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暗殺の青  作者: zan
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5・捕囚奴隷 後編

 リンは、あっけなく見つかった。

 どこにいるのかというところまでは聞いていなかったので、探し回らねばならないと覚悟していたが、すぐにその居場所は知れた。本部に戻ったところで声が聞こえてきたからである。

 リンの声ではなく、彼女を呼ぶ声がだ。

「リン様、少しはお休み下さい」

 そうした、彼女を気遣う声であった。

 急いでそこに向かってみると、確かにリンがそこにいた。その彼女に頭を下げているのが、少しは休めと進言している悪魔であるらしい。どうやら本部に張り付いている中級悪魔がリンを休ませようとしているようだ。その中級悪魔というのはそこそこの美女で、胸も大きいわけだ。俺もちょっと手をつけたことがあるが、これからというところで引っ叩かれて終わった苦い経験がある。

 それはともかく、リンはその中級悪魔の言葉にも耳を貸さず、仕事をしているらしい。ブルータが以前言った「総司令ともなれば煩雑な手続きが増えて忙しい」というのは当たっていたわけである。

「私だって休めれば休んでいる」

 今度はリンの声だ。どうやら、通路で押し問答をしているらしい。ブルータはそこに出て行った。

「すみません、リン様」

 近づいて、軽く頭を下げる。リンの顔を見ると、確かに疲労しているらしかった。彼女の象徴ともいえる額の目が、すっかり塞いでしまって覇気も感じさせない。

「お前たちか、話はホウから聞いているが。まずは報告が遅れた理由から説明してもらおうか」

 それでもやはり、リンである。第一声がこれときた。

「大怪我をしたからだ。治療を最優先してもいいだろう、そういうときは」

「命に別状はなかったんだろう? だったらまず私のところに来てもよかったはずだ」

 俺の言い訳も、どうやら通じないらしい。しかしこのままお説教をいただくのはよろしくない。俺は何とか逃げ道を探した。

「ホウが報告をしてくれているのは知っていた。なら、体調を整えてからでもいいんじゃないのか」

「戦況は日々、どころか毎時変化し続けている。報告は遅らせて欲しくないな」

「そりゃわかるが、こっちだって苦労しているんだぜ」

「お前だけが苦労しているなどとは思わないことだ」

 なんとか言い負かしてみようと俺は頑張ってみたが、敗色濃厚である。

「とにかくリン様」

 俺が言葉に詰まったところで、先程の中級悪魔が口を挟んだ。

「ご自愛なさってください」

 しつこく休憩をとるように迫っている。それほど、リンの疲労は濃いのだろうか。確かに顔は疲れた様子であるが、四天王の一人ともなれば、無限の体力で延々と仕事できそうなものでもあるが。

「わかっている。後で少し休む、そのときは何か持ってきてくれ」

「かしこまりました。くれぐれもご無理をなさらぬよう」

 辟易したらしいリンが折れると、中級悪魔はようやく引き下がっていく。

 ちょうどいいタイミングで口を挟んでくれたものだ。俺はおかげで言い負かされた感覚から逃れられている。それを察したのか、ブルータが口を開いた。

「報告の遅れについては言い訳できません、申し訳ありませんでした。私からあらためて報告すべきことはありますか」

「まあそうだな、一応お前の口から全容を聞こう。とにかく中に入ってくれ」

 リンは軽く息を吐いて、作戦会議室の扉を開けた。

 俺たちも彼女に続いて中に入る。先程まで、シャンが何か仕事をしていた部屋だ。


 でかい机に向かって何かを書いているリンに、詳細な報告をしなければならない。ルメルと出会ったことから何から、全てだ。ブルータは命じられたまま、嘘偽りなくすべてを話した。

