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暗殺の青  作者: zan
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6・深淵洞窟 前編

 人員不足によるリンの疲労という問題は、一先ず参謀部からの人材派遣で多少の改善をされるようだ。リンもそれで満足するらしい。

 シャンは大きく息を吐いた。

「話はまとまったな、ならユエをそっちに送るので決まりだ。貸し出す部下は、また後で砂漠都市に送ってやる」

「そうか、それじゃユエ。宜しく頼む」

 応じて、リンがユエを見る。ユエは会釈してみせた。

 リンの悩みはこれでどうやら解決しそうだが、俺たちは部屋に取り残されたままだ。出て行けとも言われないので座ったままである。

「それで、戻ってきたのはこれのためだけか」

 ユエともう一人の部下をリンの部隊に送るための手続きをし始めつつ、シャンは言う。リンはかぶりを振った。

「ホウから聞いたか? 勇者たちの件でだ」

「ああ」

 勇者の件、ときた。これは俺たちにも関係のあることだ。暗殺しにいかなければならない連中のことである。

「今のところ、最も力を持つ勇者の所在と素性が知れた」

 俺たちに目をやって、リンがそう口にした。

「最有力の勇者?」

 俺は問い返す。タゼルやバロックは何だったのか。というよりも、リンはどういう基準で暗殺対象を決めていたのか。目の前の障害となる者をてきとうに排除するように命令しただけではないか、と疑いをもたれる。

「聞いた限りでは確かに今のところ最強だ。考えるに、正面から奴を殺すにはたぶん、私が挑まねばならないだろう」

「そこまで強いのか」

「人間達の期待も大きい。大半の都市も奴が勇者だと認めている。行く先々の教会で剣に祝福を受けているらしい。実際に北の方の湾岸都市を攻略していた海軍の分隊を粉砕したという情報が来ている。そっちのほうの悪魔たちは全滅だ」

 俺は目を見開いて、息を飲んだ。勇者とは恐ろしいと思ったからだ。

 いくら海軍が統率のない荒くれ悪魔の集団だからといって、人間が一人で撃破してしまえるようなものではない。一体どれだけの腕前をもっているのか。

 勇者という人種の恐ろしさに俺が唸っていると、リンはさらなる情報をもたらした。

「さらに付け加えるともう一人、厄介なのがいる。こっちは女らしいが。北のほうに封印しておいたドラゴンたちが全滅させられている」

「は?」

 理解不能だった。ドラゴンである。悪魔に与せず、独自で勢力を築いていたドラゴンたち。彼らもまた人間社会の制圧を目指していたため、遥か以前、魔王は彼らを煙たがって北にある洞窟に封印してしまった。逆に言えば、魔王でさえも全滅させずに封印してしまうしかなかった存在なのだ。

 そうした存在を一人で全滅させた。化け物としか言いようがない。しかも、女。

「恐らくだが、封印されたドラゴンたちは長い間の幽閉である程度弱っていたのだろう。しかし、それでも恐ろしい所業だと言わざるを得ないな」

「確かに。それで、そいつらを今度は俺たちに暗殺して来いなんて言うんじゃないだろうな」

 俺たちにそれができるとは到底思えなかったが、リンは無茶振りを繰り返しているため、そうした命令が下されない可能性は低かった。

「察しがいいな。いずれはそうしてもらうつもりだ」

 やはり。

 しかしできることとできないことがある。無茶すぎる話だ。

「本気で言っているのか、リン。どうやって倒すんだ。教えてくれ」

「別に正面から挑んで倒せとは言っていないだろう。殺せばいいんだ、単純だろう。もとより、暗殺とはそうしたものだ」

「近づいただけでバレてしまうんじゃないのか? 俺たちは悪魔で、相手は勇者なんだぜ」

「そのあたりの作戦はそっちで頭をひねってくれ」

 リンは大きく息を吐いて、シャンに目を戻した。もう俺たちに伝えることは終わった、と言わんばかりである。

「ちょっとまてよ、リン。褒章の話はどうなったんだ。ホウから聞いたぞ、総司令から何かもらえるって」

「それはお前たちが回復してから考える。とりあえずは寝てろ」

 こちらに目を向けもしなかった。が、否定もしなかったのでたぶん本当にもらえるのだろう。何かはわからないが。

「遊ばせておいていいのか、リン。怪我自体はほとんど治っているようなものだぞ」

 シャンが余計な一言を入れてくれる。確かに『虫』の擬態はすでに完了しているので、ブルータの左手は何も問題なく動く。あとはそれが自分の細胞となるのを待つだけの状態なのだ。

