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雑記

 知らない事を知るのは楽しい。しかし鵜呑みには出来ない。

 米国のCGSC、SAMSでも南アフリカ、ローデシアの案件はCOIN作戦の一例として考察されている。記事で注目されていた部隊は世間的に悪名が広がった第32大隊、Selous Scoutsだ。他にも米軍でローデシア紛争を扱った論文があるので調べて見ると良い。

 政治的主観、人道主義等でアパルトヘイトを行っていた国として見ると軍事的成果を正しく評価する事は難しい。純粋に軍事的側面から描かれた資料こそ価値がある。



1.ネットの情報は正しいのか?


 ネットは画像の無断転用や文章の丸写しをしている物も多い。間違った情報がそのまま拡散している場合もあって丸々信じるのは危険だ。

 著名なWikipediaにしろ記事の削除や修正はよくある事で、記事が丸々消えていたと言う事も珍しくない。

 とある所にSWATF第101大隊の解説が書かれていた。その記事は英語版Wikipediaを和訳した物で、元の英語版Wikipediaが削除されていた。情報元は何処なのか検証できない情報を転載していると言え残念だ。

 結局、ネット上の情報を信じる信じないは自分次第となる。

 個人的に気になった物を幾つかあげたい。


 第32大隊の悪名は酷い。ならず者扱いされているが、純軍事的な視点だけで見れば戦果はピカイチだ。

 例えば捕虜を皆殺しにしていたと言う記載を見た。元第32大隊メンバーの記述した文献によれば「○月○日、捕虜○名」と記述されており皆殺しにしていた訳ではない様だ。

 アンゴラ領内の難民キャンプで虐殺をしたと上げている物もある。攻撃の行われたとされる日付と場所から著名な作戦が結び付く。この作戦はSWAPOの拠点でSADFは大規模な攻勢を行ったとされている。

 どちらの言い分が正しいのかは当事者でないと判断は難しい。軍事的には知られた作戦でかなりの資料が残っている。本物の難民が混ざっていたかもしれないが、武装から考えても純粋な難民キャンプとは言いがたい。

 第32大隊は周辺国で暴れまわったのか。誤解か情報不足。第32大隊は南西アフリカのオメガベースに駐屯していた。そこからアンゴラで越境作戦を展開した。周辺国での不安定化を行ったのはRecceであり混同している。第32大隊は超人ではない。過大評価をしている。


 Executive Outcomesに関する誤解。イーベン・バーロウはセルース・スカウトだったのか?

 バーロウ本人の著作にはセルース・スカウトの記載が無かった。軍歴はSADFから始まっている。本人の著作「Executive Outcomes Against all odds」でも1974年にSADFに入隊、工兵部隊(SAEC)の第16野戦中隊、第53歩兵大隊を経て、Willem Ratte大尉の第32大隊偵察ティームの偵察士官、DCC、CCBと記載されている。

 P・W・シンガーの「戦争請負会社」の205頁に、「バーロウは、南アフリカ国防軍第三十二大隊の元副指揮官」と和訳されており、これを一次資料として誤った認識が流布されているが、偵察ティームの2ICであり、大隊の2ICではなかった。Jim Hooperの「BLOODSONG! An account of Executive Outcomes in Angola」の41頁でも「Eeben Balow, a former officer in the South African Defence Force's elite 32 Battalion」とあり、将校としか載せていない。

 ※もしかしたら他に記載されている物があるかもしれないので、要検証。


 EO=第32大隊の復活か?

 Recce、Koevoet、落下傘部隊、敵であった民族の槍のメンバーも参加している。ただしEeben Balowの著述によると、最初の56名はSouth African Border Warを経験した32 Battalion、44落下傘旅団、Koevoet、その他の部隊出身者で固められており、ANCの記述は無い。当初はまだ採用されていなかったと考えられる。


 EOは軍事作戦における尖兵だったのか?

 ソヨに限れば橋頭堡を築いているが、それ以外は正規軍の支援に過ぎない。過大評価のし過ぎ。

 Soyoの地名は日本人にとって馴染みの薄い物で、Congo River河口の大西洋側に位置する。この街がPMCの代名詞と言えるExecutive Outcomesの社名を世界に轟かせる場所となった。

 Soyoの戦いにおけるExecutive Outcomesの装備はAK-47、PKM、RPG-7、60㎜迫撃砲で、Buks Buysを指揮官としたEO実戦部隊は、元RecceのLafras Luitingh等ベテラン揃いだった。

 対するUNITAはの兵力は3000名。23㎜ZU-2AN連装機関砲、Strela-3対空ミサイル、82mm迫撃砲、T-54戦車、DAFトラック等を装備していた。

 3月15日、EO偵察ティームが上陸。橋頭堡と着陸地域を確保。2機のMi-24の支援で4機のMi-17(Mi-8)が輸送する。洋上にはPepe de Castro大佐指揮下のFAA1000名がLCT(戦車揚陸舟艇)で待機していた。

 総合的な考察としては、EO単体でみると投入された戦力は劣勢ではあるがFAA本隊の支援任務と考えれば勝てたのも当然の結果である。EO単独でアンゴラ政府の庇護無しに行動していたのであれば、UNITAの兵数に圧され敗れていただろう事は明白である。

 この戦いにおける勝因はFAAとの連合作戦が円滑に行き、EOが経験豊富な社員に恵まれていた事も大きい。戦訓としてはヘリコプター運用の有用性が再認識される。EO単独ではあげられなかった戦果だ。

 Eeben Balowの著述によると「Eeben,you guys are in big Shit」とCCB時代の友人に告げられた。



2.本の記載情報は全て正しいのか?


