4・愛別離苦 前編
丘陵都市に到着するまではまだ時間があった。空を見やると、太陽はまだ、ようやく西に向いてきたところだ。軍船とはいえ、到着は夜になる。
ブルータの一撃で帆船が沈んでしまったことにショックをうけたのか、ガイの奴は引きこもってしまった。逆に、ブルータは船酔いもやや落ち着いたらしく甲板で木箱に腰を下ろしてゆったりしている。妖精のルメルはといえばやはり定位置と化したブルータの右肩にがっしりつかまって、離れようともしない。何を話しているのか聞こうと思えば聞けるが、どうせ大したことは言っていないだろう。
ルメルにブルータの必殺技である『幻影剣の呪文』を見せたのはまずかったかもしれない。俺は今更になってそれを思ったのだが、後悔したところで無駄だ。
ともかく、夜になるころに到着するだろう。
俺は一息ついて、ブルータを見上げる。そろそろ腹が減ってきたのでガイに何か食べ物をせびるべく、移動しろと命じたかった。が、ブルータはうつむいていて、目を閉じている。眠っていた。午睡にふけっているとは、人形失格。
「寝てるよ、起こしちゃダメだからね」
ルメルが俺にそんなことを言ってきた。こいつはどっちが主かわかっているのだろうか。
「あのよう、『枯葉の妖精』さん。ブルータは俺の人形なんだぜ。あくまでも俺がご主人様で、こいつはただの手足、俺の従属者!」
「そんなこと関係ないでしょ、疲れて寝てる女の子を無理やり起こして何が楽しいの。そのくらいの気遣いもできないの、それと私は『落葉の妖精』だって言ってるでしょ! 枯れてないわ」
「お前こそ俺とブルータには無関係だろうが。勝手に意見してるんじゃねえ」
正論をぶつけてやったが、ルメルはそれでひるまなかった。
「やかましいのよ、なんであんたそんな粗暴なの」
うるせえ。俺はそう言ってやりたかったが、面倒くさかったので無視した。ブルータを起こそうとポケットから出てローブを引っ張る。
「だから、起こすなって言ってるじゃないか。レイティ、そうだあんたレイティって言ったよね。あんただってご主人様だっていうなら部下の体くらい気遣えないの」
「俺なりには気遣ってる。意見されることじゃねえよって」
「起こすなって言ってるでしょうが、このちんみり悪魔!」
俺のやっていることが気に入らないのか、ルメルがブルータの肩から降りてきた。俺を止めるつもりらしい。つい昨日出会ったばかりのブルータに、ずいぶん肩入れすることだ。しかし、ちんみり悪魔とは言ってくれる。
「お前こそ枯葉妖精のくせしやがって、随分図々しいじゃないか。俺のだって人形の肩だって勝手に占拠しやがって、何様のつもりだ」
「落葉だっていってるでしょ! 脳みそ腐ってんじゃないの。そのくらい覚えなさいよ、それと私に危害を加えないって言ったのはあんたたちじゃない」
「枯葉も落葉も変わらないだろ、なんだってそんなこだわるんだこの阿呆。てめえは黙って寝てやがれ、危害は加えてねえだろ」
「うっさいうっさい、なんで女の子一人気遣えないの、って訊いてるんじゃない。ちんまり悪魔は脳みそまでちっさいのね!」
「てめえも同じくらいのサイズしやがって」
ぐだぐだとした言い争いが続いてしまう。こいつ、どうにも苦手だ。
そんなことをしていたせいか、ブルータが目を覚ました。手を伸ばして妖精をつかみ、自分の肩に戻す。
「すみません、ルメル。もう、休息はとれましたから」
妖精は、ブルータにはなされるがままである。肩につかまって、いくつか言葉を交わした後は何も言わない。
「ふん」
俺はその態度が気に入らないが、あえて何も言わずにおいた。どうせ、この船旅が終わればルメルとはお別れだ。
数時間経過、すでに真夜中。