 ガイに会って、ルイを預かって、『転移の魔法』により帰還したところまでを報告する。しかしリンは何かを書く手を止めて、不満そうな顔で俺たちを見た。

「報告は以上です」

 ブルータが報告を締めくくる。それを待っていたように、リンが口を開いた。

「で、その妖精のルメルはどうした。捕らえたのだろう」

「彼女は、ホウ様に預けました。私たちで保管しておくことは難しいと考えましたので」

「そうか」

 舌打ちをして、リンは口元に手をやった。やはりかなり疲れているようだ。それとも、妖精がホウにとられたようなカタチになったのが気に入らないのだろうか。

「しかしよう、リン」

 俺はとりあえずこの話題から離れようと、何か質問をすることにした。リンの疲労は間違いないので、いつまでも俺たちを叱責するような気力もあるはずがない。

「どうした。次の標的なら少し待て。お前たちが回復するまではな」

「そうじゃねえって。ああ、いやな、ずいぶん疲れているようだが何だ。総司令ってのはそんなに忙しいのか」

 我ながら少々間の抜けた質問だったか。これではこちらの意図があまりにも透けているのではないだろうか。

「忙しい忙しくない、という問題だと思っているのか。参謀部は適当な指示の上にこっちに丸投げ同然、たまにまともな指示が来たと思えばこっちの戦略と正反対、部下どもは気を抜けばすぐに怠慢する、さらにはこれくらいできるだろうと思って任せておいた上への報告まで手抜きだったという有様だ。それを修正に今ここに来たんだ、ええ?」

「言ってることの半分もわからないが、リンが忙しいのは把握した」

「把握したとは気軽に言ってくれる。ブルータ」

「はい」

 呼ばれて、ブルータは平時と同じように返事をする。

「そこに、座れ」

 椅子のひとつを指差して、リン。それに応じてブルータは椅子に座った。さらなる説教が待っているとは思われなかった。おそらく、始まるのは愚痴だ。

「ユエ! 何か飲み物をもってこい」

 先ほどの中級悪魔を呼びつけて、そんなことまで言う。どうやらこれは、長引きそうだ。別にすることもなく暇だったのでいいのだが、くだを巻く相手を間違っていやしないだろうか。そんなにストレスがたまるのか、司令という役職は。

「かしこまりました」

 外から聞こえる声には安堵の色が含まれている。おそらくだが、この注文にリンが休憩をとるということをみたからだ。

 だが、付き合わされる俺はあまりいい気分ではない。リンだから我慢できるが、これがガイやシャンだったら逃げ出しているところだ。

 そのように思いながらブルータの頭の上に腰掛けたところで、もう始まった。リンがブルータの前に立つ。しとやかに立っているように見えるが、その目を見ると怖い。しとやかなはずなのに、仁王立ち。

「さて、いいか。普段別行動をしているお前たちにはわからないだろうが、たったの一週間でだ。私がどれだけ睡眠をとったか知っているのか? それも軍を率いて、攻め入って、都市を制圧してだぞ」

「毎日八時間寝たら、五十六時間くらいか」

「もっと少ないぞ」

 返答しないという選択肢はどうやらなさそうだった。何か答えないと殺されそうだ。

「二十四時間より少ないのか?」

「少ない」

「その半分よりも少ないのか?」

「少ない」

 本気か。俺のように一日中でもごろごろできる悪魔からしてみれば、リンが疲れるのは当然と思える。港都市から船に乗ったとき、前日から寝すぎたせいで眠れず、暇で仕方なかったがそんなことをいちいち報告しないでおいてよかった。

「じゃあ、その半分よりは多いだろ」

「少ない」

 待て。

 今の時点で既に六時間だ。これでは一日に一時間以下の睡眠しかとれていないことになる。砂漠都市で俺たちに指令を下したときは酒を飲んでいたくらいだから暇なのだろうと勝手に思っていたが、そうではなかったらしい。

「前に酒飲んでたじゃないか。寝る暇くらいなかったのか」

「ちょっとまどろんではつまらんことで起こされる毎日だった。ろくに眠れん」

「それで、もっと寝かせろって言いたいわけか」

「違う」

 リンは腕を組み、額の目を開いた。疲れているとはいえさすがに魔王軍四天王の目だった。

「問題は、私が統率している軍は精鋭なのにだ。兵士たちは精強でもそれを統率できる奴がいない」

「リンがいるじゃないか」

「逆に、私しかいないんだよ」

 ああ、そういう意味か。俺は納得した。

 確かにリンの部隊には屈強、豪腕の悪魔がひしめいている。が、彼らをうまく率いて統率できる者となると、リン以外には存在しない。リンが直接指示を下し、指を差さなければまともに進軍できないのだった。それほどに腕っ節に自信のある者ばかりが集っているということだが、プライドの高い彼らは生半可な腕のものについていかないのだ。

「私を慕って頑張ってくれるのは結構なのだが、こういう弊害もあるわけだ。比べたくはないが、ガイの奴はどうやって部隊をまとめているのか知りたいところだな」

 リンはそう言ったが、ガイの部隊を見てもまるで参考にならないことは明白だった。ガイの元に集った奴らは全員私利私欲丸出しの強欲な奴らだ。何でも好きなことをやり放題、略奪し放題殺し放題というところに魅力を感じている悪魔が、ガイの指示の元に欲望の限りを尽くしているだけである。リンのようにカリスマで統率しているわけではない。

