3・呉越同舟 後編
昨夜たっぷりと眠ったのに、毛布をかぶってじっとしているくらいしかすることがない。眠気などあるはずもないのにだ。
赤ん坊が泣いたり、子供が大声を張り上げては親らしき男に注意されるなど、その程度の小事件を繰り返す下等客室の隅で、ただだらだらと過ごすだけ。時間つぶしの材料も特にない。妖精のルメルはどうしているのかと目をやるが、いつまでも寝続けられる体質なのかブルータの肩につかまってぐうぐう寝ている。俺は二度寝までしたのであって、もはや眠気など欠片もない。失敗したか。
ブルータはただ座ったままで、目を閉じていた。下等客室内での小事件にも全く気をとられることもなく、目を閉じている。考えてみればこいつは命令も、特にすべきこともなければただひたすらその命令を待つだけの人形なのである。何もせず、待つということにも慣れっこになっているのだ。だが俺は違う。常々何かをしていなければ落ち着けないというわけでもないがじっとしているのは苦手だ。特にこういう何も楽しみがないようなところでじっとしているのは。
とはいえ、何かやらかそう、という気にもなれないし、そんなことをして目立っても困る。
退屈な時間がただ過ぎ去っていく。
俺は、精霊使いのバロックという人物について色々な想像や妄想をしながら、なるべく建設的に時間を使おうと無駄な足掻きをし続け、待つという行為にさえ疲れながらブルータのポケットにおさまっていた。
いつまでも何も変わらないで、数時間が経過した。当然周囲の景色は微塵も変化していない。食事に、排泄にと立ち上がって部屋を出て行く者はいるものの他は別に何をするでもなく座っているだけだ。本を読んでいる者、何か書き物をしている者。それぞれに退屈を潰しているようだが、俺は当然ながら何もやる気になど。
船内には娯楽施設も本来いくつかあるのだろうが、悲劇の逃避行中である者が大半を占めるこの船内で、カジノやらなんやらが機能しているとは思えなかった。機能していたとしても、少なくとも下等客室を選んでいる者の中にはそれを利用できる者はいない。ひたすらごろごろと、無駄な時間だ。
眠れればよかったのだが、だめだ。
そう思っていると、唐突にブルータが立ち上がった。どうかしたのかと思う。
《少し甲板に出てきます》
思念会話。何があったのかと訊いてみると、船酔いしたとのこと。人形であっても、生きている限りは避けられない宿命か。
俺としては、このまま下等客室にいても退屈なだけなのでそのままにする。ブルータが移動するということは、そのポケットに入っている俺も甲板にでることになる。ルメルはといえば、振動で目覚めたらしく欠伸をしながらブルータの肩にしがみついている。のんきなものだ。
ブルータが隠遁の魔法を使う。今現在も船に乗る前にかけた魔法の効果は失われていないが、効果時間の延長だ。すでに船は陸地を離れて久しいので地の精霊からは魔力を集められない。水の精霊から魔力を集めて使った。
甲板に出てみると、他にも何名か外の風に当たっている。進行方向、右手には水平線が見えている。左手には陸地がある。当然だがもう港都市は見えない。
天候は悪くない。空からは太陽がじりじりと光線を投げかけてくる。ブルータのローブは暗色なので、熱を蓄積していく。
「少しはまし?」
ルメルがそんなことを言う。ブルータの船酔いを心配してのことだろう。
妖精のルメルとハーフダークのブルータはいつの間にか、かなり親密になっているようだ。船酔いをなんとかしようと、ルメルが何度かブルータに解毒魔法を放つのを俺は見上げている。解毒魔法では酔いはおさまらないだろう。だが、何かがしたい、なんとかしたいとルメルが思っていることは伝わる。
「少し、落ち着きました」
ブルータは風に当たって、空を仰ぎながら息を吐いていた。俺は奴のポケットでごろごろしているだけだ。船酔いなど、俺はしない。
それから少しして、ルメルが何か異変を見つけたらしい。
「ねえブルータ。あの船は?」
接近してくる船を発見したらしい。魔王軍が近づいてきていることを見越した、海賊行為だろうか?
