6・深淵洞窟 中編
予想通り、真夜中に近くなった。
岩地が見えてくる。ブルータの歩みは決して遅いものではないが、ルイを連れているためにそれほど速度を出せないでいる。とはいえ、予定にそれほど遅れはなかったが。
周囲は緑少ない岩地になってきたが、洞穴は見当たらない。空を見上げれば月夜。
「誰かがいます」
ブルータの声。空を見ていた俺は地上に目を戻す。
野営のためか、火を焚いているのが見える。なるほど、確かに誰かがいる。
ブルータとルイは咄嗟に物陰に隠れた。このようなところにいるのが悪魔だとは思えなかったからだ。
おそらく彼らは人間だろう。シャンが言っていた、『俺に頼むまでもない小粒の勇者』かもしれない。彼らは洞穴に入っていって、そして戻ってこないのだという。
男が二人、女が一人。男の一人は魔法使いらしく、法衣を着込んでいる。もう一人の男は槍を持っている。女は短剣を二本腰に刺していた。魔法使い、槍使い、短剣使いというトリオのようだ。
「あれは見張り部隊だろう」
俺がそう推測した理由は、荷物の多さだ。彼らの足元に置かれた荷物は三人分のものではない。六人分はあると見られた。
残りの三人はどこにいったのか、というと答えは一つしかない。洞穴だ。
洞穴の入り口が近くにあると思われた。しかし、それらしき穴はない。
「少し先です」
ブルータがそう言って指をさす。その先には、彼らの立つ岩山。そこにわずかばかり、穴が開いている。ひび割れに近いくらいのものだ。
まさかあのひび割れが、入り口なのだろうか。狭い。
「面倒だな」
入り口は竪穴なのか。横穴の方が楽だが、言っても仕方がない。
それはさておき、入り口にいる三人をどうするか。殺してもいいが、戦闘になると入り口が破壊される可能性がある。
冒険者を装って堂々と姿を見せてみる、というのはどうだろうか。俺が下級悪魔であり、ブルータがハーフダークであるため、悪魔の気配に気付かれる可能性はあるが、戦わないで済むかもしれない。
「とりあえず堂々と行ってみるか」
無理かもしれないが、面倒な戦闘はできるだけ避けるに限る。
俺は正面から歩いていくように指示した。フードを被り、ルイを連れたブルータが洞穴の入り口に向かう。
灯りを持っているため、すぐにこちらの存在はあちらに知れたはずだ。
「先客ですか」
ブルータは、彼らに接近して問いかけた。
入り口付近に残っている三人を見回す。魔法使いは初老の男、短剣使いは三十路を少し過ぎた頃の女、槍使いは若い男だった。彼らはブルータがハーフダークであることには気付かないようだ。こちらが武器を構えていないことを見て、わずかに安堵している。
「ああ、今はうちの若い衆が入っている。私たちはここで退路の確保さ」
女がこちらの問いかけに応じた。
どうやら、縦穴であるために退路の確保は必須であるようだ。いざ戻ろうというときになって、いちいち縦穴をよじ登ってなどいられないということだろう。魔法使いが外にいるのは、何か魔法によって彼らを連れ戻す術があるためだと考えられた。
「ドラゴンはやはり存在するのですか」
ブルータは続いて質問を投げかけた。やはり女がこれに応じる。
「どうだかね。あたしはこんな辺鄙なところにいるわけないと思うんだが、ここに入った奴らが誰も戻ってこないっていうじゃないか。それで調査を依頼されてね。魔王軍が近くまで来てるっていうのにさ」
「私たちも同じ調査を依頼されています。洞穴に入ってもよろしいですか」
「それは構わないけど」
女は洞穴の入り口を見た。それから首を振って、ブルータとルイを見る。
「あんたら、そんなメンツでここに入るつもりなのかい」
確かに、そう言われても仕方がない。ここにいるのは暗色のローブを纏った女、法衣を着た女の二人だけ。二人とも若いし、ルイは両目に包帯を巻いている。まともに戦えるのかと考えられても無理はない。
「問題ありません。ルイ、こちらです」
ブルータは洞穴に近づく。岩肌が大きくひび割れている。両手を広げた程度の太さで、長さはブルータの歩幅で五十歩ほどだろう。その真ん中のあたりに、頑丈そうなロープが打ち込まれて、中へと垂れ下がっている。冒険者達はこれを使って中に入ったらしい。
灯りをかざして中を覗いてみるが、下は見えない。暗がりが続くだけだ。
中は相当に深いらしい。ドラゴンが出入りできるほど大きいとは思えないが、どこからそんな噂が出たのだろうか。
「用心していくべきだと思います」
槍使いの少年が声をあげた。ブルータは彼を見る。鍛えられてはいるが、朴訥そうな雰囲気を残した少年だった。