俺たちは船を下りた。降りる直前になって、うるさい妖精は姿を消していた。船を下りれば敵対関係になる、ということの暗示でもあるがまあ今はどうでもいい。問題があるとするなら、ブルータが幻影剣の呪文の射程を伸ばせるということがばれているということくらいだ。あとは何も、気にしなくていいだろう。
「それでよ、お前らは丘陵都市の小僧を殺しに行くって事だったな」
見送りにと、わざわざ船を下りてきたガイがブルータの肩をたたいた。そこに、ルメルはいない。
「俺もお前らに頼みたいことがあるんだ。帰りにまたここに寄るからよ、そのとき伝えるぜ」
「何言ってんだガイ。俺たちの任務とお前の任務が同時に終わるとは限らないだろ。それとも、俺たちが終わるまで待っててくれるのか」
「ああ、お前らが死ぬか、帰ってくるかするまでここに居てやる」
そりゃあ感激だな。嬉しすぎて涙がでそうだ。
「そんなにまでして頼みたいことってのはなんだ? 要人の暗殺か」
「お前たちはそれを生業にしてるんだろう、当然だ」
「生業にした覚えはねえぞ。ただシャンやリンが俺たちに押し付けてきているだけだからな」
あわてて俺はそのあたりを説明しておいた。これ以上厄介ごとを押し付けられてたまるか。だが、その思いは汲んでもらえない。当たり前か。
「とにかく、これは俺の、魔王軍海軍総司令からの命令だ」
「マジか」
そう言われてはどうすることもできない。断ることもできそうにない。
「しかし、俺たちが精霊使いに勝つって保証はないんだぞ」
「そのときは俺が自分でやらにゃならんだろ。しかし、お前ならできるだろ? あ? おれの見せ場をあんだけ奪ってくれやがってよ。お前にゃガッカリだぜ」
ひどい言い草だ。だが、俺もちょっと大人気なかった。こいつが子供くさいアホだということはわかっているのだから、好きにさせてやってちょいと褒めてやればそれですんでいたのだ。それをイラッとして台無しにしちまったわけだから、その報いは受ける必要がある。
「わかったよ、終わったらここに戻ってくる。負傷してたら治るまで待っていいんだろうな」
「そのときは我が魔王海軍が渾身の治癒魔法を見舞ってやる。んじゃ、期待してるぜ」
ニヤリと笑い、ガイは軍船に戻っていく。俺はそれを最後まで見届けることなく、丘陵都市を目指して行く。時間の無駄だ。
丘陵都市に最も近い岸に降り立った俺たちは、そのまま歩き出す。現在時刻は、真夜中に近い。丘陵都市に到着しても、まだ陽は昇っていないだろう。
到着してから再度、一日を待つよりも、この夜が明ける前に決着を着けるほうが正解のような気がした。電撃作戦。ブルータに少し急ぐように命じた。奴は走る速度を上げ、丘陵都市を目指す。
丘陵都市は、すぐに見えてきた。ブルータの足でもおよそ三十分ほどだ。
夜目の利くブルータの目にも山しか見えなかった先に、確かに都市が見えてきていた。明かりはほとんどなかったが、確かに都市だ。そこに続く街道も見えてくる。
なかなか平和な都市らしい。おそらく、砂漠都市から陸路で脱出した連中のほとんどは、この丘陵都市を目指したはずだ。ここに、精霊使いのバロックがいる。
砂漠都市とは違い、ほとんど警備がなされていない。ブルータは走ってきた勢いそのままに、都市に飛び込んだ。なだらかな丘に作られたこの丘陵都市は、酪農、畜産をよくしている。住人一人あたりの保有土地面積も大きい。人口密度は低かった。そのかわり、主要な施設やら店舗は集中して作られており、町の広場からならば、およその店や施設には二十分もかからず到着できる。そうしたつくりになっている。
こうしたことを俺がよく知っているのは、無論のことよくここに来ているからだ。主に女漁りに。
「さて」
そうした事情で勝手知ったる丘陵都市だが、精霊使いのバロックとやらの話は聞いたことがない。だが、リンが知っているくらいなのでその筋では有名なのだろう。
「奴を探し出すのに、いい考えは何かあるか」
