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暗殺の青  作者: zan
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4・愛別離苦 中編

「だが、それが君の意思ではないだろう。いや、君という人間の、自我はもう壊されたのか?」

 バロックの問いは続いた。すべて、ブルータに対する問いだ。俺はもう無視されているらしい。

「私は、魔王軍の命令に従うだけの人形です」

 ブルータは答える。この答えが、今の奴のすべてだった。とうに、自我などなくなっていて、命令に従うだけがすべてなのだ。

 ふむ、とバロックは唸った。同時に、周囲の精霊がざわめく。急激に気配が濃くなった。精霊たちは、バロックと敵対しようとしている俺たちに対して、敵意をむき出しにしつつあるようだ。まさかそのまま俺たちを食らい尽くそうとでもいうのか?

 だが、精霊どもは、『具現化』がなければ何も力を振るうことができない。このままでも普通なら、脅しとして十分な効果があるだろうが、生憎俺たちはこのくらいのことではひるんでいられない。言えることは、精霊使いバロックの感情に反応して、精霊たちが奴を守ろうとしているということだけだ。

 精霊という存在は、目に見えない。目に見えない存在が、俺たちのように実体をもつ存在に危害をくわえようというのなら、奴らも実体を得る必要がある。この、実体を得た状態が、『具現化』だ。たいていは薄絹をまとった少女の姿をとり、可憐な姿とは裏腹に強烈な魔法を使って攻撃してくる。魔力を奪われ続ける立場である精霊たちの反逆ということで、記録にも僅かだが残っている。

 だが逆にいえば、具現化さえなければ精霊たちは俺たちに直接危害を加えることがかなわない。しかも、『具現化』することができるほどの精霊は数がかなり少ないらしく、滅多なことでは『具現化』した精霊に殺されるというようなことはない。

 つまり精霊たちにも力の強い個体と力の弱い個体が存在している。『具現化』できるような強力な精霊がいる場所は、およそ過酷な自然現象に見舞われるので、察しがつく。冷気の精霊が住まう地は永久凍土になっている、火の精霊が住まう地は猛暑に悩まされるというようにだ。そうした次第であるから、そのような場所で精霊を刺激するような真似さえしなければ、『具現化』した精霊を目にするということはまずない。

 これが精霊というものに対する『常識』だ。しかし、バロックは精霊使いである。常識がどこまで通用するのか怪しい。また、奴がそのように強力な精霊を従えていないとも限らない。

「話し合いは無駄です。残念ですが、私はあなたを殺しに来たのです」

 ブルータがかがみこむ。ブーツに刺してあったナイフを抜いたのだ。僅かながら魔力を込められた刃が、闇の中でも鈍く光っていた。

「わかっている。だが、君の意思は本当にないのか? 魔王軍から足抜けして、静かに暮らしたいとは願っていないのか?」

「詮無いことです」

 無駄な討論をしかけてくるバロックに、俺も嫌気がさしてきた。奴は、そうまでしてブルータを引き抜きたいのか。

「無駄なおしゃべりはやめることだ、精霊使い」

 俺は魔力を溜めながらくだらない会話に割り入った。そのまま、奴の言葉を粉砕してやるつもりで口汚い言葉を吐く予定だったのだが、

「そうか、では始めよう」

 と、奴はいきなり立ち上がってしまう。俺の用意していた罵詈雑言は無駄となるが、それにガッカリする暇もなくすさまじい力のうねりが俺たちを襲った。精霊の激情が波となり、風となって俺たちに吹き付けてきているのだ。が、このくらいのことで倒れるほどブルータもヤワではない。すぐさま、集めていた魔力を用いて防御障壁の呪文を練り上げ、風を受け流す。

「正直言って、ぼくは精霊使いとしては未熟だ。君たちにどの程度通用するのかわからないが、ぼくの全力をもって相手することを約束しよう」

 このうねりを生み出している本人、精霊使いのバロックはどこに隠していたのか巨大な杖を取り出した。奴の身長ほどもある樫の木の杖の先に、何か宝石がとりつけてある。相当に濃縮された魔力が込められていることがわかるが、かなりの、というより世界に数本クラスの強力な魔法武器だ。間違いない。

 その証拠に奴がそれを手にしただけでこの精霊のうねりが凶悪なものとなった! たちどころにブルータの被っていたフードが剥がされて奴の角と髪があらわになる。ローブのあちこちがばたばたとはためき、ポケットに入っている俺も、しがみつかなければ飛ばされそうになった。