 これはどの本を信じるかで変わってくる。洋書だから正しいとは限らない。

 2015年に発行された「ANGOLA THE FAILURE OF OPERATION SAVANNAH 1975」はタイトルで衝動買いをしてしまい後悔した。本書は、南アフリカがアンゴラ内戦に介入した最初の大規模な越境作戦となったサバンナ作戦を扱っているが、これを読むぐらいなら、前年の2014年に再販されたJan Breytenbachの「FORGED IN BATTLE」がブラボー戦闘団について書かれており、IAN UYSの「BUSHMEN SOLDIERS」がアルファー戦闘団について書かれているので、こちらを読んだ方がましだ。

「ANGOLA THE FAILURE OF OPERATION SAVANNAH 1975」は本文の中で、SADFで使用されていない略語を使っている。

 ズール任務部隊はアルファー及びブラボーの2個大隊規模部隊で構成されていた。うん、その説明は間違ってないし良い。だが大隊規模部隊(UEB)とか中隊規模部隊(UEC)、この表記が違和感を感じた。部隊名もZULU Special Task Force、ZULU Task Forceとかになってるし、「Special」が付いていたり表記が統一されていない。

 実際にブラボー戦闘団の指揮官とし作戦に従事したBreytenbach大佐は「The BUFFALO SOLDIERS」でCombat team、Battle groupの違いを記載している。少なくともこの本を読めばUEBやUECと言う略語は出てこないはずだ。

 Breytenbachにしても丸々肯定出来る訳でもない。「FORGED IN BATTLE」は「The BUFFALO SOLDIERS」のChapter 2~16までの半分、サバンナ作戦を抜粋した内容なので目新しい物はほぼ無い。地図だけは見やすかった。

 サバンナ作戦に於けるブラボー戦闘団の経過はPITE NORTJEの「32 BATTALION」で軽く触れられている。「THE TERRIBLE ONES」は「32 BATTALION」から加筆されたり写真も多いが、記載内容が重複しているので金に余裕が無い人は買わなくても良い。


 ホビージャパンが発行した「COMBAT SKILLS」は「COMBAT&SURVIVAL Magazine」の和訳で、ローデシアや南アフリカに関する記述もあり貴重な日本語文献と言えるが、今の目で見ると誤訳が散見された。「コエボト戦法」「南西アフリカ対反乱師団(コエボト)」は、Operation Kの秘匿名称で知られる南西アフリカ警察COIN部隊のKoevoetだ。良かった記述箇所は、表面の触りだけだがトラッカーの記述がありイメージさせるには十分だった。


 TV業界の者が書いた「細菌戦争の世紀(原題:PLAGUE WARS A TRUE STORY OF BIOLOGICAL WARFARE)」ではローデシアのセルース・スカウトや南アフリカが生物兵器を使用した様に書かれている。読んでいると信憑性に違和感を感じた。まえがきに「口頭で、もしくは、文章の資料のなかで、その事実を確認できないものもあった」と書かれている。出典なり参考文献があれば確認できたのだろうが、邦訳には無かった。

 SADF、ローデシア軍は細菌兵器を使用したのか?

 本書ではCIOとセルース・スカウトが実施し、SADFが協力したとある。

 DIA職員が国防総省へ提出した秘密報告書で、ローデシア軍の関与を具体的に認めたそうだが、これに対する記述も確認できる物ではない。元RARのライオネル・ディックの証言もローデシア軍ではなくSADFに丸投げしている。

 一方、Project Corstに関する記述は南アフリカのCBWを日本で周知させた意味で価値がある。

 Project Corstはボタ政権時代(首相、大統領任期の1978年から1989年の長期政権)にSADFのSAMS主導で進められた。

 計画の責任者としてニールス・クノーベル(Niels Knobel)の名前が上げられているが、クノーベルの在任期間は1988年から1998年。重要な役割を果たしていたとは考えにくい。前任者のN Nieuwoudt(1980年から1988年)の方が計画を習知していたと考えられる。本書で極悪な犯罪者の様に取り扱われたワウター・バスン(Wouter Basson)准将の場合は、1981年から1992年と戦争中の期間を占めており、疑惑と無関係だとは否定できないだろう。


 Executive Outcomesの日本語訳された資料はPeer Warren Singerの「戦争請負会社」、及び同書を参考文献の底本とした各種PMC関連の書籍が殆どであり、EOについて記述された内容は僅かだ。その為にコピペな文章ばかり散見される。日本人にとって不慣れな英語文献をあさるしか無いのが現状だ。


 1978年、大藪春彦によって描かれた「傭兵たちの挽歌」は妻子を失った男がテロ組織に復讐する小説だ。この小説では実在の人物、団体、事件を元にした記述が散見される。

 注目したのはロブ・ブラウン中佐と傭兵の斡旋、機関誌のキーワード。ブラウンの名前を知らなくても、傭兵斡旋で有名な雑誌は分かる。元ネタはOmega Groupが発行しているSoldier of Fortune。元グリーンベレーのRobert K. Brown中佐が携わっている。このSOF誌はコンバットマガジンの様な物で、ローデシアの特集も組まれていた。結果として「ローデシア=傭兵」のステレオタイプなイメージを植え付けるのに一躍買ったと言える。



3.偏らないように


 複数の資料を比較するのは当然で、ネットや書籍にしても鵜呑みにせずにテキスト批評する事も必要と考えられる。

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