第五話 散った花
先日の大雨が嘘のような晴れ晴れとした空が広がっていた。しかし、莉紅の表情は暗い。じっと窓の外を見つめるその瞳は悲しみに染まっていた。
「莉紅。」
「おはよう、花菜。」
声をかけられ微笑みを向ける莉紅だったが、儚い笑みだった。今にも泣いてしまいそうな微笑み。窓の外を見て、花菜はその笑顔の意味を知った。
窓の向こうでは千尋と玲奈が仲良く歩いていた。
「私、自分があの人より劣っているなんて思わない。」
「莉紅……。」
「でも、決定的に何か違うから、千尋先輩が好きなのは私じゃなくて、あの人なんだよね。」
窓枠に置いていた手を莉紅は強く握る。認めたくなどない現実を受け入れるために。
「世界中の女の人がみんな私だけになればいいのに。そうしたら千尋先輩は私を好きになってくれるでしょう?」
一筋、莉紅の瞳から涙が零れた。
「絶対、そうでしょう……?」
顔を歪め、ぽろぽろと涙を流し続ける莉紅を花菜は抱きしめた。強く、強く、抱きしめた。
「どうして私じゃだめなの……。」
どんなに好きでも、あの人に私の想いは届かない。どんなに想っても、何度伝えても、届かない……。
「せーんぱい!一緒に帰りましょう!」
莉紅はその日、教室まで千尋を迎えに行った。
付き合いだしてから今まで、莉紅は千尋の教室に来たことはなかった。だから教室までやってきた莉紅を千尋は怪訝な顔で見た。
「お前、どうかしたの?」
「どうもしませんよ。さ、帰りましょう!」
莉紅は笑顔のまま千尋を連れ出す。納得していない様子の千尋だったが特に抵抗する理由も見つからずそのまま大人しくついてくる。
「先輩、手を繋ぎましょう。」
校門を出て暫く歩いた辺りで足を止めた莉紅は千尋に手を差し出してきた。
「は?」
「照れなくてもいいじゃないですか。」
呆けている千尋の手を莉紅は半ば無理矢理に繋ぐ。千尋は眉を寄せながらも莉紅の手を握り返した。まさか握り返してくれるは思っていなかった莉紅は千尋の顔を見上げる。
「何驚いてんの。お前が繋ごうって言ったんだろ。」
呆れたような物言いの千尋に莉紅は嬉しそうに、はにかむように微笑んだ。そしてそのまま2人は馴染みの公園へと足を運ぶ。
手を繋ぎ微笑み合うその姿は、恋人のようだった。
ベンチに座り、他愛のない会話をしていた時、千尋は心配を滲ませた声で尋ねた。
「莉紅、今日変じゃないか?」
「そうですか?」
首を傾げ、莉紅は微笑む。いつもの明るく柔らかい笑みとは違う、どこか儚げな笑み。千尋の心に不安が募る。
「先輩。」
「ん?」
「キスしてください。」
「は!?」
まさかのお願いごとに千尋は素っ頓狂な声を上げ、隣に座る莉紅を見た。
てっきり自分をからかっているのだろうと思っていた莉紅の表情は真剣そのものだった。真っ直ぐ見返すことが出来なくて、千尋は目を反らした。
「キス、してください。」
「できない。」
そう告げ、恐る恐る莉紅の顔を見る。泣き出しそうな顔で微笑む莉紅が、そこにはいた。
そして知る。莉紅は千尋がそう答えるだろうことをわかっていたことを。わかっていて、問いかけたのだ。
それは、莉紅の最後の賭けだったのだ。
「り……。」
「先輩、別れましょう。」
「え?」
言われた意味が理解できず、千尋は問い返す。
「もう、恋人ごっこは終わりにしましょう。」
そっと、莉紅の手が千尋から放れる。千尋はその手を追いかけることができない。
「俺は…、これでも莉紅のことを大切に思ってる。ごっこなんかじゃない。」
「ごっこだよ。ただ傍にいて、恋人の真似ごとをしているだけ。」
「莉紅!」
「先輩は!」
千尋が反射的に伸ばした手から逃げるように莉紅は立ち上がった。
「先輩は、抱きしめてくれるけどキスはしてくれない!笑ってくれるけど弱さをみせてはくれない!」
掌を握りしめ、莉紅は顔を上げる。その拍子に涙が零れ、頬を伝う。その瞳にあるのは悲しさと悔しさだった。
「先輩は、付き合ってくれたけど……、好きとは、一度だって言ってくれなかった……。」
何か言わなくては。そう思うのに、千尋は何も言葉を紡げずにいた。大切にしたいと思ったこの少女を他の誰でもない、自分が傷つけていたという事実があまりにも衝撃的だった。
「千尋先輩が葉月先輩を好きなのは知っていたから、だからそれでもいいってそう思ってた。そう思おうとしてた。でも……、もう無理だよ。」
あなたの傍にいればいるほど、あなたを好きになる。好きになればなるほど、その瞳に映れないことが悲しくて、つらくて……。私にはもう、耐えられそうにない。
「だから、さようなら、先輩。……大好きでした。」
それが、別れの言葉だった。
去って行く莉紅の背中を千尋は追いかけることが出来なかった。なんと声をかけていいのかわからなかった。
ただ一つわかるのは……。
“先輩、大好きです”。
そう言って少し照れたようにはにかむ莉紅の笑顔も言葉も自分に向けられることはもうないのだということだけだった。