「そうします」
ブルータはそうこたえながらロープの太さを確かめている。ブルータの親指よりも太い。握りやすく、頑丈そうだ。
とはいえ、ルイは恐らくこれに掴まって下に降りるということができないだろう。奴はあまりにも華奢だ。ハーフダークであるブルータには簡単なことだが、ルイには無理だ。
飛び降りるという選択肢もないわけではない。魔法によって落下速度を調整することも可能だからだ。しかし、下がどうなっているのかわからない状況では危険だ。
俺がどうするべきか考えていると、先程の女が話しかけてきた。
「あんた、その子を連れて行くつもりかい? 無理だよ、かなり深いから」
「私が負ぶって行きます」
ブルータは背嚢を前に回し、手袋をはめながらこたえる。
「おいおい、そりゃあんたが無茶じゃないか。見たところあんただって魔法使いだろう。このロープに掴まって、二人ぶんの体重を支えられると思っているのかい」
女がそんなことを忠告してくれているが、彼女はブルータがハーフダークであるということを知らない。その言葉を無視して、ブルータはルイを背負った。
ルイは、黙ってブルータの背に掴まっていた。左手を彼女の肩に回し、右手では灯りを持っている。
ブルータはルイを別のロープで自分の身体とくくりつける。下まで降りるのにどれほどの時間がかかるかわからないからだ。
「大丈夫です、それでは」
気遣ってくれた女にそう挨拶してから、ブルータは洞穴の中へ下りる。
ロープを握ってやや慎重に穴へ。地面から足を離して、体重を全てロープに預ける。太く頑丈なロープは、わずかに揺れただけでしっかりとブルータとルイの体重を支えた。
「おい、本当に気をつけなよ。中にいるあたしたちの仲間も頼っていいから」
闇の中へ下りていく俺たちに向かって、女が声を落としてくる。ブルータは返事をせず、ただロープを伝って下に行く。
しばらく下りるうちに、湿った空気がまとわりついてくる。洞穴といえば湿気だ。
灯りを持ってブルータにしがみついているだけのルイの肌にもその湿気は遠慮なくまとわっているはずだ。
「かなり下りたな」
俺は何となくそんなことを口にした。恐らく、ルイの持っている灯りを消してしまえば、殆んど何も見えなくなる。夜目の利く悪魔の俺でもだ。ブルータもそうだろう。
ブルータの身長の、十倍は下りた気がする。それでもまだ地面は見えなかった。
ようやく地面が見えてきたのは、俺に眠気が襲ってきてからだ。下はどうやら、水溜りになっているらしい。光を反射している。
「やっと到着か。ルイを連れてきて正解だったな」
下りてくるだけだからまだよかった。帰るときにこれを上るとなると、どうしようもない。
地の底まで下りてしまったような気さえした。気温は低いがすさまじい湿度であり、ルイの法衣は濡れていた。ブルータは手ぬぐいで顔を拭っている。
ルイが灯りを掲げてみる。ひび割れの底は、ある程度整地されたようになっている。尖った岩だらけだが、人間が歩けるように砕いた岩や砂で整えられていた。
何しろ暗いので全体ははっきりとわからないが、ここからさらに横穴が続いているようだ。
じわりと身体にまとわる湿気が粘っこい。そこかしこから小動物の気配がしている。蝙蝠や虫が大半だろう。
ロープを下りきった。水溜りにブルータの靴が入り、水飛沫を跳ねる。小さな昆虫たちが逃げていくのがわかった。
ルイもブルータの背中からおりて、身体をほぐしている。
「ブルータ、あれを使え」
俺はホウからもらった霧の衣装を使うことにする。俺の言葉に頷き、ブルータが背嚢から薄絹を取り出して破いた。
瞬間、薄絹はわずかに発光して霧のように消え去る。同時に、ブルータの着ているローブに何か温かいものが宿った。派手さはまるでなかったものの、これで霧の衣装がブルータのローブに憑依したらしい。
よく見てみると、それまで暗色だったブルータのローブがほんのりと青に近い色合いになっている。同時に、肩や胸のあたりに銀色の刺繍が入り込んでいた。細かな変化なので、この暗がりでは誰も気付かないだろうが。刺繍は何かの古い文字になっているらしいが、俺には解読不可能だ。
「これで少しは温かくなるはず」
その効果は早くも感じられた。じわじわと気温が上がっている。
『ミストローブ』、霧の衣装は温度を一定に保つ効果があるという。地下の熱気も寒気も、これで完全に防げるだろう。
「ルイ、なるべく私の近くに居て下さい」
人間であるルイは悪魔ほど温度の変化に耐性がないはずだ。ブルータはルイにも霧の衣装の恩恵を受けさせるためにそんなことを言う。