「しかしあの二人にぶつけられるような状態ではあるまい」

「沿岸の洞穴の件については?」

 シャンは、ブルータに目をやった。何かまた厄介な案件があるらしい。

「あれか」

 応じるリンの声は、どうでもいいという心に満ちている。

「あんなものは捨て置いていいだろう。いちいち調べてきた諜報部にはすまないと思うが」

「しかし、北のドラゴンたちが全滅させられたんだ。もしかしたら味方に引き込めるかもしれん」

「楽観的過ぎる」

 今度はリンが息を吐き、ユエの持ってきた酒に口をつけた。血のような赤い液体だった。

「こいつらを遊ばせておくくらいなら、差し向けていいだろう」

「それは勝手にやってくれればいい」

「なら、借りるぞ」

 シャンの言葉に頷き、リンは酒を飲み干した。杯を机に叩きつけて、立ち上がる。

「こっちはユエをもらっていくんだ。傷が治るまでは好きに使ってくれ。それよりあの二人のことだ」

「今、何か手が打てるのか?」

「それを考えるのが参謀部だろうが」

 苛立たしげにリンはシャンを指差す。シャンは動じない。

「手を打つのは被害を広げることになる。機会を見て討伐する必要性は感じるが」

「恐らく今最も警戒するべき勇者だ。軍で押しつぶせると思うか?」

「話から判断する限りでは、お前の部隊なら相手になると思う。しかしまだ待て。真正面からぶつかればこちらの被害は計り知れない」

「結局今のところは放置するしかないのか。それだけ聞けばもういい、私は忙しいのでそろそろ帰る」

 言葉どおり、リンは壁際に控えていたユエを連れて、さっさと部屋を出て行ってしまった。

 乱暴に扉が閉まってしまう。部屋の中には俺とブルータ、それにシャンだけが残された格好だ。


「というわけだ、お前たちには沿岸部の洞穴にいってもらう」

 シャンが俺たちを見る。

 どういうわけなのだか、さっぱりわからない。ブルータは相変わらず表情もなく、ただシャンの話を聞いている。

「一体何があったんだよ。命令ってなら行くしかねえけど、事情もわからねえで行ってもシャンの意向にそえるかわからないぜ」

 俺は肩をすくめてみせる。面倒くさいという思いもあった。

「ホウから聞いてないのか。沿岸都市の近くの洞穴だ。そこでちょっとした噂がたっている」

「どういう?」

 問い返すと、シャンは茶に口をつけた。リンが飲んでいた酒には手をつけないようだ。

「お前には頼むまでもない、小粒の勇者たちがそこに向かっているのだが。そこから帰還したものがない」

「どっか別の場所に出口があるんじゃないのか」

「そうした場所があるなら、それで構わないが。件の洞穴は古くからドラゴンが棲んでいるという話でな。勇者ともいえない、ただの冒険者たちもそこへ吸い込まれるように入っていくそうだ」

「ありもしないドラゴンの秘宝を求めてか?」

「いや、ドラゴンを倒して名声を得るためかもしれん。どちらにしても、俺たちの間ではそうした情報が今までなかった。そんなところに、ドラゴンが棲んでいるなんて情報は」

「真偽は?」

「八割、偽物だろうな。俺はそう見ている。リンは実際にドラゴンがいると信じているようだが、そのようなところにドラゴンが棲んでいるとしたなら、もう少し騒ぎになっているはずだ」