俺はブルータに問う。奴は少し黙った後、小さく答えた。
「妖精のルメルの気配が近くにします。彼女はやはり、この周辺に潜んでいるようです。精霊使いと妖精が、無関係だとは思えません。彼女を探すことが、バロックの捜索となると考えられます」
なるほど、と俺は思う。確かに妖精のルメルの気配が、いやそんなことがわかるのか? ブルータにはそのような探知能力さえ備わっているのだろうか。それを訊ねてみる。
「正確にはルメルのものである、とは断定できません。しかし、妖精のものらしい魔力の残り滓が感じられます。おそらく、彼女はここまで移動するために幾度か魔法を使ったのでしょう。その残留魔力をたどればおそらく」
「なら、そうしろ」
「はい」
俺の命令にすぐに従い、ブルータは歩き出した。走り出さないのは、その『残留魔力』とやらをしっかりと感じながら移動するためだろう。俺もそこまでは文句をつけない。
移動をし始めたブルータだが、それほど疲れてはいない。三十分走ってきたくらいでは疲労しようはずもない。万全に近い状態で、挑むことができる。不安要素は多いが、とにかく奴のところに行かなければ仕方がない。
精霊使いのバロックの居場所は、簡単にわかりそうだ。タゼルのときのようにあちこちに振り回されるのは面倒だし、この点に関しては楽だといえる。
ブルータが歩き始めてから十分ほどすると、俺にも感じられてきた。この嫌な感じは、確かにあの妖精のものだ。奴の魔力が感じられる。
「近づいているな」
ブルータの足は、町から離れていた。丘陵都市の端に向かっている。それも、かなり奥。山の中でも木々の生い茂る、森林に。かなり近くなっていた。
精霊の気配が濃くなる。大地の精霊、樹木の精霊、水の精霊が活気づいている。精霊使いが近くにいるせいかもしれない。
「おそらく、精霊使いは私たちがやってきたことに気づいています」
「んなことはわかる」
ブルータの声を、俺は突っぱねた。当たり前である。精霊の気配がこれだけ濃くなれば、精霊使いのテリトリーに入ったも同然。もう、とうにバレている。そのくらいのことは、承知だ。
「では、このまま直進します」
「待て」
俺はブルータを止める。移動をブルータに任せていた俺は、『探知の魔法』を使っていた。この魔法は、その名のとおりモノを探し出す魔法だ。ただし、この魔法を使うには『探すものと同じもの』が必要となる。たとえば、探している人物の髪、あるいは血液といったもの。そうしたものをサンプルとして、それと同じモノを周囲から探し出す魔法なのだ。今回は、妖精の残していった髪を使った。ご丁寧にもブルータの肩でぐうぐうと寝ていてくれたので、数本残っていたのだ。
さすがに妖精といえども、この『探知の魔法』にかからないはずがない。その結果はといえば、上々。確かにこのまま歩みを進めた先に、妖精のルメルはいる。
その先に、少し耳を澄ます。方角さえわかれば、下級といえども、悪魔であるこの俺の地獄耳で会話くらいは捕らえることが可能であるから。
「つまり、様子を見るわけだ」
俺はブルータのポケットから身を乗り出して、意識を集中させた。聴覚に。
確かに、聞こえてくる。あの妖精の声がだ。
「その子を、救いたいんだね、君は」
男の声。かなり若い。おそらく、この声の主が精霊使いのバロックだ。それに答える声が、やはり今日聞いたあの生意気な妖精ルメルのもの。
「そう。でも、私じゃたぶんあの子を救えない。あの子の境遇をわかってあげられるのはたぶん私だけだけど、助けられるのはバロック、あなただけ」
「だからわざわざ、ぼくに知らせるために戻ってきたんだ? わかっていただろう。もうすぐここに、彼らはやってくる」
バロックの声は冷淡にも聞こえる。突き放すような態度である。
「そんなことはわかってるよ。でも、他に頼れる人がいないから」