ともあれ、俺たちは横穴を進むしかない。地面を調べてみると、足跡が幾つも発見された。新しいものもある。恐らく、入り口にいた女達の仲間だろう。
洞穴はかなり長そうだ。洞床は誰が整地したのか平坦であるが、それほど広くもない。本当にこんなところにドラゴンがいるのか。
それにしても、暗すぎる。ここまで持ってきた火の灯りではこの先、不安である。ブルータの魔法は戦闘になったときのために温存しなければならないので、ここはルイに頼るべきだった。
「おいルイ、魔法で何か明かりをつけろ。火を使わないやつだ」
「了解です」
俺の命令に応じて、ルイは地霊を集めて魔法を使う。『光源の魔法』と呼ばれているものだ。
ルイの魔力が集まり、光り輝く球体を作り出す。その光は今まで使っていた灯りよりもずっと強力だった。昼間の草原のように、洞穴の中は照らし出される。
「もう少しおさえろ、これは目立つ」
注文をつけると、ルイはそのとおりにした。光はおさえられ、十数歩先の洞壁が見える程度になる。このくらいで十分だろう。
「よし、それでいい」
俺たちは移動を開始する。洞穴の奥まで行く必要があった。
洞穴の奥まで行くからには、恐らく泥だらけになってしまうだろうと予期していたのだが、そのようなことにはならなかった。
先人がどうやら、難所を派手に改築してくれたらしい。あちこちに破壊魔法を使った痕跡を発見することができる。どうやら狭くなっていて進みにくいところを中心に、破壊しながら突き進んだようだ。落盤というものをまるで恐れていないらしい。
そのおかげで、ブルータとルイはほとんど身をかがめる必要もなく、悠々と歩き進むことができた。
人間達は、洞穴というものをなめているとしか思えない。
途中で幾つかの分かれ道があったものの、俺たちはなるべく新しい足跡が残っている道を選択して進んだ。上で出会った連中の残りがいるかもしれないからだ。
『光源の魔法』のおかげでかなり道中は楽だったが、いかんせん長すぎる。
奥への横移動の距離ももちろんだが、上下への移動もかなりある。突然勾配が始まったり、終わったり、急な崖が出現したりと面倒くさい。崖は先人が無理やりに坂道や階段に改築してくれていたのでそれほど困らなかったが。
そういうわけで退屈すぎる。俺はブルータのポケットの中で眠ることにした。
「何か見つけたら起こせ」
ブルータにそれだけ言って、俺は丸くなる。
霧の衣装のおかげで快適な眠り心地だ。延々と眠ることができる。これはいいものをもらった、と俺は思う。霧の衣装で温度を保たれたブルータのローブのポケット、それは実に温かい。ぬくもりに包まれるとは実にこういうことを言うのだ。
俺は美女の胸の上でごろごろしながら肉料理を食う夢を見ていた。
その夢が、ブルータの声で中断させられる。
「起きてください」
俺は生返事をしながら、ポケットから顔を出した。ブルータが何かを指差している。
何があったのかと思ったが、死体だった。
「何だこいつら。殺ったのか?」
泥まみれの革鎧をつけた男だった。洞床にへばりつくようにして死んでいる。もう一人、洞壁にもたれるようにして死んでいるのもいる。こちらも泥まみれで、どこに傷があるのかなど調べる気にもならない。
「殺してはいません。もとからここにありました」
「ってことは、帰ってこなかった冒険者達の一部ってことか」
壁を見ると、何か水平に線がついているのが見えた。恐らくは、洪水があったのだろう。こいつらはそれに巻き込まれたのだと考えられる。
何度かこうしたことはあるらしい。壁にくっきりと残った水面の跡はそれを物語る。
「馬鹿な奴らだが、死んでからそう時間は経っていなさそうだな」
虫がたかっているが、死後三日程度と思われる。上で出会った連中の仲間であるとは考えにくかった。
「どのくらい歩いたんだ」
「明け方まで、あと少しだと思います。相当な距離を歩きました」
それでもまだドラゴンには出会わないのか。
「もしかして、人間達は洞穴をなめてかかって、勝手に息絶えてるだけなんじゃねえのか?」
「そうだとしたら、魔法使いの死体を見つける必要があります。ここまでの道は難所を全て魔法で破壊した跡がありました。この先に魔法使いの死体がなければ彼は脱出に成功したことになり、噂とは異なってきます」
「まだ奥に行く必要はあるってか」
俺はうんざりした。こんな狭くて苦しいところはさっさと脱出したい。
だが、そのときだ。爆発音が響いた。魔法で作り出された爆発に違いなかった。
