第三話 零れた涙
「あ、千尋先輩発見!」
休み時間に入ると同時に見事に千尋を発見した莉紅は先ほどまでの談笑を打ち切り、席を立った。10分しか休み時間がないため莉紅は大急ぎで千尋を発見した渡り廊下へと走る。
「……。」
目的地の渡り廊下に、千尋の姿はまだあった。だが、莉紅は声をかけることが出来なかった。千尋の隣にいたのは玲奈だった。そして、自分の知らない、優しい微笑みを向ける千尋の姿。
身体が動かない、喉が凍りついたように声が出ない。
莉紅は背を向け、その場を逃げ出した。
授業開始の鐘の音が鳴っている。しかし、莉紅は今教室にはいなかった。
莉紅がいるのは屋上の千尋の特等席。そこに寝転び、空を見上げていた。その日は憎らしいぐらいの雲ひとつない晴天だった。
瞼の裏に浮かぶのは玲奈に微笑む千尋の表情。千尋が玲奈を見つめる瞳はあまりにも優しい。千尋の気持ちが自分には向いていないのだと思い知らされる。何より、玲奈にしかあの表情を引き出せないことが……。
「悔しい……。」
瞳から一筋涙が溢れる。それを合図に大量の涙が頬を伝い、地面に落ちた。右腕で目をこする。
泣くのは、おかしい。
そう言い聞かせ、何度も拭うが、溢れだした涙は止まらなかった。
「お前、何処にいるのかと思ったらずっとここにいたのか?」
「……!!」
泣き疲れてぼんやりとした頭だったが、突然降って来た声により、すぐさま覚醒へと導かれた。
「千尋、先輩……?」
目を覆っていた腕をどかし、すぐ側にいるだろう千尋の姿を捉える。先ほどまで遠くに感じていた人の存在を近くに感じ、嬉しさで自然と莉紅の頬が緩む。
しかし、千尋の表情は対照的に険しくなっていく。千尋の大きな掌が頬に触れ、目じりを撫でる。
「先輩?」
厳しい表情とは裏腹に目じりを撫でる仕草は優しかった。
「泣いた?」
ああ、泣いていたんだっけ、私は……。
「少しだけ。」
「理由を聞いてもいい?」
「秘密です。」
莉紅は起き上り、千尋にそう言って微笑んだ。その言葉に、表情に、千尋の瞳が悲しげに揺れる。
今だけは、私を想っていてくれるのだろうか……。
そんな無意味な問いかけが心に浮かぶ。想っていてくれてもいなくても、莉紅が千尋の傍に居続けることは変わらないのに。それでも、想われることを望まずにはいられないのだ。玲奈を想う心の中に少しでも自分がいてくれれば、と。
けれど、それが無理なら、千尋がいてくれればいい。
「私は、先輩がいてくれればいいです。今、ここにあなたがいてくれればそれで、いいです。」
腕を強く引かれた。そう気付いた時には、莉紅はもう、千尋の腕の中に納まっていた。千尋が抱きしめてくれることなど滅多にあることではないだけに、抱きしめられていると理解すると、莉紅の心臓は慌ただしく鼓動を刻みだす。
「ごめん。」
「どうして、謝るんですか?」
「俺がお前に縋りついてるから、お前は傷つくんだろう。」
「違いますよ。縋りついてるのは、私じゃないですか。」
胸に手をつき、顔を上げて千尋の顔を見上げた。莉紅が何故泣いていたのかはわからないが、自分が原因であることはわかっているらしかった。意外と敏い、残酷にも優しい彼に莉紅は笑みを浮かべる。
「大好きです、先輩。大好き……。」
「ばーか。」
こつり。莉紅の額に千尋が自身の額を軽くぶつけた。そして互いに瞳を見合わせ、微笑み合った。
千尋の暖かな腕に囲まれ、莉紅は確かに幸せを感じていたのだ。
今、この瞬間だけは玲奈のことも自分達の関係が偽りであることも忘れるくらいに……。