで見ているのです。私たちは信頼しあっていて、長い期間パーティを組んでいました」
「彼女達の死が辛いのですか」
立ち上がっても目線はヴァレフに注がれたままのルイを見て、ブルータが問う。人形らしい、抑揚のない声でだ。
その問いにしばらく間をおいてから、ルイは振り返って答えた。
「いいえ」
短い否定をしてから、先を続ける。
「これをつらいと思えない自分がかわいそうで、なんとかそうした感情を思い起こせないかと死体を見ていました」
俺はこれを聞いて感心してしまった。なんと正直なことかと。
人間というやつは、美徳とか規律とかに振り回されるあまりに自分の感情をよりよく見せようとするものだからだ。哀しいとは思っていないのに哀しいだとか、胸が痛むとか平気で嘘をつく。他者には最もばれにくい嘘だから、余計だ。
しかし今のルイは従順な人形に近いということもあるが、自分の心情を丸出しにして話した。人間にはできそうにないことだ。ましてや自分がかわいそうなんて言葉、悪魔にもそうそう言えるものではない。自虐にもほどがある。
俺が感心している間、ブルータは黙っていた。見上げてみても、相変わらず何もない無表情のままである。何を考えているのか。
「とにかく、帰るぞブルータ。ルイに戻るように伝えろ」
「はい」
かすれた声で、ブルータは短く応じた。あらためてルイに戻るように伝える。ルイも淡々とした調子で頷き、魔法干渉の領域外に歩いていく。
ブルータはそれを追った。当然ながら、振り返ることもしない。
七人の死体はそのままそこに放置され、腐るに任された。ヴァレフやカイナのような勇士も、ドラゴンの噂を流していた悪人達も、死ねば同じ肉塊というわけだ。
転移の魔法の効果で、俺たちは洞口付近の岩場に降り立った。
外は既に明るかった。どうやら随分前に夜は明けていたらしい。
そこには六人の男女がいる。そのうちの三人は、俺たちが洞穴に入るときに注意を促してくれた男女だ。残りの三人はいずれも男。魔法使いが一人、残りの二人は長剣を握っていた。
彼らは殺し合いの最中のようだ。どうやら、俺たちと出会ったことのある三人と、俺たちの知らない三人が戦っているようだ。
しかし、見る間に参加人数が減っていく。次々と人間の身体に凶器が埋まり、鮮血が飛ぶ。そうして一人また一人と肉塊に成り果ててその場に転がっていく。
俺たちが出会った方のパーティは劣勢だった。女短剣使いの活躍で敵の魔法使いを倒したものの、味方の二人は既に地面をなめている。生き残っているのは女一人だけだ。
長剣を振るう男二人が、女に斬りかかった。
女の実力は見る限り男たちを上回っていると考えられたが、一対二で勝てるほどの差ではない。防御に専念し逃走する隙を窺っているようではあるものの、それが実を結ぶとは考えにくかった。
俺たちが魔法によって出現したことに彼らは気付いていたが、戦闘を中断はしなかった。男たちはとにかく女を殺してから考えようという腹積もりらしい。女のほうは俺たちのことなど気にかける余裕もなさそうだ。
俺としてはもちろん、この戦いにも介入する必要を感じていない。勝手にやってくれればいい。殺す人数が減って、魔法の節約になる。
よって、俺はブルータにもルイにも何も命令をださなかった。しかし、ルイが動いた。
「あの女性を助けます」
そんな言葉を発したと同時に、右腕を振り上げる。その指先から漆黒の衝撃波が飛んだ。女と切り結んでいる、男の一人に直撃する。彼は苦しむ間もなく、その場で魔力に飲まれて消滅した。
吹き飛んだのではない。消えたのだ。
「なん、だ?」
被害を免れたもう一人の男が間抜けな声を発する。魔法を受けた男は、右の足首だけを残して完全に消えていた。右足の先だけはどうやら魔法の影響から逃れたらしい。その他の部分は、ルイの魔法によって消し飛んだ。