俺もポケットから飛び出し、直接その船を視認した。大きな船、軍船と言っても差し支えないようなサイズだ。そして、その大きさにふさわしいだけの速度をもって、こちらにまっすぐに突っ込んできているではないか。
にわかに船は騒がしくなった。そこかしこで船員が動き回る。
ブルータは動かない。俺が動くことを許さなかった。ルメルはあわてているが、特に何かする必要は感じられない。むしろ、ちょうどいい刺激だ。
「海賊じゃない! 魔王軍の軍船だよ」
「それなら、ますます動く必要がありません。ルメル、慌てることはないです」
落ち着き払って、ブルータが妖精をなだめた。ルメルはハッとして、俺を見た。なぜ俺に目をやるのか。たぶん、俺が下級とはいえ悪魔だからだ。
そうさ、俺は悪魔。魔王軍の一員だとも。妖精のルメルがなんのために丘陵都市に行こうとしているのかはしらないが、俺たちはそこへ殺しに行く。精霊使いのバロックをだ。
「あんたたち、魔王軍だったのね」
「そうだ」
俺はニヤリと笑って見せた。が、ルメルはあまり動じていない。
「ちょっと残念ね。でも、船を下りるまでは私に危害を加えないよね?」
「おとなしくしてればだ。昨日も言ったが妖精を殺せるかどうかも俺は知らん。向かってこなければ何もしねえよ」
ため息のように俺はその言葉を吐いた。実際面倒なのだ、妖精という種族が。ただの魔法使いなら、たぶんルメルを俺は殺していた。面倒だから。しかし妖精であるから、殺すことが殺さないこと以上に面倒くさい。だから、そうしないのだ。
「ふん」
鼻息も荒く、ルメルはそっぽを向く。そうしながらもブルータのローブをつかんでいる。
軍船は近づいてきている。この帆船は逃げようと必死で舵をとっているが無駄だ。魔王軍の軍船は早い。もう、周囲に飛ぶ哨戒の魔族たちが見えている。フェリテと同じ種族らしい悪魔も見える。本人ではないだろうが。
俺と同じ種族の奴も、見えた。俺は舌打ちをする。好きではないのだ、俺は俺と同じ種族の仲間が。
「止まれ! 無駄な抵抗はよすんだな!」
でかい声がその場に轟いた。魔王軍の船に乗っている奴だ。聞いた覚えのある声である。
おお、と思わず俺は呻いた。これから丘陵都市にいくところだというのに、運命めいた再会だったからだ。それは、四天王の一人だ。
「この船はこの俺様が拿捕した! 抵抗する奴は殺す! おとなしくするんだな!」
「抵抗しなくたって男と好みじゃない女は殺すんだろ」
叫びをあげる奴に、俺は思わずそんな返し方をしていた。これは、奴の耳に届いた。
魔王軍の軍船は巨大。その舳先に足をかけてこちらを見下ろす男にだ。奴は、シャンと同じく筋骨隆々とした逞しい上半身を晒した姿。下半身には打ち脱いだ上半身の衣服がそのまま流れて、爪の飛び出した素足のわずか先までを覆っていた。顔には三つの大きな刀傷が入り、強面。髪は短いが、ろくに手入れされてもいず、あちこちにと飛び出している。
とにかく、ワイルドだ。そして品性下劣。粗暴で短気。これが四天王の一人、ガイだ。
忘れられるわけもない。特徴的過ぎる。そいつが、俺たちの乗っている船を見下ろしているのだ。
「なんだぁ、レイティ! そんなところで何してんだ。人間の女あさりかぁ?」
俺の声に気づいたらしいガイが、そんな声を落としてくる。ブルータは、こちらを見下ろす四天王をまじまじと見つめ返していた。俺はそのポケットから昔なじみのガイを見ていた。
「ガイ!」
「けっ、てめえに呼ばれてもうれしくも何もねえなあ。おい、てめえらさっさと船をやっちまいな」
ガイは周辺にいる部下に命令を下す。たちどころに、悪魔たちが俺たちのいる船に襲い掛かった。船員たちが何とか抵抗しようと武器をとるが、その悉くがほんの数秒で打ち倒される。甲板は血に染まっていった。