「奴はまだ何もしていないのに!」

 体重の軽いブルータは、防御障壁ごと吹き飛ばされてしまいそうになる。腰を沈めてこらえていなければ、あっさりとそうなっていたかもしれない。ブルータはブーツから抜いたナイフを握っているが、それに込められた魔力はわずかなもので、あの杖に対抗できるようなものではなかった。

 こいつはやばい。あの杖をなんとかしなければ、と俺は思う。

「ブルー」

 タ、とその名を呼ぶより早く敵が動いた。バロックが右腕を挙げると『精霊のうねり』がわずかに弱まる。代わりに、奴の右腕に魔力が集まっていく。

 精霊のうねりから魔力を生み出している、その魔力の強さ加減と来たら、ない。これほどのうねりを生み出すような精霊の力をまるごと魔力に、そして魔法へと変換してしまおうというのだ。

 常識はずれの魔力。これは、まずい。というか、バカだ。どう考えても俺たちを殺すに十分すぎる。破壊力過剰だ。それを防ぐような手立てなど考え付けるはずもなかった。いきなり最初の一撃から大ピンチだ。

 この一撃は、想像以上の破壊力。間違いない。ブルータは防御障壁の魔法を練っているが、『精霊のうねり』を防ぐだけでも手一杯だ。それに加えて、周囲の精霊は全てバロックの味方となっている。新たに魔力を集めることができない。さらに悪いことに『精霊のうねり』は俺たちの溜めている魔力をどうやら僅かずつ奪い取っている気配さえある。精霊たちからしてみれば、元々自分たちのものなのだから返してくれというようなものなのだろうが、こちらとしては折角集めたものを奪われているわけであって、一連の動作が徒労となる。このような状況下では、ブルータの使っている『防御障壁の呪文』もおそらく、本来の効果時間を発揮することができないだろう。

 ブルータだけに任せっぱなしにしているわけにはいかないので俺も魔法を練ろうとするが、やはり魔力を集められない。精霊から魔力を溜められないとなると他の手段に頼るしかない。

 魔力を集める方法としては、精霊を吸収する以外にも幾つかある。俺が知っているものでは三つだけだ。

 一つには、事前に魔力を注入して濃縮した魔道具から引き出す方法。バロックのもっている杖などを手にすれば、この方法がとれる。しかし、俺の手持ちに魔法道具はない。用意しておけばよかったのだが、後悔しても仕方がない。とりあえずこの方法はだめだ。

 二つ目は、自分の生命力を削って魔力に変換する方法。だが、この方法はできるだけ採りたくない。寿命を縮めるというのがもっともたる理由ではあるが、そもそも俺はこの術式が苦手である。当たり前だが、このような魔力の溜め方を好き好んで練習する気になれなかった。

 三つ目は、聖職者どもがよくやるやり方で、神仏に祈りをささげる方法だ。精霊でなく、聖霊から魔力をいただくということらしいが、俺にはこのやり方もよくわからない。そもそも俺は下級悪魔である。人間どもが奉っている神はもとより、暗黒の神にも祈ったことはない。俺はそういうの信じてないからといって、祈らせようとするリンやシャンから逃げ回っていたくらいである。こんなことになるなら少しは彼らのいうことも聞いていればよかったと思うが、やはり後悔先に立たずだ。

 結論として、俺は今魔力を溜めることができない。無力だ。ブルータになんとかしてもらうしかなかった。だが、俺たちを確実に抹消するに十分すぎるほどの魔力を敵は既に溜めているのだ。ブルータも無策ではないだろうが、生半可な策ではこれを覆せそうにない。かといって、どういう策を考えているのか、思念会話で訊くような余裕もなかった。

 結局俺自身では何も策を思いつかないまま、ブルータの防御障壁が消滅する。瞬間、予想通り、予測を上回る一撃が俺たちを襲う。その衝撃は、身を裂くような冷気。低温・氷結系統の魔法だ。おそらくブルータも得意としている『低温の魔法』。しかし威力は桁違いだ。ひょっとすると『低温の魔法』ではなく、その上位魔法なのかもしれない。だとしたら、『零度の呪文』ということになる。完全に熱を奪いつくすまで効果が解けない、地獄の冷気が俺たちを氷結させてしまう。

 ブルータは咄嗟に回避を試みていた。が、完全回避には失敗している。

 終わった。俺たちの負けだ。

 感覚が失われるような、痛覚が先に来るような地獄の冷気が俺たちを既に包んでいた。ブルータもさぞかし寒いだろうが、そのポケットにいる俺までも寒い、というよりも耳が凍結しちまう。

