7.SWATF
South West African Territorial Force(SWATF) 南西アフリカ地域軍
はじめに
それは、地図の片隅、あるいは人びとの記憶の水底に沈みかけた、ひとつの影法師のような存在だった。
1977年、風と砂の支配するナミビアは当時、まだ南西アフリカと呼ばれていた。
そこに静かに、その軍は誕生する。表向きには「地域防衛」、けれどその実、南アフリカによる統治の延命装置として、あるいは「南部アフリカの赤い波」を食い止める防壁として、密やかに育まれていった。
兵士たちは、土着の人びとオヴァンボ、カヴァンゴ、ヘレロ、ブッシュマン。彼ら自身の手でその土地を守るという名目で招集される。だが、その選択が本当に自由意志に基づくものだったのかどうか、それは今となっては、誰にも確かめようがない。
SWATFは単なる地方警備隊ではなかった。南アフリカ国防軍(SADF)の影の下で、実戦部隊として育てられ、ときにはアンゴラへと越境し、UNITAとともに戦火のなかを駆けた。サヴァンナの夕陽のなかを、カシピリの湿地帯を、彼らのブーツは刻みつけていった。
第101大隊、第201大隊、コマンド部隊、そして“ブラウン軍団”とも呼ばれた地域民兵、これらの部隊は、SWAPOのゲリラたちと、何年にもわたって夜の戦いを繰り返す。だが、時として彼らは、自分と同じ言葉を話す“兄弟”たちと銃口を向け合うこともあった。血を分けた地に流れる、別のかたちの血――それは、植民地の矛盾が生んだ、あまりに苦い真実である。
そして1990年、ナミビアが独立を迎えるその時まで、SWATFは存在し続けた。だが、独立とともにその名は歴史の頁から静かに消され、隊員たちは散り散りに、ある者はナミビア国防軍に編入され、またある者は南アフリカへと引き揚げる。
1.
ドイツ領南西アフリカは第一次世界大戦後、自ら血を流して戦った南アフリカの委任統治領となった。1946年に国際連盟が解散されると国際連合が出来るまでの空白期間を利用し南アフリカは自国領として併合したわけだが、国際社会は納得しなかった。
国連安保理決議第264号の3項に「Calls upon the Government of South Africa to withdraw immediatly its administration from the Territory」第310号の7項に「Calls upon South Africa to withdraw immediately its police and military forces as well as its civilian personnel from the Territory of Namibia」と上げられていた。※要約すると、ぐだぐだ言わずにさっさと出て行け屑。それでも南アフリカが実効支配している為、国際社会の批判は馬耳東風だった。
南西アフリカの治安維持は当初、SAPのCOIN部隊がプレトリアのSB管理下で当たっていた。南アフリカはSWAPOの反乱(ナミビア独立戦争)に対処する為、SAAFのヘリコプター、COIN機やSADF地上部隊を投入するがテロは止まらない。
根本的解決策としてアンゴラから越境して攻めてくるSWAPOの巣穴を潰すべく、UNITAを支援してアンゴラ内戦に介入。あれやこれやで戦争が長期化する中、SWATFを1980年8月1日に設置する。
SWATFは基本的にSADFの指揮下にあり軽歩兵大隊の編成をとっていた。大隊の歩兵中隊にはRomeo Mike(RM)と呼ばれる偵察ティームが存在した。RecceやLRRPの例に漏れず、RMティームも特殊部隊の性格を帯びる。
SWATFは基本部隊(101・102・201・202・203・701大隊)とは別に、即応部隊として第91自動車化旅団、落下傘大隊、第112飛行中隊が存在した。
セクター10~70に分けられた軍管区の内、アンゴラと国境を接する西からセクター10、セクター20、セクター70が出撃基地として戦争の舞台となった。
南西アフリカのアンゴラと接する国境地帯にKaokoland、Ovamboland、Kavangolandが、ボツワナとの国境地帯にはBushmanland、Hereroland(東西)、Tswanalandが対外的に独立した国だと発表されていた。現実的には南アフリカにとって都合の良いものでしかなかったと解る。
2.編成・配置
地域部隊:Area Force Units(AFUs)
この部門は、事実上の民兵組織であった。各行政区に編成され、地域住民(主にアフリカ人とカラード)から構成された。
特徴:パートタイム、地元の防衛と治安維持が任務。
戦闘行動:主にSWAPOの浸透作戦に対応し、村落・前哨基地の警備を担った。
軽歩兵大隊群:Mobile Force
SWATFの中核、そして実戦部隊であったのがこの部門である。
●セクター10(HQ Oshakati)
第51大隊(Ruacana)
第52大隊(Oshakati)
第53大隊(Ondangwa)
第54大隊(Eenhana)
SWATF第101大隊(Ondangwa):1976年に編成されたオバンボ大隊が原型。1978年6月、第35大隊に部隊名変更。1980年、第101大隊に改編。大隊本部、支援中隊、整備、教育隊、4個特殊任務中隊からなる。第901・第903特殊任務中隊がCOIN作戦で活躍した。標準的装甲車であるBuffel、Caspirを装備し、イスパノ・スイザ社(Hispano Suiza)HS820 20mm機関砲やM2重機関銃、M4Mk1 60mm迫撃砲が塔載されていた。
SWATF第102大隊(Opuwa):カヴァンゴ族主体。川と湿地を得意とする部隊。河川パトロールやゲリラ対処を行った。1978年編成の第37大隊を前身に第102大隊に改編。4個歩兵中隊。
第103大隊(Mpacha、あるいはKatima Mulilo):1978年から79年にかけて編成された。主たる構成員は、この地に古くから住むロジ人、マムブクシュ人、マヨンガ人など、東ナミビアにルーツを持つ少数民族たち。
第61機械化大隊戦闘団(Omuthiva):前身となったのはOperation Reindeerのジュリエット戦闘団。2個機械化歩兵中隊、装甲車中隊(ラテル90)、戦車中隊、砲兵中隊(155㎜G5、120㎜M-5迫撃砲)、対戦車小隊、対空部隊、工兵、通信、衛生、整備などからなる部隊。
第25工兵中隊(Oshakati)
第5整備隊(Ondangwa)
訓練部隊(Oshivelo)
SAAF(Ondangwa):インパラMkⅡ軽攻撃機他を展開させ航空支援を行った。
●セクター20(HQ Rundu)
第55大隊(Nepara)
第32大隊(Buffalo)
SWATF第201大隊(Omega base):前身はサバンナ作戦でのアルファー戦闘団。第32大隊の前身であるブラボー戦闘団と共にズール任務部隊を構成した。1975年、 第31大隊に部隊名変更。第31大隊は大隊本部、支援中隊、歩兵5個中隊と偵察ティームで構成される。1981年、201大隊に部隊名変更。1989年、第31大隊に部隊名が戻りSADFに復帰する。
SWATF第202大隊(Rundu):1975年に編成された第34大隊を前身とし第202大隊に改編。4個歩兵中隊で編成される。
SWATF第203大隊(Mangeti):1976年編成された第36大隊を前身に第203大隊に改編された。
SAAF(Rundu):インパラMkⅡ軽攻撃機、ヘリコプター、軽飛行機を展開させ航空支援を行った。
●セクター70(HQ Mpacha)
SWATF第701大隊(Mpacha):1977に編成された第33大隊を前身とする。大隊本部、支援中隊、3個歩兵中隊、偵察Wing(BushmenのTracker)で構成される。
南アフリカ海軍海兵中隊:河川哨戒に当たっていた。
SAAF(Mpacha):インパラMkⅡ軽攻撃機、ヘリコプター、軽飛行機を展開させ航空支援を行った。