それを、ブルータは感情のない目で見つめる。こいつも半分は人間であるはずなのだが、人形は血を見ても何も思わないらしい。妖精も同じだった。人間たちがいくら死のうが気にならないようだ。
人間たちを打ち倒していく魔法の矢をするりとかわし、ブルータは何も言わずに立っている。その目前に、ガイが降り立った。でかい。シャンよりは小さいが、それでもかなりの大きさ。ガイはブルータの顔を見下ろしてから、ひゃはは、とやはり下品な笑い声をたてるのだった。
「まあよう、こんなところで立ち話もなんだろ。俺の船に上がって来いよ、レイティ。積もる話もあることだし、違うかよ」
そのように誘われて、俺たちはガイの乗っていた船に移動した。妖精のルメルもブルータの肩につかまったままだ。軍船の甲板の上は、帆船のそれよりも潮風がきつかった。
ガイはやはり潮風に自らの上半身を晒したままで、腕組みをしてこちらを見ている。こんな奴でも四天王の一人で、もっとも四天王に数えたのは俺だが、とにかく海軍の総司令なのだ。多数の部下を使って、魔王の世界征服を推し進める重要な責任ある立場の悪魔。俺とつるんでいたはずの、昔なじみの悪魔が大した出世である。
しかし、俺たちが乗っていたのはただの帆船で、積荷も客の荷物くらいなものだろう。なぜこんなものをガイは拿捕したのか不明だ。
「ガイよう、なんでこんなボロ船を襲ったんだ?」
「けっ、余計なこと気にしてんじゃねえよ。たまたま進路にいたから突っ込んだだけだ」
そりゃ大した理由だ。俺は笑った。
「相変わらずロックに生きてやがる」
「へへ、そりゃそうだ。俺は悪魔なんだぜ。やりたいようにやらせてもらうさ。今頃、あっちの船の中は面白いことになってるだろうな」
「なんだ、お楽しみなのかよ」
俺たちの居た船から女の悲鳴があがった。これで何度目になるかわからない。
殺されたのか、犯されたのか。そんなことはどっちでもいいが、おそらく回数からいくと半々くらいだ。
「つまり、部下の慰安か」
「そうかもな。おれ自身を慰安してくれる女も常時、大募集中だ」
屈託なく、いい笑顔を浮かべるガイであるが、こいつと寝た女は例外なく絞め殺されることになるのを俺は知っている。それで募集中とかほざくのだから、たまったものではない。そしてこいつはすべての男が自分と同じ欲望をもっていると信じている。本当にそうなのだ。よって、こいつの部下になった連中は、いい思いをすることができる。することができるが、趣味が一致しなければたまらない。
ついでに、もしも女がこいつの部下になってしまった場合、もちろん考えられる最悪の結末が待っている。まず間違いなく明日の朝日を拝むことができない。
ブルータは何も表情を変えずにいる。ルメルはそのブルータの肩につかまっているが、信じられないといった表情である。これほどの外道を見たことがない、と言いたげだが、ガイにはこのようなことをしていても生き延びていられるだけの戦闘能力がある。
その戦闘能力と底なしの欲望で、俺はガイを四天王の一角に推しているのだ。
「で、その愛らしい女の子はなんだ? お前のコレか?」
ひとしきり談笑して、ようやくガイはブルータについて訊ねてきた。事情を説明するが、奴は突然に噴出した。何が可笑しいのか。
「なんだよガイ。俺はリンの命令でやってんだぜ。笑われることじゃねえぜ」
「ちげえよバカ。お前じゃなくてそっちのガキだ」
げらげら笑いながら、ガイはブルータの顔を指差した。ブルータが何だというのか。この人形が。
そこまで考えて、俺はシャンが言っていたことを思い出した。ブルータは、拉致されてきたハーフダークなのだった。シャンは、確かこう言ったはずだ。「人里で忌み嫌われた生活を送っていたのを、ガイが拉致してきた」と。
