五話
メイに変えてもらった包帯の下が痛む。
恐る恐る傷口近くを撫でると、しっとりと濡れているのが分かる。
指先を見れば赤い血がうっすらと。
「痛い……」
体中が気怠く、熱っぽい。
-―動けない
「おい。メイ。秋路の様子がおかしいみたいだが?」
秋路の寝る部屋から戻ってきたシファカは、暖炉の前で眠っているメイを握り起こした。
きゅうとなくメイに、容赦なく顔を近づける。
「なんだか苦しそうなんだが?あと体が熱かった。どうなってる?」
メイはきょときょとと瞬きをした。
「秋路。入るぞ」
返事はないが、秋路の眠る部屋へ入ると苦しそうな息遣いが聞こえる。
洋物の寝台に横になったまま、かけ布団が激しく上下している。
近くまでよらなくても分かる。
傷口が化膿している。
「ロード。傷口が化膿しています」
驚いたようにメイを見た。
「馬鹿か?刺されただけだろう?」
「ロード。人とは弱い生き物なのです。傷に非常に弱く、病気にもかかりやすいのです」
頭を思いっきり殴られたような衝撃を受けたのだろう。目を大きく開き、相変わらず冷ややかな表情を保ちつつも、驚きは隠せないようだった。
「……メイ」
気まずいような顔をして、自分の従僕を呼ぶ。
パタパタと主の近くを飛ぶメイ。
「よろしいのですか」
シファカは秋路を見つめたまま、無言でうなずく。
軽い溜息のあと、小さな爆発音が聞こえた。
メイの体が大きくなる。
「ロード。少し離れていてください。多少時間がかかるやもしれません。おかけになってお待ちください」
激しい息遣いにぐったりと寝込む秋路の体を優しくうつぶせにする。
自分で巻いた包帯を静かにほどくメイの横でシファカは秋路を見つめていた。
苦しげにあえぐ秋路を複雑な表情で見つめる。
「……やはり化膿していたか。相変わらず人間は弱い」
舌打ちが漏れかけるのを慌てて我慢し、化膿している背中の刺し傷に、どこから出したのか漆黒の香水瓶を取り出した。
蓋を開けると青白い煙がふわりと舞う。
瓶をゆっくりと傾けると、香水瓶から青紫色の液体とも気体ともわからないものが出てきた。
メイはそれを口に含む。
一瞬眉間にしわを寄せ、すべてを口に含むと傷口に顔を近づけた。
傷口に向かって口に含んだ青紫の物質を吹き付ける。
「っあ……!い……あ……!!」
意識はないはずだが、あまりの激痛に無意識に体が反応する。
暴れる秋路を難なく抑え込み、メイは作業を続ける。
メイが続けている間、秋路は悲鳴を上げ続けた。
終わるころには声はかすれ、ぐったりと動かなくなっていた。
そんな秋路に昨日メイがとってきた着物をかぶせてやるとシファカはメイに目を移した。
「ルシファーには俺から言う。お前は秋路を見てろ」
既に体が小さくなっていたメイは、心配そうに主を見上げた。
「ロード。ルシファー様には黙っていたほうがよいのでは……?これを人に使ったなどと」
右手を素早く上げ、メイを黙らせる。
「秋路はもう人じゃない。俺の嫁になるんだからな」
ピクリとも動かない秋路を表情のない目で見つめる。
「お前も休んでろ」
メイが何かを言いかけたが、シファカはメイに背中を向け部屋を後にした。
暖炉の目の前でシファカは自分の指を軽く噛み、その血を暖炉の火へ入れた。
ゆらゆらと赤い炎は青白く変わる。
シファカはその炎を冷静なまなざしで見つめながら、右人差し指で宙に文様を描いた。
次第に炎から人の形が現れる。
ゆらゆらと揺れ、次第に形が安定していった。
「……ルシファー……」
炎の中にいる人はひどくシファカに似ている。
ただ、表情は正反対に慈愛に満ちていた。
シファカの呼びかけに、にこりと微笑む。
「シファカ。お久しぶりですね。どうですか?久々に体を動かして」
「別に。それよりも――」
「ところでシファカ。私が大切に作っていた薬が見当たらないのですが、知りませんか?身内を疑うのは心苦しいのですが、以前私の本を盗んだ愚か者を拷問にかけたばかりでして。またあの悲鳴を聞くのはつらいのですが」
視線と視線が混じり合う。シファカはルシファーの瞳に映る自分を見つめており、開きかけた口を静かに閉じる。
「シファカ。こちらに戻ってくるなら許して差し上げましょう。いつこちらへ?」
優しく笑むルシファーだったが、シファカはそれにはつられない。
ただルシファーの目を見つめ、ふとため息を漏らした。
「……悪かった」
素直に謝罪の言葉を出す。そんなシファカにルシファーは笑みのない視線を向ける。
しばらく沈黙が続いたが、ルシファーのため息で沈黙が解かれた。
「シファカ。しょうがないですね。今回もそんなによかったのですか?」
「まだ、会ったばかりで会話もまともにしてねぇ」
「そうですか。……また人間どもと暮らすつもりですか?」
「そう長く人間と暮らすつもりなねぇよ。早い段階で秋路を連れてそっちへ行くさ」
うっすらと表情が硬くなった気がする。
だが一瞬で、そのやわらかい笑みが硬くなる瞬間など、気づかない程度だった。
だが、シファカは見逃さない。
ルシファーから視線を外さず、一言付け加えた。
「――もう決めたことだ」