 このまま敵の魔法が俺たちを覆い、耳どころか身も心も凍結させていき、やがてガチガチに凍った俺たちは自壊し、一巻の終わり。

 ということには、ならなかった。

 ブルータが障壁魔法を復活させたからだ。展開した魔力の障壁が地獄の冷気を弾き飛ばし、霧散させる。『防御障壁の呪文』ではない。『魔法障壁の呪文』だった。魔法による攻撃の防御に適した障壁魔法だ。タゼルとの戦い以降、ブルータはこの魔法を習得していたらしい。例によって、奴が使っているのを見て覚えたのかもしれない。そうなると、ブルータは見ただけでその魔法を使えるようになるなどという、とんでもないほど魔法を扱う技術に優れているということになるが。俺はそれをあまり考えないようにしたかった。俺の立場がない。

 とにかく、俺は今の一瞬でさえ感覚のなくなった両手をすり合わせる。何しろ寒かった。『零度の呪文』をこの身に食らったのは初めてだった。まさしく地獄の冷気という表現に嘘偽りなどなく、身体の芯から凍りつくものだ。見上げてみると、ブルータの髪や耳も一部が凍りついていた。さぞかし冷たかろう。

「考えたね」

 バロックの声が聞こえる。

 ブルータは回避のために地面にしゃがみこむような体勢になっていたが、それでも両手を前に突き出し、障壁を練り上げていた。その魔力はどこからきたのか疑問だが、奴の腕を見ると納得できた。その左手の甲にナイフが突き刺さっている。ナイフに注入されていた魔力を無理やりにも引っ張り出して使ったらしい。なるほどと俺は思ったが、しかし同じことだ。これは一時の時間稼ぎになったにすぎない。この間に次の手を打たなければ、また打てなければ俺たちは精霊使いの次の魔法にかかってあっけなく死ぬ。間違いない。

 この障壁魔法も、『聖霊のうねり』によって効果時間を短縮されていく運命にある。ブルータの握るナイフにはまだ多少の魔力が残っているだろうが、もう一度『魔法障壁の呪文』を使ったところで寿命を僅かに延ばすにすぎない。ナイフに蓄えている魔力が尽きれば、再び『零度の呪文』が俺たちを襲い、今度こそ俺たちは氷像になってしまう。

 事実、バロックはすぐにも次の魔法を使う準備を進めていた。よほど強力な魔法を練っているらしく、魔力を多く溜めている。やはり、『零度の呪文』である可能性が高い。

 それを見たブルータは素早く地面にひざを立て、伸び上がって『精霊のうねり』の中を跳躍した。バロックに向けて飛び込んだのだ。当初のようにすさまじい精霊のうねりの中ならそれもできなかったが、敵も魔法を放った直後のことで、わずかに弱まったこの状態であるなら可能だった。確かに十分な魔力が確保できない以上、次の一手は直接攻撃にならざるを得ない。ブルータから離れると即、『精霊のうねり』と氷結魔法で死んでしまうと判断した俺は、まだポケットから出ないでいる。本音は寒くてとてもではないがここから出れたものではなかったからだが。

 ブルータは左手からナイフを抜くと同時に『身体強化の魔法』を使い、それを相手に投げつけた。ここまで一瞬の出来事だ。

「むっ!」

 バロックは呻いた。ブルータの策が奴の不意を突いたらしい。

 ナイフから抜き出した魔力を精霊に奪われないうちに、素早く強化魔法を使い、同時に意味のなくなったナイフをバロックに投げつける。次の魔法を使おうとしていたバロックは、無防備だ。決まるかもしれない。

 だが、そこまで現実は甘くなかった。バロックに迫るナイフを何とかしようと、精霊たちがまず『うねり』をそれに向けた。強烈な向かい風にさらされた凶器は、あっけなくバロックが掲げた奴の杖にぶち当たる。本体に命中することはなかった。

 だが、この瞬間、俺たちを襲っていた『精霊のうねり』が完全に解けた。バロックの身に危険が及んだので、彼を護ることを最優先にしたせいかもしれない。

「ブルータ!」

 ここが機会だ。俺は全力で指示をだした。

 ブルータは間をおかず、着地を待つこともなく全力で周囲の精霊を吸収にかかった。後先を考えない、強引な魔力の吸収だった。こうした暴力的な魔力の集め方は、精霊の力を相当に弱めてしまうことになるため、通常は使われない。その後の魔法の使用に大きな支障をきたすからだ。だが、今はそのようなことを気にしている場合ではなかったし、気にする必要もなかった。精霊使いの気がそれている今しか、魔力を集められないのだ。短時間の間に、魔力をできるだけ溜める必要があった。