俺は二重に驚いていた。勝手にルイが魔法を使ったこともそうだ。その魔法がありえないほどの破壊力を秘めていたこともそうだ。
驚愕に値した。
「ルイ、止まれ」
俺は命じた。これ以上の介入は許さない。その必要もなかった。女は、呆気にとられている男を短剣で殺している。男が沈み、女は生き残った。
とりあえず、と俺は心を落ち着ける。ルイが助けた女は、肩で息をしていた。そうしながらも味方の死体をあらためて、息がないことを確かめている。味方が絶命していることを確認し終わると、女はこちらに向き直って頭を下げる。
「すまない、助かったよ」
しかし、実際に助けたルイはそれに応じなかった。法衣の中に手を隠し、そっぽを向いている。
仕方がないので俺はブルータに対応するように命じた。ブルータはこれを承知して、女の謝礼に応じた。
「いえ、彼らは私たちにも脅威と考えられました。なんでもないことです。それより、何があったのですか」
短剣についた血を払い、女は武器を仕舞う。そうした後に腰を下ろしつつ、口を開いた。
「それを言う前に聞かせて欲しいんだけど、この洞窟の奥にはあたしたちの仲間がいたかい」
どうやら話は長くなりそうだ。ブルータも背嚢を下ろして、その場に腰を下ろす。
戻ったらすぐにも次の指令を与えられるかもしれない。今のうちに休むことも悪い選択ではなかった。
ルイもこの様子を見て手近にある岩に座り、話を聞く体勢をとる。
しかし、女の問いへの返答はブルータの役目であるようだ。ルイは口を噤んでいる。俺もルイが何か話してくれるとは期待していない。ブルータは女の問いに答えた。
「洞穴の奥で七人の男女に出会いましたが、その全ての方が亡くなりました。生き残ったのは私たちだけです」
「どういう具合で死んだんだい」
俺は咄嗟に、嘘をつくようにブルータに命じた。ブルータはその通りに答えた。
「奥の部屋で待ち伏せをしていたらしい男たちが、女性の魔法使いを含む三人と戦っていました。男たちは彼女達を殺し、荷物を略奪しているようでした。そこへ女性二人組みがやってきましたが、彼女達も男たちによって殺されたのです。やむなく、私とルイは男たちを不意討ちで倒して引き上げてきました」
「そんな大した実力の男たちを二人でよく倒せたね。あんた、嘘ついてないかい」
「そのようなことはありません」
だが、女は疑いの目を向けたままだ。
「本当にかい。助けてもらってなんだけど、疑わしいよ」
「じゃあ死ねよ」
俺はそう言い放って指先を女に向けた。放射された魔法が、女の脳天を直撃する。
一瞬で女の顔が朱に染まり、何が起きたかわからないという表情をつくった。その表情を保ったまま、前のめりに倒れていく。ブルータはその身体を支えるが、女の命がもう数秒ももたないことは明白だ。
女はそれでもブルータを見上げて、何かよくわからない言葉をほとんど聞き取れない声量で呟く。その後、がくりと力尽きて崩れ落ちた。
疑われてしまっては仕方がない。俺はヴァレフの持っていた杖から魔力を拝借して女を殺した。うまく殺さないように調整できれば一晩のお相手を願ってもいいくらいの女ではあったのだが。残念ながら今の俺にあの女を殺さずに無力化できるような魔法はない。
「さ、帰るぞブルータ。ルイ、もう一度転移の魔法だ。今度は魔王軍本部に」
「その前に、ドラゴンの噂が二度と立たないように処置をしなくてはならないのではないでしょうか」
ブルータがおかしなことを言って俺を止めた。
「何を言っているんだ。ドラゴンの噂を流していた奴らは殺したんだぞ」
「しかし、噂が沈静化するには時間がかかると思われます」
ではどうしろというのか。まさか盗賊どもの死体をもって、こいつらが流した偽の噂でしたと言いふらすのか。そのようなことはしていられない。
「残る方法は、この洞穴を消し飛ばすことしかないな」