「うっ?」
俺は呻いた。反響していてわかりにくかったが、洞穴の奥からだった。やはり奥に、生きている人間がいるということになる。それもおそらく、魔法使いがだ。
「奥に誰かがいるようです」
そんなことをいちいち言わなくてもいい。わかりきったことだ。
「とにかく先を急げ」
「わかりました」
ブルータとルイは小走りに洞穴の奥へ向かった。洞床が整地されているからこそできることだ。
爆発音は、断続的にやってきた。どうも、道を破壊しているような雰囲気ではない。戦闘だ。誰かが、戦っているものと思われた。
まさか、本当にドラゴンがいるのではないだろうな。
どうにも、いやな予感がするのだ。俺は人間同士の戦闘であることを祈らずにはいられなかった。
ブルータとルイは、唐突に目の前の空間が開けていることに気がついた。
「『光源の魔法』を止めてください、ルイ」
明るすぎる。ブルータもそう判断したらしく、光源の魔法を止めさせる。
この先に、部屋がある。そう考えられた。今までのような狭い通路ではなく、大部屋だ。それこそ、ドラゴンが棲んでいてもおかしくないほどの部屋がある。
その部屋から、爆発音は響いているのだ。火の灯りを点けて、ブルータと俺は部屋の様子を窺う。
先程の俺の祈りが届いたというわけでもないのだろうが、戦っているのは人間だった。人間同士で戦っている。
人間達もどうやら『光源の魔法』を使っているらしく、実に部屋の中は明るかった。火の灯りは必要ないくらいだ。
何を一体モメているのかと思ったが、そのあたりはわからない。どうやら二つのパーティがぶつかり合っているようだ。ドラゴンの秘宝を奪い合っているのだろうか。
「魔法使いがそれぞれのパーティに一人ずついますが、片方の魔法使いは力量的に劣っています」
ささやくような小声で、ブルータがそんなことを言う。そのとおりだと俺も思った。
部屋にいるのは小刀を構えた戦士が三名、それに女の魔法使いが一名、半弓を持った戦士が二名、男の魔法使いが一名だ。女の魔法使いの味方は小刀の戦士二人。男の魔法使いの味方は小刀の戦士一人、半弓の戦士二人。
数の上でも女魔法使いは苦しい。しかも、男の魔法使いのほうが明らかに熟練していた。
小刀の戦士が半弓の戦士に襲い掛かっても、男の魔法使いがそれを邪魔する。そうしながらも、男魔法使いは合間合間に女魔法使いの魔法を妨害しているのだ。
女魔法使いはそれでもめげずに初歩的な爆発魔法をぶちかましているが、敵には当たっていない。先程からの爆発音はこの女魔法使いによるものだったらしい。
「介入しますか?」
「そんな必要がどこにある」
俺はブルータの提案を一蹴した。人間同士で殺しあってくれているのだから、放置するに限る。
やがて、男の魔法使いは右手で強く、小刀の戦士を指差した。あれは、『地脈の呪文』だ。タゼルが俺たちに向けて放ったことのある、破壊魔法だ。男の魔法使いの指先から魔力が飛び出し、小刀の戦士を吹き飛ばした。吹き飛ばされた戦士はすさまじい勢いで洞壁に叩きつけられ、そのまま動かなくなる。脊髄に損傷が入ったのだろう。
その様子を見て、女の魔法使いは短く悲鳴をあげた。仲間の死を見て、動転したらしい。その隙を見逃さず、半弓の戦士が二人で女の魔法使いを射る。小刀の戦士がその矢を一本叩き落としたが、もう一本の矢は女の魔法使いの胸を射抜いた。
女の魔法使いはその場に倒れこみ、小さく咳き込んでいたが、すぐに動かなくなった。一人残された小刀の戦士は男の魔法使いに飛び掛った。女の魔法使いの名らしきものを叫びつつ、気迫十分であったが、それも男の魔法使い側の小刀の戦士に阻まれる。
そこを見事に半弓の戦士が狙い撃ちにする。あっという間だった。女魔法使い側の小刀の戦士は二本の矢に射抜かれて、倒れ伏す。全滅だった。
男の魔法使い側の勝利に終わったようだ。彼らは倒した人間達の死体をあさり、食糧や武器などを奪っている。
「ここまで来るだけあって、なかなかいいもの着てやがる」
「泥で汚れてるがな」
そんなことを言いながら、女の魔法使いの法衣を脱がしている。見る限り、女はなかなか美人だった。死体となってしまっては仕方がないが。
「今日はこんなものか?」
「いや、まだまだ。今のところあと四人。二人ずつのパーティが二度来るらしい。それも、全員女だって話だ」
半弓の戦士が笑ってそう言った。彼らは全員男だ。女が来るとなれば、男よりは嬉しいのだろう。生け捕りにして楽しもうというハラなのかもしれないが。
しかし、今の会話でおよそ読めてきた。そういうことか。