七話
――秋路
そう呼ばれた気がして、瞼を開けたが辺りは暗く、何も見えない。
体は浮いているのだろうか。
足元が不安定で、体も上下、左右方角も分からない。
――秋路
やはり呼ばれた。
聞き覚えのある声だが、どこから呼ばれているのかわからない。
――秋路、どうして父上に叱られるようなことをしたの?
ふと、背後から声がした気がして、振り向いた。
先に見えたのは、大人の女性と小さな女の子。
女の子はつややかな黒髪を後ろで一本にまとめているが、長い前髪が顔の両端から流れ出ている。
大人の女性は白い着物にえんじ色の袴をはいているが、顔は髪の毛に隠れよく見えなかった。
――秋路?父上はお前を心配しているのよ?どうして言うことを聞けないの?
大人の女性は屈んで女の子の手を握り、顔を覗き込むようにしている。
女の子は、女性と目を合わせようとせず、ただうつむいていた。
――秋路。黙ってちゃわからないでしょう?
不満があるのだろう。ただただ、うつむき唇をかみしめている。
――秋路……お母さんを困らせたいの?
違う。
違うの――母上……。
「秋路」
はっと目が覚めた。
目の前にはシファカ。
相も変わらず、冷ややかな目をしていたが心配をかけたのだろうか。秋路の顔を覗き込んでいた。
「メイを見なかったか?」
体をゆっくり起き上がらせ、痛みをほとんど感じないことを実感しながら秋路は自分の周りを見回した。
「メイ様ですか?ここにはいないようですね」
「あいつ……どこ行ったんだ?」
何かあったのだろう。シファカはイライラを隠さず、部屋の周りを乱暴に探している。
「何かありましたか?メイ様にご用事でも?」
バタバタと本棚から本を乱暴に床に落としながら、シファカは秋路を振り返りもせずに答える。
「食事がまだなんだ。あいつめ、俺に餓死させる気か?」
本棚から本を一通り投げると、ふぅと荒い息を吐く。
「お食事ですか。もしよろしければ私が作りましょうか?」
命を助けてもらい、怪我の治療までしてもらい何かお礼をととっさに出た言葉だったが、シファカは秋路をしばらく見つめると考え込むようなしぐさをした。
「簡単なものしか作れませんが……母から一通りは習っておりますので、そう食べれないものではないと思うのですが……」
何かまずいことを言っただろうか。
シファカは秋路の顔を見つめるばかりで、秋路は戸惑うばかりだ。
「えー……シファカ様、私何かよろしくないことを申し上げましたか……?」
「……スープを作れるか?」
「え?すーぷ?」
自分が荒らした本棚からゆっくりと秋路の側へ近寄りながら、シファカは続ける。
「そうだ。野菜やなんかが入った……温かい飲み物なんだが……こうすくって飲むんだ。いろんな味があって……人間の食べ物の中で一番うまいと思ったんだが……」
真剣にスープについて語るシファカ。
そんなシファカが、秋路の思い描いていたシファカとかけ離れていて、思わず笑いが漏れた。
「温かい飲み物のようなものですね。調味料にもよりますが、できると思いますよ」
常に表情がなかったシファカが、秋路の前で初めて笑顔になった。
「そうか。よし。台所はこっちだ。立てるか?秋路」
秋路が寝台から降りようとする横で、シファカは手を差し伸べる。
その手を秋路は握りながら、難なく別途から降りることができた。
多少ふらつくが、傷口も多少痛むが問題なく歩くことができた。
そっと傷があった場所をさすってみるが、傷口はふさがっているようで血のにじみは全くなかった。
明らかにメイに掛けられたあの薬の力だった。