第四話 雨
大粒の雨が窓を打ちつける音が静かな教室内に響き渡る。
朝からバケツをひっくり返したかのような雨が降っていたが、さらに酷くなったようだ。これでは傘をさした所で家に帰りつくまでにはびしょ濡れになるだろうと思うと、莉紅は憂鬱でならなかった。
雨の日に、いい思い出はない。
小学生の時、雨の中お気に入りの傘をさしていたらトラックが飛ばした泥で汚れてしまった。
中学の時は3年間雨で体育祭が中途半端にしかできなかった。
高校では……。
そこまで考え、莉紅は思考を閉ざした。
「莉紅、難しい顔してるよ。」
花菜は窓の外をじっと睨みつけている莉紅の姿に心配そうに声をかけてきた。
「私だってたまには考え事をするの。」
「似合わない台詞。」
一刀両断され、莉紅は笑顔を引きつらせる。そして再び窓の外に目を向ける。
雨の日は嫌いだ。いい思い出がない。
それに、千尋を探しに行きづらい。天気のいい日は千尋は大抵は外を歩いているか、屋上にいる。だが、雨の日はさすがにそういうわけにはいかず、千尋も教室にいることが多い。
多分、玲奈と一緒にいる。莉紅にはそんな予感があった。
玲奈と一緒にいる千尋を見るのは嫌だった。だから探しに行きづらい。
早く止めばいいのに。
莉紅は深々とため息をつく。
昼休みになり、莉紅は花菜と共に1階にある購買に向かっていた。莉紅は飲み物を、花菜はパンを買う為に。
「莉紅ちゃん!」
聞きたくなかった声に莉紅は身体を強張らせる。脳裏に浮かぶのは千尋の優しげな笑顔。それを向けられる彼女の姿。逃げ出したい気持ちを抑えて莉紅は振り返る。そしてすぐに振り返らなければよかったと思った。
「千尋、先輩……。」
「よう。」
何で、葉月先輩といるの?
そう問いかけたい気持ちを押しこめる。
自分で、千尋は玲奈といる可能性が高いと言ったじゃないか。そう、自分を叱責し、笑顔を浮かべる。
「2人で何処に行くんですか?」
「お昼食べながら千尋に話があったの。でも、莉紅ちゃんにも言っておこうかな。」
「え?」
玲奈の言葉の意図がわからず、莉紅は千尋を見上げる。彼もよくわかっていないらしい。玲奈が千尋に何か話があるのは不思議ではない。嬉しい話ではないが彼氏とのことを相談されているらしい。だが、莉紅にも言っておくことというのがわからなかった。不思議そうに玲奈を見返せば、彼女は悲しげに微笑んでいた。
……嫌な、予感がした。
「私、彼氏と別れたの。」
驚きで目を見開く。そして、徐に隣に立つ千尋を見上げた。彼も驚きに目を見開いていた。
「なんか、最近ダメそうなのはわかってたんだけど…。やっぱり、つらいね。」
何で、そんな顔するの?
玲奈の話は莉紅の耳には殆ど届いていなかった。莉紅の視線の先にいるのは苦々しく表情を歪めた千尋がいた。
俺なら、そんな顔はさせないのに。
そんな想いが込められているような気がした。いや、込められている。それは確信に近かった。
何故なら千尋がどれだけ玲奈を好きで、大切に想っているか、莉紅自身がよく知っているから。
ばかだな……。
「玲奈、行こう。」
千尋はごく自然に玲奈の手を取り、莉紅の横を通り過ぎた。その手が、自ら莉紅の手に触れてきたことなど一度だってない。
今の先輩の瞳に、私はこれぽっちだって映っていない。
溢れだしそうになる涙を、行かないでと言ってしまいそうな想いを必死で押しとどめる。
「莉紅、大丈夫?」
「……うん。」
「にしても、千尋先輩も無神経だね。彼女の前で他の女の子と手を繋ぐなんて。」
「しょうがないよ。だって、誰よりも大切な女の子が傷ついてるんだもの。」
ばかだな……。
一緒にいたら、千尋が自分を好きになってくれるのではないかと思っていた。
優しく笑いかけてくれる度、抱きしめてくれる度、触れてくれる度、もしかしたら、少しでも好きになってくれているのではないかと思っていた。
でも、違うのだ。
たとえ自分に好意を持ってくれたとしても、千尋が好きなのは、玲奈なのだ。
私じゃない。先輩が好きなのは、私じゃない……。
「莉紅……。」
「私じゃないんだよ。先輩が好きなのは、私じゃないの……。」
ああ、やっぱり雨の日なんて嫌いだ。