「君は、逃げなよ。一刻も早く」
バロックは、恐らくルメルを気遣っている。俺たちとの戦いに、妖精を巻き込みたくないらしい。
「ねえバロック! あの子を救えるの?」
「戦う前からわかるもんか。できるだけやってみるけど、そもそも勝てるかどうかもはっきり言い切れないのに」
「あの子、強いよ。本当に。だからバロックにしか頼めない」
「そりゃわかってる。ただの魔法使いにしては、ちょっと厄介な気配がしてるからね。それと、その小悪魔もだ」
これは俺のことらしい。俺にも警戒をしているとなると、ブルータを囮とする作戦は今回使えそうにないな。別の作戦を立てる必要がある。
それにしてもさっきから妖精のルメルは随分とうざったい。恐らくブルータを解放したいのだろうが、自我を壊されて人形になった奴を野に解き放って、どうするというのだ。的外れにもほどがある。
「あの子は、あまりにもかわいそう。あの子には母親が必要なのよ、バロック。助けてあげたいじゃない」
「だが、今は魔王軍の暗殺部隊、なんだろう。ぼくには荷が重いな。とにかく彼らももう近くまでやってきている。君は行きたまえ」
「なんで、私だって戦えるじゃない」
ルメルは必死に食い下がっているようだが、バロックは突っぱねる。
「精霊使いの戦いに、巻き込まれたいのかい」
どうやらそれで会話は終わったらしい。あとはいくら待っても無音だった。俺は意識を戻し、ブルータに命じた。
「奴らも待ち構えている。このまま進んで、奴と戦うぞ」
「承知しました」
ブルータは、歩みを進めた。少しずつ地の精霊から魔力を溜めながらだ。精霊使いとの対峙は、恐ろしい。何がどうなるかわからない。
バロックは俺たち相手に荷が重いなどと言っているが、こちらからしてみれば精霊使いというだけでバロックを相手になどしたくない。とにかく、準備はぬかりなくだ。
「幻影剣の呪文は、切り札になりえない。タゼルから奪った身体強化の魔法でなんとかやってみるか?」
俺は考えをめぐらせながら、前を見る。
やがて、バロックの姿が見えてきた。髪の短い、少し垢抜けない感じの少年だった。ローブをまとって、その上からさまざまな装飾品をつけている。そのどれもが、魔法力を帯びたものだということは知れた。戦闘に勝ったなら、少しくらい奪っていきたいくらいだ。
バロックは堂々と姿を見せていたが、周辺にルメルの姿は見えない。どこに消えたのか、あるいはバロックが説き伏せたのか。
ブルータは歩み、バロックの姿がはっきりと見える位置まで寄った。それでも相手が動かないので、さらに接近する。十歩足らずの距離まで近寄って、そこでようやくバロックが動いた。と言っても右手を上げて俺たちの動きを制しただけだが。
「止まってくれ。君たちが何者でここに何をしにきたのかは察しがついている」
奴は、そう言い放った。
「今から殺されるというのに、随分と余裕じゃないか」
精霊使いとの対峙。俺はなめられてはいけないと思ったので、こう発言した。
「常に心に余裕を持つことが、勝利の秘訣だと思う。それで、君たちはぼくを殺しにきたんだろう?」
「タゼルも同じようなことを言っていたな。どうにも、達観してるような連中ばかりだ」
俺はため息混じりに呟く。
「ただで殺されるつもりはない。君たちには悪いが、返り討ちにあってもらう。が、その前に少し話でもしないか」
「そんなところまでタゼルと同じか」
「砂漠都市の賢者タゼルを殺したらしいな。話は聞いている」
「随分耳が早いな」
俺は素直に感心した。
「悪事は千里をいくんだ。このくらいはね。それより、お嬢さん。君はどうしてこんな魔王軍の捨石になんかなっているんだ」
バロックが俺ではなく、ブルータに問う。
「どうしても何も、これが私の存在意義ですから。理由を問う必要などどこにもありません」
やはり、奴の答えは変わらなかった。