入り口ごと大封鎖というわけだ。中で倒れている、少なくとも九つある死体もめでたく土葬となる。
地面に開いているひび割れのような縦穴を、壊すわけだ。これには『幻影剣の呪文』も使えない。生き物でないものは壊せないからだ。となれば、ブルータよりもルイのほうがこの役目には向いている。
先ほどの魔法を見る限り、ルイならやれると思えた。
「ルイ、やれるか」
「できます」
できますときた。即答だ。素晴らしい。
「では、やってくれ」
「洞穴を壊せばいいのですね」
「そうだ」
言いながら、俺はブルータに下がるように命じた。なんだか不安になったからだ。手加減遠慮のない大魔法をぶっ放すつもりであるような気がして、ならない。
俺はリンが魔法を使うところを何度か見たことがあるが、何度か連続して撃たれれば地図の書き換えが必要になるほどの威力だった。それと似たようなことになるのではないかと。ルイの魔法。
洞穴を壊すと言った。入り口を塞ぐだけで十分なのだが、こいつは理解しているのだろうか。洞穴全てをえぐり、掘り下げて消し飛ばすということをしそうだと俺は感じた。
「ルイ、入り口を塞ぐだけで十分です」
「そのつもりです」
ブルータにフォローさせたが、ルイの魔力はすでに集められている。そのつもりという答えも何もあったものではない。必要十分な魔力を超えてもまだ集めているような気がする。事実そうだ。
何をするつもりなんだ、ルイは。
魔力が魔法に変えられていく。ルイの精神に触れた魔力が、明確な力をもって暴力的な輝きを纏う。赤い輝き。高温・火炎系統。その膨大な魔力はルイの小さな体躯におさまりきらず、溢れていく。
「これは、『爆炎の呪文』か」
俺はそう判断した。本来、『爆炎の呪文』は高温・火炎系統の魔法の中でも非常に扱いが簡単な部類になる。その割りに威力が高いため、この魔法が開発された当初は破壊魔法の革命だとさえいわれた。それほど画期的、歴史的な意味をもつ魔法である。駆け出しの魔法使いたちが好んでこの魔法を用いては調子に乗るという一通りの流れは、もはやお約束であり見慣れた光景だった。
簡単でかつ、威力も高い魔法。それだけに研究し尽くされて対策も立てられており、魔法使い相手に使うことはもはや難しくなっている魔法だ。要するに比較的新しい魔法であるにもかかわらず、強力すぎるゆえに手垢にまみれて古臭くなってしまった不遇な魔法といえる。しかし、今のようにただ単に破壊すればいいという状況では有用だ。ルイの選択は正しかった。
満を持し、ルイが洞穴を指差した。
下級魔法とは思えないほどの、破壊力が解放される。
咄嗟にブルータが耳をふさいだ。その場に轟音が鳴り響く。山が吼えたような感じだ。大地の揺れは足にも感じられ、空気の震えが全身の肌をたたいてくる。
洞穴の中で魔法が炸裂したため、音が反響してとてつもないことになったらしい。俺はあまりの轟音で、目の前に火花が散るのを見た。頭が揺れる。
「入り口をふさぎました」
ルイが報告したらしいが、今の俺には何も聞こえない。大騒音だった。耳をふさいで何とか被害を軽減したブルータが洞口を覗いた。どうやら封鎖に成功していたらしく、頷いている。
《問題ありません。これで完全に洞穴は封鎖されました。訪れる者はじきにいなくなるでしょう》
《そうらしいな。だったらさっさと戻るように言え》
俺は頭痛をこらえながら、ブルータのポケットの中に引っ込んだ。
折角、シャンからの依頼を完璧にこなしたというのに最悪の気分だ。このあとリンから褒章がもらえるはずだが、それを考えて気持ちをなんとか切り替えようとする。しかし、やはりというか今の衝撃で受けた肉体的なショックは大きい。とにかく、しばらく寝かせてほしい。
《戻ったらシャンに報告しておいてくれ》
そんな具合で俺は、ブルータに丸投げしてしまうのだった。