「そうかよ。それで俺たちにはどうしてこいっていうんだ?」

 俺はおおよそ、その質問への答えを察しながらもそう訊ねた。

「ドラゴンをこちら側に引き込んでもらいたい。それが無理というなら、始末して来い」

 やはりか。

 四天王たちは俺たちのことを完全に捨て駒だと思っていやしないだろうか。最近の無茶振りは目に余ると俺は思う。

「偽物でなかったとしたら、俺たちが何とかできるような相手じゃないだろう」

「そのときは頑張ってもらいたいな。お前たちが帰ってこなければホウを行かせるつもりでいる」

「最初からそうしろよ!」

 思わずシャンに食って掛かった。

「奴も忙しいのでな。なんなら、奴に任せている案件と入れ替えるか?」

「どういう案件だよ」

「さっきの話にあった北のドラゴンを全滅させた女だが、南下しているようだ。このままではガイの本隊と接触するのでなんらかの方法でそれを先延ばしにするという案件だ。少なくとも二ヶ月は足止めをしてもらいたい。あるいは殺してもらっても構わないが」

「そんなことできるか!」

 不可能ごとだった。北のドラゴンは洞穴のドラゴンと違って確実に存在しているし、相当の数が封印されていたはずだ。それを全滅させるような相手を足止めなど、悪夢もいいところだ。役者不足も甚だしい。

「なら、洞穴に行ってくれるんだな」

「くそ、仕方がないな。それで、ドラゴン暗殺はいいが偽物だったときはそのまま帰ってきていいのか」

「そのときは調査の上で、偽物の始末をしてくれ。二度とそんな噂がたたないようにな。それと、本物だったときは一応説得をこころみるんだぞ。人間達へ恨みが深い個体ならうまく引き込めるかもしれない」

 俺はがっくりと項垂れた。これは勇者の暗殺よりもよほどしんどい仕事なのではないだろうか。

 リンはこんな仕事だとわかっていて、俺たちをやることに同意したのか。これはもう、ドラゴンがあっさりとこちらの説得に応じてくれることを祈るしかない。


 沿岸部の洞穴は、ガイが攻めていた沿岸都市の近くにあるようだ。丘陵都市よりもさらに遠い。

 俺たちはルイの『転移の魔法』によって、沿岸都市まで送ってもらえることになった。というよりも、そうしなければあまりにも遠すぎるという判断である。

 作戦会議室を出て、シャンの私室に戻る。ルイは眠っていたが、その身体にはあちこちに包帯が巻かれていた。両目にもだ。

 シャンがその身体を揺すると、すぐに目覚めた。

「この二人を沿岸都市まで送ってもらいたい」

 身を起こしたルイに、シャンが命じる。ルイは頷いたが、今すぐに転移するわけではない。まずは服装を整える。

 いつまでも奴隷同然の姿では、連れて歩いている俺のほうが指を差される。実際のところ、沿岸都市はガイによって制圧されているのだからルイが囚われた人間だということは知られているし、そこをうろうろしているのはガイの部下たちなのだから問題は少なそうだが。それでも俺の気分の問題で、服を着ていてもらったほうがいい。裸足なのも気に障る。

 捕まえた人間の魔法使い、ということならボロボロの服でも裸でも別にいいが、自分の味方として連れて行くなら身なりは整えていたほうがいいということだ。

 とにかく、ルイに服を渡してやった。制圧した都市から奪ってきたらしい、人間達の法衣だ。おそらくルイがもともと着ていた服とそう違わないだろう。体中に巻かれた包帯の上から、ルイはそれを着込んでいった。

 衣装が綺麗になったせいか、ルイの姿は麗しくなったように思う。ボロボロになる以前の姿を俺は知らないが、それに近いはずだ。ブルータは櫛を取り出してルイの髪を梳いている。同じような境遇のルイに、何か思うところがあるのかもしれない。