ブルータを人形にしてしまった一番の原因。拉致した犯人。
四天王のガイ。
考えようによっては、ブルータのカタキだ。自分自身を殺した相手。しかし、その憎い相手を目の前にしてさえ、平然と座っているだけのブルータ。そうするしかない。人形となったブルータは、怒りさえも湧かずにただ座って命令を待つだけだ。
「そういやシャンが言ってた。こいつをさらってきたのはあんたなのかよ」
「そのとおり」
可笑しくてたまらないという調子で、ガイがこたえた。
「目の前でこいつの母親を殺してやったのに、俺が憎くてたまらんか? どうだよおい」
ブルータは超然としてかぶりを振る。それを見てまたガイが笑った。俺の顔も歪む。たしかにこれは可笑しいと思う。ひどいもんだ、ブルータは、こいつは人形だ。親のカタキを目の前に、座ってただ命令を待つしかないとは。
その肩につかまるルメルもまた静かだった。何も反応を見せず、ただ拳を握っていた。怒りに震えているのかもしれないが、この四天王のガイの前で暴れてもただ死を賜るだけだからだろう。
粗暴で短気、外道であるが他の四天王に比べても遜色のない実力をもっているから、性質が悪い。それが、ガイだ。
そいつにいいようにされて、この上ない挑発をうけても涙一つ流せない、歯噛みすることも、拳を握ることもできない。無力なブルータ。
俺は笑った。これが、笑わずにいられるものか。可笑しい。可笑しかった。
ガイの部下達が帆船の中にいる乗客を陵辱しつくすまで、俺とガイはブルータの無力な真顔を肴に盛り上がる。
ルメルは不機嫌に、俺を露骨に無視していた。ブルータにだけ幾度も話しかけ、船酔いを軽減させようと何度も魔法をも使っている。
それほど俺とガイが笑っていたことが気に食わないらしい。しかしまあ、どうでもいいことではある。どうせブルータは俺の命令に逆らうことができないし、ルメルはじきに俺たちとは別れることになるからだ。
俺たちはそのまま、ガイの乗ってきた軍船で丘陵都市まで行くことになっていた。積荷の中でも価値のありそうなものをあらかた強奪しつくした後、極まるところまで乗客を陵辱しつくした魔王軍。発つ方角は俺たちの目的地と同じだが、ガイは丘陵都市に用事などない。さらにその先の、港湾都市へと向かっているのだ。が、ついでだからとわざわざ丘陵都市付近に停泊してくれるのである。持つべきものは友人といえる。
「それで、あの帆船はどうするんだ。このまま打ち捨てていくのか?」
俺は乗客が誰一人いなくなってしまった帆船を見下ろし、ガイに問う。奴は頷いてから身を乗り出し、俺と同じように船を見下ろして笑った。
「人間たちが乗ってた船だが、乗員乗客が一人もいなくなっちまったんじゃしょうがねえな。漁礁にでもしてやるか」
「沈めるのか? あんなでかい船を。労力をとるだろ、面倒だし」
「そうでもねえな。よう、賭けてみるか。あれを一撃で砕けるかどうかを」
ガイは俺を、というよりブルータを見ていた。まさか、と俺は思う。
こいつは何を考えているのだ。ブルータにこの船を壊せるかと訊いているのだ、暗に。
「俺は、できるぜ。レイティよう、賢者を殺したっていうお前の相棒ならこのくらいできるんじゃねえのか? 驚くことかよ」
「限度があるとは思わねえかよ」
ため息をつきたかった。ガイってやつは、子供くさいところもある。要するに、自分の力を俺に見せ付けたがっているのだ。そりゃあ、今の奴は四天王に数えられている。数えたのは俺だが、それでほとんどの魔族が納得するだけの力を得ているということでもあるのだ。そんなガイが本気で力をぶつければ、帆船くらい砕けるのかもしれない。