「軍事行動ひとつとってもそれだからな。わかるだろう、私の軍には、人材が足りなさすぎる」

「人材ねえ」

 俺は頬を掻きながら、耳を伏せた。

「要するに、頭の方が得意な悪魔が欲しいってことなんだろ」

「そのとおりだ。私のところにはどういうわけか肉体派ばかり集っている。もう少し頭の使える奴が欲しい」

 この点について、恐らくリンは本当に困っているのだろう。やや面持ちは真剣なものとなっていた。

「誰にも任せられないから、私のすることが増えていくんだ。私の部下にホウがいたら負担などないに等しいもののはずだ」

「それは高望み過ぎるだろ」

 四天王のリンの下に四天王のホウをつけたら、さすがにホウの部下達が黙っていないだろう。これは無理なことだ。

「しかしホウはなんだかんだといっても仕事はしっかりするからな。それに何事も丁寧だし、周囲からの信頼も篤い。いっそのこと陸軍総司令があいつでもうまくいったんじゃないか」

 自分の存在すら否定しかねない勢いである。リンは自分の口元に手をやって、自嘲気味な微笑みさえ浮かべていた。

 が、そうした表情を見せたのはほんの一瞬。すぐにリンは表情を引き締めた。

「とはいえ、責任を放棄する気はないがな。少しばかり人材を回して欲しいだけだ。シャンにかけあってみてもいいかもしれない」

「ホウを部下にくれるようにか」

「ホウとは言わない、フェリテでもいい。あいつも色々な方面で気が利くと聞いている」

「フェリテはさすがにホウが手放さないだろう」

 ホウの第一の側近であるフェリテだ。まずあいつ自身がリンの下にいくことを拒むだろうし、ホウも諜報任務で彼女を様々に使役しているはずだ。「どうぞもっていってください」などとは言うはずもなかった。

 ここで、控えめに扉が叩かれる。どうやら先程の中級悪魔ユエが飲み物を持ってきたらしい。

「入ってくれ」

 リンがノックに応じると、失礼しますという定型句と共に二人の悪魔が作戦会議室に入ってきた。一人は茶と酒を持ったユエであるが、もう一人はえらくガタイのいい、革鎧を身に着けた男だ。シャンだった。

 ユエは飲み物を置くとすぐに出て行ってしまったが、シャンは何か作業があるらしい。

「あれ、シャンよう。ルイの治療はどうしたんだ」

 部屋に入ってきて、放り出されていた帳簿を拾い上げている彼に問う。シャンは帳簿をめくりながら答えた。

「あいつの治療にも時間がかかる。とりあえず眠ってもらっている」

「使えるのはいつになるんだよ」

「知らん。焦っても仕方なかろう、ぼちぼちやる」

 言いながらシャンは何かの物資管理帳らしいそれに、何かを書き込んでいく。その様子を見ていたリンが声をあげた。

「おいシャン、今言っていたところだが、私の部隊には頭の使える奴がいなさすぎる。何とかするべきだろう」

「何とか、とはどういうことだ。リン、お前の望んだとおり、部隊には精鋭を集めたはずだ」

「精鋭にしても意味が違う! 肉体派というか、戦闘能力ばかり長けた連中じゃないか。各種の雑務をこなしてくれるような奴がまるでいないぞ」

「そういうことを部下にさせたいのならリン自身が教育すればいいだろう」

「性格的に不向きな連中ばかりだぞ」

 リンはシャンに突っかかっているが、シャンは冷静に受け流している。部隊のことは部隊でやってくれというのが彼の本音なのかもしれない。

 確かに陸軍総司令であるリンだが、部隊がリン直属の一部隊しかないわけではない。部隊長を任せられるほどに切れ者の悪魔も数名おり、彼ら彼女らはそれぞれに自分の部隊を率いて砂漠都市周辺の制圧にかかっていた。フェリテほどの才覚があるとは思えないが、一通りの判断はこなせるはずだった。

 しかしリンは、彼ら彼女らの報告や雑務があまりにも手抜き過ぎるために、余計に忙しくなっているとも言った。手抜きの報告など整合性がとれるはずもなく、仕方なしにリン自ら転移の魔法を駆使してあちこちに飛び回って報告を受け、それをまとめているに違いなかった。