 一通りそれが終わると、早速ながら沿岸都市への転移を頼む。

 今まで船に乗ったりなんだりしていたのが馬鹿馬鹿しいくらい、あっけなく到着するだろう。

「それでは、沿岸都市に参ります」

 魔力を集めたルイが転移魔法を使う。対象はブルータとそのポケットに入っている俺、それに術者であるルイの三人。シャンはその場に留まる。

 時刻は夕方。もし女が残っていたなら、とりあえず沿岸都市で一泊してもいいだろうと思いながら、俺は魔力に包まれていく。

「それではな。しっかり頼む」

 無茶振りをしておいてそんなことをいう参謀部の長の声を聞き、俺たちはその場から掻き消えた。


 沿岸都市は、俺たちがガイの船を下りた場所から、さらに東へ半日ほど歩いた先にある都市だ。

 港都市や北部の都市との交易も盛んに行っていて、南部の都市の中ではかなり大きなものだ。したがって、そこに常駐する軍勢もかなりの数があったはずなのだが、ガイの部隊によってすでに制圧が完了してしまっている。

 要するに、もはや人間はこの都市の中にいるとは思われない。一部の人間が生かされているだけだろう。

 ルイの転移魔法によって沿岸都市に到着した俺は、そうした考察が正しいことを確信するにいたる。あちこちに大小の血痕がきざみつけられた町並みを目にしたからである。

「到着しました。ここは沿岸都市の北門です」

 法衣を着込み、すっかり魔法使いらしい姿となったルイがそんなことを言う。その両目には包帯が巻いてある。

「ああ、そうらしいな」

 俺は周囲を見回しながら応えた。沿岸都市は広い。が、血痕はあちこちについていて、それのない場所を見つけるほうが難しいくらいだった。さすがに死体は片付けられているが、死の匂いはまだ強烈に残っている。

 ブルータはそうした惨状も一瞥しただけで無表情。

「ルイは、連れて行くのですか」

「あ?」

 思い出したように問われる。沿岸部の洞穴はこの近くにあるとのことだが、地図で見たところでは近いともいえない。適当な報告をしやがって、と言いたい所だが、転移の魔法で移動できる場所では確かにここが一番近かった。ブルータの足でも、今から走って到着は夜中に近くなる。

 別に真夜中から洞穴に突入しても、今日は昼間に寝ていたので問題ない。眠くはならないだろう。ルイも同じだ。

「連れて行く」

 ルイがいなければ、転移の魔法が使えない。俺は件の洞穴にルイも同行させることにした。シャンからはルイを帰還させろとか、危険な場所に連れて行くなとかいうことは一切言われていない。言われていないということは、してもいいということだ。

「わかりました」

 目が見えないということを考えても、ルイは戦力になるはずだった。連れて行っても何も問題ない。

 ドラゴンと相対する可能性があるわけであるから、即座に『転移の魔法』での撤退という選択肢を増やすことは悪くない。


 沿岸都市にガイの部隊は殆んど残っていない。恐らくさらに北の都市を目指して侵攻中だ。

 駐留部隊がいるのであれば俺たちが来たことを報告する必要があると思えたが、誰もいないのであれば報告することはできない。俺たちはそのまま洞穴に向かうこととなった。

 シャンから教えられた洞穴の位置は地図に記載しておいたが、方角としてはここから北東となる。まっすぐ歩いていけばそれでよかった。

「ルイ、こちらです」

 ブルータの声にルイが頷き、そのままついてくる。

 噂が正しければ、洞穴の奥にはドラゴンがいることになる。何を使おうが、誰を使おうが、ドラゴンを何とかして戻ればそれでいい。かなりつらい指令をうけたことには違いないのだが、ブルータの傷が治ればリンから褒章がもらえるはずである。それを楽しみに、なんとかこの場を乗り切るしかなかった。

 そういえば、と俺は思い出す。

 シャンの奴に訊くのを忘れていた。ブルータのことを訊こうと思っていたのに。

 おかあさんが欲しいと言ったこのブルータが、本当に自我を失っているのか。どういう具合でそんなことを口にしたのか。

 まあそれも、後回しにするしかないわけだが。一先ず、洞穴のドラゴン騒ぎを解決しなければならない。

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