だがブルータはただのハーフダークの魔法使い。比べることが間違っている。俺にしたってガイの奴が自分を高めるべく努力なりなんなりしている間に惰眠をむさぼっていてこの体たらくだ。いや、努力をしてないつもりはないが、やっと上級魔法を使えるようになってきたくらいの俺を引き合いにだしてもしょうがない。そんなことは誰の目にもわかるはずだが、奴に通じるはずもない。そんなにいいところを見せたいのか? それともただ単に暴れたいだけか。
多分後者だろう。部下たちが存分に客船を蹂躙したというのに、自分だけ何もしないでいたからだ。
俺はその考えをガイに話した。
「そんな感じなんだろ?」
「そのとおり」
奴は否定しない。
「ぶっこわしてえだけだ。まあ上玉の女はこっちに移送したし、あんなボロ船どうなろうとしったこっちゃねえよ」
「でもよう、うちのだって結構使えるんだぜ」
「何ができるってんだ?」
ガイは、馬鹿にしたようにブルータを見下した。俺はその余裕綽々の態度をぶち壊してやりたくなる。ガイを、唖然とさせてやりたかった。
確かに俺とガイは昔なじみであるが、お互いの身分は今こんなにも差がついている。俺を見下ろして得意になっている奴の鼻を明かしてやりたくなっていたのだ、俺は。
だから俺は命じた。ブルータに。
「あの船を破壊しろ、一撃で!」
「任務、了解」
ブルータはすぐに帆船に飛び移った。かなり高い位置から落ちたが、あのくらいではどうということもない。
俺は直前に、ポケットから飛び出している。ガイとともに、帆船の甲板に立つブルータを見ている格好だ。
「何をやらかすつもりなんだ? 魔法でもぶちかますのか。ああいう船は見かけよりずっと強靭なんだぜ。ちょっと燃やしたぐらいじゃすぐには沈まねえぜ」
ガイの解説。確かに帆船は大きいし、耐久性も高く作られている。普通の魔法なら一撃では沈まない。リンやホウくらいの使い手にもなればそれも可能かもしれないが、普通は無理だ。普通なら。だがブルータには一撃必殺の魔法がある。
帆船の材料の大部分は、木材であることが幸いした。
甲板に立ったブルータは、水の精霊から魔力を集めて、幻影の剣に練り上げる。触れるだけであらゆる生物を両断する幻影の刃が、奴の右腕に宿っていく。
「何かと思ったら幻影剣の呪文か! そいつでどこを切り裂くつもりなんだよ、竜骨でも砕くのか?」
「へっ、見てればわかる」
俺はそれだけ言って、見下ろしていた。
ブルータは右腕に宿された剣を振り上げて構えた。自らの立つ甲板を見て、それから勢いよく振りぬく。
「あんなところを斬ってどうなるっていうんだ。どうしようもねえじゃねえか」
それを見ていたガイがそんなことを退屈そうに言った直後、目を見開いた。
当然だ。帆船が真っ二つに切断されてしまったのだ。帆船は一瞬にして揺らぎ、海のうねりに耐え切れなくなった。前後に切り離された帆船は、切断部から海水を勢いよく吸い込み、軋みをあげながら沈み込んでいく。大渦をも形成しかねなかった。
沈んでいく帆船から間一髪で踏み切り、ブルータが軍船に戻ってくる。ハーフダークのこの跳躍力がなければブルータ自身も海に沈んでいたに違いない。
幻影剣の呪文の射程を異常なほどに伸ばすことができるという、ブルータの力だ。敵にはできるだけ秘匿しておきたいが、これでもってガイを驚かせたいという気持ちが勝っていた。ゆえにこうしたのだが、効果は覿面だった。もう一生ガイのこんな顔は拝めないかもしれない。
「馬鹿な、なぜ」
呆然とした奴の顔は、ひどく俺の心を満たした。俺は、頬が攣るかと思うほどに笑うことができる。たまらなかった。
素晴らしい一日だぜ。
そのような晴れ晴れとした俺の隣で、ブルータはいつものとおり感情のないまま、次の命令を求めて立ち尽くしているのだった。