 両腕に魔力を集中し、魔法に練り上げる。だが、それは奴が得意とする『低温の魔法』ではなかった。『幻影剣の呪文』でもない。精神・暗黒系統の中級魔法『腐敗の呪文』だった。

 それを撃たせまいと、バロックが『低温の魔法』を俺たちに向けて放つ。『精霊のうねり』もすぐに復活を果たした。

 だが、ブルータのほうが早い。今や両腕にはすっかり『腐敗の呪文』が練りあがっている。『魔力』ならば奪われていただろうが、すでに『魔法』に練りあがっているものはいくら精霊でも奪えない。さらに、敵の魔法はブルータの魔法障壁を貫通しなかった。

 慌てて繰り出したので、貫通力に劣ったのかもしれない。いずれにせよ、ブルータの魔法は通ったことになる。

「『腐敗の呪文』です」

 ブルータが両腕を鋭く広げると、周囲に暗黒の魔力が円状に放たれる。衝撃はそよ風程度のものだったが、この魔法はそれが目的ではない。そのそよ風に乗って届く、驚異的な異化作用にこそある。

 その名のとおり、悪魔世界の微生物を強引に召喚し、無理やりにもあらゆるものを腐らせる恐怖の魔法。ブルータが狙っていたのは、精霊の力を弱めることだ。この自然の恵み豊かな地では、相手に分がありすぎる。そこでブルータは草木、そしてまた地面の中の水までも腐らせることでバロックの優位を崩そうとしているのだ。

「正気か、貴様勝負には何も関係のない、この森林部の自然を破壊しようというのか!」

 バロックが怒っている。奴は精霊と仲良しなのだから、当然である。

「勝負に関係はあります。これを破壊することで、あなたの力を弱めることが出来るはずです」

 言い放つブルータは魔法を解除しない。すぐに『腐敗の呪文』の効力が出始めた。腐臭が周囲から漂う。生きながらも草木が猛烈な勢いで腐敗していく。本来ありえないが、悪魔世界の微生物たちはそのような常識ごと次々と草木を食らい、土を食らい、世界を作り変えていく。枯れ落ちるよりも早く、木々が腐り落ちていく。土までもが対象となり、どろどろの汚染土壌となり果てた。

 これをバロックは見守るしかなかった。奴が腐敗しないのは障壁魔法で自らを防護しているからである。それを僅かにでも弱めてしまうことは、自ら命綱をナイフで叩くことに等しい。一旦腐敗が始まってしまえば、治療の手立てはほとんどないからだ。『矯正の魔法』といわれる治癒魔法で一応直すことが可能ではあるが、中級魔法であるため使い手が少ないうえ、痛覚を消すことはできないので非常に痛い思いをすることとなる。

 やがて、腐敗した世界が広がった。そこかしこから臭気ガスがあがっている。すっかり腐ってしまった草木は地面に倒れて汚泥となっている。あたり一面、腐った土の海だ。このような状況で、精霊の活動など活発であるはずもない。

 周囲、ブルータの歩幅でも百歩程度この有様である。こうなっては精霊使い形無しだ。奴も自然の残る場所へ逃げれば復活するかもしれないが、そのようなことを許すはずがない。

 ここで仕留めてしまえばそれで終わる。そのはずだが。

 精霊使いというやつらが、これで終わってしまうものなのかという一抹の不安が残る。まだ何か、奥の手があるのではないかと俺は思うのだ。

 が、俺がそんな風に考えたのが悪かったのか、いきなりバロックは杖を振り上げ、勢いをつけて振り下ろした。そこから一陣の風が吹き上がる。無駄な足掻きだ、と言いたい所ではあるがそうとも言い切れない。周辺にはまだまだ木々が残っている。腐敗の呪文の範囲外に逃げ出されれば、折角の魔法が水泡だ。

 今の突風に精霊の働いた気配はない。どうやらあの杖に蓄えられた魔力をもって風を巻き起こしたらしい。先ほどブルータがナイフでしたことと同じだ。

 そして奴は逃げ出した。予想通りの行動だ。当然、腐り果ててしまったこの汚泥の海から離れて、精霊の力のみなぎる自然豊かな位置へ逃げるわけだ。それを許すわけにはいかない。

 だが、汚泥にまみれた世界にいるのは俺たちも同じで、突然の突風を防御することができなかった。まして、ブルータは強力な魔法を使った直後だ。本来なら児戯にも等しいバロックの起こした突風をまともに食らった。

 跳ね上がった泥は障壁魔法が防いでくれたが、魔法の威力は殺しきれず、大きく体勢を崩してしまう。今から走り出してもバロックに追いつけない。奴を取り逃がしてしまう。同じ手は通用しないだろうし、逃がすわけにはいかない。