「せめて私のこの忙しさを半分とは言わない、三分の一でも受け持ってくれる助手が欲しい。このままではいい加減で嫌になる」

 リンが力説する。自分が忙しい、何とかしてくれというところをこうまで言い放ったのである。考えようによっては自らの力量不足を暴露しているに等しい。このようなことは普段のリンならしないだろう。だが、今の彼女はそのようなことを気にしていられないらしい。

「じゃあ、具体的に誰が欲しいんだ」

 参謀部の長シャンは、帳簿をめくる手を止めてリンを見る。

「ホウ」

「馬鹿こけ、あいつは諜報部の長だぞ。今さらはずせるか」

「なら、フェリテ」

「ホウの片腕だぞ。引き抜けるはずがない」

「だが、そのくらいの人材がいなければ到底まわせん」

 頭痛をこらえるように、あるいは額の目をこするように自分の頭へ手をやりながらリンが呻くように言った。

「それは、わかった。人材育成にも努める必要があったな。これは奴の手抜かりだ」

 奴、というのはリンのことではない。リンは陸軍の総司令にすぎない。

 リンの率いる陸軍と、ガイの率いる海軍の、さらに上がいる。制圧開始の号令をだした、魔王だ。実際には魔王というよりもその意志を俺たちに落としてくる一人の女がいて、そいつの言葉が魔王の言葉となっている。魔王の姿は俺も見たことがなかった。その魔王の言葉である女の姿でさえも見たことがない。噂ではリンにも並ぶ美人だとか。魔力の強い連中は自分の容姿をいくらでも変えてしまうので当然ともいえるが。

 自分たちの総大将である魔王を奴よばわりして、シャンは目を閉じた。そのまま椅子に腰掛けて、ため息をつく。

「とにかくリン、もう少し妥協しろ。フェリテもホウが何年かかけて育てた人材だ。引き抜かれればあいつだっていい顔はしないだろう」

「なら、ロナ」

「ガイのブレインだろうが。ロナが抜けたら海軍のほうが崩壊するぞ」

 リンの提案を容赦なくダメ出ししつつ、シャンは呻いた。

「だが、本当につらいんだぞシャン。ホウとはいわない、せめてフェリテ、いやロナくらいの人材が私のところにもいればだ。なぜちまちましたところまで私が見なければ部隊が運営できないのか。しかも、私の部隊だけならまだしも陸軍の部隊全部私が見ないと穴だらけの状況なんだぞ、おかしいと思わないか」

「だから、それなら育成しろというんだ。しっかりお前の教育ができていれば、さすがに一週間たてばマシになっていたんじゃないのか。結局お前の力量不足ということじゃないか」

「当たり前だ、私は破壊魔法専門なんだぞ。暴れてナンボなんだ。そういう悪魔にこういう細かい仕事をさせるお前のほうがおかしい」

 四天王の一人とも思えない言葉を吐きながら、リンは頬杖をついて足組みをする。そういう仕草も美人は絵になって得だと思うが、当人はそんなことを考えてはいないだろう。

「あいつらが生きていればよかったんだが」

 そんなことをリンは口にした。『あいつら』というのが誰のことなのかは俺は察せられない。恐らく実力のある昔の悪魔だろう。

「考えても詮無い。おい、ユエ!」

「お呼びでしょうか」

 扉の外にいた中級悪魔のユエが、呼ばれて部屋の中に入ってきた。

「リン、とりあえずそいつを連れて行け」

「私が使っていい人材なのか、というより、助けになるのだろうな」

 意外な言葉に、リンは訝しげな目をユエに向けた。ユエのことは知っていても、頭の使える悪魔という条件を満たさなければ意味がない。

「いや、知らない。だがお前の下につけてやる。教育するんだ、お前が。使えるように」

「そんな暇がないと言っているだろう」

「だから、その間、参謀部から一人貸す」

「いいのか?」

 リンが顔をあげた。シャンが頷いている。どうやら、貸している間にユエを使い物になるように教育して、使えるようになったら返せということらしい。

 どうやら、リンの悩みはとりあえず解決の方向に向かったようだ。俺とブルータは先程から会話においていかれているが、退室しろとも言われないのでそのまま、椅子に座っている。

 突然異動を告げられたユエは、意外にも冷静で、リンの顔を見て軽く頭を下げた。動じてはいないようだ。

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