 俺も『黒矢の呪文』を放ちたかったが、周囲がこの状況では魔力など集まるはずがなかった。

 まずい、と思った一瞬でブルータが俺のいるのと反対側のポケットから何かを取り出す。細長い硬質のものだ。見た限り、それは水筒。投げるつもりか。たとえブルータの身体強化の魔法が効いているとしても、杖から魔力を取り出せるバロックにそのようなものが当たるのだろうか。

 しかし予想に反してこれが命中した。バロックの後頭部に見事ぶつかる。奴は衝撃で前のめりに倒れ、汚泥の中に突っ込んだ。

 ブルータはすぐに彼に止めを刺すべく走り出す。障壁魔法のない状態であるなら、人間の一人くらいハーフダークの腕力でたやすく殺すことができる。

 十数歩でバロックに追いついた。ここでわかったのだが、例の杖はブルータの投げたナイフによって破壊されていたようだ。突き刺さったナイフが杖に亀裂をつくり、宝石までも半壊させていた。このために、おそらくバロックは十分な魔力を引き出せなくなったのだろう。

「よし、とどめを刺せ」

 俺はすぐにブルータに命じた。この上こいつを生かしておいてもいいことはない。それに、リンからは『殺せ』と命令を受けている。

「はい」

 ブルータは杖に刺さっていたナイフを抜き、バロックの首に突き刺そうと振り上げる。

 その一瞬、俺たちを衝撃が襲った。真横からのすさまじい衝撃。俺はブルータのポケットから振り飛ばされ、泥の中に落ちた。腐った泥の中。

 そのまま溺れて死ぬかと思った。しかしなんとかこらえて上下を把握し、泥の海から飛び上がった。こんなことをしたのはいったい誰なのか、と衝撃がやってきた方向を見る。そこには、バロック。精霊使いのバロックが立っていた。

 じゃあこの倒れているのは誰なのか、と見下ろしてもやはりそこにもバロック。どちらかが影武者なのだ。

 考えたくない可能性は、新たに現れたほうが本物だということだ。偽者が本物より実力者であるということは、考えにくい。

「生憎だったね」

 新たに出現したバロックは、汚れてもいないローブを揺らしていた。その手には杖を握っている。先ほどのバロックが握っていたような大きなものではなく、奴の腰くらいまでの長さの平凡な大きさの杖だ。しかし、贅沢すぎることに、それもまた世界に有数級の魔法武器なのだ。どういう理屈で人間どもの手にこのような貴重な魔法武器がいくつも渡っているのだろうか? それとも俺の知らぬ間に、これほどの強力な武器が量産できるような技術を人間たちが開発したとでも?

 いずれにせよ、このままでは危険だ。新たに出現したバロックは、魔力をその手に溜めている。いつでも俺を狙撃できる。

 ようやく、泥をかぶったブルータが起きだした。同時に、倒れたままだったバロックも起き上がる。

 余計なことを考えていないで、こいつに止めを刺すべきだったと思ったが遅い。

「バロック、どうして戻ってきた!」

 起き上がったバロックは、新しく出現したバロックにそんなことを言い放った。やはり悪いことに新しいほうが本物らしい。今まで戦っていたのは偽者か。

 だが、偽者のほうも精霊使いの素質をもっているには違いなさそうだ。現実に、『精霊のうねり』を生み出していたのだから。となると、思い当たるのはひとつだけ。

「お前、ルメルだな」

「ばれてるみたいね」

 俺の追及に、偽者のバロックは不敵な笑みを見せた。それからすぐにローブに手をかけてそれを脱ぎ捨てる。ローブが泥の中に落ちると少年の姿は消え、妖精が出現していた。船の上で散々俺を無視してくれたあの枯葉妖精のルメルだ。

「ルメル」

 頭からかぶった泥もぬぐわず、ブルータが戻ってきた。

 それを見て妖精は穏やかに言う。

「ブルータ。あなたを救うために、私、戦うから」

「はい、私は命令を遂行するために、あなたがそれを邪魔するというのなら戦わねばなりません」

 決意を秘めたようなルメルに対して、何も感じていないようなブルータの返答。俺は二人がそんなことをしている隙に、偽バロックが持っていた杖に触れた。わずかだが魔力が残っていると考えられたからだ。

 どう考えても、本物のバロックはあの位置から俺たちに向けて大魔法をぶちかましてくるつもりだ。障壁魔法を使うだけの魔力がなければ防ぎようがない。

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